カテゴリー:SS

連作クロスオーバー「アウレオールスの夜に」第十七話

連作クロスオーバー「アウレオールスの夜に」第十六話

連作クロスオーバー「アウレオールスの夜に」第十五話

向日葵の世界

ひまわりのチャペルできみと』(amazonリンク)を盛大にプレイ中です。

 いや、これは素晴らしい。『秋桜の空に』『お姉ちゃんの3乗』に匹敵する……いや、それらを上回るハイテンションな世界が繰り広げられております。
 YU-SHOWさんも絶賛しておられますが、日常パートの面白さはちょっと類がありません。ゲームという媒体を最大限に活かした、目にもとまらぬボケと突っ込みの応酬は一見の価値あり。正直言いまして腹筋が危険です。

 キャラクターはまことに魅力的。騒がしくも楽しい日常の中、ヒロインとの関係がゆっくり確実に変化してゆく過程には、個性豊かなキャラクター陣のおかげもあってニヤニヤが止まりません。中でも姫ことエステリア王女のデレっぷりは神域に達しております。出来ておる喃。

 シナリオもギャグとシリアスの按配が良く、安心してプレイ可能。
 中でも、中盤の山場とも言えるシーンは、無闇矢鱈な熱さと、何よりテキスト量に圧倒されてしまいます。ライトノベル20冊分の売り文句は伊達ではない。さらに、それら膨大なテキストがするすると読め、どれもこれも楽しいというのは名人芸と言わざるを得ないでしょう。さすが竹井10日先生だ。

 買って損なし、是非ともプレイすることをお勧めします。

 しかし、攻略不可キャラが軒並み揃ってたまらないのは何の罠なのでしょうか……ああ、ルーン先生、いっちゃん……

●今日のSS

 自給自足になりますが、紅魔館メインの東方SS『盛夏の夜に花咲けば』をアップしました。お読みいただければ幸いです。

●WEB拍手レス

宇月原清明を読んでないエクスノフなんて! バカ! バカ! モンゴ!(マカロニ風)

 とりあえず注文してみた。

皆川女史の復刊は感涙ものです。しかも「聖女の島」! いいぞもっとやれ。この調子で「冬の宴」が収録された作品や「朱鱗の家」も復刊されれば言うことなしですよ。特に後者は短編作品において一、二を争う美文なだけに改めて単行本が欲しいくらいです。

 結構絶版が多いですからねー……作品精華は当然ながら短篇しか収録されておりませんし、いっそ全集が欲しい位です。『うろこの家』は画・文共に美麗の極みのため、是非とも復刊して貰いたいところです。私も文庫版しか持っていないのですよ、あれ。単行本注文してしまおうかな。

投稿者: 日時: 22:20 | | コメント (0) | トラックバック (0)

連作クロスオーバー「アウレオールスの夜に」第十四話

東方SS「彼方此方」

東方SS「黄昏の郷」

連作クロスオーバー「アウレオールスの夜に」第十三話

東方SS「ヴワル消失」

連作クロスオーバー「アウレオールスの夜に」第十二話

連作クロスオーバー「アウレオールスの夜に」第十一話

連作クロスオーバー「アウレオールスの夜に」第十話

久々に東方SS

 久しぶりに東方SSを更新しました。
 レイラ・プリズムリバーを語り手とした『Home, Sweet Home』です。
 少し長めなのでご注意ください。
 ご意見ご感想などいただけると幸いです。

●WEB拍手レス

>本がお好きなヤス様にお勧めなサイトが一つありましたので紹介させて頂きます。
慶應義塾大学HUMIプロジェクト
>特に西洋博物誌などはその手のものがお好きな方には鼻血ものかと。
>稀覯書はそうそうお目にかかれないためにこのようなプロジェクトが今後も発展すればいいなと思います。

 これは素晴らしい! 有用な情報を有り難うございます。
 ゲスナーの動物誌など、見ているだけで興奮ものですね。
 この種の試みが発展しつつあるのは大変喜ばしいことだと思います。デジタルなら劣化もしませんし。
 いやあ、それにしてもいい……

投稿者: 日時: 12:53 | | コメント (0) | トラックバック (0)

