(本作は門板、投稿するまでもないSSスレに投稿したものを加筆訂正したものです) 神隠しの伝承を追い、遠野へ向かった私を待っていたのは、分け入っても分け入っても白い山だった。 六角牛山。 遠野三山の一角であるこの山は古来より数知れぬ伝承を伝えている。六人の皇族が隠れ住んでいたとの話、アイヌ語が山名の基となっているという説。枚挙に暇がない。 柳田國男翁も遠野物語の一節「白い鹿」でこの山に言及している。それらを鑑みるに、結界に覆われた一種の霊山であることは疑いない。 神隠しに関する伝聞も多い。結界と神隠しとの関連を研究している私にとって、フィールドワークには最適の地だった。事実、今でも時折、冬山で姿を消す者があると云う。 しかし。 ――不覚だった。 冷たく吹きすさぶ嵐の中で、私は己の身をかき抱いていた。 冬山の凄まじさは聞いていたが、此程とは思っていなかったのだ。積雪も降雪も生半可なものではない。 地元民の忠告を無視し、山道を外れた奥まで足を向けたのが悪かったか。 ごうごうと音を立てて、吹雪が私の視界を遮る。一寸先は闇ならぬ、一寸先は雪というところか。これでは、冬山で姿を消す者があるのも当然だろう。うかつに入り込めば、神隠し以前に遭難して凍死してしまう。 ずるり。 足が滑り、姿勢が崩れた。 手近な樹に捕まる。 何とか転倒は免れたものの、先程からこの始末だ。目的の山頂には、とても近づけそうにない。 ――まずいな 遭難を覚悟した時。 視界の隅で何かが動いた。 錯覚か。 幻覚か。 それにしては随分はっきり見えたが―― 疑念を抱く私の前に、二つの影が走り出てくる。 黒い猫。 金の狐。 虚をつかれ、思わずしげしげと見つめてしまう。 なぜ冬山に、こんな獣が居るのか。 黒猫はわからないでもない。 人里から迷い込んだのかもしれない。山小屋の住人が飼っているのかもしれない。珍しいことではあるが、他の山で猫を見かけた例が無いわけでもなかった。 だが――狐はどうなのだ。 冬山に狐など、見たことも無いし、聞いたことも無い。北海道ならばキタキツネということもあろうが、あいにく此処は本州である。 明らかに、奇妙な二匹だった。 魅入られたように見つめ続ける。 四つの瞳が、じっと私を見返している。 ――何だ? その瞳に、何か違和感を感じた。 猫や狐が人間を襲ったという話は聞いたことがない。だから、雪山での遭遇といえど危険は無いはずだ。 だというのに、何故―― 「……っ……」 ぶるりと体が震えた。 身を切る寒さが、些細な違和感を吹き飛ばす。 吹雪は増々強くなってきていた。 辺りの光景すらまともに見えない。視界に飛び込んでくるのは、雪景色の他は、猫と狐の姿だけだ。 どれだけそうしていたろうか。 「君達は――」 言い差した途端。 つい、と。 二匹が背を向けた。 呆然とする私に、狐が背中を振った。付いてこい、という仕草にも思えた。 逡巡したが、選択の余地はない。行きの路も雪に埋もれてしまっているのだ。今から麓に戻るなど不可能。かといって、ここで立ち竦んでいたらどうなるかは、火を見るよりも明らかだ。 私は溜息をつくと、獣の後を付いて歩き出した。 ▲▽▲▽▲▽ 全身を苛んでいた寒さも随分と薄れてきた。 吹雪が弱くなってきたのだろうか。風を防ぐために額に当てていた腕を降ろす。 周囲の眺めを確認しようとして―― 「――何だ、これは」 思わず間抜けな声をあげた。 それも当然だ。 私は、広大な畳の間の中心に一人立っていたのだから。 明らかにおかしい。 先導してくれた二匹を見失わないよう、苦労して雪の山道を歩んで来ただけだ。だのに何故、私はこのような場所に―― ――そういえば。 あの獣たちはどこだ。 何時からか、視線を感じなくなっている。 慌てて周囲を見渡すと、黒猫と金狐の姿は何処にも見当たらなかった。 道中に見失ったはずもない。私は、その姿だけを目安に此処に辿り着いたのだから。 ――待て。 猫と狐を目印にしたのは確かだ。 だが、私が彼らに追いつくことも、また無かったではないか。駆けていたとも思えぬのに。 混乱した頭を振る。今は状況を確かめねばならない。 深呼吸して、広間を見渡す。 広さは数十畳はあろう。街では見なくなって久しい、大きな日本家屋特有の広間に近い造りだ。 鴨居はどうなっているのだろう、と。 目を上に向けて、私はまた声をあげそうになった。 灰色の写真が、黒い額縁に入って並んでいたからだ。 老人もいれば子供もいる。 男だけかと思えば女も映っている。 「遺影――か」 先祖代々の遺影が飾られているのは珍しい光景ではない。田舎ならば日常的なものだろう。私の実家も、随分とたくさんの遺影を並べていたものだ。 だがそれにしても――多すぎる。 この広さの部屋をぐるりと囲う程の量というのは、尋常ではない。 改めて周囲を観察する。 また奇妙な点があった。 この広間には、壁がないのだ。 四方八方が、襖で塞がれている。 何か嫌な予感がした。 ずらりと並ぶ遺影。 冷たい空気。 畳敷きの大広間。 四方を囲む無数の襖。 そして。 襖と襖の間に見える、僅かな、スキマ。 私は部屋の一方に近づき、隙間を覗き込んで目を凝らす。 ぎょろり。 「ひっ!?」 隙間から何かが覗き返した気がした。 慌てて後ずさる。 反射的にあちこちを見渡してしまう。 鴨居に視線が飛んだとき―― ぎろ。 遺影たちが一斉に――私を見た。 今度こそ恐怖が襲ってきた。 悲鳴一つ出なかった。 駆け出す。 たった今覗いたのとは反対方向の襖に手をかける。 出て行くつもりで勢いよく開いた。 だが、そこは押入れだった。 檜と思しき上質な樹が香ってくる。上下二つに分かたれたうち、下段には何も入っていない。 上段に目を移す。 ――人が眠っている。 女だ。 とても美しい女だ。 波打った金髪、紫を基調とした古風な衣装。明治か大正か、和洋折衷という言葉が頭をよぎる。 死んでいるのかと思った。 手をかざすと、微かな息づかい。おそるおそる触れた肌は、やけに冷たかった。 ――まるで冬眠だ。 そう思った瞬間、閃くものがあった。 冬眠――だと。 そう。 人間は冬眠をしない。 一時的に眠ることはあっても、眠り続けることはない。冬眠をするのは、熊のような動物だけだ。 ならば。 之の女は、本当に人なのか。人の姿をしただけの、他の何かではないのか。 そもそもこの広間は、住むための場所ではないのではないか。 もう一度冬眠のイメージが頭をよぎる。 冬眠の本質は、冬の長丁場に備え食料を蓄え身を休めることである。 しかしだとすれば、食料はどこにあるのか。見たところ、この広間に居るのは、女と私だけである。 ――食料? 唐突に、狐と猫の瞳に違和感を感じた理由が解った。 好奇ではなかった。 憐憫でもなかった。 あれは――歓喜だ。 食料を見つけた歓喜だったのだ。 女は此処の主であろう。 狐と猫はその従者であろう。 となれば、食料は―― ――私、か。 慄然と立ち竦む私の背後で、畳の擦れる音がした。 ゆっくりと、何かが近づいてきた。 足音は、無い。 ただ、気配だけが大きくなってゆく。 私から見えるのは、長く伸びた影だけだ。 影が、押し入れに隣り合う襖に投影された。 ゆったりした衣装と、大きな傘。波打つ髪。 影が大きくなる。 さり、さりと。 また畳の擦れ音。 影の輪郭は、押入れで眠っている女のそれと同じだ。 もう一度、押入れの上段を見つめる。 女はもうそこに居ない。 からん。 その代わりにと。 何かが音を立てて、押入れから落ちてきた。 白い。 丸い。 固い。 乾ききった ひた。 ひた、ひた。 いつの間にか足音が響いている。 濡れたそれが刻一刻と近づいてくる。 息を呑む音が聞こえた。 私の喉からの音だった。 首筋に冷えきった手が当てられ、生暖かい息が吹きかけられた。私にはもう、振り返る勇気は残されていない。 (了) 【戻る】 |