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伝奇クロスオーバー二次創作
『アウレオールスの夜に』
chapter-08
アッシュ 〜 Ash
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5


「ここね」
 翌日。凛とセイバーはとある骨董品店の前に立っていた。魔術協会や大英博物館の同業に尋ね回ったところ、この店なら死者の書の流通先を知っているであろうということでは尋ねてきたわけではあったが――
 何とも奇妙な店であった。
 店の周囲はやけに暗い。闇の暗さではない。昼と夜の最中、裏道を人ならぬ何かがそっと通り抜けてゆく黄昏時の暗さだ。やけに濃く立ちこめている霧も、その雰囲気を増強していた。
 そもそも立地からして妙である。
 いかに裏路地といえども、倫敦の中心、それも大通りからは道1つ隔てただけの通りだ。立地的には盛り場と言って良い。だというのに、人影が全くないのだ。表通りからここに辿り着くまで、猫の子一匹見かけていない。
 士郎なら違和感の正体を的確に表現してくれたかもしれない。世界の僅かな異変を感じとるという意味では、生憎と凛もセイバーも、此処に居ない正義の味方には及ばなかった。
 碧眼を厳しく細め、セイバーが凛を見やる。
「どうします、リン。ここは何か妙だ」
 彼女も胡散臭いものを感じているようだ。とはいえ――
「どうもこうもないわ。愚図愚図している暇はないの。早いところ犯人の尻尾を掴んで、あの嫌味な魔術師にぎゃふんと言わせてやる」
「ぎゃふん?」
「そういう表現があるのよ。さて、と」
 セイバーがきょとん、と首を傾げた。さらりと揺れる金髪と、年相応のあどけない顔。こうやって見ると並はずれて可愛い女の子にしか思えないな――と、つくづく思う。
 とまれ、見惚れている時ではない。"open"とだけ記された板がドアノブに吊り下がっていることから見て、店は開いているのだろう。勇んで扉を押し開こうとして――

 扉が引かれた。

「わっ、ちょっ、と……」
「リン!」
 セイバーが手を差し伸べる。が、間に合わない。
 バランスが崩れ、つんのめる凛の体。そのまま倒れ込もうとして――

 ふにゅ。

 柔らかい身体に受け止められた。
 ふわり。
 濃厚な麝香の香りが凛の鼻をつく。芳香に頭がくらりとした。
 慌てて身を起こし、そろそろと見上げると
「おや、こいつは失礼。お客が来てるとは気付かなかったよ」
 落ち着いた笑みを浮かべた女が、凛を受け止めていた。
 凄まじい美女であった。
 年の頃は20後半、あるいは三十路。黒い髪を腰にまで流し、小ぶりな唇は眼にも鮮やかな朱。身を包む濃紺のスカートと上衣の所々から、抜けるように白い豊満な肢体が覗いている。眼鏡の奥で、老成した猫の瞳が光っていた。
 麝香よりなお強い、艶めかしい空気。容貌といい、気色といい、凛の周囲には居ない大人の女である。街を歩けば、10人中10人が振り返るだろう。
「お客は珍しいからね。何か捜し物かい」
 謎めいた微笑から紡ぎ出されるハスキーな声。その笑みと声とが、うらぶれた骨董の店には似合いすぎるくらい似合っていた。怪奇幻想小説の世界から抜け出てきたと言われても信じてしまいそうだ。
 若いのか老成しているのか判然としない容姿と空気も、その感覚を後押ししている。
「あ――いえ。少し伺いたいことがありまして。よろしければ、少々時間をいただけないでしょうか?」
 何となく気圧されながら、凛は用件を述べる。
 この美女、どこかで見た覚えがある。直接会ったわけでなく、何かの文献で見かけた気がするのだが。
 ふむ、と。凛の言葉に、女は軽く頷いて。
「どうせ客が来る当てもないしね。構わないからお入りなよ」
 木目の走る扉を内側へと開き、女は凛とセイバーを招じ入れた。