連作クロスオーバー「アウレオールスの夜に」第九話

連作クロスオーバー「アウレオールスの夜に」第八話

連作クロスオーバー「アウレオールスの夜に」第七話

連作クロスオーバー「アウレオールスの夜に」第六話

連作クロスオーバー「アウレオールスの夜に」第五話

連作クロスオーバー「アウレオールスの夜に」第四話

連作クロスオーバー「アウレオールスの夜に」第三話

 衛宮士郎は、店内の威容に目を丸くせざるを得なかった。いや、威容というより異様であろうか。
 情報屋が居ると人形娘に連れられて来たのは、新大久保駅近くのティー・サロン『ヒポポタマス』。一口飲めば体重が10キロ増えるバルーン・コーヒーが売りの名物喫茶だ。人形娘曰く「丸々とした方ばかりですわ」とのことだったが――これほどとは思わなかった。 
 店全体が巨大なのだ。椅子やテーブルも、調度類も、縦にも横にも広くがっしりと作り込んである。明らかに日本人向けのサイズではない。
 手近なテーブルに目を向ければ、コーヒーや紅茶はピッチャーに並々と注がれ、大皿にはからりと揚がったポテトが山盛り。衛宮邸の食いしん坊王様でも胸焼けを起こすかも知れない。
 最も、<新宿>は、カリフォルニアやニューヨーク並の多国籍都市だ。椅子机の規格や、飲食物のサイズが一般的でなくても驚くことはない。それだけ客層が多様だからだ。
 しかし――
「いらっしゃい。何名様でしょうか?」
 ――通常の喫茶店の優に二倍はあろうかという通路を、同じく通常の二倍は横幅のあるウェイトレスが塞いでいるのは、矢張り特殊であろう。制服よりまわしが似合うのではないかと、そんな不謹慎な思考が士郎の頭をよぎった。
 ウェイトレスに向かい、戸惑い気味に用件を告げる。
「あー……その、外谷さんという方が此処にいると聞いてきたんですけど」
「ああ、外谷さんなら――」
 ウェイトレスの指さした方にと目を向ける。
 店内の奥――士郎や人形娘なら数人はかけられそうな長椅子。
 その椅子を中心に、一角丸々占領している大きな影。
 女だ。
 だが只の女ではない。
 全てが丸かった。
 顔が丸い。
 手足が丸い
 それにも増して腹が丸い。
 端的に言えば――素晴らしい程のでぶであった。
 あまりに見事な体躯に思わず凝視してしまう。
「何さ」
 士郎の視線に気付いたのか、女がじろりと睨み付けてきた。無遠慮で横柄な口調だが、外見が外見なのでどことなくユーモラスだ。
「あの人……だよな?」
「あの方です」
 人形娘に確認をとり、歩み寄った。
 側に寄ってみると、とてつもない巨体だ。縦ではなく横、筋肉ではなく贅肉がぶよぶよと広がっているため、一種異様な圧迫感がある。
「外谷……良子さん、ですよね?」
「その通りだわさ。勧誘ならお断りだよ」
 太く良く通るだみ声。耳障りが良いとはお世辞にも言えない。
 鳴き声でも出しそうだな――などと思っていたら
「ぶう」
 本当に鳴いたので士郎はつんのめりそうになった。
「勧誘ならお断りだよ。デートは一年後でいいなら空いてるけどね」
「いえ、仕事をお願いしたいんです。欲しい情報があって――」
「ふん」
 値踏みするように士郎をじろじろと眺め回す。その最中も、食を貪る手は休まない。
 生クリームたっぷりのケーキ1ホールと、ピッチャー入りのコーヒーがみるみるうちに胃の中に消えてゆく。いっそ気持ちいいほどの健啖ぶりだ。
 ケーキ皿とコーヒーカップが空っぽになると、すいとウェイトレスが寄ってくる。
「お代わりはいかがいたしましょう」
「腹八分目が健康の秘訣だっていうしね。後はコーヒーだけでいいわさ」
「かしこまりました」
(八分目……?)
 信じられない言葉を聞いた気もするが、聞き流すことにした。
 今は些末事にこだわっている場合ではない。
「さて、と」
 運ばれてきたお代わりのコーヒー飲み干し、丸い女は士郎をじろりとねめつけて腹を叩いた。
 ぽん、と、太鼓腹が実にいい音で鳴る。
「<新宿>1の情報屋、外谷良子さまに何の用だい、ぶう」
 西新宿のせんべい屋ですら一目置くと言われる情報屋はふんぞり返ってそう鳴いたのだった。


