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●伝奇ゲームファンのための日本伝奇入門


 2004年、伝奇活劇ビジュアルノベルを名乗るゲーム「Fate/stay night」が大人気を博したことは皆さんご記憶でしょう。
 ファンディスクである「Fate/hollow ataraxia」が今年中には出そうだというニュースを眺めてるうち、ふと日本における伝奇物語を眺めてみようと思いつきました。

 近年、伝奇と呼ばれるジャンルに属する作品が数多く見受けられるようになってきました。「伝奇●●ゲーム」「伝奇●●ノベル」といった表記も珍しくありません。
 そもそも「伝奇」とは何か。
 一体いかなる作品を指す言葉なのか。
 実際のところ、これを語るだけでそれこそ本を書ける奧行きがあります。そこに手間隙をかけていては本末転倒。そもそも私には不可能事です。

 この文章は「伝奇ゲームファンのための伝奇小史」ですので、厳密な定義ではなく「伝奇とはこんな作品だよ」位で話を進めていこうと思います。よって、ここでは「伝奇」を

・超常的な力を持つキャラクターが登場する(超能力、魔術、人ならぬ力など)
・非日常的な道具をガジェットとして使用する(日本古来の伝承、過剰に演出された舞台装置など)
・何らかの目的のために戦いが行われる(主にアクションだが、心理的な闘争も含む)


 といった要素を含む創作物語といたします。
 要するに、念頭に置いているのは伝奇アクションや伝奇ミステリ、あるいはその種の雰囲気をもった作品群ですな。
 伝奇を「神話や伝承、民話などをモチーフにした作品」とする説もありますが、これですといわゆる新伝綺を含有することが出来ません。なので上の要素からは除外しました
 曖昧な定義ですがお許しください。ニュアンスが解ってもらえれば十分ですので。

 では、本邦における伝奇の歴史をさらりと眺めてみます。
 前半においては文芸作品を中心に、後半においてはゲームも混ぜて幾つかのメディアを取り扱うことになるかと。

 なお、私は只の伝奇ファンですので、以下の文章には間違いや不適切な点があるかもしれません。その際はご指摘くださると幸いです。
 それと「何であの作品が入っていないんだゴルァ!」という方。扱う作品は独断と偏見で選んでいるので謝っておきます。御免なさい。
 また、文中は全て敬称略です。


■中世/竹取の翁といふものありけり


 ここはさらっと流していきます。

 小説が元をたどれば神話・伝説に行き着くのは万国共通であると思われます。
 我が国では神話を集成したのは、「古事記」「日本書紀」でありました。ここから「日本霊異記」を祖とする説話が誕生し、やがて説話は、作り物語を生み出します。
 この<作り物語>こそが、現在に至る多種多様な物語の根源であると申せましょう。伝奇物語の萌芽がそこに求められるのも当然であります。

 一般に、我が国初の<作り物語>は、「竹取物語」であると言われています。
 10世紀初頭に成立したこの物語は、異常出生、貴種流離譚、難題求婚譚といった口承伝承の要素を複合的に組み合わせ、さらに月世界との繋がりを付与した点に特色がありましょう。
 当時の文化や世相を考えると、これほどの物語が成立したのは一つの奇跡であるように思われます。
 一読すれば解るように伝奇的な要素(異世界の姫君や月から降臨する迎えの人々、かぐや姫が難題として出した伝説上の宝物など)も多いです。

 王朝時代は竹取物語の他にも幾つかの伝奇的物語が散見されますが、説話集としての性格が強いものが大半であり、断片的な印象が免れえません。

 中世に入ると、「太平記」「平家物語」などといった軍記ものが流行します。これらの軍記ものは、名だたる武将たちの超人的な活躍や滅ぼされた氏族の亡霊の出現、魑魅魍魎の跋扈など、単純にして明快な形で伝奇的要素を用いておりました。

 なお、現代作家が王朝や中世をモデルとして書いた伝奇物語も多いです。山田風太郎や花田清輝などが得意とした手法ですな。


■江戸伝奇/南総里見八犬伝


 江戸時代の物語はまさに百花繚乱、我々が想像する「伝奇」は、この時代に全て出揃っていると言っても過言ではありません。
 何といってもその長さは実に300年強。この長大な期間の伝奇を一望するなど、言うまでもなく不可能なことです。それこそ、専門の研究者による長大な著作が必要とされましょう。
 あくまで「伝奇ゲームファンのための伝奇入門」ですので、ここも軽く見るだけにいたしましょう。