*

 まず目に入ったのは、山と積まれた屑物の類である。成程これは骨董屋だと、凛は一人合点した。
 それにしても――と。積み上げられた古具を見渡し、目眩がする思いだ。素人目にはがらくたが散らばっているとしか思えなかろう。だが、見る者が見ればおそるべき品揃えである。
 翡翠の蛙に中国古代王朝の魔鏡。無造作に転がる石は、那須の殺生石の欠片。桟で埃にまみれている水晶玉に至っては、最低でもヴィクトリア朝時代以前のものであろう。「レンの水晶玉」などと書かれた値札が添えられているが、幾ら何でも冗談に違いない。魔術協会にとってすら秘蔵の呪物(フェティッシュ)が、こんな店に無造作に転がっていたら一大事だ。
「……リン、ここはおそらく」
「解ってる――此程とはね。ちょっと予想外だわ」
 セイバーが囁いてきた。凛も囁き返し、気を引き締める。肌に伝わる魔術の波動が、否応なく緊張を招いてくれた。
 この店には魔術が――それも、かなり強力な結界術が施されている。よくよく観察すると、二階へ繋がる階段周辺の空間が微妙に歪んでいるのが解った。かなりの規模と精度で空間を魔術的に拡張していよう。呪物や魔道書、それに強力な魔力。古式ゆかしい店が魔力を帯びることはままあるが、そんなものではない。最早工房の域だ。
 言うまでもなく、魔術師として迂闊に立ち入るべきではない。
 まずったかな、と。凛が心の中で呟くと。
「そう心配しなさんな。取って喰おうなんて思っちゃいないよ」
 カウンターの奥に座り直した女が口元を歪めた。微かに覗く歯が唾液でぬらりと光っている。
 おそらくこの女も魔術師なのだろう。それも、凛よりだいぶ格上の。
 ならば、用件も察しているはず。世間話や腹芸は無用だ。
「それで、何をお探しだい。骨董、呪物、魔道書、情報。大抵のものなら供するよ。ま、場合によっちゃ相応の代価をいただくけれどね」
「その分類なら情報ですね。ある本の行方について知りたいのです」
 女が頷いた。
 返答はない。先を促しているのだろう。
「ここ最近倫敦に出回っている、“死者の書”に関する情報を探しています。何かご存じでしたら、お教え願えませんか」
「ああ、ナチュラン・デ・マントかい。断片がそちこちの古書店で売られたみたいだね」
 凛は平坦な表情で首肯する。内心を表に出してはならない。このような輩相手では、特に。
「大抵はもう売れちまったんじゃなかったかね。ま、あんな珍品、ちょっと目端のきく連中が見逃すはずぁないさね」
 けらけらと、眼鏡の奥の瞳を細めて笑う。
「今じゃあ、残ってるのは丸ごと半分だけ。私の知る限りじゃ、ある男がそいつを手元に置いてるはずだよ」
「二分の一……かなりの量ですね」
 半分量とはいえ、死者の書ほどの稀覯書ならば相当な価値となる。それだけのものを有している魔術師や関係者がいたなら、耳に入ってこないとは思えないのだが。
「その男性は、魔術師なのでしょうか」
「いやあ、そういう話は聞かないね。この街は協会のお膝元だ。関係者が手に入れれば、すぐにでも噂が広まるだろうさ」
 矢張りそうだったか。となれば、協会のツテでは、その持ち主が誰であるか調べ当てるのは難しかろう。今、この場で、その情報を引き出さねばならない。
「では、その持ち主は何処に――?」
 喉がからからだ。ごくりと唾を飲む音が聞こえる。
 これこそが凛が必要としている情報の核心だ。それを有しているのは何者か。それさえ解れば、誰から、どのようにして“死者の書”を手に入れたのか、当人に問い質すことも出来よう。
 果たして、どれほどの代償をふっかけられるかと身構えた。大量の金銭ならばともかく、魔術的な物品ならば大抵のものは用意出来る自信はあるが、油断は禁物だ。セイバーも緊張しているのか、ぴりぴりとした気配が肌で感じられた。
 女はにこやかなまま、一拍おいて
「ここの通りを真っ直ぐいけば、に襤褸のアパートがある。そこの二階に住んでるはずさ」
「え?」
 拍子抜けするほどあっさりと答えた。
 思わず目を丸くしてしまう。毒気を抜かれた顔をしているのだろうなあ、と、冷静に観察している自分が、凛は少し可笑しかった。
「どうしたのさ。鳩が豆鉄砲を食った顔して」
「……いえ。正直に言うと、こうもあっさり教えて貰えるとは思いませんでしたから」
「ああ、そういうことかい――」
 女がにんまりと笑う。
