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伝奇クロスオーバー二次創作
『アウレオールスの夜に』
chapter-10
剣と刀 〜 Sword and
Blade
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15
(化物――ね)
ティトゥスと名乗った男の佇まいに、凛は内心舌を巻いた。我知らずに頬を一筋の汗が伝う。冷や汗だ。
一見したところ、鋭利すぎる容貌以外に目をひく所はない。刀を手にし、無造作に立っているだけだ。物騒ではあろうが、周囲の注目を浴びるようなことはないと思える。
だが、見るものが見れば息を呑んだに違いない。刀身に殺気を、風に殺意を纏った佇まいには文字通り一分の隙もないのだ。
「――リン」
セイバーが低く声をかけた。
使い魔たる英霊の言いたいことは良く解っている。現有戦力、敵の力量、己の状態、その全てを算出し、最適状況を作り出すにはどうすれば良いか判断する。そこまで出来ねば一流の魔術師ではない。導き出される結論は常に冷徹だ。今回とて例外ではない。
切り出しにくいであろうその内容を、友の口から言わせるのは酷であろう。
「仕方ないところ、か。悔しいけど、この足じゃ足手まといよね」
「ここは私が引き受けます。どこか安全な場所に」
足手まとい、との言葉には応えずにセイバーが返答する。凛の横でアッシュが頷いた。
「加勢する、と言いたいとこじゃあるけどよ……その方が良さそうだな」
思いの外冷静である。伊達に無数の戦いを潜り抜けてきてはいないらしい。実力の程は今一判然としないが、セイバーが戦友と認めるだけのことはあるようだ。
「さすがに冷静ね」
「ありがとよ……と言いたいところだが。それだけじゃないんだよな」
アッシュは苦虫を噛み潰したような顔のまま、親指で窓の外を指し示した。ショットガンを背負い、チェーンソーを右手にはめ込んでいる。完全装備をもって、そうまで言うということは、何か脅威となり得るものが近づいているのだろうか。耳を澄ましてみれば――
「……あちゃあ」
――聞こえる。
倫敦を流れる風に乗り、呻き声が響いてきている。正常な発話が不可能になった喉だけが絞り出すことが出来る、低く良く響く獣の唸り。陰々滅々としたそれは途切れ途切れながらも、着実にこのアパートに近づいていた。
「裏口なんてものはないからな。ドアから正面突破になるぜ」
苦々しい声。
言うまでもなく、扉には侍が立ちふさがっている。彼の者がその気になれば、セイバーを相手取りながら凛とアッシュの道行きを塞ぐことも不可能では無かろう。
だが、凛にはある直感があった。
否、ほとんど確信と言っても良い。
それを確かめるため、きりとした面を敵たる魔術師に向けた。
「一つだけ尋ねるわ」
「聞こう」
悠揚迫らぬ声。すうと息を吸い込む。
「あなた、私たちが出て行っても、追うつもりはないんでしょ?」
なぜそんなことを問うたのか、凛は後から考えてもさっぱり解らなかった。ティトゥスと名乗った魔術師は明白に敵なのだ。それが有利と判断すれば、一目散に脇目もふらず退くべきであったろう。わざわざ声をかけたのは、ただの戦闘狂や卑劣漢ではないと直感したからかもしれない。
「――ク」
果たして、テイトゥスは笑った。
嘲笑ではない。憫笑でもない。他者には計り知れぬ、修羅の笑み。
「――問うまでもあるまい。拙者の望みはただ死合うのみ。悦楽の時を妨げられるのは好かぬ。疾く、去ね」
「侍の台詞じゃないわね、それ。武士道はどうしたの?」
「武士道? 遠坂の娘の言とも思えぬ。拙者は武の徒であるより先に魔術師。そして、我ら魔術師の依るべき法は唯一つ、『汝の欲する事に従え』であろうよ。拙者にとって武士道なぞ、塵紙ほどの意味も持たぬ。我が刃が剣の英霊に通ずるか――今この時に心砕くは、その一事のみ」
不吉ですらある薄ら寒さを声にじませ、ティトゥウスは嗤った。凛の問いに答えてはいるものの、既にその目は、セイバーしか見ていない。