 江戸文芸が形をとり始めたのは元禄の頃。
 それまで説話の聞き書きの域を出ないものでしたが、小説作品としての体裁を有するようになります。
 改革をもたらしたのが、井原西鶴と、浄瑠璃の近松門左衛門でした。
 ただ、西鶴が創始したのはあくまで町人文学であり、伝奇的な所は殆どありません。浮世草子と呼ばれるジャンルであり、「好色一代男」や「日本永代蔵」といった作品は皆さんご存知でしょう。
 一方で近松門左衛門は、一般に有名な世話物(「曽根崎心中」や「女殺油地獄」など)の他、伝奇味濃厚な、奇抜なイメージを持つ作品を表わしています。「用明天王職人鑑」に、目玉を飛ばす妖術師や蛇に変ずる女などがいるのが一例でしょう。

 江戸の中期になると、庶民を対象とした絵入りの物語が刊行されるようになりました。これらの物語を一般に、草双紙と呼びます。
 草双紙には子供のための教育的な「赤本」、浄瑠璃や英雄譚、化け物話などを扱う「黒本」「青本」、それに「黄表紙」がありました。
 延享年間の前後に出現した赤本、黒本、青本は子供騙しのようなものであり、語るほどのこともありません。草双紙が十分鑑賞に耐えるものとなるには、安永年間の「黄表紙」の登場を待たねばなりませんでした。

 黄表紙は滑稽味があり機知のきいた文章と浮世絵風の挿絵を組み合わせたものです。現代のコミック、あるいはイラストが多様されが娯楽小説と思えばほぼ間違いないです。
 ただし、伝奇味を感じる作品は散見されるものの、主流はあくまで世俗を描いたものでした。

 伝奇色の濃い作品が多く誕生するのは、江戸も末期、19世紀になってからです。この時代、草双紙数冊を一冊に綴じ、教訓的内容と伝奇色を濃くした「合巻」と呼ばれる物語が出現しました。同時に、「読本」と呼ばれた媒体も、長編を扱うように変化していきます。つまりは、物語の長編化が起こったのです。

 この時代の立役者が山東京伝です。
 元来黄表紙で活躍していましたが、やがて、長編化していた読本に挿絵の面白さ、合本による物語の快楽を付与し、江戸読者の興味をひきつけた人物です。
 ドグラ・マグラの元になったことでも知られる「桜姫全伝曙草紙」、「復讐奇談安積沼」、「昔話稲妻表紙」、(前者二つについては現代語訳あり)など、優れた伝奇物語を多数ものしています。
 山東京伝の特質の一つに、正確な考証に基づいた執筆姿勢があります。これは実のところ、それまでの文芸が全く欠いていたものでありまして、その意味でも伝奇物語の改革者といえましょう。

 江戸三百年を通じた伝奇物語の代表といえるのは、山東京伝最大のライバル、曲亭馬琴による「南総里見八犬伝」であると思われます。
 伏姫が魔犬八房の氣に感応することによって生まれた宿命の八犬士。仁義礼智忠信考悌の仁義八行を司る八犬士たちが数奇な運命を経て一同に介し、やがて主家にあたる里見家を盛りたて巨悪と対峙し、その末路までを描くこの作品。
 20年以上を執筆に費やしながら、破綻や矛盾を見せない計算され尽くした構成、今に至るまで多様な解釈を可能とする程巧妙に仕組まれた伏線、心ときめく友情愛情劇に、血沸き肉踊る大活劇。
 ここには、ありとあらゆる伝奇的要素が詰まっています。
 ゲーム・コミック・小説などで、八犬伝をモチーフにした作品が後を絶たないことからも、その影響力がわかります。
 江戸文芸の最高峰と言えましょう。

 一時は隆盛を極めた草双紙ですが、天保の改革後は作者に恵まれず、猟奇味や刺激を追及しただけのものと成り果てます。やがて、明治初期に新聞小説が出現することによって、その命脈は絶たれました。

 いずれにせよ、江戸伝奇物語は、馬琴、山東京伝という二人の天才をもって完成した感があります。
 彼らの作品は今もって再三味読に耐える由、古文にめげずに是非ご一読を。

 また、現在使われがちなガジェット――陰陽術、人ならぬ美女、人と人外の交流、剣戟などなど――は、既にしてこの時代に出揃っていることにも注意する必要があります。このことを考えれば、伝奇作品における剽窃の議論など、ほぼ無意味ですな。

 なお、中世から江戸にかけての文芸史を一望するには、須永朝彦「日本幻想文学史」が便利です。


■1890〜1910年代/遠野からの呼び声


 江戸時代が少し長くなりすぎました。ここから明治時代に入りましょう。
 さて、明治期に入ると、江戸後期の荒唐無稽な物語は一旦なりを潜めます。これには文明開化の影響が大であると思われます。過去を捨て、ただひたすら前に走ったこの時代には、江戸時代の遺産など古臭いだけのものだったのでしょうか。

 ただ、明治時代の初期には杉山蓋世「午睡の夢」のような荒唐無稽な伝奇的作品もありました。ナポレオンが諸葛孔明、豊臣秀吉と三つ巴の戦争を行うというトンデモ作品。消化不良ゆえに時代に埋没して行きましたが、このようなバイタリティ溢れる作品があったことを忘れてはなりますまい。