 何故だか、ぞくりと背筋に寒気が走った。
「主役からお代はいただけないねえ」
「主役?」
 そうさ――と。
 ほっそりとした手首を翻し、掌を天井に向けて女は言う。
「私はこの舞台じゃあ端役に過ぎない。人には割り当てられた役所ってのがあってね、このお祭りじゃ私は傍観者さ。当面の主役はあんたたち、遠坂の当主と――そう、イングランドの王様さね」
「――!」
 さらりとした一言。
 だが、言葉の意は捨て置けるものではない。凛と、セイバーの素性を知っていると明確に告げているからだ。
 セイバーの反応は素早かった。
 一瞬にして気配が、戦時のそれへと切り替わる。骨董まみれの床を蹴って飛び出そうとし――
「待って、セイバー!」
 叱咤の声がセイバーの動きを停止させた。
 なぜ止めた、と睨んでくるセイバーに、凛は首を振った。店主たる女の正体に検討がついたからだ。
 まず、凛が何者か知られていたのは、然程驚くべきことではない。凛は魔術の世界ではそれなりに有名人だ。
 だが、セイバーの正体を一目で見抜いたとなると話は別だ。サーヴァント・システムをはじめ、先日の聖杯戦争の詳細までを把握していなければ不可能である。もとより、並の魔術師に可能なことではない。
 それを安々と成し遂げ、現世に居ることが確認されている魔術師は数えるほどに絞られる。そして、現居住地が不明であり、かつ女性であることが確実な者なぞただ一人――
「……ご存命でしたのね、“ワルプルギスの御老体”」
『ワルプルギスの御老体』。
 無数の名を使い分け、時折歴史の闇に現れまた消えてゆく大魔術師である。一時期日本に居を構えていたらしいが、ここ数十年は噂を聞くこともなかった。半ば伝説の存在といえた。
「ご存命とはご挨拶だねえ。遠坂のお嬢さんだけならともかく、英霊がうちの店の前にいたときは流石に驚いたよ」
「驚いたのはこちらです。貴方ほどの方が、何故このように物好きな真似を――?」
 真剣な瞳で凛は問う。
 御老体は肩をすくめて舌を出した。その仕草が妙に様になっている。
「あたしゃ若い子の相手をするのが好きなだけさ。あまり心配しなさんな。下手なちょっかいをかけるなら、もっと早くにしてるよ」
 上機嫌な表情。
 言葉を文字通りに信じたくもなるが、どんな顔をしていても腹に一物ありそうに見えるのがこの女の特徴だ。そのせいか、言うことを素直に聞くのはなかなか難しい。
 だが成程、道理である。害意があるならこんな悠長に会話なぞしていないだろう。それに、いかに超一流の魔術師相手とはいえ、セイバーが敵意を感じ取らないはずがない。
 そんなことになれば大事である。
 現役屈指の魔術師と現界した英霊の激突なぞ想像したくもない。下手をすれば、店どころか周囲一帯が焦土と化すだろう。
 とまれ、差し当たっての裏はなさそうだ。一瞬にしてそう判断した凛は、素直に頭を下げる。
「貴重な情報をいただき、感謝します。改めて、お代は――」
 簡単に教えてくれたというものの、魔女との取引は等価交換と相場が決まっている。では有り難う御座いました、というわけにもいくまい。
 だが、女は凛の申し出に、物憂げにひらりひらりと手を振っただけだった。
「こうして会ったのも何かの縁さ。そのくらいの情報なら勝手に持っていって構わないよ」
「ですが――」
「主が良いって言うんだからいいのさ。無理に代価を押し付けていくほどお人好しにも見えないしねえ」
「……では、遠慮無くいただきますわ」
 見透かされている。
 凛は溜息。
 女は頬杖。
「ま、さっきも言ったけどね。私はこの件に首を突っ込むつもりはないのさ。あちらこちらで化物どもが張り切ってるようだけど、今回は高見の見物を決め込むさね」
 女は手にした扇子を口元に当て、くすりと笑った。
「全部片付いたら土産話の1つでも聞かせておくれな。それじゃ、またのご来店を」
「解りました。次にお会いする時は、武勇伝を仕入れてきますわ。行きましょ、セイバー」
「――はい」
 まだ警戒している様子のセイバーを促し、凛は頭を下げた。
 気軽に手など振ってくる魔女に背を向け、扉を開き外に出る。
 きい。
 ばたん。
 外に出て扉を閉める。
 振り向き、もう一度店舗を確認しようとして――
「……やっぱり。そういうお店、というわけね」
 凛は大きく息をつく。
 扉には、いつの間にか"closed"の札がかけられていた。


