夏。
 夏は嫌いだ。
 暑さが嫌いだ。
 湿気が嫌いだ。
 人込が嫌いだ。
 そして何より。
 書割のような青い空が嫌いだ。
 白い雲。風の匂い。抜けるような空。蝉の声がやかましい。
 そう。
 こんな日には。
 何が招かれても
 何処が狂っても
 誰がやって来ても、おかしくないだろうから――





Fate/stay night外伝「魔術学園」







「臨時の先生?」
「うん。生物の先生が交通事故にあったのよ。急な事だったから代わりの先生が見つからなくてねえ。あちこち探して何とか見つけたわけ。大変だったんだから」
 むー、とばかりに藤村大河は口を尖らせた。
 ぱくり。
 衛宮士郎は煎餅を口に運び何の気無しに問う。
「ふーん。どんな先生なんだろ」
「真神学園にいたらしいわよ。確か、名前は――」





 間桐桜は走っていた。
 何だ。
 何なのだあれは。
 同じ顔、同じ言葉、同じ身体。
 黒い装束に身を包んだ自分が何処までも追ってきた。
 弓道場裏の森に走りこむ。
 ここまで来れば、と――大樹に寄りかかり息をついた瞬間(とき)


「鬼ごっこは終りですよ、『私』。さあ、怖がらないで。一緒に、なりましょう?」


 その女が、木陰で待っていた。


「ひっ……やだ……っ……」
 逃げられなかったのか。無駄足だったのか。
 恐怖と絶望とに、桜は地面にへたれこむ。
 冷たい手が首筋に回された。桜にはもう抵抗する力は無い。
 黒を纏ったもう一人の桜は艷に笑み。
 ずぶり、と。
 桜の中に侵入しようとして――


 ――狼の爪に、両断された。


「無事か、お嬢さん」
「あなたは……?」
 気怠そうな声。
 恐る恐る目を開く。
 白衣姿の無精髭の男が見下ろしている。
 半ば呆然として問うた桜に、男はよれた煙草に火をつけて渋く笑った。
「通りすがりの臨時教師さ」


 ――人狼、犬神杜人。





「そうか、思い出した……『サヨコ』なのね」
 凛が息を呑んだ。心なしか顔が青白い。
 既に体育館はパニック状態だった。
 生徒たちが非常口に殺到している。
 教師の制止する声など聞こえてもいないのだろう。扉が倒れ、照明が狂ったように明滅し、暴風が吹き荒れる。そんな状況では無理もない。
「サヨコ? 遠坂、なんだそれ?」
「私も聞いたことがあるだけなんだけどね。『サヨコ伝説』って知らない? 三年に一度、『サヨコ』という存在が現れるっていう、そんな話」
「サヨコ……小夜子……沙世子。遠坂、まさか!」
「ええ。そのまさかよ。あの転校生――」
 凛と士郎は舞台中央を振り仰ぐ。
 黒髮をなびかせ、一人の少女が微笑んでいた。士郎と凛に向けられたそれは、恐ろしい程に美しい。
 最初の転校生。「なにか」の意志の代行者。


 ――六番目の小夜子、津村沙世子。





 ざわざわと。
 がやがやと。
 休み時間の教室が喧騒に包まれるのは万国共通だ。勿論、穂群原学園だって例外ではない。
 女三人寄ればかしましいとは良く言ったもの。一際喧しい、三者三様の三人娘。
「だから、転校生は三人だって。一人はB組らしいけどさ」
「だからな、薪の字。津村嬢とB組の転校生。二人ではないのか。犬神先生を入れてやっと三人だろう」
「……ね、ねえ、どう思う?」
 三枝由紀香が隣席に困った様に声をかけた。女生徒は物憂げに振り向く。
 紅い双眸が、由紀香の瞳を凝乎と見つめ返す。
 長いスカート、古風な黒のセーラー服、なお黒い髪。凄いばかりの美貌の女は、ゆっくり口を開いた。
「ふふ、私は二人と聞き及んでおりますが。違って、三枝さん?」
「え……あ……うん、やっぱりそうだよね」
「えー? 納得いかないなあ。というか、アンタも転校生……あれ?」
「何を言っているのだ、薪の字。彼女とは四月からずっと同級だろう」
 氷室鐘は呆れて答え、その女へと振り向く。
「失礼。手間をかけた、比良坂嬢」
「いえ、お気になさらず」
 戸惑いと疑念と得心と。互い違いの反応に、女は艶然と笑むのみ。
 其の女は人でない。
 妖である。
 人を贄とする獣である。
 淫靡にして妖艷なる蜘蛛である。
 幾百の年を経た絡新婦(じょろうぐも)。女は知られざる転校生として学園に潜り込んでいた。
 或る者は彼女をこう呼ぶ。


 ――絡新婦、比良坂初音。





「こういう雰囲気は苦手だなあ……」
 深夜零時。学園、本校舍。
 底冷えする感じに、士郎は思わず呟いた。たとえ連れがいたとしても、夜の学校なぞ、余り長居はしたくない。
「あら、衛宮くんって意外に臆病なのね」
 津村沙世子がくすりと笑う。士郎は思わず苦笑した。
「一成や遠坂なら平然としてるんだろうけどな……ところで、桜は?」
「桜ちゃんならお手洗いですって。しばらく待ってましょう」
 二人して腰を下ろすと同時に、大時計が鐘を打つのが聞こえた。