 それはさておき、いわゆる私小説の隆盛にはまだ少し間があるものの、純粋にエンターテイメントと呼べる作品もまた少ない時期です。
 伝奇という観点からは、幸田露伴、北村透谷といった面々が、古典的教養をもって幻想味の強い作品を発表していたのが目に付く程度でしょうか。

 そんな中一人気を吐いていたのが黒岩涙香です。
 西洋の作品の翻案を得意とし、「涙香調」と呼ばれた独自の文体は一世を風靡しました。レ・ミゼラブルの翻案「ああ無情」は有名ですね。
 「死美人」「幽霊塔」といった、ゴシック・ロマンスを思わせる重厚にして耽美的な世界は多くの読者を魅了しました。
 さすがに古臭さはあるものの、今でも十分読め、かつ楽しめるあたりはさすがでしょう。
 まとまった形での出版物に恵まれませんでしたが、本年度4月に「明治探偵冒険小説集 (1) 黒岩涙香集」が発売され、作品に触れることが容易になっています。

 明治も後半――1900年代に入ると、夏目漱石、森鴎外を筆頭とした「文豪」たちが続々と歴史の表舞台に現れてきます。
 これらの文豪にも幻想的、かつ伝奇的な作品はありますが、矢張り泉鏡花の活躍が特筆されましょう。
 一般にも名高い「高野聖」に始まり、水をテーマとした幻想譚「沼夫人」、鏡花の最高傑作とも言われる「草迷宮」、連作「春晝」「春晝後刻」といった幻想物語は、江戸の戯作を思わせる怪異と品格のある表現に満ちており、濃厚な伝奇味を醸し出しています。
 水滸伝を元とした長編「風流線」に至っては、世間から降りた哲学青年とその恋人である令嬢が、無縁の民と共に、大偽善者たる富豪に立ち向かうという一大伝奇ロマン。典型的なピカレスク・ロマンであり、ヒロインである龍子が禽獣の女王と化すなど、超自然的要素も満載です。構成には破綻がありますが、鏡花にしては文体も読みやすく、純粋なエンターテイメントとしても楽しめます。
 なお、鏡花の作品は、ちくま文庫「泉鏡花集成」で容易に入手できます。

 埋もれていた日本の伝承を流麗たる美文で復活させたラフカディオ・ハーンこと小泉八雲(代表作に「怪談・奇談」など)を経て、1910年には柳田国男によって「遠野物語」が編まれます。
 遠野物語そのものは伝奇作品とは言えません。文学的な装飾が施され、批判も多々あるものの、基本的には岩手県遠野に伝わる民話の集成です。
 しかし、後生への影響力は甚大なものがありました。
 遠野物語が描き出した土俗的怪異は文明開化の日本がすっかり忘れ去っていたものであります。それを発掘したのが明治の高級官僚たる柳田。各方面の衝撃度はかなりのものだったでしょう。

 日本の土俗的文化が伝奇物語のツールとして大々的に使われ始めたのは、この時期からではないかと思います。
 その典型例が1912年、中里介山の「大菩薩峠」でしょう。アンチ・ヒーロー机龍之介を主役としたこの一大伝奇時代小説により、近代大衆娯楽小説の世界が確立されるのです。

 余談ですが、山田風太郎は「明治シリーズ」において、この時代を扱った伝奇と歴史とミステリの融合した類の無い作品群を作り上げています。

■1920年代/純文学と伝奇


 まずは前回の補遺。

 1913年、三島由紀夫が影響を受けたと言われる郡虎彦は、「鉄輪」(「陰陽師伝奇大全」に収録)で安倍晴明と丑の刻詣りを行う怨み骨髄に徹した女を描きました。露骨な伝奇的アクション描写はないものの、稀代の陰陽師と恐ろしい女の怨みと、伝奇の定型を扱っています。
 純文学方面からも伝奇的アプローチがあった証拠でありましょう。

 さて、1910年代に確立された大衆娯楽小説が山ほど出てくるのがこの時代です。
 今では名も残らぬ読み捨て作品が粗製乱造されましたが、市井の人々に、伝奇的な物語は面白いものだ、娯楽的なものだという意識を、改めて植えつけた時代であったと思われます。下地を作ったとでも申しましょうか。

 伝奇作品を書いていたのは名も無き小説家達だけではありません。
 一般には「文豪」であり、純文学作家と思われている芥川龍之介も、1920年前後には神経症的な伝奇作品を執筆しています。特に「邪宗門」(1922年)は、王朝を舞台に、聖母マリア信仰を広めようとする西洋の妖術師と藤原道長の息子である陰陽師の魔術的対決を描く伝奇ロマン。未完ながら、昭和に誕生した伝奇アクションの遥かな先達と言えましょう。
 芥川の伝奇的作品には「妖婆」「アグニの神」などがあり、その大半は、「芥川龍之介妖術伝奇集」に収録されています。