6


 ヴィクトリア駅前は、霧が立ちこめていながらも賑わしかった。倫敦名物の二階建てバスがひっきりなしに行き来し、19世紀に倫敦発のテムズ河を越境する鉄橋となったグロウヴナー橋が一望出来る。
「あら、ここだったの。なんだ、知ってれば昨日行けたのに」
「今それを言っても仕方ないでしょう」
 目的地へと繋がる道の入り口で凛が言った。呆れ顔でセイバーが答える。
 その道は丁度、昨夜の買い物をしたスーパーマーケット――Sマートの西側から延びていた。人の流れも急な表通りと異なり、その方角に向かおうとする姿はほとんど見えない。Sマートも定休日のようでシャッターが閉まっており、従業員が裏口からそちらへと出入りしている様子もなかった。あのように賑やかな店の一帯がしん、としているのは、何とも寂しいものだ。街の中にぽつんと佇む廃屋を思わせるものがある。端的に言って、どうにも物寂しい眺望である。
 御老体曰く、この裏道を通った先に、『死者の書』の保有者が住むアパートがあるらしい。どのような人物かまでは聞かなかったが、大方、一癖も二癖もあることだろう。話を聞くだけでも一苦労かもしれない。
 いきましょう、とセイバーが凛を促した。折から霧も益々濃くなり、先導して貰えるのは頼もしい。
 リン、と。歩きながらセイバーが声をかけてきた。何、と答える。
「先ほどの魔術師(メイガス)、キャスタークラスです。あれほど堂々と店を構えるなど、正気の沙汰ではない。魔術協会が放っておくとも思えませんが」
 生真面目な顔でセイバーが言った。もっともな疑問である。
「ああ、そのこと? だったら簡単。実害が無い限りは見て見ぬ振りよ。魔界都市の化物や大師父と一緒でね、関わるな危険、触れてはならぬ魔人たち、ってわけ。事なかれ主義なところがあるしね、協会は」
 ふむ、とセイバーが一つ頷く。
 昼間でも薄暗い路地を見透かすと、道行きは左手と右手に分岐している。丁度T字の格好だ。車両立ち入り禁止の標識が立っているが、車両どころか人の姿も見えない。古書店で貰った地図を広げると、左に曲がった先は一本道になっているようだ。突き当たりの古ぼけたアパートメントに、件の書の持ち主が居るという。
 目的地へと歩み続ける。そういえば――と。昨日、Sマートでセイバーが何やら驚いていたのが思いだされた。凛はふとした好奇心に駆られ、疑問を口の端に乗せる。
「ところでセイバー、あなた、何で昨日あんな驚いてたの? 知り合いに似た顔を見たって言ってたけど、昔の仲間とそっくりな人でもいたのかしら」
「そのことなのですが……」
 言い淀むセイバーの様子に、凛は少しだけ眉を潜めた。どうにも歯切れが悪い。直情径行かつ、虚偽や臆病を嫌うセイバーの性行は、言動においてもほぼ同じだ。他愛も無い話とはいえ、このように言い淀むことはあまり……いや、殆ど無い。
「あ、話したくないなら無理しないでいいのよ。そりゃセイバーの故郷だもの、思うところもあるわよね」
 しばしの沈黙。
 凛も何も言わず足を進める。コツ、コツと、石畳を叩く足音がやけに響く。
 セイバーが再び口を開いたのは、アパートメントが霧の向こうに見えた時だった。
「……リン、私が王で会った頃のイングランドに、時間移動存在が出現したことをご存じですか?」
 思わず足が止まった。
「……さすがに初耳よ、それ。本当に?」
「間違いありません。信じられないのも無理はありませんが」
「いえ、信じてない訳じゃないの。……ごめん、続けて」
 時間移動は神秘に限りなく近い事象だ。この現代にあっても魔法の一つとされており、並行世界移動と並び多くの魔術師にとって見果てぬ夢となっている。
「“彼”は勿論、魔法使いなどでは全くない。厳密には時間移動存在ですらありません。我が師が言うには、件の“死者の書”の影響により、イングランドに飛ばされたようなのです」
「その“彼”と似た人が、スーパーにいたってわけね」
「はい。他人の空似とは思うのですが――」
「興味深いわね……それで、その人の名前は? あ、セイバーと一緒に何をしたのかも聞いておきたいわ。どこかで聞いたことがあるかも知れないわ。資料を当たれば記録があるかもしれないし」
「彼の名は――」
 言い差した所で。
 セイバーの様子が一変した。口元を一文字に閉じ、毛ほどの動きも見逃すまいと、瞳が鷹の輝きを放っている。半歩身体をずらし、如何なる方角からであろうと凛を守護できる位置をとった。
 どうしたの――と尋ねかけて、凛も気付く。
 ――霧が澱んでいる。
 白くけぶるそれが、火葬場の煙のように路地をまだらに染めている。
 嫌な感覚だ。
 聖杯戦争でも幾度となく感じた殺意と敵意。
 空気の匂いが違う。大気の色が違う。路地に渦巻く魔力の波動が変質し、悪意を持ってひたひたと歩み寄ってくる。
「――リン」
「解ってるわ。でもこの魔力……何か変よ。まるで、人間じゃないみたい」
「覚えがあります。私から離れないでください。おそらく――」
 刹那に。
 鋭い爪が倫敦名物の霧を裂いた。