「行ってください、リン。すぐに追いつきます」
鋭くセイバーが言い放つ。そこには、戦への緊張と、勝利への誓いと、友への絶対の信頼があった。敵を打ち倒し必ずや追いつくという誓いの言葉。
信に応えることが叶うのはただ信のみであろう。
だから、凛はセイバーに微笑み答えた。華のように美しい笑みだった。
「セイバー」
「――はい」
「信じた。だからまた後で、ね」
「任されました。リン、ご武運を」
それが最後のやり取りだった。
セイバーのきっぱりとした声を背に受け。凛とアッシュは、再び霧の街へと駆け出した。
*
「――待たせたな、ティトゥスとやら」
「気に病むことはない。遠坂の娘、噂以上の切れ者と見える。ただあれだけの時で、拙者の本質を見抜きおったわ。相對するに不足は無し。人を斬るに飽いたといえど、あの者ならばまた違おう。だが――」
きゅ、と。ティトゥスが口元を吊り上げ、セイバーが眉を上げる。
「いかに優れた術師と言えど、英霊には及ばぬであろうよ」
「……悪鬼の道に堕ちていたか、術師よ。だが、貴様の繰り言にかかずらう時間はない」
切って捨てるような鋭い言葉。
セイバーの纏う空気は刃の如く鋭い。比喩的な意味ではなく、風王結界も既にして風を宿していた。たった今、この刹那に斬り合いがはじまったとしても全く問題なく反応出来よう。
「つれないことよな。まあ良い。死合う前に一つだけ申すことがある」
「聞こう」
ふと、ティトゥスがそんなことを言った。
僅かな疑念を滲ませつつも、セイバーは答える。眼前の侍、明白なまでに危険な存在ではあるが、卑劣感からはほど遠い。むしろある意味で誠実な存在と言って良かろう。なればこそ、その言葉、聞く価値はある。
「お主の先の言動、賛ずるに値する忠義の念であった。騎士王の名に相応しい。冥府魔道に堕ちた身には望んでも求め得ぬものであるが。彼の従僕もそうであった」
「従僕――だと?」
誰のことだろうか。
戦場のやり取りでわざわざ名前を出すほどだ。余程強い印象を、この剣士に残したと思しい。
「何、我が好敵手にして宿敵よ。畢竟、終の刻まで力及ばなんだが――素晴らしき戦士であった」
鷹の瞳が一瞬揺らぐ。
そこに猛々しい戦意と、懐旧と羨望とが同居しているのを見て取ったセイバーは、一瞬意外の念にうたれた。
この剣士、ただの猪武者や剣鬼でもないようだ。我欲におぼれただけの輩が、このような複雑な瞳を持っているはずがない。
「とはいえ――」
鋭い光に、身と心を引き締める。
ここからが、本番だ。
今までは戯れ。これよりは、互いの誇りと命を賭した戦となろう。
「今の拙者が求めるは、ただ刹那の手合わせ。よもや断るとはいわぬな、騎士王よ?」
「もとより承知。剣の英霊の名にかけ、受けて立とう。だが――」
剣を手に握り込む。
宝具たる不可視の刃が風を纏い、唸りを上げる。
「このような時に、リンとアッシュだけにしておくわけにはいかない。魔術師――いや、戦士ティトゥス、直ぐにでも、終わらせて貰う」
にい、と。口の端をつり上げ、裂けた笑みを浮かべた。心から嬉しそうな、戦士の笑みだった。
「それこそ望む所。では――」
風の唸りに応ずるが如く、鋼の二刀が音鳴る。
「元・黒き聖域、逆十字が一、ティトゥス――」
「遠坂凛が使い魔にして、剣の英霊、セイバー――」
『参る!!』
16
つ、と。
セイバーの額を汗が伝った。
戦の幕が開いて数分。騎士と武士は、お互いにぴくりとも動かずに睨み合っていた。
勿論、望んでそうしているわけではない。直ぐにでも終わらせる、という言葉ははったりでも何でもないのだから。
倫敦はおそらく、死者で満ちていよう。満ちているとまではいかねど、凛とアッシュを狙い、彼の屍骸どもが彷徨っているのは間違いあるまい。加えて、凛は足首を痛めているのだ。いかにアッシュが頼りになるといえども、一刻も早く二人の元に駆けつけたいと思うのが人情である。
だが――
(これ程とは……!)
