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伝奇クロスオーバー二次創作
『アウレオールスの夜に』
chapter-12
霧中の街 〜 Be Quite in the Dark
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22


 ショゴスは口を開き、動きを止めていた。顎には黒の体液が垂れ続け、ゼリー状の身体は器官の生成と崩壊を繰り返している。
 その様はどこか、おあずけを食らい涎を垂らす飼い犬を思わせる。
 てけりり、てけりりと絶え間なく漏れ出る呻き声は、凛の頭蓋骨の隙間から忍び込み、脳髄を侵食し意識を揺らがせていた。永劫の彼方より響き渡る冒涜的かつ忌まわしい呼び声とはこのことだろう。
 飼い主は餌に向かい、言う。
「最後通告です。“死者の書”を渡してください。でなければどうなるか――説明しなくてもお解りですね?」
「ええ、もう嫌になるほど良く解るわ。小物っぽいやり方だけど有効よね、これ」
「……小物とは失礼な」
 闇男爵が顔をしかめた。本当に気分を悪くしたようだ。小物扱いにトラウマでもあるのかと、凛はふと思う。
「ま、貴方が小物かどうかはさておき――渡さなかったら、どうなるのかしら?」
「考えるまでもないと思いますが」
 忌々しい微笑。思いきり華やかな笑みを返してやる。
「一応聞いておきたいわね。念のため、ってこともあるでしょ」
「物好きな方です」
「性分なの」
「まあ、いいでしょう」
 闇男爵はあっさりと首肯した。その声には、状況を制した勝者の余裕がある。
「“死者の書”を貴方が持っていることは確かです。ミスター・アッシュが持っていったはずがない」
「よく断言出来るわね、そんなこと」
「魔力を追跡すれば一目瞭然ですよ。僕にとってはたやすいことです。倫敦広しといえど、あれ程桁違いの魔導書は早々ありませんからね」
 それもそうか――
 “死者の書”ともなれば、本そのものが宿している魔力も尋常ではない。闇男爵から見れば、ネオンの服で着飾った魔導書が、どうぞ捕まえてくださいと大声で宣伝しながら歩いているようなものなのだろう。
「だとすれば、あなたが持っているに違いありません。まさかその辺りに隠しているとも思えませんしね。幾重にも積もった古書の香り、魔力の濃厚な匂いが漂ってきていますよ」
「隠すだけ無駄か。素直に差し出さなければ、ここでゲームオーバー、私はショゴスの餌、ってわけね」
「その通り」
 ですが、と。
 闇男爵は息を切り、芝居がかった仕草で首を振った。
「正直に言うと、罪悪感はあります。鮮やかな華を手折るのはいかにも心苦しい――ですが、背に腹は変えられません。なあに、ご安心下さい。痛いのは一瞬です。ショゴスがあなたを胃の中で消化してくれた後、“死者の書”をゆっくりいただくとしますよ」
 丁寧な宣言に脅しの様子は無かった。本気なのだから声を荒げる必要も、恫喝めいた物言いも必要ではない。闇男爵とはそういう男だ。
 だが、黒に彩られた空間で、凛はあくまで落ち着いていた。
「下の下ね」
 にべもなく言い放つ。
 闇男爵が顔をしかめる。
「と、言いますと――?」
「下策だって言うの。私が食べられたら、あの本、もう手に入らないわよ」
 切れ長の双眸がちかりと光り、凛を睨み付けた。
 凛はナイフのような視線を平然と受け流す。
 剣呑な空気を察し、ショゴスが身震いした。
 少し待て――と、闇男爵が手を伸ばしそれを制する。
「どういうことです」
「言った通りよ。着の身着のまま、剥き出しであんな危険物を持ち歩けないわ。いざという時のための対策くらい、しないはずがないでしょう」
「何をしたと言うのです……?」
 闇男爵の顔に好奇と緊張の色がある。魔導書を質にとれば、興味をひけると考えたのは当たっていたようだ。
 よし、と、凛は第二の餌を針に仕掛ける。
「『オード』って詩は知ってるかしら?」
 見当違いの話題に、青年が面食らうのが解った。
 眉根を僅かに寄せた。意図を掴みかねているのだろう。
 今の内だ。脳内の窓を二枚三枚と分割し、思考速度を加速する。複数思考の一つに闇男爵のそれを模倣させ、思惟の流れを可能な限りトレースする。