7


 爪牙の斬撃は鋭かった。
 だが、それ以上に、セイバーの動きは素早かった。
 きん、と、高く響くは鋼と鉄の噛み合う音。セイバーが正確に爪をはじき返したのだ。刹那に武装したものか、その身に纏うは白銀の鎧、手にするは宝具・風王結界。
「はっ――!」
 一歩踏み込む。
 気合いと共に、刀剣を切り上げた。抵抗する間もあろうことか、風王結界が爪の主をあっさりと斬り捨てる。凛の目では霧に隠れて見通せないが、怨みがましい低い苦鳴が剣筋の確かさを裏付けていた。
 ここまで数秒とかかっていない。有事に際しての反応速度は、最優の英霊の面目躍如たるものがある。
 どさりと。
 爪の主が倒れ込んできた。
「これって……!」
 霧の壁を突き破り道路に接吻た(くちづけ)姿に、凛が目を見開く。
 無惨に髪の毛が抜け落ち、手足は硬直して突っ張っている。かさかさに乾いた肌は茶色に変色し、あちらこちらにヒビが入っていた。身につけているのは、簡素なぼろきれだけだ。肩口から胸元には、生前に嘔吐したらしい汚物が黒い血にまみれぐちゃぐちゃにに飛び散っていた。
 真夏に三日放置した肉の如き腐臭に、凛はうっと声を漏らす。
 文字通りの動く屍体(ゾンビ)であった
 冬木市においては間桐邸を襲い、そして、魔界都市<新宿>においても士郎たちを苦しめたものと類似の存在だ。違いといえば、あちらは意志を奪われた生者に死霊を憑依させていたのに対し、こちらは屍に死霊を憑依させているという点だろう。勿論、今の凛とセイバーはそのようなことを知る由もない。
「死霊術ね。セイバー、気をつけて。死霊術師(ネクロマンサー)が近くにいるかもしれないわ」
 ごくりと。
 口の中に溢れてきた胃液を飲み干す。喉が酸っぱく気持ち悪い。吐気を意志の力で無理矢理押さえ込み、警告を発した。
「リンも油断せずに。こ奴ら、数が半端ではない――!」
 鋭く言い放ちながら、セイバーがまた剣を振るう。
 と、地に倒れ付す新たなゾンビ。
 どさり、どさり、またどさりと。
 一刀につき数体の割合でゾンビが地面に転がってゆく。数分をおかずして、セイバーと凛の周囲には動かなくなった屍体が山と積まれていた。
 ゾンビといえど、煎じ詰めれば屍体が動いているだけである。生前より多少力が増し、死を恐れなくなったとしても英霊たるセイバーの敵ではない。
 攻防一体の要塞の如く立ちはだかる剣の英霊を突破し、凛を傷つけるなどゾンビ如きには全くの不可能事である。万が一に凛に辿り着けたとしても
「Vier Stil ErschieBung――!」
 ガンドの嵐がゾンビを衝撃で吹き飛ばす。茶色く濁った体液を撒き散らし、脆くなった筋肉繊維がぶちぶちと引きちぎれる音を立てながら、屍体が屍体の群れに突っ込む。
 複数の筋と肉と骨と毛と髪とが絡まり合ってぶつかりあって、路地の塀にぶつかり塗り込められた。ぐちょり、と。肉の弾ける音が霧に沈着する。
 戦闘力の差は大人と子供、あるいはそれ以上。
 単純に考えれば、凛とセイバーが目的地たるアパートに辿り着くのは容易である。
 だが。
「けほ……っ……セイバー、キリがないわ!
 転がった屍骸が醸造する腐臭に噎せ返りながら、凛は舌打ちした。
 一体のゾンビを倒すごとに、その汚濁に空気が汚染されてゆく。死へと還った屍骸は直ちに化学反応を開始し、硝酸や炭酸をその身から放出し、空気を有毒成分に置換していった。
 セイバーはいざ知らず、凛が長時間足を留めていては、一酸化炭素や二酸化窒素による呼吸困難を起こしかねない。
 事実、屍体が増える度に、凛の呼吸は困難になっていた。
「……このままじゃまずいわ。セイバー、一点突破よ」
「心得ました。リン、私から離れないでください」
 柄を強く握り頷く剣の王。
 どん、と。
 地面を蹴り、英霊とその主は疾走を開始した。