▲▽▲▽▲▽



伝奇クロスオーバー二次創作
『アウレオールスの夜に』


chapter-03
追跡者 ~ The Chaser



▲▽▲▽▲▽


「ふーむ、“眠り男”ねえ――」
「はい。“眠り男”は殆どが収容所にいると聞きました。それで、新しい“眠り男”が大量に隠れている場所があるはずだと――」
 士郎からあらましを聞き終わると、外谷は腕を組んで唸った。
「そんな事があればあたしの耳に入ってこないはずがないよ。すぐに調べは付くけれども……」
 じろり。
 鈍重そうな外見とは裏腹の、意外に鋭い視線が士郎を射抜く。
「こっちも仕事だから余計なことは言わないけどね、一つだけ聞かせとくれ」
「……何でしょうか」
「あんた<区外>の人間だろ。何があったのか知らないけどさ、真っ当な厄介ごとなら警察に頼るのが筋ってもんだ。この街の警察は優秀さね。何でわざわざ自分で動くんだい?」
 一息ついてコーヒーを含む。一口でカップの半分が消えた。
「客にあれこれ尋ねないのがこの仕事の決まりなんだけどね。今度ばかりは聞いとくべきな気がするのさ。あたしの感は区のスーパーコンピューターより確実さね」
 肥満体が自慢げにふんぞり返った。
「それは――」
 考えるまでもない。
 あの間桐慎二が己を頼り、此処まで来てくれたのだ。それだけで、十分士郎には自分が動く理由となり得る。
 それに、士郎は『正義の味方』を任じている。己の手の届く範囲で、しかも親しい間柄の人間に有事があれば駆けつけるのは当然のことだ。疑問を抱く余地はない。警察に頼るなど、最初から考えなかった。
 しかし、其の思いをどう説明したものか。言い淀んでいると――
「現実的な理由がありまして」
 澄んだ声が、士郎の背より響いた。
 先ほどから押し黙っていた人形娘の声だ。例によって平静そのものである。
「おや、あんたも居たのかい」
「お久しぶりです、外谷様」
 人形娘がドレスの裾をつまんで一礼。
 まあ座りな、と。外谷が身振りで椅子を指す。全身の肉がぷるぷると震えた。
「此度の“眠り男”は少々特殊なのです。衛宮様も覚えておいでですね」
「ああ、ガレーンさんが見せてくれたあれだな。なんか、軍隊みたいな動きをしてたな」
 ガレーンの工房で見せられた映像を思い出し答えた。人形娘が頷く。
「“眠り男”があのように、他人の言うことを聞き、統制のとれた行動をするというのは考えにくいのです。少なくとも、私の知る限りでは前例がありませんわ」
「そこだよ、あたしが気になってるのは」
 ずいと、外谷が身を乗り出してきた。
「“眠り男”はね、本能的な行動しかしないし、出来ないんだ。あいつらの目的は寄生虫を生き残らせることだけだしね。けど、そこの坊やの話じゃ、言葉を発して、考えて、動いて、誰かの命令まで聞いていたそうじゃないか。それじゃあまるで――映画のゾンビか何かだよ」
「ゾンビとは言い得て妙ですわね」
 頤に指先当て、人形娘が呟く。
 その挙作が実に可憐だ。場所が場所であり、一緒にいる人間が人間であるだけに、華が一層際だって見える。
「――衛宮様、ゾンビについてはどれほどのことをご存じですか?」
「ゾンビ、かあ。映画に出てくるのと、そうだなあ……」
 記憶を探る。
 いつだかクラスメートの高田くんが熱心に語っていた覚えがある。『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』だとか『ブレインデッド』だとか、そのような映画を挙げていたはずだ。士郎も夜のロードショーで見たことがある。
 とはいえ、士郎は別段ホラー映画の愛好家ではない。世間一般の流布している以上の知識は別段持っているはずもない。
 悪霊術師の類ならば死人を操る方法の一つや二つ心得ていようが、士郎にとっては悪霊術なぞホラー映画以上に縁遠い話である。
「うーん……ブードゥー教だっけ。魔術でゾンビを作るとかいう話を聞いたことがあるような無いような」
「ブードゥーのゾンビは魔術ではありません」
 士郎の言葉に、人形娘が異議を差し挟んだ。思いの外鋭い声に、背筋が正される。
「一口にゾンビと言いましても多種多様なのです。ブードゥー教におけるゾンビは魔術によるものでも、時折言われるようにフグ毒によるものですらありません。あれは、精神に障害をきてしてしまった方々を自分の親族として扱っているという文化的な背景に基づく認識によるものです。今ではゾンビという単語が一人歩きしてしまっていますわね」
「人間の姿をした、理性の無い化物の総称ってとこかね」
 外谷が口を挟んだ。人形娘が頷く。
「仰るとおりです。米国では人間をゾンビ化させるウィルスを開発した組織があったとも聞いております。あのダンウィッチでも、地獄への門が開きゾンビが大量に発生したという記録がありますわ。最も、本来の意味での『地獄』であったかどうかは疑問ですわね」
 ですが――と。
 人形娘は居住まいを正す。
「此度は其れとは訳が違うのです。“眠り男”に悪霊の類を憑依させることにより、一定の自由意志と知性を持たせています。アメリカのテネシー州で同様のケースがあったとも聞いておりますが、正確な記録は残されておりません。単に屍体が蘇って暴れ回っているというだけならば、警察でどうにでもなりましょうが、悪霊ともなりますと――」
「いくら<新宿>の警察でも、対応に時間がかかっちまうってことか。道理じゃああるね。『凍らせ屋』でも出てくれば話は違うんだろうけどねえ――」
「はい。一刻でも惜しい状況ゆえに、衛宮様がご自分で動いているわけです」
 成程ねえ、と外谷がコーヒーを飲み干した。取りあえずは納得したのだろうか。だぶついた面相からは感情は読み取れない。
「大体の所は解ったよ。ま、あんたが口を挟むってことはガレーンの婆さんが関わってるんだろうしね。あの婆さんに睨まれるのもぞっとしないし、詮索はよしておくよ。そんなとんでもない“眠り男”の居場所なら直ぐに解るしね。だけどその情報は――」
 芋虫のような指が、モバイルのノートパソコンを叩いた。モバイルとはいえB5サイズはあるというのに、この女の手元にあるとまるで小型の電卓のようだ。
「ちいと高いよ」
 くるりと、ディスプレイが士郎に向けられる。
 画面上に並んだ数値を見て――
「う」
 言葉に詰まった。
 高い。
 かなり高い。
 プロに仕事を頼むのだ。相応の値は覚悟していたが――少々厳しい価格である。
「外谷様、その値は少々――」
「素人相手に高すぎ、ってのかい。知ったことじゃないね。こちとら慈善事業じゃないさね。これでも勉強してやってるんだよ」
 難渋を示した人形娘を余所に、ねえ、と士郎に目で同意を求めてくる。
 しかし、はいとあっさり頷ける値ではない。
 しばし黙考。悩んだ末に、キーボードに手を伸ばし。
「……これくらいになりませんか」
「むう」
 士郎の示した値に外谷は難色を示した。
 なら――
「これで」
 かたかた。
 もう一度数字を入力。
 打ち込み終わるや否や、ぬ、と太い指先が伸びてきた。
「ぬっふっふっ」
 がたがた。
 芋虫めいた指が再入力。含み笑いと共に数字を突きつけてくる。これ以上は無理だよ、と、言外の圧力が伝わってきた。
 士郎は今月の家計簿を思い出す。
 光熱費、水道代、ガス代、何より食事代。家族の多さもあり、毎月の出費は意外なほど多い。
 凛とセイバーがロンドンに行っているのが不幸中の幸いだったか。
 提示されたのは――非常に厳しい出費ではあるが――不可能な額ではない。
 それに、桜の身の安否が関わっているのだ。悩んでいる余裕はなかった。
「……お願いします」
「じゃあここにサインして頂戴な。支払いは現金か銀行振り込みで頼むよ」
 言葉に従って『衛宮士郎』とサインした。早めに振り込まないとな――と、所帯じみたことを思う。
「毎度あり」
 サインを見届け、外谷は手揉みしてにんまりと笑った。河馬が目を細めればをすればこんな顔になるかもしれない。
「二、三候補はあるけれど――まあ、九割方ここだろうね」
 キーボードが押される。ディスプレイの表示が切り替わり、一つの風景が映し出される。其処の眺めに、人形娘の眉が動いた。
「外谷様、此処は――」
「白銀町――<新宿魔海>だわさ」
 ディスプレイには、真っ黒な水に覆われた円状の沼地が映っていた。