 時間稼ぎの戯言――否定。
 死に瀕してパニックに陥った故の妄言――否定。
 場を混乱させるための流言――否定。
 ならば。
 遠坂凛は、本当に“死者の書”を滅する手段を持っている――肯定。

 大方、闇男爵の思考過程はこんなところだろう。
 遠坂凛ほどの知性と胆力を備えた魔術師が、現況に全く無関係な空言に時間を費やすはずがない。それは、厳然たる事実である。凛が青年の立場だとしても、同じように考えるだろう。
 男爵は眼を細め、答えた。
「確か……ワーズワースでしたね」
 食らいついた。
 自分の言葉が示した効果に凛は刹那の満足を味わい、間髪入れず言葉を続ける。
「そうね。あの詩の冒頭はこうよ」
 そう言って凛は、桂冠詩人の詩を涼やかに口ずさむ。


My Heart leaps up when I behold a rainbow in the sky(わが心空にかかれる虹を仰げば踊るなり)


「翻訳も悪くないけれど、原語の方が響きが綺麗ね。そう思わない?」
「韜晦しないでください。何が言いたいのだ、貴方は」
 苛つきの波動を感じる。
 まだ解らないの、と。
 思い切り挑発的な哀れみの眼で、闇男爵に視線を流す。
「言葉って面白いわよね。詩の意味なんか、読み方をちょっと変えるだけで意味がまるっきり変わってしまう。ほら、こんな風に――」


mai hart leb zapfen eibe hold(五月無情嬉々として)
er renn bohr in sees kai(ビヤ樽の栓抜く水松が大好き)


「言語、発音、単語に文脈、どれか一つ弄られただけで、全体の意味がまるで変わってしまう。これって――」
 言葉を切る。
 男は鋭利な知性の持ち主だ。話の流れは既に飲み込んでいるだろう。理解が浸透した頃合いを見計らって、言葉を続ける。
「魔導書にも同じことが言えないかしら」
 闇男爵の顔色がさっと変わった。沈着した浅黒い肌に赤みが差し、少しは人間らしい表情を形作る。さすがに理解が早いと、凛は内心ほくそ笑んだ。
「……まさか」
「そのまさかよ。貴方が思っている通りのこと、させてもらったわ」
「……ハッタリだ」
「残念だけど、事実よ」
 そう、脅しではない。
 こんなこともあろうかと、アッシュが店内を周り支度を整えていた時に、“死者の書”には特定の仕込みをしてある。
 複雑な仕掛けではない。
 魔導書と一時的に経路を構築し、凛の魔術回路が完全に停止する――即ち、凛が死亡するのと同時に、その一部が書き換わるようにしたのだ。
 無論、例えに出した詩の改変のレベルには程遠い。何処がどう書き換わるのかは完全にランダムであり、凛にも予測がつかない。それに、範囲もせいぜい数文字だ。“死者の書”級の書が相手では、本格的な操作など命にかかわる。
 ただ、“死者の書”は巧妙に編まれた魔導書だ。文言は錯綜し、表現は隠喩に富む。暗号の中に暗号が仕組まれ、一頁はおろか一行、一文字が変わっただけで、文章の意味が丸々変わってしまうことも珍しくない。三頁目の五行目二十五文字の"b"を削除したら、二百八十頁に記された呪文が意味不明なガラクタになってしまう。そのようなものなのだ。
 だからこそ、“死者の書”がほんの少しでも書き換われば、闇男爵にとって大事な情報が丸々失われる可能性がある。
「……むう」
 空気が弾けた。
 低い唸りと共に、闇男爵の気配が変容した。
 白く美しい手が顔を覆った。
 掌に隠され、表情は見えない。歯がみの音も、吊り上がった眼も表には出ていない。それでも、吹き上がる鬼気は隠しようがない。
「だとしても――
 声の調子には変化はなかった。
「僕が必要な情報は“死者の書”の極一部だ。それさえ無事なら、何も問題はない。いくら遠坂嬢といえど、魔導書が持つ情報全てを操作するのは無理でしょう」
「そうね。けれども、貴方にとって必要なものが失われる可能性は、決してゼロにはならない。リスクが少しばかり大きすぎるんじゃないかしら」
「魔術師の言葉とも思えません。貴方の言っていることは、“死者の書”という、世界最高級の魔導書を傷物にするという宣言に等しい」
「承知の上。悪いと思ってるわよ。私も魔術師だもの、出来ればそんなことはしたくないわ」
 でもね、と。
 凛は不敵に笑う。
「そっちに渡すくらいなら、処分しちゃったほうがよっぽどマシよ」
 沈黙の帳が降りた。
 凛は息を詰めている。
 闇男爵は手を下ろした。端正な顔は夜蔭に隠れ、面持ちは窺い知れなかった。ただ。何かをこらえるかのように俯向き、身を震わせている。
 凝視が続いた。
 やがて。
 すうと、面が上がった。それは能面のようにのっぺりしていて、、何を考えているかは読み取れそうになかった。
 そして闇男爵は