8


 同刻。Sマート店内。
 人が居ない巨大スーパーマーケットは物悲しい。陽気な音楽と客のざわめきが消えると、漠然と広いだけの店内は寂寥感すら感じさせる。そんな店内でたった一人で棚卸しをしているならなおさらだ。
「……やっと終わったぜ」
 トイレットペーパーを並べ終え、その男はやれやれと肩をすくめた。せっかくの休日だというのに、商品の整理と棚卸しで終わってしまった。Sマート倫敦支店は規模の割に店員が少ない。日用品係など、ほとんど自分一人でやっているようなものだ。仕事が多いのは仕方ないにしても、休日まで奪われてはやってられない。
「イギリスか……」
 倫敦支店の新設に伴い、Sマート本店から移動してきたのは一年前。忙しすぎる仕事に安い給料、恋人であるリンダとの連絡も途絶えがちだ。まったく、この日常は退屈で仕方ない。山中や、あの王国でのゾンビとの戦いほどとは言わないが、もう少し刺激があっても良いのではないか。本店は良かった。三日に一回は強盗が襲ってきたし、トラブルには事欠かなかった。その度に、腕を振るう機会があったものだが――
 右腕に触れる。鋼の冷たさが心地良い。
 ある事件を切っ掛けに義手となった其処に、チェーンソーをはめ込む感触も今となっては懐かしいものだ。レミントン12ゲージショットガンとあわせ、男にとっては守り神だったチェーンソー。最近はとんと、その神様が暴れる機会も無い。
 一通り店内を見て回り、窓や正面入り口に鍵がかけられていることを確認。決まり切ったルーチンワークだが、これも仕事だ。消灯すると、そそくさと従業員室へと戻った。
 ぎいと。薄錆が浮き出しはじめた扉を押す。開かれたSマートの裏口からは、物寂しい通りが見えていた。今日も街路は白い霧で覆われ、鬱陶しいほどに湿度が高い。
(何で俺はこんな所にいるんだ)
 新品の癖にもう錆びが浮いた扉を開いて事務所に戻る。
 誰もいない室内に、管理用のコンピューターだけが寂しく光っている眺めに、男は深々と溜息をついた。バッグから古書を取り出して眺める。
 茶の革の装幀。懐かしい手触り。後半が丸々欠落してしまっているのが寂しいところだし、男にはトラブルばかりもたらしてきた書物だ。
 だが、今となっては退屈すぎる日常の繰り返しを癒やし、闘争の日々を思いださせてくれるのは、この本――“死者の書”だけになってしまった。
 山小屋やイギリスで戦った、腐った屍体ですら懐かしい。冷たい人肌より、熱い臭気のほうがまだしも生を実感させてくれるというものだ。
 ――未練だな。
 自嘲気味に嗤う。
 明日も仕事だ。早いところアパートに帰って英気を養わねばなるまい。
 Sマートの裏口に鍵をかけ、霧の路地へと一歩を踏み出す。
 溜息をつき、大きく空気を吸い込んだ時。