切り込めぬ。
ティトゥスの構えは無造作そのものだ。生半可に戦いを心得た者であれば、隙だらけだと失笑してしまいそうな程に、周囲に無頓着である。おそらく、そう判じて挑み、返り討ちにあった輩も少なくは無かろう。
だが、セイバーは半可通とは程遠い。王であった頃よりイングランド最強の戦士であり、今に至っては人間を遙かに超える戦闘能力を有する英霊である。だからこそ、ティトゥスが無勝手流である理由を一目で見抜けたと言って良い。
わざわざ構える必要がないのだ。
刀をだらりと垂らしただけの姿で、既にして構えは完成されている。超人の域に達した技量ならば、決まり切った構えなど邪魔なだけなのであろう。むしろ、あらゆる状況に対応できるという意味で、現勢の方が遙かに効率的である。
窓と扉の隙間から微温い風が吹き込んだ。
「……いかがした、剣の英霊よ。いかにお主といえど、留まるばかりでは敵手を斬ることも出来まい」
風に声を乗せ、重々しくティトゥスが言う。
その通りだ。あらゆる意味で余裕がない現況、守りに徹するのは下の下。ましてセイバーは、守ではなく攻の戦士である。
ならば、と。
「――」
切り込むべく、一歩を踏み出そうとしたその刹那
「では――拙者より、参る」
「!!」
ぶん、と。
残像と共にティトゥスの姿がかき消えた。
セイバーにしてみれば間合いを外された要領だ。必然的に防戦を強いられる。
ティトゥスの姿が消えたのは圧倒的な速度と、壁すら足場にする変幻自在な動き故だ。このクラスの戦いとなれば、驚くべきことではない。
問題となるのはただ一つ。何処より、襲いかかってくるか。
正面か。
右か左か。
背部か。
いや――
「上かっ!」
セイバーが剣を振り上げた刹那、鋼と鋼が噛み合う音がした。
上方からの斬撃を察知したのは、幾千幾万もの戦いの中で磨き抜いた直感ゆえだろう。
体重の乗った日本刀を受け止める。間近で騎士王と侍が睨み合う。
「――はあっ!」
「ぬうっ……!」
裂帛の気合い。そのまま剣を振り抜き、ティトゥスを力任せに吹き飛ばす。小兵が壮漢を弾き飛ばすという、常識では有り得ない光景だ。
吹き飛ばされた側からすれば、いわば「浮かされた」状態である。攻防において不利なことこの上ない。
だが。
くるり。
まるで重力を無視するが如き体術をもって一回転し、侍はふわりと着地し嗤った。
「ほう、今の一撃を止め……ぬっ!?」
そう吠えた時には、既にセイバーは走り出している。
手には不可視の剣、風王結界。
疾走。
近接。
「貰う――!」
――斬撃。
受けるならば受けごと吹き飛ばすとばかりの一撃は
「甘い――!」
がきいと、十字に交差した刀に受け止められる。
目線がぶつかり、剣と刀が鍔迫り合う。
鋼がこすれ、耳障りな音を立て、光が飛び散る。押し、押されながらも、三つの刃はがっちりと組み合い、戦士たちもまた一歩もひかない。素人目には全くの均衡状態としか見えなかろう。
だが、均衡は崩れる故に均衡である。
「ぬ……」
直ぐに、ティトゥスがうめいた。
――押されている。
二刀で一剣を受け止めているにもかかわらず、セイバーの剣がじりじりと、ティトゥスの身体に迫ってゆく。刀ごと押し切ろうとしているかのようだ。ほとんど肉斬り包丁のようである。
見るからに屈強な男性が、ゆっくりと、だが確実に、可愛くすら思えるほどに小柄な女性に押されているのだ。傍観者がいたとしたら、驚愕しただろう。
最も、セイバーを知る者にしてみれば然程驚くべき光景でもない。
言うまでもなく、セイバーはただの戦士ではない。聖杯との契約により現界した英霊である。しかも最優の英霊たるセイバーのことだ、いかに逆十字を名乗る魔術師を相手にしたとはいえ、あらゆる面で後れを取るはずがなかった。
鋭く息を吐いて、セイバーが剣を振り抜き――
「――ふっ!」
ばきい、と。
刀身をへし折った。
勢いを保ったまま首を狙い断ち切ろうと迫る風王結界。