「これは傑作だ!!」

 大笑した。
 狂騒的な笑い声だった。錆を引くんだ音楽的な声が、壁に反射してスーパーに響き渡る。大時代な服装のせいもあって、舞台俳優の見せ場のようだ。
「いや、さすがはミス・トオサカ! 粗忽者と聞いていましたがなかなかどうして、世評にたがわぬ切れ者だ。協会に眠らせておくには惜しい逸材ですよ」
「粗忽者……」
 憮然とする。
 うっかりした傾向があるのは否定出来ないが。直接いわれるといい気分ではない。
 凛が感情を害していると、いやいや、と闇男爵が目元をぬぐった。笑いすぎて涙が出たのか。
「あなたの狙いを肯定せざるを得ません。こんな所で、念願の書物を駄目にするような愚はおかしたくない」
「そう。良かったわ」
 面白くも無さそうに言って、凛は腕を組んだ。
 生命の危機はやり過ごした。だが、ここからどうしたものか。
 新たな案を思いつく前に、闇男爵が口火を切った。
「やむを得ません。あなたに直接解呪の方法をお聞きするしかないようです」
「はいはい、と答えるとは思わないでしょ」
「ええ、思いませんね。ですが、今度ばかりは選択肢はないのですよ。レディを招待するには全く相応しくない状況ですが――」
 ぱちん。
 闇男爵が指を鳴らした。鋭い音がSマートに響き渡る。
「ショゴス、遠坂嬢をお連れしろ。ただし、傷付けないようにだ」
 てけり・り。
 発光器官を明滅させ、ショゴスが唸った。命令を首肯したのだろう。
 黒い巨体が崩れた。高さを失い、縦横へと広がってゆく。見る見る間に、ショゴスの身体は偏平に広がり、Sマートの床を覆ってゆく。
「ちょっ……」
 ずぶりと、下半身が沈み込んだ。
 ショゴスが覆い尽くした地面。そこに、凛は飲み込まれていっているのだ。
 捉え処が無く、足をばたつかせても蹴る先がない。
 ねばつく体液は、まるでコールタールだ。腕を突っ張って身を持ち上げようとしても、全く手応えがない。底なし沼に飲まれるように、沈む一方である。
 踝、太もも、両手、首筋、剥き出しの白い肌に、黒い触手が纏わりつく。ぬらぬらとして生温かい感触に凛は眉を潜めた。服に染みこんでくる粘液が実に気持ち悪い。状態を把握するためか、細い触手がまさぐってきた時には、思わず身をすくめた。
 ショゴスが麻酔性の薬物でも分泌しているのか、それとも心身の緊張も限界なのか、頭がぼうとしてきた。
 心なしか熱もあるようだ。足首を砕かれ無理な行動を続けてきたのだから、発熱して当然ともいえた。緊張に痛みを忘れていたが、またじくじくと嫌な感覚を伝えてきている。
 今、ショゴスから脱出し、逃走するのは不可能だろう。
 茫洋とした脳を、未整理未解決の問題が通過してゆく。
 セイバーはどうなったのか。
 アッシュは無事、アパートに辿り着いているのか。
 そして魔界都市<新宿>で何があったのか――
 気にかかることは山ほど有る。
 自分とセイバーは、主人と使い魔として魔術的に繋がっているのが不幸中の幸いだ。これ以上の変事があれば、遅かれ早かれセイバーがそれを感知するだろう。
 汚泥は首筋まで来ている。
 意識を保っているのもそろそろ限界だ。
 取りあえずはこれまでかと目を閉じようとした時、瞼の裏を少年の面影がよぎる。
(こういう時に限って――)
 豊かな赤い髪。
 意外と逞しい身体。
 てらいのない表情(かお)――
(あのバカは、いないんだから)
 衛宮士郎の顔を思いだしながら。
 遠坂凛は、とっぷりとショゴスの中に沈み込んでいった。