 男に電流が走った。

 霧が匂っている。空気が帯電している。風が叫んでいる。一般人では聞き取ることすら出来ないであろう人ならぬ存在の息遣いが、はっきりと耳に届いてくる。
 これは――

 暴力の香りだ。
 闘争の匂いだ。
 死者の臭いだ。
 
 懐かしさすら感じる馴染み深さ。後先など考えられるはずがない。店舗裏に山積みの在庫からチェーンソーを発掘すると、流れるように右手にはめこむ。同じくして背中にレミントン12ゲージショットガンを背負い、男はただ夢中で駆け出していた。


9


 轟音と共に屍骸の一団が吹き飛んだ。
 突破戦でも矢張りセイバーの力は圧倒的であった。膂力においても速度においても、人間の戯画(カリカチュア)たるゾンビなぞとは比較にもならない。濁った魚の目がセイバーをとらえた時には既に、その身は両断されている。一瞬たりとも止まることなく突進し、切り裂き、血路を開く。背後からは、凛がガンドを乱射しながら追走してきていた。ゾンビが殲滅されるのは時間の問題と思えよう。
 だが、セイバーは焦っていた。
(このままではリンが……!)
 敵の数に、文字通り限度がないのだ。ゾンビなぞセイバーの前には草のようなものであり、剣を振ればすなわち死ぬ。屍体が死ぬというのは妙な話だが、そうとしか形容出来ないのだから仕方ない。
 だが、風王結界は攻城兵器ではなく、一度に倒せる数には必然的に限界がある。そして忌まわしい屍体の群れは、1体倒せば2体、2体倒せば4体、まるで倍々ゲームの調子で霧の奥から新たにやってくるのだ。この調子では自分はともかく、凛が消耗しきってしまうのは目に見えている。事実、凛の放つガンドの音は、徐徐にペースを低下させていた。
 宝具の使用は論外だ。屍骸を一掃することは出来ようが、こんな狭い路地でエクスカリバーを放てば、倫敦に甚大な被害を与えるのみならず、凛まで巻込んでしまう。いくら凛でも、衝撃の余波を受けて無事でいられるはずがない。跡形も残さず消滅してしまうだろう。
 つまるに、状況は消耗戦の様を呈してきていた。
 セイバーと凛がゾンビの群れを突破出来るか、その前に凛の体力が尽きるか、といったところである。
 現状では圧倒的戦力差ゆえにセイバー側有利。だが、状況は予断を許さないのも確かだった。
 凛もそれを察したのだろう。一時的な周囲の安全を確認すると、足を止めてセイバーに叫ぶ。
「前方をまとめて吹き飛ばすわ。セイバー、援護お願い!」
「はい!」
 同じく足を留め、セイバーは気合一閃、剣を横に薙ぐ。
 即座に、十指に余る数のゾンビが断ち割られ、転がった。爪をふりかざし、口を大きく開いたまま、中年男性であったと思しき上半身が宙に舞い、どさりと落ちる。
 びしゃりとかかる汚れた体液を気にも留めず、凛は詠唱に入る。
「――Das Schliesen(準備).Vogelkafig(防音), Echo(終了)
 凛の右手に魔力の輝きが宿る。狙うは、斉射による一点突破。
 風王の剣がまた、雑魚どもを吹き飛ばす。
 その隙に。
 索敵、終了。
 照準、完了。
 発射、準備。
 突破口を開くべく、詠唱は朗々と響き渡らんとして
Fixierung(狙え), Eile(一斉)――!?」
 ――声にもならぬ苦鳴に遮られた。
「っ、リン!?」
 慌てて振り向いたセイバーの眼に飛び込んできたのは、ホラー映画さながらの光景だった。
 剣に断ち切られ、上半身だけとなり足元に転がっていたゾンビ。それは死にきれずに未だ薄く目を開き、低く呻きながら、凛の足首にがっちりと爪を食い込ませている。ぎりぎりと締め付ける万力の力が、足首の骨格をきしませミシミシと鳴らしている。
「……くあ……っ……!!」
 肉を超えて腱までもずたずたにしそうな鋭い爪に、凛が苦悶の呻きを上げた。
 ばき、と。
 耳障りな鈍い音と、小さな悲鳴。
 足首を砕かれたか、凛の膝ががくりと落ちた。必然的に、今までの一瞬たりとも止まなかった動きが中断される。
 ゾンビは狩猟者である。この隙を見逃す筈がない。理性ではなく本能で動いているが故に、獲物の気配には敏感である。
 彼等の行動は単純そのものだった。
 セイバーを無視すると、凛に殺到したのだ。
 幾十幾百の腐った人体が、怒濤の如く進行してくる。斬っても斬っても、その脇からわらわらと進行してゆく。凛の巻き添えを恐れて全力を出せぬセイバーでは、防ぎきれるはずがない。
 少女に、汚濁に満ちた生ける屍が群がり行く。
 悪夢のような光景だった。
 角質化してボロボロになった手が、腐臭を放つ崩れた人体が、華のような美貌の少女に近寄っていくのだ。
 標的たる少女は、半身男に纏わりつかれ、足首を砕かれ地に縛り付けられている。
「この……いつまで掴んでるのよ……!」
 右足首に手をまとわりつかせていたゾンビの頭を、凛が左足で蹴り飛ばす。
 枯れ木を折るような感触。あっさりと首が千切れころころと頭が転がり、死後の生をようやく停止した。
 その一連の動作の間にも、ゾンビの群れは刻一刻と迫ってきている。
「リン、逃げてください! そのままでは……!」
 セイバーの悲鳴。凛も己の置かれた状況は把握しているが、だからといって何が出来るものでもない。せいぜいが立ち上がろうとし、ガンドで至近距離のゾンビを吹き飛ばすくらいだ。
 勿論、その程度では焼け石に水。
 細胞分裂を続ける大腸菌もかくやという勢いで、ゾンビの密度は高まり続ける。
 そして。
 密集し塊となっていた群れが、ついに崩れた。
 雪崩のような勢いだった。
 汚らわしい爪が、凛の肌を陵辱しようとした、その時。