その刃が身に届く直前、ティトゥスが床を蹴って後ろに跳ぶ。
セイバーもまた、追いかけるように踏み込んで膂力任せに再び剣を振り抜く。
ち、と。
切っ先がティトゥスの顔をかすめ、前髪が僅かに断たれて宙に流れた。
「流石は騎士王。見事な腕よ」
アクロバティックな動きで間合いをとり、侍が再び地に立つ。
カランと音立てて、折れた刃が地に転がった。最早使い物にもなるまい。
「そこまでだ、ティトゥスよ。いかに貴様といえど、無手で戦うことは出来まい」
セイバーの宣告。それは事実のみを告げる声。
だが
「ク――」
ティトゥスは冷たく嗤った。
「何を嗤う、魔術師」
「騎士王とは思えぬ短慮よ。拙者が兵である以前に術師であることを忘れるな。刀の一つや二つを失ったとて支障はない」
そう言った刹那に。
ティトゥスの両の掌それぞれより、刀が生えた。いや、正確には、空間より出現した。ずるりという音が聞こえてくるかのようだ。
セイバーの目が細まり、表情が一層厳しくなる。
「物質転送魔術か……!」
「然様。これでも魔術の徒ゆえな、使える術は全て使わせて貰う」
「――」
再び二刀を手にし、だらりと刃を垂らすティトゥス。
無言で風王結界を構え、セイバーは意を新たにする。
その圧倒的な体術と剣術、そして空間を超えて無限に召喚される刀。短期決戦を狙っていたが、そうもいかぬかもしれぬ。
元々ティトゥスは厄介な対手である。魔術により直接攻撃を行うのではなく、術の専らを己の武器と身体能力の強化に用いているからだ。
セイバーの対魔力ランクはA。現実問題として、現代の魔術師でセイバーを害せるものはほぼ存在しない。ただし、魔力を帯びた武具で攻撃された場合は話が別である。事実、葛木宗一郎との一戦では、魔力付与された拳により甚大なダメージを受けている。
そして勿論、眼前の侍もまた、その種の戦闘スタイルの持ち主である。
かのアサシンに匹敵するかとも思われる剣術と体術、そして、物質転送。
だが、それらの術すら切り札ではない。
まだ何か、凶悪なものを隠していると、セイバーの直感は告げている。
「――ふっ」
だから、セイバーは改めて剣を構えた。息を整え、全感覚を動員、集中する。
全力をもって、目の前の剣士を倒す。ただそれのみが、今の自分に成すべきことと誓って。
その姿に。
ニイ、と。
ティトゥスの顔が歪んだ。
「――本気で行きます」
「来られよ。拙者も全力でお相手いたす」
びゅうびゅうと。
今までになく強い風が室内に吹き荒れた。
埃と紙屑が舞い上がり、歩調を合わせるように、二つの影が走り出す。
咆哮。
激突。
閃光――
17
はっ。
はっ、はっ、はっ。
はっ、はっ、はっ、はっ、はっ、は――
駆ける。
駆ける駆ける。
駆ける駆ける駆ける。
痛む足をアパートの階段を駆け下り、狭い路地を疾走し、霧の街を走り抜ける。一歩踏み出す毎に、足首から伝わる激痛が脳髄をがんがんと揺さぶる。
魔力で負傷を緩和しているとはいえ、所詮一時的なものだ。一定の時間を確保しなければ、骨が砕けたレベルの傷を治療するのは難しい。連続的に、殴られているような痛みが頭を襲う。あくまでスタイルを崩さない凛だから平然を装っていられるようなものだ。脂汗がたらり、と流れた。全く、手入れをした肌が台無しである。
「無理すんな。ジャパニーズの女の子一人くらい背負っていってやるよ」
「遠慮しておく。どうってことないしね、これくらい。それよりどうするのよ」
見るに見かねて舌打ちするアッシュに、見た目だけは悠然と答える。実際は今すぐにでも救急車を呼びたいくらいだ。士郎がいれば、と一瞬思ったが、いればいたで見栄を張るのが目に見えているので、すぐさま脳裏からパートナーの影を振り払う。当面は、この危機的状況を如何に脱出するか集中せねばならない。
アッシュのアパートから伸びる道を直進し、三叉路に辿り着いた。真っ直ぐ進めば裏道を進むことになり、曲がれば、すぐそこのSマートを超えてヴィクトリア駅へと続く大通りに出ることが出来る。