23


 セイバーは迷い無く走り出していた。
 バネのようにしなやかな身体が、獲物を狩るためだけに真っ直ぐ飛び出す。
 重心を落とし前傾した姿は、まさに弾丸。光を尾とひく一筋の矢と化し、大気を切り裂く。身には白銀の鎧、手には不可視の剣。
 風の速さで、目標の懐に飛び込むべく疾走する。狙いは唯一人、逆十字の使徒たる魔術師のみ。
 ティトゥスの口元が吊り上がった。歓喜の笑みだ。

 ――漸く、死合える対主(あいて)か。
 
 内心呟き、彼もまたセイバーへと向かう。
 その動きはなめらかだ。地を滑るように渡り、瞬く間に距離を詰めてゆく。
 セイバーを烈風とすればこちらは疾風だろう。目にも留まらぬ速さで向かってきながらも、身に纏う空気は少しも揺れていない。
 塵一つ揺らさぬ足捌きだ。セイバーとは異質の動きでありながら、同格に洗練されている。剛直な西洋騎士とはまた違う、侍特有の幽幻な身のこなしである。
 ティトゥスの手が宙を裂いた。
 小柄だった。
 三尺の小刀がセイバーを刺し貫かんと飛ぶ。放たれた数、実に五本。
 右眼と左眼に一つずつ、喉にまとめて三つ。小剣といえど、ティトゥスの技量と魔力をもってすれば、一つ一つが必殺の兵器である。命中すれば致命傷は免れない。
 小柄が白い肌に届く寸前、セイバーが飛刀を睨んだ。
 それだけで、五つの刃は砕け散った。
 鋼と木の残骸が散り、虚空へ消える。キャスターの呪言すら無効化した対魔力スキルの賜物だ。飛び道具なぞ牽制にもならぬ。
「――魔力を込めたが仇となったか。流石は」
 感に堪えぬとティトゥスがうめく。
 その最中にも、二者の距離は狭まっていた。既にして一足刀の間合い(ショートレンジ)。騎士王、魔剣士、双方にとっての最適位置。
 空気が鳴った。
 ティトゥスの右手が一閃した。
 互いの速度を計算した、神速の一撃だった。
 セイバーの視界を銀光がかすめる。
 余人には惜しくも外れた、と見えただろう。だが、セイバーは惑わされない
 無数の戦闘経験と英霊屈指の直感は、今の斬撃をフェイントと見切っていた。
 本命は第二撃。
 魔剣士の左手が動く。セイバーの超感覚をもってしても見て取れぬ速さで、無銘の日本刀が鞘走る。

 ――来る!