 他にも、佐藤春夫「病める薔薇」「月光異聞」、谷崎潤一郎の「魔術師」、室生犀星の「幻影の都市」……文壇の旗手たちが、揃いも揃って伝奇的な、怪異的な小説を発表しています。
 当時随一の盛り場であった浅草をテーマにした作品も多く、それらは探偵小説やモダニズム文学といった、都市幻想への先駆となりました。

 かように1920年代は、純文学作家が伝奇味濃厚な作品に手を染めた時代でありました。これも時代の空気でありましょうか。

 勿論、大衆娯楽方面の書き手も負けてはいません。1925年、国枝史郎は「神州纐纈城」を発表。破天荒とすらいえるイメージの奔流により、伝奇的作品の頂点に躍り出ました。近年にも、石川賢の手によって漫画化されています。

 この他、稲垣足穂「一千一秒物語」、江戸川乱歩「パノラマ島奇譚」「孤島の鬼」、白井喬二「東遊記」……枚挙に暇がありません。純文学、エンターテイメントといった区別が意味を成さないほどに、多数の幻想的/伝奇的な作品が登場しました。

 江戸伝奇文芸が欠いていた、西洋の黒魔術、東洋の謎めいた呪術という道具立てが広まったのもこの時代です。
 これにより、伝奇物語の道具立てはほぼ完全に出揃ったと言ってよいでしょう。


■1930年代/幻想ミステリの王国


 伝奇味濃厚なミステリが多数発表された時代です。
 伝奇とミステリというものは非常に相性がよく、現在に至るまで名作傑作に事欠きません。
 夢野久作「ドグラ・マグラ」、小栗虫太郎「黒死館殺人事件」は、この時代の伝奇ミステリの二大巨頭でありましょう。

 サスペンスと都市幻想を融合した名作「深夜の市長」もこの時代の産物です。
 伝説的雑誌「新青年」の黄金期も丁度この時期であり、猟奇的なモチーフをもった伝奇的なミステリやサスペンスが量産されています。

 今ではお馴染みすぎるくらいお馴染みの「吸血鬼」という存在が世間一般に知られたのもこの時代からでしょうか。ちなみに本邦初の吸血鬼小説は、1929年に発表された中川与一の「吸血鬼」です。
 イギリスの隠秘学研究者M・サマーズの著作を再構成した研究書、日夏耿之介「吸血妖魅考」が出版されたのが1931年。これにより、多くの人々が吸血鬼という概念を手に入れました。吸血鬼に関心がある方なら、今でも必読の資料です。
 日夏は「サバト恠異帖」などの著作によりオカルト的題材を日本に輸入した先駆者と言えます。江戸文芸西洋文学両面にわたる圧倒的な博識をもって知られており、現在に至るまで我々は日夏が切り開いた魔術的迷宮でうろうろしているとすら言えるかもしれません。伝奇や魔術などが好きと名乗るからには、日夏の著作には一度は触れねばならないと思います。

 なお、海外でも「コナン」シリーズのR・E・ハワードや、かのH・P・ラヴクラフトが活躍しておりました。洋の東西を問わず、伝奇と怪異の世界が活発化していたと言えましょう。


■1940〜1950年代/戦争の暗い影


 1940年代は伝奇暗黒時代でした。
 不穏な世界情勢と国内情勢、太平洋戦争の開戦、敗戦から窮乏を極めた戦後と、日本全体が暗い雰囲気に覆われていたこの時代、目ぼしい伝奇作品は数えるほどしかありません。日常と非日常の境が曖昧になり、食うや食わずやの毎日では、絵空事にうつつをぬかす暇などなかったのでしょうか。

 軍部の統制が厳しくなっていた時勢では物語の幅も必然的に狭くなり、作家たちは秘境冒険もの、時代小説、民話を基にした小説などに活路を求めることとなります。
 秘境冒険ものの中でもとりわけ伝奇的な色彩の濃い、「魔境もの」と呼ばれたにおいては、海野十三、小栗虫太郎、久夫十蘭らが活躍。
 地底や海の果ての謎の王国で少年少女や探検家が荒唐無稽な活劇を繰り広げる――というのが主な筋立てであり、道具立ては伝奇的です。ただ、荒唐無稽に過ぎ、再三味読に耐えるとは残念ながら申せません。やっつけ仕事の感があります。