目をこらしても漂うのは霧ばかり。仕方なく耳を澄ませば――
「……居るわね」
「……みたいだな」
微かに聞こえる、かすれ、意味を成さぬ声音。ここで立ち止まるわけにはいかない。何はともあれ、安全な場所、せめて相応の対策がとれる場所に移動せねばならない。
ぐるりと見渡すと、行き先は二つ。
片や細い裏道。
片や大通りへと続く道。
風に乗り届く呻きからして、そのどちらにも屍骸がたむろしているのは間違いなかろう。人通りが無いこともあって、倫敦そのものが死都となってしまったのではないかという気持ちになる。切迫した状況故の錯覚と解っていても、気分の良い思いではない。
切迫感は本物だ。裏道と大通り、両方からゾンビが進み来ているとすれば、もたもたしていては挟み撃ちにされてしまう。全てなぎ倒す――というわけにもいかぬ。セイバーがいれば兎も角、凛とアッシュだけでは体力的に少々厳しい。どちらの道を進むか、早く決断せねばならない。
裏道は安全そうだが、一旦ゾンビに取り囲まれれば逃げ場無しである。ゾンビの十や二十、凛とアッシュのコンビなら物ともせぬが、十二十ですむという保証はない。どこから、どのようにして、あの屍骸どもが発生しているのかは全く解っていないのだ。
大通りは選ぶ手としては有望だ。空間も広くとれるし、武器となる物品や移動手段も手に入れることが出来よう。
だが、凛の足の問題がある。何より、ゾンビを倫敦のメインストリートに引き寄せることになりかねない。人で溢れる大通りにゾンビの群れが突っ込めば、それこそB級ホラー映画になってしまうだろう。
ならば――
凛がそこまで思考を走らせたところで
「リン、横に跳べ!!」
「っ!?」
アッシュの怒声が響いた。
反射的に跳んだ。応急的な治癒魔術でもたせているだけの足がまた悲鳴を上げた。奥歯を噛みしめて痛みを押し殺す。
アッシュと並び、つい今までの立ち位置を見てみれば――
「……そういう、こと」
ぽっかりと黒い穴が開いていた。下水道への入り口、マンホールの穴だ。当然の如く、マンホールの蓋がその横に転がっている。
いや――
裏蓋を天にむけて転がっている。つまりは、跳ね上げられている。
こんなことが自然に起るはずがない。ならば――誰かが、何かが下水道から蓋を突き上げたのだろう。
「アッシュ!」
「走るぜ!」
それが皮切りだった。
穴と道路の境目に爪が現れる。
人間離れした筋力が、その身体を引き上げてくる。
ずるりずるりと、汚液に満ちた人形のズタ袋が、びしょりびしょり、地上に這い出てくる。
虚より還る腐敗の徒。
獄より出る変成の輩。
死して蠢く――歩く屍。
一。
二匹。
三匹と。
後から。
後から後から。
後から後から後から後から後から後から後から後から後から後から後から後から後から後から後から後から後から後から後から後から後から後から後から後から後から後から後から後から後から後から後から後から後から後から後から後から後から後から後から後から後から後から後から後から後から後から後から後から後から後から後から後から這い出る屍。
這い出ては歩き出し、また這い出て歩き出し。ずるりずるりと足を引きずり、手をだらりと垂らして進み続ける群れ。
悪夢のような光景だった。
直視出来ないし、したくもない。魔術師である凛、歴戦の勇士であるアッシュ、いかにこの二人でも、地下から屍体が出現し、群れを成して追いかけてくるというのは少しばかり精神に悪すぎる。
選択の余地は無かった。
息継ぎの暇もなく全速力で道を駆け抜ける。
大通りへ通ずる角を速度を落とさず曲がり切る。
海底に居るかと錯覚してしまいそうな重く深い霧のただ中から
「ちっ、いい加減しつこいぜ……!」
……ァァ……
……ァァァァァ……
恐れていた呼び声。