 セイバーが一足飛びに踏み込んだのは、そう判じた瞬間だった。
 風王結界は日本刀より僅かに短い。リーチの差異は微少であり、それでいて致命的だ。超人魔人の戦い、それも一足刀の間合いとなれば、コンマミリ単位の精度で勝負が決まる。
 逆に言えば――
「貰ったぞ、魔術師(メイガス)!」
 ほんの僅かに刃圏を詰めれば、自分がティトゥスを切り裂く方が早い――!
 急制動をかけ、大地を踏みしめる。
 閃光の速さで、斜めに剣を振り抜く。
 セイバーの岩をも砕く一撃。風王結界をまともに受ければ、ティトゥスといえどただではすまぬ。
 とらえた、と感じた。
 その筈だった。
 ティトゥスが、さらに一歩踏み込んでこなければ。
「なっ――」
「甘い! その命、貰い受ける!」
 背筋に寒気が走った。
 だが、軌道を修正する余裕はない。そのまま一気に剣を振り抜いた。
 金の剣が、銀の刃が走る。
 ティトゥスが、剣の軌道上に左腕を突き出した。不可視の剣がずぶりと沈み込み、肉を断つ手応えを伝えてくる。
 同時に。
 セイバーの胴体に大きな衝撃が伝わった。侍の刃が鎧を一刀に断つ。斜めに切り上げられ、亀裂が走る。頚部から腹部を覆っていた外装がぱっくりと開き、紺碧の衣服を露出させた。
 敵は腕一本、自分は鎧の損傷。有利不利は明らかだ。
 セイバーは双腕に力を込め、体重を乗せる。後は、行く手を阻む腕ごと魔術師を両断するだけだ。
 勝った――
 そう確信した、その刹那。
「――油断したな、アルトリア・ペンドラゴン!」
「な――に!?」
 ぐんと伸びてくる、刃の軌跡が眼に飛び込んできた。
 下腹部が焼けた。
 灼熱感と激痛に、セイバーはよろめく。
 何があったのかはすぐにはわからなかった。
 衝撃と出血にかすむ目で、侍が持つ刀を確認する。
 牽制を放った一刀。
 己が肉ごと断った一刀。
 ティトゥスの肩口から伸びる(・・・・・・・)二本刀。
 新たに生え出た二つの腕。それぞれが手にする刀が、臍部を貫いていた。
 かは、と。
 口から赤い塊が飛び出る。
 それが合図であるかのように、刀はずるりと引き抜かれた。
 血の華がぼっと咲く。噴き出した血が、セイバーを、床を紅に塗らす。
「ティトゥス……!」
「肉を斬らせて骨を断つ、という言葉があってな。お主を仕留められるならば、腕の一本、惜しくない」
 ティトゥスが左腕を振るう。風王結界が斬り捨てたそれは、ボロ雑巾のように地面に転がった。切断面からは血が流れ出ているが、気に留める様子もない。
 己の一部を犠牲にし、動きを止めたというのか。
 暴挙と言えた。ほとんど狂気の沙汰だ。
 セイバーの剣はただの剣ではない。英霊たる身が、神秘の極である宝具を繰り出すのだ。誰であろうと、直撃を受けて無事でいられるはずがない。さらには、タイミングを計り損なえば、頭蓋ごと叩き割られる間合いである。即死覚悟、捨て身の一撃といえた。
 剣を地に刺し、身を支えた。
 足元がふらつく。
 蒼い瞳が、茶の瞳と睨み合う。
「……見事なものだ。己が身を省みぬまでの勝利への執念、賞賛に値する」
「お主もな。仕留めたかと思うたが――まだ余力があると見える」
 ティトゥスの言葉は正しい。
 刺し貫かれた腹部からは出血が続いているが、セイバーにとっては今すぐ動けなくなるほどの傷ではない。バーサーカーに身の半分を吹き飛ばされた時に比べれば、まだしも傷は浅いといえた。刃が魔力を宿してさえいなければ、問題にもならなかっただろう。
 ただ、一時的な運動能力の低下は避け得ないうえ、それが仇となり得る相手だ。力を余すとはいえ、危難の時なのは変わらぬ。
 ティトゥスが再び構えた。
 薄暗い蛍光灯を受け、白刃が禍々しく光った。
「だが、いかにお主といえど、その手傷では満足に動けまい。武人の端くれとして敬意を表するが――」
 言いかけ、ティトゥスは跳び退った。
 怯えたような跳躍だった。
 重力を感じさせぬ足取りで地に降り立つ。
「――まだ、終わらぬか」
 声に戦慄の響きがある。
 双眸に煉獄の歓喜がある。
 セイバーはゆっくりと顔を上げた。
 白く美しい肌が失血で蒼冷めていた。
 重く走る痛みに表情を歪める。
 傷は重い。魔力のこもった刃で切られ突かれては、物理攻撃無効の特性もさして意味をなさぬ。人間ならショックと出血で気絶してもおかしくない手傷だ。
 それでもなお。
「ティトゥス」
 き、と見据えて鋭く呼びかける。
 危険だ。
 この男は危険だ。
 ティトゥスの剣技は本物だ。人を殺す力がある。全てを断つ気迫がある。天与の才、研鑽、何より無数の実戦が、その剣を魔人の域にまで高めている。
 なればこそ、今、ここで倒さねばならない。
 凛やアッシュがまともに戦える相手ではないのだ。自分が片を付けなければ、いかなる被害がもたらされるか解ったものではない。
「貴方は強い。外道といえどそこまでの業前、賞賛に値する。だから――」
「なれば何とする、騎士王よ」
 息を吸う。
 魔力を生み出すエンジンを拍動させる。
 ――だからこそ
「全力で、貴方に敵対する――!」
 風が荒れ狂った。
 烈風と呼ぶには大きすぎ。疾風と呼ぶには荒々しすぎた。それはまさに暴風だった。
 何処かで幻想の獣が咆えた。
 魔力が吹き荒れる。物理的な質感すら伴うそれが、床を、壁を噛み砕く。
 ティトゥスの身体が僅かに押し戻される。だが、その目は凶暴なまでの光を称えたまま、嵐を見透かしている。
 視線が嵐の目に届いた時。
 くわ、と双眼が見開かれた。