 一方で時代小説には特筆すべき作品がありました。横溝正史の「髑髏検校」です。ブラム・ストーカーの「吸血鬼ドラキュラ」を換骨奪胎し、幕末を舞台とした伝奇時代劇。暴虐な魔王ドラキュラがいかにも日本的な湿気のある悪となり、原作でただただ怖いだけであったドラキュラの従者も、横溝一流の筆によって異様な艶のある美女たちへと変容しています。絶海の孤島という舞台装置とストーリーテリングの巧みさも相俟って、純粋な娯楽小説としては原作より優れていましょう。富士見・角川・講談社と各社から文庫により出版されていましたが、絶版なのが惜しまれます。

 そして日本は終戦を迎え、戦後、状況は一変します。

 1946年、横溝正史「本陣殺人事件」により、知らぬ人はない名探偵、金田一耕助が登場します。
 本陣殺人事件は、西洋本格ミステリに、我が国伝来の猟奇と怪奇、土俗的な恐怖と伝承を組み合わせた、実に伝奇的な作品でした。
 江戸文芸、江戸川乱歩と継承されてきた土俗的伝奇とも言える世界観は、横溝の手により新しい生を得、広く一般に普及します。
 その影響下に、高木彬光「刺青殺人事件」が誕生したのも重要です。高木は怪談や伝説を背景として用いることに長けており、「成吉思汗の秘密」などの伝奇ロマンも発表しています。戦後の伝奇を語る上で避けては通れない作家ですな。

 後年の推理小説ブームを支えた人材の多くもこの時代に登場しており、中でも山田風太郎は1958年に「甲賀忍法帖」を発表。史実と奔放な想像力を絶妙に組み合わせた作品群により、世に言う「忍法帖ブーム」を作り出しました。
 山田の忍法帖シリーズが、これ以後の伝奇アクションや時代伝奇に与えた影響については今更論じるまでもありますまい。端的な例で言えば、一般には菊地秀行が始祖と思われている「極細の糸を武器として使う」も山田作品が元です。山田風太郎がいなければ、日本伝奇の歴史は間違いなく変わっていたと思われます。

 戦時中に何があったのか、作風を一変させた作家も少なくありませんでした。
 それにより、自然主義文学の大御所、正宗白鳥が「お伽噺・日本脱出」という異世界を舞台にした伝奇ファンタジーを記しています。
 伝奇からは少々離れてしまいますが、少女小説の大御所だった吉屋信子がオカルト方面に傾斜したのも一例ですね。

 なお、この時代になると、私たちにも馴染み深い、伝奇の書き手たる方々が産まれてきています。1948年に笠井潔、1949年に菊地秀行、51年には夢枕獏と高橋源一郎。52年には村上龍と田中芳樹、54年には竹元健治に友成純一、56年に朝松健……中でも1947年は、荒俣宏、景山民夫、梶尾真治、金井美恵子、須永朝彦とまあ、凄まじい面子。
 新しい時代の到来を顕著にしめしていますね。

 この時代の作品は近年復刊が盛んであり入手が容易であるため、気になった方は大きな書店で探してみることをお勧めします。


■1960年代/異端の復権


 60年代は何故か、エンターテイメント的な伝奇物語は余り見ることが出来ません。この期間を特徴付けるのはむしろ、澁澤龍彦の音頭による、「異端文学」の復権でしょう。

 澁澤は1961年の「黒魔術の手帖」を皮切りに、戦争によって雌伏を余儀なくされていた文化の復権にかかります。
 日夏耿之介らのオカルトを代表に、シュールレアリスム、サディズムにエロティシズム、モダニズム、「新青年」が得意とした怪奇幻想文学……澁澤の尽力がなければ、これらの豊穣な文化は失われたままだったかもしれません。
 文学の美食者を自認していた澁澤だからこそ出来た一大事業だったと言えます。澁澤の諸著作が今もってオカルトや幻想文学、異端文化への最良の手引書であることからも、その量と質とが良く解ります。

 この復活運動が頂点を迎えるのは1960年代後半です。澁澤の手帖シリーズやアンソロジーの影響下に、桃源社は「世界異端の文学」と「大ロマン・シリーズ」を開始。

 前者ではユイスマンス「さかしま」、クロソウスキー「肉の影」、シェーアバルト「小遊星物語」など、翻訳もほとんどなく、等閑視されていた世界文学の数々を邦訳。70年代に荒俣宏により広がった、いわゆる「幻想文学」ブームの先駆となりました。現在でも翻訳が「世界異端の文学」にしか無い作品は多く、古書でも相応の値段がしたりします。

 伝奇的見地からみれば重要なのは後者でしょう。「大ロマン・シリーズ」が最初に復刻したのは、1920年代の箇所でも言及した「神州纐纈城」でした。これが各界の話題を呼び、埋もれていた伝奇的作品が改めて日の目を見ることとなるのです。