 ずん。

 助けの手は突然に。
 本当に奇跡のように現れた。

「――え?」
 きょとん、とした表情の凛の目の前で、ゾンビの腹から刃が飛び出た。
 一瞬遅れて、刃が高鳴り、唸りを上げて回転をはじめる。
 ぴっ、と。弾け飛んだ血が凛の頬を彩る。
 凛を乃も引き裂こうとしていたゾンビが、見る見るうちに挽肉と化していく。思いもかけぬ事態に、さすがの凛も即座に身を動かすことが出来なかった。
「リン、私の手を!!」
 ゾンビを斬り捨て、飛んできたセイバーが凛を助け起こした。
 その最中にも、チェーンソーの刃が、驚くべき健啖さでゾンビどもの肉を喰らっていた。エンジンが唸り刃が一回転する度に、腕が飛び足が千切れ胴が薙がれ腹が裂かれ骨が割られ首がもげて血が舞い散る。
 白濁した、あるいはこぼれ落ちた眼球が刃の主をぎろりと睨み付けんとすれば
「おっと」
 軽やかな声と、銃声。
 数個の頭が破裂した。ショットガンだろうか、ゾンビたちの頭蓋が砕かれ、よろよろと崩れ落ちる。
 ざわりと群れがざわめく。明らかに、挙動が異なってきていた。
 そして――
「……これって」
 凛が半ば茫然として呟く。
 屍骸どもが、チェーンソーの主から距離をとりはじめたのだ。
 まるで、ライオンのような天敵を前にした草食動物の群れの如く。
 ――怯えている。
 ざわざわと、声ならぬ声を囁きかわしつつ、感情を持たぬはずの集団が退いている。
 カツ、カツと。近寄ってくる足音。
 ゾンビにも個性があるのか、おろおろしている一体に向かって――
「HA!」
 霧から丸太のような腕が飛び出た。
 アッパーカットが見事に顎に決まり、ゾンビが宙を舞う。
「――次に殴られたいのは誰だ?」
 微かに見えるのは、筋肉質の肉体と、ざっくりとした短髪。聞こえるのは、お調子者の軽さと、英雄的な行為を可能とする不敵さを同時に備えた魅力的な聲。
 セイバーに支えられ、凛はよろよろと身を起こして目を凝らした。
 その姿は逆光に紛れ、はっきりととらえることが出来ない。
 だから凛は問うた。
「――あなたは?」
「俺かい?」
 影は親指で自分を指すと、不敵に口元を歪めた。大胆不敵な笑みだった。
「俺の名はアッシュ! Sマート倫敦支店の日用品係だ!」
 彼の名はアッシュ。世界最強のスーパーマーケット店員。彼は逆光から進み出、銃口の煙を吹き消しながら、高らかにそう宣言したのだった。




⇒ to be continued in Chapter - 09 "Captain Supermarket"


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