▲▽▲▽▲▽


 <新宿>でも打ち棄てられて久しい化学工場、その一室。
 半壊した実験室に、アルバート・ウェスカーは居た。
 あの気色悪い『眠り男』どもは別室に隔離してある。悪霊などという非科学的な力に頼ったモノは、一瞬たりとも傍に置いておきたくなかった。
 リクライニングの椅子にもたれかかる。実験室を見回して、息をついた。
 此処には異分子が存在しない。実験器具、コンピューター、薬品の匂い。在るのはmかつての自分を思い出させる馴染み深い物体ばかりだ。
 ――実に、居心地が良い。
 ひび割れた培養槽、変色した液体に満ちた薬瓶、電源の入らないコンピューター。残骸しか留まっていないといえども、この空気はウェスカーには心地良い。まともに機能する設備は殆ど無いとしてもだ。
 視線を前方に向ける。
 無機質な手術台めいたベッド、一人の少女が横たえられている。
 長い髪、すらりと伸びた四肢、ふくよかな身体。
 ――間桐桜。
 冬木市、間桐邸より奪取、輸送してきた少女である。
「ん……っ……」
 少女が声を漏らした。
 意識があるわけではない。移送の際に、強力な麻酔剤を投与してある。大方夢でも見ているのであろう。
 この娘をわざわざ攫ってきたのは、ある目的のための『処置』を施すためだ。だが、そのためにはもう少し時を経る必要がある。
 ウェスカーが少女についてのカルテを手に取った時――
「経過はどうです、Mr.ウェスカー?」
「――まだ早い。処置を施すには覚醒レベルが低すぎる。もう少々時間が必要だな」
 何処よりか、一つの声。
 ぶっきらぼうに答えを返しながらも、サングラスの奥で、ウェスカーの目が忌々しげに細まった。
 声の主の姿は見えぬ。
 いつの間にか実験室の西側扉が開いている。奇妙なことに、扉の向こう側は暗闇だ。実験室からの明かりは十分届いているはずなのに。雅で高慢な声は、その暗闇から響いてきている。
「科学技術というのも面倒なものですね。僕に任せて貰えれば、その娘の脳の中身を弄くる程度、直ぐだと言うに」
「――」
 口出し無用とばかりに、ウェスカーは軽口を黙殺した。
 口にこそ出さぬが、声の主が気に喰わぬと、その表情と気配が主張している。そんな冷たい沈黙を気にもせず、暗闇から声が紡がれた。
「ところで――気付いていますか」
「侵入者の件ならば心配無用。『新宿魔海』には監視カメラをセットしてある。何処の馬の骨から知らんが、動きは筒抜けだ」
 手元の小型ディスプレイに目をやる。
 沼に接した地面に立つ、少年と少女の姿が映し出されていた。
 確か片方は間桐桜の関係者だ。名前は――衛宮士郎とか言ったか。
「ふむ、中々優秀ですね、彼らも。一昼夜もしないうちに此処を嗅ぎ付けるとは。それとも――貴方の手際が甘かったかな」
「――誰に物を言っている」
 ぴき、と。音を立てて空気が凍る。
 冷え冷えとした殺気が実験室に充満した。
 気の弱いものなら失神しそうな殺意を意にも介さず、暗闇よりの声はくつくつと嗤う。笑い声まで、慇懃無礼だ。
「そう苛立つものではないですよ。まあ、彼らを放っておいても何かと面倒だ。お望みとあらば、僕が片付けておきますが?」
「余計な世話は止して貰おう。お前は元々出るつもりなどないのだろう。此処は私の領域だ。あの屍骸どもを使う必要もない」
 ウェスカーの言う屍骸とは、間桐邸を襲った『ゾンビ』。つまり、悪霊を憑依させた『眠り男』、通称『闇の軍勢』のことである。
「ならばどうされます? お節介ついでに忠告しておきますが、片割れはガレーン・ヌーレンブルクお手製の自動人形オートマータです。少年は間桐桜の隣人、衛宮士郎ですかね。衛宮士郎くんはともかく、あの人形を相手どるのは僕でも少々面倒だ」
「――ネメシスT-型を出す。魔術師だか自動人形だか知らんが、所詮は半端物だ。T型に及ぶはずもない」
「ほう? ならば、お手並み拝見といきましょうか」
 含み笑い。
 やがて、声と気配がすうと消えた。
 我知らず舌打ちをする。全く、忌々しい輩だ。例の蟲めいた老爺といい、“闇男爵”だとか名乗るあの声の主といい――魔術師という奴腹は、どうにも好きになれぬ。
 とはいえ今は、好き嫌いを云々している場合ではない。
 取りあえずは、愚かな侵入者二人を排除せねばなるまい。その為に己が取るべき手は一つ。
「お前の――出番だ」
 椅子を回転させ、実験室の奥へと目を向ける。
 其処には、唯一無傷なままの培養槽。
 ごぽりと、声に応答するように、培養液が泡立つ。
 ピンク色に泡立つ液体の中、2メートルはあろうかという巨体が眠っていた。


▲▽▲▽▲▽


 ぬめぬめと光る広がりが士郎と人形娘の目をうつ。
 そこは沼だった。
 少なくとも、士郎の常識に照らせばそうとしか思えなかった。
「――うわ、凄いなここ」
「区でも有数の名所です。時折団体の方などもいらしているようですわ」
 フェンス越しの眺めに思わずあげた声に、人形娘が静かに返答する。
 都会の真中に、綺麗な円周型の沼、それも毒々しい極彩に彩られた一角が鎮座しているのだ。普通は驚く。加えて、沼のそこかしこで鞭めいた触手がうねうねと蠢いているとあってはなおさらであろう。
 ――この場所も含め、<新宿>には観光名所が多数存在する。
 花園神社の殺人激安市、メフィスト病院、西新宿のせんべい店、海洋生物研究所……並べ立てていけば枚挙に暇がないほどだ。最も、気楽な観光気分で足を踏み入れれば良くて大怪我、悪ければ魂ごととって喰われるのも<新宿>ならではである。
 その中において、人気も危険度もトップランクに数えられるのがここ――白銀町の<新宿魔海>であった。
「……あれは島、かな? なんか建物みたいな感じだけど」
「島でもあり、建物でもありますわね。此処は元々――」
 人形娘の説明によれば、<新宿魔海>は、元々<魔震>によって陥没した化学薬品工場だそうだ。そこかしこに浮いている小島は、工場の屋上、給水塔、貯蔵庫などの名残。<魔海>と呼ばれているのは、工場から流出した廃液があまりに多量であり、一帯を沼のようにしているからだという。
 沼の形状はほぼ真円であり、円周はおよそ500メートル。ぐるりとフェンスが張り巡らされ、そこかしこに立ち入り禁止の表示がある。<新宿>の観光名所の常として、迂闊に入り込めば死しか待っていない場所だからだ。
「ふーん……それでその工場の中に、あの“眠り男”と――桜がいるんだな」
「おそらく。外谷様は少々癖のあるお方ですが、情報は確かです」
 ガレーンが言っていたように、“眠り男”の居場所は、桜を攫った物たちの本拠であろう。となれば、そこに桜が居るだろうというのは無理のある推定ではない。沼の中心部に浮かんでいる『島』まで辿り着き、工場の中に入り込めば良いのであろう。
 普通の湖や沼なら泳いで目的地に向かえば良い。人形娘も士郎も、数百メートル程度の遊泳は物ともしない程度の体力はある。
 普通の沼、ならばだが。
「――泳ぐのは、無茶だよな」
「お勧め致しかねます」
「ああ。あれを何とかしないと」
 沼の水面に目を向けると、うねうねと緑色の藻らしき何かが蠢いていた。
 勿論、只の藻であるはずがない。水に揺られるのでなく、己の意志で獲物を探す触手のように動く藻などあるはずもない。
 棘やら疣やらに覆われた鞭みたいな触手が沼地を蠢き、高圧電流の流れたフェンスに触れてはどす黒い水へと慌てて引っ込んでいる。そんな場所に不用意に飛び込めばどうなるかは、火を見るよりも明らかだった。
「……一応聞くけど、何も対策しないで水に入ったらどうなるかな」
「骨も残りませんわ」
「ぞっとしないなあ、それ」
「ご心配なく。準備は致しております」
 ぎい。
 人形娘が、立ち入り禁止と表示された扉を開いた。士郎も後に続く。
 沼に接した地面はぬちゃりと湿気ていた。沼の毒液が浸食しているのだろう。湿った地面なのに、泥が跳ねる様子も靴が沈む様子も無いのは流石であった。
 人形娘が立ち止まる。
 ドレスの胸元に手を入れた。
 ごそりと取り出されたのは、掌サイズの木彫り品だ。小舟を象っている。
「準備って、それ?」
「はい。これを浮かべますと――」
 少女は屈み込み、掌から木彫りの舟を水面に流した。
 ぽちゃ、と。水面にミニチュアの舟が浮かぶ。
 すると――
「おおっ!?」
 あろうことか、掌ほどのサイズしかなかった舟が、みるみるうちに巨大化してゆくではないか。<新宿>ではこの程度の芸当は日常茶飯事とはいえ、士郎にとっては物珍しい光景だった。
 一分とかからず、二、三人は乗れる木製の舟が沼に浮かぶ。人形娘が櫂を手に取り、士郎を促した。
「さ、お乗り下さいませ」
「あ、ああ」
 促され、舟の縁に足をかけた時。