 ――其処に、竜が居た。

 鎧に身を包んだその姿は、粉塵に汚れ血潮にまみれていながら、なおも気高く美しい。
 刃であり鞘である宝具、風王結界を取り払う。
 風が散り、唸りをあげて、不可視の刃が具現化せんとする。
 刮目せよ。これぞ英霊を英霊たらしめる究極の武器。人の、英雄の意志の気高き顕現。星の鍛えし神造兵器――
 金色の刃がその姿を覗かせる。
「受けてみるか、我が宝具――!」
「面白い! ……久しく忘れていたわ、この血のたぎり……!」
 ティトゥスが構えを取った。
 一刀一殺、文字通りの必殺の構えだった。
 荒れ狂う風に、コートの裾がはためいた。風になびくざんばら髪の下に、凶相が浮かぶ。
 セイバーもまた、神剣の柄を強く握りしめる。
 中段に構え、上からでも下からでも、ただ一撃で斬り伏せるべく剣を抱く。
「――参る!」
「来るがいい!」
 侍の姿がぶれてかき消えんとし。
 騎士王が大きく剣を振りかぶろうとした時。
「アーサー!」
 叫声と銃声とが、響いた。


24


 声が耳に届いた瞬間、セイバーは何も考えずに身を屈めていた。体だけが反応したかのようであった。
 セイバーの金髪をかすめ、弾丸が飛んだ。熱を宿した弾がぴょこんと飛び出た一房を僅かに焼く。タンパク質の焦げる不愉快な匂いが鼻腔を突いた。
 散弾はティトゥスを狙っていた。
 文字通りの奇襲だった。
 奇襲といえど所詮は銃である。ピストルであろうとショットガンであろうとライフルであろうと、ティトゥスにとって銃弾を見切るなど児戯に等しい。
 だが、時が悪かった。
 ティトゥスは全神経、全注意力を、放つべき刹那の斬撃に注ぎ込んでいた。対主の毛先の震えすら見逃すまいと五感を研ぎ澄ませていた。
 加え、向き合うのは英霊セイバーである。外界への注意を払う余裕は全く無い。忘我の域にあったと言って良い。
 いかに逆十字の魔人といえども、身を交わせる道理が無かった。
 そのうえでなお
「――ぬうっ!」
 弾丸を避けるべく身を逸らした。驚異的な反射神経と動体視力だった。
 凡手の手になる射撃なら、かすりもしなかっただろう。それだけ見事な見切りだった。
 しかしアッシュもまた、ショットガンの扱いには達人である。
 狙いは正確無比だった。散弾の拡散する角度までを計算に入れていた。
 だから、完全には交わしきれなかった。
 12ゲージショットガンの弾、その一かけが右の瞳をかすめる。
 鮮血が散った。
 声もなく、侍が動く。
 疾風が奔った。
 ティトゥスは忽ちの内に五メートルの間合いをとっていた。
 右手が右眼を覆っている。
 肉の焼ける不快な匂いが鼻をつく。
「アッシュ、手を出さないでください! これは私の戦いです」
 セイバーが叫んだ。
 アッシュは答えず再び銃を構えた。いつもの不敵な笑みは浮かんでいなかった。
 銃口が油断無くティトゥスを照準する。
 手負いの侍は、隻眼を爛々と輝かせ、新参の男を睨み付ける。
「――やってくれたわ」
 奈落の底から這い上がるような声だった。彼岸から吹く風はこんな音を立てるのかも知れなかった。
 ほた、ほた、と、指の隙間から紅の華がこぼれ落ちる。
 ティトゥスが手を離した。沸騰したかのように白濁し、ただれた眼窩があった。
 レミントン・12ゲージの散弾はティトゥスの右眼を焼き、抉っていたのだ。左腕に続いて右眼。痛恨の手傷であった。
「そこな男、此処の主か。邪魔立てとは、よくよく命がいらぬと見える」
 声調は変わりなかった。低く暗く、冷静そのものだった。
 ただ――セイバーがだけが、澱のような怒りを察した。
 常人はおろか、魔術師でも気死しかねない憤怒がそこにあった。
「何という不覚、何という無様――死合に我を忘れ、雑輩の容喙を許すとはな。このティトゥス、まだまだ未熟ということか」
「で、どうする。続けるなら相手になるぜ」
 否――と。
 ティトゥスは潔く首を振った。場を引く合図だった。
 重症を負い、セイバーと新たな手勢を敵にしてはかなわぬと見て取ったのだろう。一流の剣士らしい諦めの良さだった。
「腕一本、瞳一つ。高い代償であったわ。これだけのものを支払ったからには――」
 ティトゥスが未だ怒気醒めやらぬ目を注いだ。
 セイバーは真っ向からその目線を受け止めた。
 火花が散った。空気が燃え、熱がちりちりと一行の肌を焼いた。
「騎士王よ、そして其処な男よ。次に逢うた時には、お主らの首をいただく」
「待て、ティトゥス!」
 セイバーが追い縋ろうと踏み出した。その行く手は、風の壁に遮られた。
 ティトゥスから一陣の風が吹いていた。小型の竜巻のようなそれは、隻眼隻腕の武者を包み込んでいた。
 風が鋭く四方に飛ぶ。瓦礫や硝子の破片が打ち付け、たまらずセイバーとアッシュは目を閉じる。
 響くのは、びゅうびゅうという音だけ。
 しばしして風が薙いだ時、魔剣士の姿はもう何処にも無かった。