 1960年に「SFマガジン」が創刊されたのも大きな事件でした。
 これにより日本SFが本格的に始動。星新一、筒井康隆といった大物はこの時代に既に活躍を始めています。なお、筒井を発掘したのは江戸川乱歩です。流石の慧眼といえましょうか。
 SFの誕生により、既存の文学の枠にとどまらない物語の受け皿が出来上がりました。先ほどの述べた異端文学の復権とも相俟って、今まで等閑視されてきた種の物語を発表する場が整いつつあったのです。そこには当然伝奇物語も含まれました。

 そして、この時代のカウンター・カルチャーが1970年代に一般化・通俗化し、エンターテイメントとしての多様な伝奇物語を生み出すことになるのです。


■1970年代/半村良の衝撃


 1970年代は、60年代に定着した「異端文学」的な要素が、拡大・一般化・通俗化されていった時代と言えましょうか。
 実際に、70年代初頭には、60年代アングラ文化の集大成ともいえた「家畜人ヤプー」がベストセラーとなっています。一部の好事家や目利きのためだけにあった「異端」の世界が、陽のあたる場所に出てきたと言えましょう。
 その風潮を軽薄だと嘆く向きもありましたが、多くの読者が埋もれていた文化の魅力へと目を向ける契機になったことは忘れてはならないと思います。

 伝奇という観点からは、1972年「石の血脈」の衝撃が圧倒的でした。

 新進気鋭の建築家、隅田を襲ったのは恩師の急死と妻の失踪だった。急激な環境の変化にも負けず、自らの才を発揮しようとする彼の周りに、現実を超越した怪事が姿を見せ始める。
 謎の暗殺教団の影、変容した妻、奇怪な性病と不老不死の人間、そして、人類の歴史を陰で動かしてきた秘密結社。
 やがて隅田が知る脅威の現実とは……
 
 とまあ、そういう作品です。
 序盤では現代小説の装いを取りながら、中盤からは明らかな非日常の世界へと突入するといった構成は当時は珍しいものでした。巨石文明、アトランティス、吸血鬼伝説、人狼伝説、妖艶極まる謎の美女、といった「いかにも」な要素が満載の一大伝奇絵巻であり、今でも魅力は色あせていません。
 性病が主要なテーマの一つということもあり、濃厚なエロスの描写が読者を引き付ける要素となりました。

 なお、帯において<伝奇ロマン>を銘打った作品は、(少なくともメジャー作品では)「石の血脈」がはじめてであったように思います。
 半村は第二作「産霊山(むすびのやま)秘録」において、<ヒ>と呼ばれる一族を主役とした日本の影の歴史を描いています。これまた評判を呼び、俗に言う「伝奇ロマン」のイメージを形作ったことは間違いありません。

 また、同時期に平井和正によって書かれた「死霊狩り」も重要です。
 超人的な身体能力を持つ主人公たちと、人智を超えた怪物との死闘を描いたこの作品は一躍大人気を博しました
 秘密組織、超人的な登場人物たち、「ゾンビー」と呼ばれる宇宙からの侵入体、国家的陰謀と、伝奇ロマンと類似しながらも過激さを増した道具に溢れており、伝奇バイオレンスの先駆となっています。

 この他、荒巻義雄や小松左京といったSF畑の作家の活躍が目立つ期間でありました。エロスとバイオレンス、超古代や謎の組織や怪物といった、わかりやすい形での伝奇エンターテイメントの原型は、この時代に出揃ったと言えましょう。


■1980年代/超伝奇バイオレンスの隆盛


 1980年代は、戦後世代が躍進した時代でした。
 SFにおいては山田正紀、新井素子、山尾悠子などの優れた書き手が登場し、幻想文学方面では須永朝彦が活発な活動を見せていました。
 笠井潔が精力的に活動し始めるのもこの時代です。「ファンタジーの遍歴時代」「サマー・アポカリプス」、「ヴァンパイヤー戦争」など、笠井の代表作はほぼ全て80年代に出揃っています。

 伝奇的な観点から見れば、決して外せない二人が現れたのもこの時代。言わずと知れた、菊地秀行と夢枕獏の二大巨頭です。
 菊地は、都市を舞台に超人たちの荒唐無稽な活躍を描くことによって。
 夢枕は、人間の肉体と日本古来の呪術や伝承を組み合わせることによって。
 いわゆる「超伝奇バイオレンス」と呼ばれるジャンルを開拓しました。
 菊地の代表作には「妖獣シリーズ」「魔界都市シリーズ」があり、一方の夢枕は「キマイラシリーズ」「精神ダイバーシリーズ」「陰陽師シリーズ」などを代表とします。
 共に癖のある描写、エンターテイメントに徹した内容、激しいエロスの描写といった要素を特徴とし、一時代を築き上げました。
 実際、本屋のノベルズの棚には、菊地か夢枕の亜流ばかりが並んでいるという時代があったのです。

 我々が想像する伝奇アクションは、この時代に確固たる市場を築き上げたと言ってよいでしょう。先に述べたとおり、伝奇ロマン/伝奇アクションそれ自体は1970年代に確立されていましたが、それと市場の定着とはまた別です。