 ――ごぽ。

 水が泡だった。
 例の蠢く藻が近寄ってきたか、ガスでも涌き出てきたのかと気にもしなかったが――
「あれ?」
 ふと見ると、人形娘が水面を見つめていた。僅かながらに眉根が寄っているのが気にかかる。
「どうかしたの?」
「いえ、今、何か――」
 泡だった水面の辺りに、厳しい目が向けられている。
 士郎も釣られて目を凝らすが、廃液の沼は黒々と濁っており、数センチ先はもう見えない始末だ。
 五感を研ぎ澄ましていても、何かあるようにも思えない。
 蛙や魚といった水棲生物の類でも飛び跳ねたのだろうと見当を付けた。
「気のせいじゃないかな。俺には何も見えなかったけど」
「ならばよろしいのですが――」
 士郎の言葉に不承不承、という感じで頷き、備え付けの櫂を手にとると人形娘は舟を出発させた。


 ぎい。
 ぎい。
 櫂の音がやけに高く響く。
 最も巨大な島に向けて、木の舟が静かに進んでいた。魔術的な防護を施してあるのか、藻の群れは近寄ってこようとしない。
 それでも、ねっとりした黒い沼と、其処に浮かぶ意志ある藻という組み合わせは中々に不気味だ。
 まるで三途の川を渡っているようだなどと、不吉な連想がふと沸いた。
 そんな考えを振り払うように、士郎は人形娘に声かける。
「そういえば、工場には何処から入ればいいんだ?」
「島の幾つかに、工場への通路や階段が残っているはずです。ただ、腐食していたりして正確な入り口が解らないことが多いのですが――」
「島って、元々は建物なんだよな? なら多分、入り口は俺が探せるよ」
 残骸といえど、元は建造物である。当然、内部構造は金属から成っていよう。となれば、士郎にとってはお手の物だ。
 修理や投影と同じ理屈だ。
 建造物の構造に直接触れ、解析し、イメージする。
 島の一つに降り立ち、直接触れて構造解析をすれば入り口は直ぐにでも見つかるだろう。
 目的地まで半ばを過ぎた頃――
「なんだ、あれ?」
 士郎の視線が水中に引きつけられた。
 水の中に何かが揺らめいている。
 丸みを帯びた形。
 鼻と口と、そして目にも見えるパーツ。
 あれは、まるで――

 ――人の、顔?

「どうかなさいましたか?」
 人形娘が訝しげに問うてきた。
「いや、水の中に人の顔みたいなのが――」
「顔、ですか」
「でもまあ、こんなところに潜る人がいるわけないし、見間違いだと思うけど」
 士郎はもう一度目を凝らすが、沼の中ではゆらゆらと藻が揺れているだけだ。人の顔など、当然あろうはずもない。
 何かの誤認であろうと一人納得し、軽く答えた。
 だが。
「――急ぎましょう、衛宮様。もしかすると――」
 気にかかる事でもあったのか、人形娘が表情を引き締め、櫂を送る手を早めた。
 ぎい、ぎい。
 細腕の少女に操られているとは思えない程の速度で、舟が進む。
 舳先が島の一つに後1メートルの辺りまで辿り着いた時――

 ぞくり。

 悪寒。
 戦慄。
 士郎の背筋に寒気が走った。
 脳がガンガンと警報を鳴らす。
 何かが――居る。
「――衛宮様!」
「――っ!?」
 時同じくして、鋭い警告の声。声にかぶさり、樫の木を突き破り、引き裂く音が響いた。
 反射的に船底を蹴り、島、即ち廃工場の屋上部へと跳ぶ。
「おっ……と……!」
 僅かにバランスを崩しながらも足場を確保。
 慌てて振り向くと、舟の底から生えたかのような鋭い爪が、また沈み込んでゆくところだった
 いや、生えたわけではない。士郎が今立っていたのは、人形娘が出した樫の舟の中心だ。
 となれば――爪は沼の水に潜んでいた何かが突き出してきたものか。
 人形娘の警告がなく動きが一瞬遅れていたら、その爪は士郎の下半身を貫いていただろう。それほどに鋭い一撃だった。
「衛宮様、お気をつけて! まだ気配が消えていません……!」
「解ってる、そっちも気をつけろ!」
 感覚を研ぎすます。
 空間の四方に意識を飛ばし、
 気配の察知だ。セイバーやアーチャーのようにはいかねど、その真似事が出来る程度には士郎も経験を積んでいる。
 上方――異常なし。
 水平方向――異常なし。
 残る一方に――巨大な敵意と、明らかな殺気。
「……下か!」
 どしゃあ、と。
 士郎の叫びに呼応したかのように、水柱が吹き上がった。
 真っ黒に濁った廃液が雨の如く降り注ぐ。
 高密度な質量の塊が水を突き破った。
 刺激性の廃液を意にも介さず、跳んだ。
 屋上を覆う鉄の床をぐしゃりとへこませながら――それは衛宮士郎の前に立つ。
「……なんだ、これ」
 思わず呟き、一歩後ずさる。
 異形の存在だった。
 悪夢の中にのみ住まう生物だった。
 実に奇っ怪な姿である。
 継ぎ接ぎだらけの襤褸コートが覆っているのは、黄褐色に変色して無数の継ぎ接ぎ痕が刻まれた巨体だ。頸筋から伸びているのはパイプだろうか。大きく開かれた口からは、真っ赤な歯茎が覗いている始末。
 何より忌まわしいのは、その瞳だ。左目は手術痕に閉ざされて顔面を引きつらせ、大きく開かれた右目には、明らかな敵意が宿っている。
 化物である。
 怪物である。
 それも紛れもなく――人の手に依るものだ。
 Tウィルスによる遺伝子改造と身体強化を施された有機生命体兵器――B.O.W。その中でも屈指の完成度を誇り、成人男性をベースとした個体、タイラント。
 そして、タイラントに、ネメシスと呼ばれる蟲を寄生させ知性を増強した個体が少数なが存在する。
 アンブレラにおいても最貴重品の一つが、此処に居た。
 ――ネメシスT型、通称“追跡者”。
 フランケンシュタインの怪物の咆吼が、魔海へと響き渡った。