大通りへと通ずる道行き、霧の向こうから確かに声が聞こえてくるのだ。緩慢と、だが確実に、一歩一歩近づいてくる呻きと足音。確認するまでもない、奴らだ。
屍が喰らうのは人肉だと言う。凛とアッシュが有する人間故の匂いを感知し、にじり寄ってきているのか。
ぬらぬらと肌を覆う風に
「っぷ……」
凛が口元を押さえた。
風に乗って、前後左右から腐敗臭が漂ってくるのだ。各方面からの匂いは重なる毎にその強さを増し、今では、ここは死体安置所かと思ってしまいそうである。
「この様子じゃ……無理矢理突破するのはちょっときつそうね。セイバーがいればともかく」
「やれと言われりゃやるけどな。しかしよ、セイバー……じゃなかった、アーサー、そんなに頼りになるのか?」
アッシュにとってはセイバーは然程頼りになるわけではないのか、微妙な面持ちでそう言った。凛は華やかな、確信に満ちた笑みでそれに答える。
「その内解るわ。頼りになるわよ、彼女。それよりこの状況、どうするの?」
進退窮まるとはこのことだ。
映画やコミックなら颯爽と救いのヒーローが登場するところかもしれないが、生憎と凛のヒーローは遠く離れた日本にいる。そもそもこういう場面で格好良く助けに来るタイプではない。どちらかというと、凛が助けに行くことが多いような気すらする。
窮余の一策を探すべく、視覚で、聴覚で、嗅覚で、触覚で、霧の街並みを精査する。魔術師の五感――いや、六感は常人のそれに比して遙かに鋭い。
ぴたりと、凛の視線が一点で止まる。
どれもこれも似たような造りの壁の中、異彩を放つものがあった。
「……あれは」
扉だ。
いわゆる裏口、勝手口だろう。そして扉がはめ込まれているのは巨大なコンクリートの建物――Sマート。
瞬間。
凛の脳裏に、ある神父に無理矢理見させられたホラー映画の1シーンがよぎった。
巨大な市街を埋め尽くすゾンビ。
死者と生者を共に敵にせねばならない極限状況。
最後の手段としてホームセンターに籠城し応戦する人々――
成程。
籠城は選択肢の一つだ。
決して妙手妙策ではない。自ら撤退の道を塞ぐという意味では愚策ですらあろう。
だが、現状打破のためには一つの手段となり得るかもしれない。映画のように街全体が死んでいるわけでもなかろうし、つまるところ、セイバーが到着するまで持ちこたえられればゾンビの群れを打ち倒すことは出来るのだ。
そうとなれば凛の決断は早い。
「このままじゃどっちに行っても手詰まりね。アッシュ、そこ入るわよ!」
「応よ……ってSマートだぞそこ! 人の職場で何するつもりだ!?」
「立て籠もりに決まってるでしょ! 急いで!」
ぬるり。
そう言った途端に、霧から襤褸を纏うよれよれとした腕が突き出した。鋭い爪が、凛の身をかすめる。
「……っ!」
後方にと避ける凛。
足首が痛むのか、顔をしかめてよろめいた。
時間がない。敵は直ぐ其処まで来ており、凛は手負いである。踏み迷っている暇はない。
「どうなっても知らねえぞ、俺は!」
アッシュは舌打ち一つした。背に腹は変えられないのだろう。勢いを買って裏口を蹴り開けた。
身を丸めてそのまま飛び込む。
凛も続き身を投げる、と。
ごきり。
「ぐっ……」
足首が嫌な音をたてた。脂汗がだらだらと額を伝う。が、その声には間断無く痛みが襲っている様子はない。
「閉めるぞ!」
「いいわ、早くして!」
アッシュがシャッター開閉用のレバーに手をかける。
霧から歩み出てきたゾンビの手が伸びてくる。
轟音と共にシャッターが閉まる。
獲物を狩るための爪が飛び散り。
ごおん。
ぶちり。
シャッターが降り、その腕を肘から断ち切った。
主を失った付属肢だけがSマートへと飛び込み、びちびちと跳ねる。
何とか、逃げ切れた――
「はぁ……」
壁にもたれて、凛は深々と息をついた。
*
店内はガランとしていた。
じじ、と明滅する蛍光灯。電気系統が不調なのか、明るいはずの店内は澱んだように暗い。昼日中賑やかな店も、就業時間後はこのようになるのだろうか。冷暖房も稼動したり止まったりであり、肌をぬるりと舐める生暖かさがSマートの店内を覆っていた。