 また、忘れてはならないのが1985年、荒俣宏の手になる「帝都物語」でしょう。
 明治から昭和初期にかけての一大超能力戦争を書いたこの作品の影響力は甚大です。
 それまで一部の好事家や研究者だけが知るものであった、陰陽道、阿部晴明をはじめとする日本の呪術的伝承を一般に広めた功績は計り知れないものがありましょう。こと伝奇エンターテイメントに関する限り、現在に至るまで、帝都物語を超える影響力を持った物語はおそらくありません。伝奇を語るとき、決して避けては通れぬ作品です。

 なお、荒俣は帝都物語と同時期、「本朝幻想文学縁起」において、日本古来の怪異と伝奇の世界を幅広く紹介しています。これまた、一部の研究者や好事家だけが持っていた知識を広めたという意味で重要な著作です。

 純文学方面からも伝奇的要素を強く持った作品が発表されています。中でも大江健三郎「同時代ゲーム」は、四国の山中にある、異界としての神秘的な村を舞台とし、「異貌のものたちの歴史」という、濃厚な伝奇的要素を有しています。

 なお、1986年には、悪魔、天使、魔術、召喚など、60年代に異端文学のキーワードであった舞台装置をふんだんに盛り込んだ娯楽作品「女神転生」が登場。翌年にはPC-88やファミリーコンピューターによってゲーム化され、人気を呼びます。
 1990年には「女神転生2」が発売。90年代の項で述べる、ゲームによる伝奇物語の隆盛に大きな役割を果たしました。
 その後も女神転生シリーズは着実に成長を続けています。最新作、デビルサマナー・葛葉ライドウの舞台は大正時代のようで、これも期待ですね。


■1990年代/伝奇の停滞


 1990年代に入ると、伝奇物語は停滞の時期を迎えます。
 どのようなジャンルも活性化の後は停滞か衰亡を迎えますが、伝奇も例外ではなかったということでしょう。ただ、衰退ぶりは、80年代の伝奇の活発さを証明するものでもありました。
 先ほども述べた超伝奇バイオレンス、ひいてはエンターテイメントとしての伝奇小説がジャンルとして定着してしまったことも原因でしょう。ブームの後、ファンに支えられて定着したジャンルは、完全に消え去ることこそありませんが、本屋の片隅で細々と生き残ってゆくだけになることになるものです。

 もっとも、話題性/革新性のある伝奇的な小説作品が全く無かったわけではありません。

 1988年頃から1990年代前半は、ジュヴナイルを中心とした作品が量産されていました。現在「ライトノベル」として知られる物語の原型の多くは、この時代に求められます。水野良「ロードス島戦記」が若年層の間で圧倒的な支持を得たのが典型ですね(ロードス島戦記そのものは1988年の開始ですが)。
 ただ、この当時は西洋的世界観を基にしたファンタジー作品が主流であり、本文で述べているような伝奇的な作品は少ないです。

 また、1994年に、京極夏彦が「姑獲鳥の夏」で鮮烈なデビューを果たしました。
 発表当初こそ然程注目されませんでしたが、第二作「魍魎の匣」で各界の圧倒的支持を獲得。京極夏彦はこの後も伝奇味の強い作品を連続して発表し、伝奇ミステリの世界に大きな足跡を残しています。

 しかし、90年代の伝奇物語は、小説の世界においては矢張り隅に追いやられていた感が否めません。朝松健のような作家が奮闘してはいましたが、大きな支持を得ていた作品は見当たりません。
 この時代の伝奇物語で注目すべきは、むしろゲームというメディアでしょう。

 1992年、チュンソフトが「弟切草」において、ノベルゲームという新しい形式を切り開きました。94年には同系列の作品「かまいたちの夜」を発表。
 音楽とグラフィックを効果的な演出に用い、ゲームの本体はあくまで文章部分という形式は、当時非常に斬新であり驚きをもって迎えられました。選択肢によって結末が大幅に変わるシステムも目新しかったのでしょう。
 これによって、ノベルゲームの手法は一気に浸透してゆきます。

 1996年、Leafは、その影響下に、ビジュアルノベルシリーズ、「」、「」(リンク先はリニューアルパッケージ)を発売。この二作は幅広い人気を獲得します。
 特に、「痕」は、日本古来の土着的な田舍町という舞台、鬼の伝承と猟奇殺人という装置、さらにSF的な味付けと、伝奇の幕の内弁当とでも言うべき作品。後発の作品群に、大きな影響を与えました。現在に至るまでその影響は残っています。

 1998年には転生を主題にした伝奇恋愛アドベンチャー「久遠の絆」が発売。
 同年、学園伝奇ジュヴナイルを謳った「東京魔人学園剣風帖」が登場します。
 魔人学園シリーズには、江戸時代を舞台とした「東京魔人学園外法帖」、同一世界におけるジュヴナイル伝奇「九龍妖魔学園記」といった系列作品があり、幅広い展開を見せています。