⇒ to be continued in Chapter - 04 "Mephist"

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連作クロスオーバー「アウレオールスの夜に」第二話

 間桐慎二は慌てていた。
 見るも無惨なほどに慌てきっていた。
「何ぼーっとしてんのさ! 桜も僕も大変なんだ、衛宮が手を貸すのは当然だろ!」
 士郎の肩を掴んでがくがくと揺さぶりながら大声でがなりたてる。
 目が血走っている。ガレーンや人形娘の視線を気にしている節もない。大方、その容姿が目に入っていないのだろう。
 明らかに、理を失っていた。いつもの皮肉で冷笑的シニカルで軽薄な様子が無い。普段は隠している必死さだけが、やけに目にとまる。
「……いや、少し落ち着け、慎二」
 桜を助けてくれ、との言葉の真意は気になるが、この有様では話も出来ない。
 取りあえずは一度落ち着かせようと言葉をかけた。
 だが。
「落ち着いてられるわけないだろ! 何で、何であんな奴らが僕の家に来るんだ。聖杯戦争は終わったし、お爺さまだって今はいないんだ。なのにあんなことが起るなんて、何がどうなってるんだよ!」
 完全なパニック状態である。
 率直に言って、士郎には何が何だか解らない。
 状況の説明の欠片も無いのだ。桜と慎二に何か変事が起ったのは確かなようだが、理解出来るのはそれくらいである。
 深呼吸。
 じっと慎二の目を見て、ゆっくり口を開く。
「最初から話してくれ、慎二。桜に何があったんだ」
 じりじりとした気配。
 焦燥が伝わってくる。
「ああもう、なんで衛宮はそう鈍いのさ! 桜が攫われたんだよ!?」
 今にも地団駄を踏みそうな勢いで慎二ががなりたてた。その言葉の内容に、士郎の眉がぴくりと動く。
「……待て、桜が攫われたって、どういうことだ」
「はっ、どうもこうもないさ! 何がどうなってるんだが、僕の方が知りたいね!」
 激昂している。
 会話が成立していない。
 慎二から建設的な答えをどう引き出すべきかと、士郎が思案した時
「全く、少し黙っておいでな。これじゃ話にもなりはしないよ」
 皺がれた響きが、追い被さってきた。
 声の主を見る暇もあろうことか、ガレーンの杖が緩やかにもたげられ、慎二の額を小突く。
 こつん。
 軽い音。
 指先で突いたほうがまだ重いのではないかというような、力の抜けた一撃。これでは蚊の一匹も殺せまい。
 だが、そこはガレーン・ヌーレンブルクである。
 瘧めいた震えが止まる。
 瞼が大きく見開かれて。
 眼球がぐるりと裏返り。
 ――間桐慎二は、白目をむいて石の床にと倒れこんだ。
「し、慎二? ガレーンさん、これって……」
「安心おし。少し眠らせただけさね。あのまま喋らせていたって何も意味あることは聞けやしないさ」
 ――それもそうだ。
 士郎は友人の特質を考える。
 率直に言って、慎二は冷静沈着という性質の人間ではない。表面的な自信は一丁前であり、頭が切れて弁も立つ。
 だが――本質的に、窮地には弱く逆境に挫けやすく、一度パニックに陥ると容易には元に戻らない面があるのだ。有り体にいえば、へたれである。
 先までの有様では、士郎が幾ら言葉を尽くしても、慎二の狂乱を余計に加速させるだけであったろう。そういう意味で、ガレーンの処置は適切といえた。
 だが、眠らせておいてどうするというのか。これでは話を聞くことすら出来ない。
 疑問を察したか、ガレーンが魔女の笑みを浮かべ士郎を見上げる。
「娘や」
「心得ております、お婆さま」
 くだくだしい説明は不要なのか。老婆の一言に人形娘は恭しく一礼し、工房の奥へと足を向ける。
 ごそごそとした音がしばし響き、やがて少女は、魔鏡や魔術書や魔道具が山と積まれた中から、少女は蒼い鉢を引っ張り出してきた。
 材質は判然としない。
 青磁に近いような感じもするが、質感や光沢が微妙に異なっている。大方、魔術的な処置が施されているのであろう。
 鉢の中には並々と水が張られている。今入れたというわけでもなかろうに、随分と綺麗に澄んだ水だ。渓流や源泉の天然水を思わせるものがある。
「水占い、ですか?」
「ご名答。古くさいと馬鹿にしたもんでもないよ。古今東西、水鏡は魔術師には必携の道具さ。お前さんも一度や二度は経験あるだろう?」
「いや、俺、そういう魔術はさっぱりでして」
「……もしかして、修復や治療の術も駄目かい」
「得意分野以外は修行中なんです……遠坂に教わっているんですが、なかなか」
 今時そこまで不器用なのも珍しいよ、と。ガレーンはぶつぶつ言いながら背と腰を曲げて椅子に座り込んだ。鉢を覗き込み、指先を水面についと走らせる。
「一応聞いとくがね。何がおきたか、知りたいかい? あたしの見るところ、間桐の息子が持ち込んできたのは結構な厄介ごとだ。下手に首を突っ込むと命がけになりかねないよ」
 顎をしゃくって慎二を指す。
 間桐の息子、と呼ぶということは――
「ガレーンさん、慎二を知ってるんですか」
「会ったのははじめてだがね。マキリと名乗っていた頃の術師どもとは色々あったのさ。ま、そいつは今はどうでもいいこと。で――」
 どうするんだい、と。ガレーンが問う。
 答えは考えるまでもない。
 紆余曲折があった間柄とはいえ、友人が自分を頼って<新宿>くんだりまで来たのである。
 後輩であり半ば同居人である間桐桜が攫われた――とも、言っていた。衛宮士郎がそんな状況に対して何もしないはずがない。
「お願いします。何が起きたのか、慎二と桜に何があったのか、俺は知りたい。桜が危ないめにあってるなら、助けなきゃいけない」
 即答。
 ガレーンが溜息をついて士郎を見やる。その表情にどことなく諦念があった。
「解ったよ。さて、何があったか、ちょいと『覗かせて』貰おうかね。悪くお思いでないよ、間桐の息子」
 もう一度、ガレーンの杖が慎二の額を突く。
 ぴちょん、と。
 鉢に並々と張られた純水に、杖の先端を浸した。
 老婆の目は薄く閉じられ、口からは呪言が紡ぎ出される。
 ゆらゆら。
 ゆらゆら。
 水面が揺れる。
 影が像を結ぶ。
 人と風景とが、茫漠と浮かび。
 やがて、水鏡に映ったのは――