外からは、がんがん、がんがんと、扉を窓を壁を乱打する音。締め出されたゾンビどもの仕業だろう。死して人並み以上の膂力を手に入れたとはいえ、頑丈なシャッターを破るだけの力はないようだ。
「ちょっとした立て籠もりね」
「映画じゃ良くあるが、まさか俺たちがやるとはな。で、これからどうする?」
座り込み、ショットガンの弾を手際良く込めながらアッシュが言った。隻腕だというのに器用だな――と、少し感心する。
「まずは水ね。あと食料。それから武器を用意してバリゲードを築けば、ゾンビ程度なら入ってこれないでしょ。後はまあ、セイバー待ちね」
「少しばかり時間はかかるかもしれないが、ま、来ることは来るだろうしな」
「あら。何だかんだで信用してるじゃない」
「そりゃま、戦友だからな」
ニヤリと笑い、弾を込め終える。背中に吊るしたホルスターにショットガンを叩き込むと、アッシュは立ち上がった。
「見回りと調達に行ってくる。そっちは……大丈夫なのか?」
「あー、これね」
アッシュが指さしたのは凛の足首だ。
苦笑い。緊張がとけると、流石に痛い。骨が砕けているのだから当たり前だろう。魔術による痛みの緩和にも限度というものがある。本来なら七転八倒して高熱を発しているほどなのだから。
「ちょっと厳しいかな。ま、こっちで手当しておくわよ。悪いけど、水とかの調達お願いできるかしら」
「お安いご用だ」
アッシュはSマートの店員だ。何処に何があるかは熟知しているだろう。広すぎるほどに広いこの店内、素人がうろうろしては迷子になりかねない。
それじゃ行ってくる――と、店内に足を向けるアッシュに、凛は何か思いだしたかのように声をかける。
「そうだ。アッシュ、例のもの貸して」
「ああ、これか?」
ぽんと投げられたそれを、凛が受け止める。革の手触り、沈滞した魔力、古書の匂い。
アパートから持ち出した『死者の書』だ。倫敦を覆うゾンビの創造主たち、そして、あの侍が属すると思われる一味が必死で求めている魔導書。
「どうすんだ、それ?」
「ちょっとやっておくことがあるの。じゃあ調達、お願いね」
「はいよ」
薄暗い店内にアッシュが向かってゆく。
その後ろ姿を見届けてから、凛は『死者の書』を手に、何やら作業を開始した。
*
アッシュが見回りから戻ってくると、凛は壁にもたれて座っていた。右手の横には、『処理』を施した『死者の書』が転がっている。
「ほらよ」
「あら、ありがと」
投げてよこされた、500mlのスポーツドリンクが入ったペットボトルを受け止めた。口を開いて一気に飲むと、口元から喉、喉から胃へと心地良い感触。ゾンビとの追いかけっこで疲労した身体に心地良い。
「この国はステイツと違うからな。大した武器は置いてないんだ。物足りないぜ」
アッシュはそうぼやきながら、抱えていた荷物をどさりと降ろす。固形食料、ミネラルウォーター、レミントンにチェーンソー、おまけとばかりに家庭用の柄付き斧。あとはせいぜいがナイフだ。
「これじゃあ私はちょっと使えないわね……」
苦笑。格闘術を修めてはいるが、武器戦闘は専門外だ。
「ハンドガンがありゃ良かったんだがな。まあ、無いより有るほうがマシだろ」
そうね、と頷いて、凛はナイフや食料をまとめておく。一箇所に集中させておいた方が何かと便利だろう。
そんな光景を眺めながら、アッシュが腰を下ろし、凛の傍らの本を指して問う。
「そういや、さっき何してたんだ?」
「“死者の書”にちょっと細工をしておいたわ。万が一のことがあったら困るからね」
「へえ、どんな細工をしたんだい」
「秘密。鍵をかけた、とでも思ってくれればいいわ。ちょっとやそっとじゃ開かないわよ」
凛の言葉に、アッシュがひゅうと口笛を吹く。
「魔術ってのは凄いもんだな。そんなことまで出来るのか」
「――え?」