***


「――礼は言いません。アッシュ、貴方の行為は戦士として許されるものではない」
 廃墟と化したアパートできっぱりと言い放つ端正な少女に、ショットガンとチェーンソーのヤンキーは平然としていた。
 ちぢれた頭髪、鋭く深い蒼眼、整ってはいるが濃厚な顔立ち。印象的ではあるが、米国の無鉄砲な若者以上にはとても見えない。逆十字と英霊とを前にして臆しない男とは思えない。
 今も、セイバーの言葉に対して肩をすくめただけだ。逞しい肩がぼろぼろの壁にぶつかり、安物のペンキを重ねた塗装を崩落させる。
「随分と怒ってるな」
「当然です。貴方でなければ斬りかかっているところだ」
「ま、それはそれとしてだ」
「アッシュ!」
 厳しい呼びつけには、強烈な怒りと苛立ちがある。
 当然だろう。セイバーは義と誇りを第一とする騎士だ。決闘の邪魔をされたならば、命をもっての償いを要求してもおかしくなかった。
 しかし、ここはキャメロットではなく、霧の魔都倫敦。相手は物怖じしない米国人だ。セイバーの論理は通用しない。かつてアーサー王の宮廷に迷い込んだヤンキーがそうであったように。
「悪かったとは思ってるがよ……チャンバラやってる場合じゃないぜ」
「と言いますと――?」
 ああ――と、アッシュは頷いた。
 命の危機に陥っても余裕を失わない瞳が、いつになく真剣な光を帯びていることに、セイバーはようやく気付いた。
 アッシュが室内を見回す。窓から首を出して霧の向こうに目を凝らし、人声や足音が聞こえないかと耳を澄ます。
 自分たち以外に誰もいないとわかると、やっぱりか、と苦々しい口調で呟いた。
「リンはまだ来てない――な」
「一緒に居たのではないのですか?」
「別行動をとった。Sマートでとんでもない奴に会ってな……」
 アッシュが事の経緯を話すにつれ、セイバーの顔色が変わっていった。
「ショゴスに……闇男爵(ダーク・バロン)……!」
「知ってるのか? そういや、リンも驚いてたな」
「欧羅巴でも最悪に数えられる魔術師です。既に滅したと聞いていましたが」
「気取った恰好の、いけすかない気障野郎だったぜ。認めたくないが……ありゃ化物だな」
 思案顔で二人は向かい合った。ふと、思い出したようにアッシュが問う。
「……で、それ、平気なのか」
 指はセイバーの腹部を示している。血は既に乾き始め、蒼の服にこびりついていた。
「問題ありません。それほどの傷ではない」
「……ま、セイバーがそう言うならいいけどな」
 既に傷は塞がりかけている。痛手ではあるが、しばしすれば、動きにも支障はなかろう。
 それより、と。今後の方策を検討しようとした時。
「……っ!!」
 セイバーが突如声を上げた。
 急に痛み出した右腕を押える。
 神経に電撃が走った。
 灼熱の痛みだった。
 ぶつり。
 みちり。
 肉が裂ける――裂かれる感じ。
 身が引きちぎられるようだった。数人の巨人が自分の頭と四肢を手にして、引っ張り合いをしているかのようだ。己が身がむしり取られるような幻痛に、セイバーは顔をしかめる。