▲▽▲▽▲▽




伝奇クロスオーバー二次創作
『アウレオールスの夜に』



chapter-02
ロッティング・コープス ~ Rotting Corpse





▲▽▲▽▲▽


 皿とフォークの触れ合う、金属質な音が広間に響いていた。
 間桐邸の食堂は広い。
 日本には珍しい、洋館や城を思わせる造り。白と赤の壁紙に取り囲まれた室内には、長テーブルに木製の豪奢な椅子。テーブルの上には精緻な細工の施された蝋燭立てまで完備している徹底ぶりだ。
 形式ばった会食か良家の食事になら相応しかろうが、いかんせん、此処は間桐家。最大で三人、普段なら一人か二人しか人間がいないこの家には、正直言って広すぎる位だ。おまけに昼間でも薄暗く、夜になっても照明は弱々しくしか灯らない。
 こんな所で毎日過ごしていればおかしくなって当然だと――間桐慎二は今にしてそう思う。
 皿に落としていた視線をあげれば、其処には藍色の長髪をした少女の姿。俯向きがちに食事を進めている。
 少女はちらと目を上げるも、また直ぐに皿にと視線を戻した。まるで、慎二と真っ正面から目を合わせるのを避けているかのようだ。
 気まずい。
 実に――気まずい。
 食がどうにも進まない。
 食欲がないわけでなく、何となく気が重いだけだ。食事時の重苦しい雰囲気。少女――妹である間桐桜の影のある挙動。前はそれらに苛つかされたものだが、今は別の意味で慎二の心の負担になっている。
「……ご馳走様でした」
 桜が手を合わせて呟いた。
 見れば皿の中には肉野菜が残っている。食欲がないのだろうか。
 がたりと椅子をひいて部屋に戻ろうとする。その素振りに、慎二は我知らず声を出していた。
「なに、桜。僕がまだ食べ終わってないのに席立つの? それって随分ご挨拶だね」
「あっ……ご、ご免なさい、兄さん。私、そういうつもりじゃ……」
 尻すぼみな桜の声に、慎二はふんと鼻を鳴らす。
「……まあ、いいけどさ。食欲無いみたいだし、部屋戻ってろよ。食器くらいは洗っといてやるさ」
 きょとん、と。桜が目を丸くした。
 確かに――慎二の言葉とは思えまい。慎二自身もそう感じるのだから仕方ない。
「なんだよ、その眼。何か文句あるのか?」
「そ、そんなことないですけど……でもいいんですか、兄さん」
「ふん、お前は愚図なんだから僕の言うことを聞いてればいいんだよ」
「……それじゃあ、お願いします」
 言葉は丁寧なものの、笑顔はない。ぺこりと頭を下げると、桜は食堂の戸口へと向かった。
 扉が閉まる。
 軽い足音が、自室へと向かってゆくのが聞こえた。
 しばし沈黙。
 耳を澄まし、食堂へと戻ってこないことを確かめ――