きょとん、と。
思わずまじまじと見てしまう。
それは勿論、アッシュは一般人ではない。セイバーと轡を並べたこともある戦士であり、ゾンビとの戦いを幾度となく生き延び、時空遡航の経験まである。
だが、魔術については説明していないはずだが――
「何を驚いてんだよ。あんた、魔術師とやらじゃないのか? 俺がどうやって現在に戻ってきたと思ってるんだ。マリンだかマリーンだったか忘れたが、魔法使いの爺さんに眠らせて貰ったんだからな。あの時代で生活してたんだ、魔法やら何やら程度で驚くもんかよ」
「成程――ね。まあ私もあまり隠そうとしてなかったけど。それにしても色々と動じないわね、貴方」
「性分さ」
軽く笑い合う。友にするには中々良い人物かもしれないと、凛は思っていた。幸か不幸か、最愛の相棒は男の知り合いが一人二人出来たところで嫉妬するようなことはないし。
「――で、これからどうする?」
「まずはバリゲードの構築ね。店の隅々まで確認して、ゾンビが入ってこられないようにすること。その後は警戒を怠らず、しばらくの間セイバーを待ちましょう。いざという時の脱出路の確保も必要ね」
「そうだな。確か事務所に建物の構造図があったはずだ。まずはそれを持ってくるか」
今後の動きを確認しあい、行動に移ろうした所で――
ずん。
Sマート全体が――揺れた。
アッシュと凛は腰を浮かせる。ぐらぐら、ぐらぐらと地面が揺れ、積み上げられていた食料が転げて散った。
「地震か!?」
「違うわ! 凄い魔力がSマートを覆ってる。これって……!?」
凛が警戒の叫びを上げた。
途端に。
ぼこん。
凛とアッシュの背面。シャッターの中央、その一点に黒い穴が穿たれる。
正確に言えば、穴ではない。無限小のサイズと無限大の質量を兼ね備えた闇だ。マイクロブラックホールとでも言えようか。
見る見る内に、その闇はシャッターを侵食してゆく。喰らい尽くしている、と表現した方が良いかもしれない。
固唾を飲む凛、ショットガンに手をかけるアッシュ。
そして――
「玄関からお邪魔しないのは無礼にあたりましょうが、お許しください。失礼しますよ、ミス・トオサカ」
十分通行可能となった空間から、その男はやってきた。
場違いである。
とてつもなく場違いな姿である。あの英雄王ですらここまでではない。
ブラックスーツに蝶ネクタイ、はためく黒マントに、端整な顔立ち。髪は整髪料をどれだけ用いたのか、ぴっちりと決まっており風にもなびかない。
服が黒い。
肌が黒い。
魔力が黒い。
何も彼もが、黒い。
まるで闇そのものから生まれ出てきたような、眉目秀麗な美青年だった。フォーマルなパーティーにならともかく、屍骸が彷徨う倫敦にはあまりに相応しくない、それでいてこの上なく相応しい、そんな男。
「随分と急なお客様ですね。どちら様でしょう?」
口元だけで笑って尋ねる凛。青年は柔らかい微笑みを返す。
「これは御無礼を。申し遅れました。僕は呪紋大三郎というものです。以後、お見知りおきを」
「呪紋……まさか“闇男爵”!?」
「おや、名家・遠坂の当主に知られているとは光栄な。いかにも、私が闇男爵です」
慇懃に一礼。完璧な礼儀作法に則った仕草だ。
だが、その典雅な佇まいを目にしながらも、凛は戦慄を禁じ得ない。
闇男爵の名は熟知している。初代はかつて倫敦に君臨した最悪の魔術師、魔王。そして二代目は魔界都市<新宿>で猛威を振るった若き青年。<新宿>の主、ドクター・メフィストによって倒されたと聞いてはいるが――目の前の男から発せられる魔力と鬼気は、噂通りに圧倒的――いや、噂以上である。
「ああ、一応ご忠告して差上げますと、僕は本物ですから。大怪我をしないうちに、『死者の書』を渡していただけないでしょうか」
穏やかにそう告げると、闇男爵は慈愛に満ちた笑みを浮かべた。
⇒ to be continued in Chapter - 11 "From Beyond"