 これは、まさか――

 セイバーの様子に、アッシュが訝しげな声を上げた。
「おい、どうした? やっぱり痛むのか?」
「……パスが弱まっている」
「パス……ってのは何だよ」
 口を開くのももどかしく説明する。
「リンと私を繋いでいる……いわば、(ライン)のようなものです。お互いが何処で、何をしているのかも、漠然とではありますが伝わります。これが在る限り、どれだけ離れていてもリンと私は共に有ると言える」
「そいつが弱くなってるってことは、つまりだ」
「――はい。リンも相当に弱っている。状況を考えれば、敵の手に落ちたと見ていいでしょう」
Jesus(なんてこった)……」
 アッシュが悪態をつく。
 確かに最悪だった。
 パスがこの程度の強さでは、凛を追うのにも一苦労だ。
 さらに悪いことには、セイバーに供与される魔力も制限されるということだ。主からの供給が弱ければ行動の自由度はどうしても落ちてしまう。宝具の開放など夢また夢だろう。
 ガソリンの補給を極度に制限されたスポーツカーのようなものなのだ。最高速度を維持し続ければ、走ることは出来なくなる。
「俺たちだけじゃどうにもならないぜ、これじゃ。手を貸してくれる所がありゃいいんだが」
「というと、心当たりがあるのですか?」
「あるわけないだろ。そっちはどうだ?」
「……残念ながら」
 現状、リンは魔術協会の客人だ。お膝元でこんな騒ぎがあったと報告すれば凛の捜索に力を貸してくれるかもしれないが――問題はセイバーの身上である。
 自分が何者か説明することは不可能だ。英霊かつ使い魔などということが表沙汰になれば、協会の研究者たちがご自慢の道具をもって寄って集ってくるだろう。また、アッシュは実際はどうあれ名目上は一般人であり、協会に関わらせるなど論外である。魔術協会は神秘の隠匿を旨とする組織だということを忘れてはならない。
「警察はどうなんだ」
「どう事情を説明するのですか」
「そりゃそうか」
 アッシュが肩をすくめる。
 英国の警察は優秀だが、魔術絡みの事態に対処出来るとは思えなかった。倫敦が死者に満ちているとすれば、警察が機能しているかどうかも怪しい。
 専門家の助力が必要だ。
 協会に属さず、現況を的確に把握出来、さらには強い力を持った魔術師が。
 そんな都合の良い輩なぞ――
「――居た」
 セイバーは電流に打たれたように目を見開いた。
 凛と共に尋ねた骨董屋。
 あの女が居た。
 大胆な黒衣装に身を包む魔女の姿が頭に浮かぶ。
「一人だけいます」
「OK。善は急げだ。さっさといこうぜ」
「しかし――」
 躊躇する。
 あの女は徒者ではない。全てを見透かしたかのような言動、隠しおおせぬ並外れた魔力、何より、心の奥が窺い知れぬ瞳。吉凶で言えば凶であり、関わり合いになりたいものではなかった。
「どうしたよ、しけた顔して」
「率直に言えば、助けを請うには気のすすまない相手なのですが――」
「背に腹は変えられないぜ。俺たちだけじゃどうにもならん」
 珍しく二の足を踏むセイバーに、アッシュが強い調子で言う。
「愚図愚図してる余裕はないだろ。リンを放っておくわけにもいかないしな」
「……仕方、ありませんね」
 セイバーは少し頭を振り、きっぱり頷く。
 壊れた窓から見上げる空は闇に覆われたまま。夜明けはまだまだ遠そうだった。




⇒ to be continued in Chapter - 13



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