 ボーン……ボーン……ボーン……。
 一回……二回……三回……

 ボーン……ボーン……
 九回……十回……

 ボーン……と。
 十三回目(・・・・)の鐘が鳴ったと同時に。

 夜の校舍に悲鳴が響き渡った。
 間桐桜の声だった。
「桜!?」
「衛宮くん! 踊り場よ!」
 沙世子が鋭く叫んだ。
 踊り場へと駆け出す。
 十三回鳴った鐘の音。
 十三階段の踊り場に配された大鏡。
 士郎と沙世子が見たのは、倒れ伏した桜の姿。
 そして、大鏡から、何者かが抜け出てくる光景。
「……嘘、でしょ」
 沙世子が呟き。士郎が立ち竦む。
 それは。
 黒を纏った桜と士郎と、そしてもう一人の沙世子の姿だった。





 鬼面の男は儀式を終え、理科準備室から忍び出た。
 さっと手をあげ合図すると、廊下のそこかしこから黒装束に鬼面の配下が集まって来る。
 皆が皆、己の任を無事果たしたようだ。男は満足げに頷いた。
 七不思議。
 怪現象。
 結界。
 大聖杯。
 準備は整った。後はここから退くだけ――

「何処に行くつもりだ」
 物憂げな声に、男達は一斉に振り向いた。一糸乱れぬ動きだった。
 目を凝らす。
 コツ、コツと。
 月明かりだけが差し込む廊下の奧から、白衣の男がやってくる。
「鬼道衆……いや、その手並み、柳生か」
 犬神杜人は紫煙をくゆらせ呟く。
 その言葉を聞いた瞬間、男たちが物も言わず一斉に抜刀した。白刃が月光を受けて鈍く光る。
 強烈な殺気を浴びながら、犬神は携帯灰皿を懐から取り出すと、くわえ煙草を揉み消して笑った。
「素性を知る者は生かしておけない、か。やれやれ……とんだ残業になってしまったな」





「あ、あ、あの……待って下さい!」
「なあに?」
「あの……その……」
 振り向くと、三枝由紀香が真っ赤になっていた。
 呼び止めたはいいが、中々言葉が出てこないのか。初音は少し苛ついて、先を促す。
「なあにって伺っておりますのよ。お答え頂けないかしら」
「ええっと……助けてくれて有難う……比良坂さん」
「ふふ、どういたしまして。でも――」
 比良坂さん、との呼び名に。初音の形の良い眉が潜められる。
「比良坂さん、という呼び方は好もしくないわね」
「え……じゃ、じゃあ初音さ……」
 つい、と。
 しなやかな指が、由紀香の唇を塞いだ。
「そうね――姉様(ねえさま)と。そう呼んで」





 蒸し暑い深夜。生温い雨がコンクリートを濡らす。
 衛宮士郎と遠坂凛は、
 視界の端には倒れ伏す二人の女。
 対峙するは、一人の雲水。
「退け、童。此度の儀、貴様らには関りなきこと」
 編笠。錫杖。袈裟。
 時代錯誤とも言える僧侶の姿。
 だが、渋く錆びた声は、圧倒的な威圧感を持っていた。
 ごくり。
 腹腔に力を貯め、士郎は強い意志をもって僧を睨みつける。
「アンタは俺の友達を、学校の仲間を傷付けた。はいそうですか、と引き下がれるわけ無いだろう」
「愚かな――」
 す、と錫杖がもたげられた。雨は益々激しい。
「遠坂、油断するなよ」
「誰に言ってるのよ。そっちこそ、しっかりやんなさい」
 不敵に笑い頷き交わし、魔術師と魔術使いは詠い始める。
投影、開始(トレース・オン)! 行くぞ、遠坂!」
「了解! 二番、四番、六番……!」
 ガンドの援護を受け、干将莫耶が雲水・(しろがね)へと襲いかかる――





 ――そして、最後の転校生がやってくる。





 飲み込んで行く。
 校舍を、弓道場を、森を、悪意に満ちた影が食らい尽くしてゆく。
 閉ざされた学園、忘れ去られた生徒たち。魑魅魍魎の跳梁跋扈。
 最早打つ手なし――
 誰もがそう思った時。

「『転校生』魔戒十条――その一」

 黒泥を、一条の閃光が貫いた。

 ツンと立った髪。
 詰襟の学生服。
 意志の強さに満ちた瞳が、士郎たちを一瞥した。
 光放つ巨大な槍を振るい、拳からの気砲をもって黒泥を消し去って行くその男。

「貴様は――!」

 誰かが叫んだ。
 三人目の転校生。
 誰も彼もが「只の転校生」として見過ごしていた一人の学生。
 怪物を、影を容易く屠り去り。男は眼光鋭く朗々と宣ずる。

「みだりに戦いをなすべからず。されど開始後はすみやかに敵を斃すべし!」
 
 転校生。
 否。
 ――『転校生』壇隼人。





 かくて役者は学び舎へと集い。
 怪異に満ちた夏が幕を開ける。





 Fate/stay night外伝、学園伝奇ホラー「魔術学園」。
 近日公開……!


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