 これらの作品群により、夢枕獏、菊地秀行以来後継をもたなかった「現代を舞台に若者たちが超人的な活躍を繰り広げる」というジャンルが確立されたのでしょう。
 事実、東京魔人学園シリーズには、「魔界都市<新宿>」に代表される菊地秀行ジュヴナイルの影響が大です。


■2000年代/伝奇の復権


 1990年代後半、幾多の伝奇ゲームの登場で基礎体力を養ったのか。2000年代に入ると爆発的な広がりを見せます。
 一般小説よりも、ライトノベル界、コンシューマゲーム界、美少女ゲーム界といった、俗に言うサブカルチャー的分野の作品においてその傾向は顕著でした。
 いえ、今でも顕著です。少し大きめのショップの棚を眺めてみれば一目瞭然でしょう。

 2000年冬、コミックマーケットにおける「月姫」の発表が一つのターニングポイントであったと思われます。
 現代を舞台に異能力者――吸血鬼、殺人鬼、魔術師たちの戦いを描いたこの作品は、凄まじい勢いで界隈を席捲しました。ネットの普及とも相挨って、その流行の度合いは爆発的ですらありました。今に至るまで人気は衰えていません。
 月姫のシナリオライター、奈須きのこ執筆の同人小説「空の境界」は商業出版され、新聞紙上などでも話題となりました。
 漫画のようだ、子供騙し、既存作品の剽窃の固まり、盲目的な信者が迷惑……などといった批判も良く聞かれますが、月姫の流行が伝奇というジャンルを各方面に知らしめたことだけは間違いありますまい。

 事実、この後、ゲーム媒体における伝奇物語の充実には目を見張るものがあります。
 ここで注意して頂きたいのは、私は様々な作品が月姫の影響を受けていると言っているわけではありません。
 90年代に見たように、伝奇的な主題を扱った作品はこの当時既に量産傾向にありました。PCにおいてもコンシューマにおいても、優れた作品が90年代後半から2000年までにも多数出現しています。
 伝奇という物語形態を受け入れる下地はとうにあったのです。月姫の流行によって、伝奇的な作品がさらに作られやすく、受け入れられ易くなったと言いたいのです。

 それは兎も角、実際問題として、これ以後、魔術、超古代に伝承、吸血鬼や鬼といった怪物……物によっては半ば忘れられていた多種多様なガジェットが息を吹き返し、流行すらするようになりました。

 教科書的ともいえる現代伝奇アクション「夜が来る!!」がアリスソフトから発売されたのが2001年。
 翌年には、サークル「07th Expansion」による伝奇味濃厚なサスペンス「ひぐらしのなく頃に」が登場(現在も継続中)。
 2004年にネットを介してブレイクしたのは記憶に新しいところです。

 2003年には、18禁ゲームメーカーニトロプラスの大作、「斬魔大聖(機神咆哮)デモンベイン」が話題を呼びました。
 今年に入ってからですと、ニトロプラスの「塵骸魔京」、Propellerの「あやかしびと」、アプリコットの「AYAKASHI」など、枚挙に暇がありません。

 コンシューマにおいても「」シリーズなどがありますね。
 ただ、物語性を重視した伝奇作品はPCゲーム界に比べるとやや少ない印象があります。強いて言うならば、ホラーが多いのが特徴でしょうか。ユーザー層の違いもありましょう。

 ライトノベル界でも、現代を舞台にした伝奇物語――その多くは伝奇アクションですが――は氾濫しており、確かな1ジャンルを形成した印象があります。
 どの作品も一定水準の質を保ち魅力的な反面、似たような素材が多くマンネリになりがちな所も、1980年代の伝奇バイオレンスの隆盛を思い出させます。
 今後の動向が注目されます。


■終わりに


 かなり駆け足ながら、日本伝奇の歴史を概観してみました。お楽しみいただけましたでしょうか。
 取りこぼした作品は山のようにありますし、90年代以降の記述がゲームに偏ってしまったなど、反省点は多々あります。特に江戸時代と伝奇ミステリについての記述は拡充させたいところ。次の機会があればもう少ししっかりまとめたものを提供出来ればと思います。

 最後に、伝奇を知るための文献を幾つかあげておきます。私の本棚見ただけでも山ほどあるので、特に有用で目ぼしいものだけをピックアップ。


・幻想文学33号 日本幻想文学必携

・幻想想学38号 幻魔妖怪時代劇

永遠の伝奇小説BEST1000

大江戸小説・実況中継

ファンタジー・ブックガイド

他多数


 ここまで読んでいただき有難うございました。
 ご意見ご感想など頂けると幸いです。


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