 ――はあ。

 慎二は大きく溜息をついた。
「――なんでこうなんだろうな、僕は」
 気がつけばまた憎まれ口を叩いていた。この癖ばかりは中々治らない。
 反省はしているのだ。
 半年前のこと。
 冬木市を襲った動乱――『聖杯戦争』により、間桐慎二は心身を負傷し、長きに渡って入院する羽目になった。
 身動き一つロクにとれない中で、慎二は否応なく自分と向き合わざるを得なかった。
 はじめは荒れた。
 周囲の人間――具体的には桜や士郎相手に随分と当たり散らしたものだ。
 だが、粘着的な気質といえども、そのうち、そんなエネルギーも尽きるものだ。ベッドに潜り込んで鬱屈しているにも限界があるのが世の常である。慎二も例外ではない。
 ベッドに身を沈め、目を瞑って寝返り打つと様々な想念がよぎった。決まって最後に思い至るのは衛宮士郎や遠坂凛といった者たちのことだ。
 勝手に敵対視していた士郎は、聖杯戦争が終わってから、慎二と出会った頃と変らぬ様に接してくれていた。聞いた話では、慎二に悪感情を抱いているであろう遠坂凛までもが、柳洞寺に現出した肉塊に飲み込まれていた所を助けてくれたというのだ。
 ――己は何をしていたのか。
 思考は必然的に、その問いへと流れる。
 慎二は愚かであったかもしれないが、馬鹿ではない。答えは直ぐに出た。憎悪と嫉妬を肥大化させ、自我を制御することも出来ずに悪意に振り回され翻弄されていただけだった。
 勿論慎二には受け入れがたい結論である。過剰とすら言える自意識の所有者である彼にとって、己が誤っていたことを素直に認めるなど出来たはずもない。
 だが、時間は幾らでもあった。
 思考は最後に自己の成した行為へと終着する。
 ――結局自分のしていたことは、虚しいばかりだ。
 ――自分の悪意は、自分が生み出していたのかも知れぬ。
 今にして考えれば、聖杯戦争での種々の体験と、長期の入院による心身の疲労とが心を弱めていたのだろう。でなければ、そんな殊勝な考えが浮かんでも慌てて否定したはずだ。
 だが、そう思い至ったとき、心中で何かがすとんと落ちてゆく気がした。
 身も心も軽くなり、思考が澄明になった感覚。その夜は、ぐっすりと眠ることが出来たのを覚えている。
 その日以来、士郎は慎二の顔付きが少し変ったという。憑きものが落ちたとでも言うのだろうか。
 ――今では、慎二の自分勝手な挙動は、少しなりを潜めている。
 感情の起伏もそれなりに落ち着いてきた。
 色々としこりはあったが――少なくとも慎二に関する限り、前のように凛を妬み、士郎を侮蔑し、そして桜を軽蔑し憎み羨んでいるということは最早無い。
 だが、慎二の心境に僅かなりとも変化があったといえど、傷つけられた側が全てを忘れることなどあり得ない。
 慎二が、妹である間桐桜を傍若無人に扱っていたのはそう昔のことではないのだ。面罵し、軽視し、暴力を振るい――とてつもなく破廉恥なことまでしでかした。本来なら、桜に復讐されてもおかしくない。
 そのような素振りこそ見せぬが、胸襟を開くことも当然無い。
 ここしばらくは、桜が影を引きずって部屋に戻り、慎二が悶悶と悩むことの繰り返しだ。
 その夜もそうなるかと思えた。
 いや、そうなるはずだった。
 だが――トラブルというのは突然やってくるものだ。
 間桐慎二と、間桐桜に降り懸った厄介ごとも、当然例外ではない。
 慎二が頭を抱えているまさにその時、間桐邸の周囲に、良からぬモノたちが集いつつあった。


▲▽▲▽▲▽


 同刻、間桐邸近辺。
 深山町、それも遠坂邸や間桐邸がある丘の辺りは、夜になると人通りが少ない。間桐邸の近くは私有地となっているため、なおさらだ。人の気配は少ないというより、皆無である。
 だがその夜は、其処に何者かの姿があった。
 雲間に夏の月が隠れた時。
 ずるり。
 暗闇の中から男が姿を現す。
 男は首を鳴らし、腕を組んで周りを見渡す。
 異様な風体であった。
 平穏な街には何とも不釣り合いな様相であった。
 オールバックにして撫で付けた金髪。特殊部隊の軍服めく機動性に長けた装束。瞳はサングラスに隠れているが、さぞ鋭い眼光をしているのだろうと、誰にも思わせるものがある。
 冬木に、少なくとも平和な折の冬木に相応しい類の輩ではない。
「嫌な屋敷だ」
 男は屋敷を見上げ、鼻を鳴らして呟く。
「もっとも――連中にはいささか劣るか」
 ふん。
 侮蔑と色濃い嫌悪。
 じろりと眉を上げると、己の潜んでいた闇に目を向ける。
 暗闇の中に、何かの気配がある。
 否。
 気配ではない。
 確かに何かが其処に居る。
 男のサングラス越しに朦朧と浮かび上がるのは、二足歩行型と思わせる生物の輪郭フォルムだ。耳をすませば荒い息遣いも聞こえてくる。
 人か。
 いや違う。
 人ならば、このような欲望と本能のみに満ちた息は漏らすまい。
 では獣か。
 それも違う。
 獣ならば、二足歩行という形状を有するはずがない。
 一際強い夜風が吹いた。
 月を隠していた叢雲が払われ、冷たい光が闇の中に潜んでいたそれらを照らし出す。
 垣間見ただけならば、市井にある人々と何ら変わりがないように思えよう。
 実際、姿だけは正しく人間のものだ。
 だが。
 そのどれもこれもが、崩壊している。形状において、精神において崩れ壊れている。
 ある者には眼球が欠落している。
 別の者は四肢を損ない姿が傾斜している。
 またある者は理性の一片たりとも有せぬ眼をしている。
 朽ちて壊れて堕ちた有象無象の群れ。
 ぶるりと身を震わせた。
 恐怖からではない。恐怖など、男には最も無縁の感情だ。彼の身を走った震えは、生理的・心理的な嫌悪、半ば以上本能的なものによる。
 其処に居るのは人ではない。
 無論、獣でもない。
 そもそも生者イキモノですらない。
 いや、生者でないのは別に構わないのだ。男とて、現代科学の粋を尽くし、生者と死者の境界を弄ったことは幾度もある。
 だがそれは究極の生物をこの手で作り出すという欲望のため。ゾンビ、ハンターといった、世間一般は怪物としか表現のしようもない生命体も、それ相応の意義と意味があったのだ。
 しかし今、ここに居る怪物どもは意義も意味もない。さらに言えば、科学の産物ですらない。
 男の協力者――仲間などでは断じてない――は、この連中を“闇の軍勢Army of Darkness”とやらと称していた。
 全く大仰なネーミングである。
 男に言わせればそのような名前など与える価値もない。
 崩れた肢体。
 全身の腐臭。
 澱んだ眼球。
 そして――此の世ならぬ知性の宿った瞳。
 実に、醜悪だ。
 人間の脱殻に、悪霊とやらを宿らせただけの朽ち果てた屍骸ロッティングコープス。死者の外観に人外の知性を持った存在なぞ、醜悪以外に何と表現し得よう。
 ――これならば、Tウィルス型のゾンビのほうが余程マシだ。
 男――アルバート・ウェスカーは心中で悪態をつくと、もう一度鼻を鳴らした。


 ウェスカーは元来、研究者である。
 製薬会社アンブレラに属し、生物科学――特に、ウィルスを利用した生体兵器の開発を専門とし、大きな業績を上げていた。
 ゾンビ、ハンター、キメラ、ネメシス。アンブレラが誇る多種多様な生体兵器の基本は、殆ど彼が創り上げたと言って良い。
 研究を順調に進めていれば、今頃はその成果を認められ、重役の座についていたろう。アンブレラの本社から、指一本で社会に影響を及ぼしていたであろう。
 だが、彼はそれを望まなかった。
 ウェスカーが世の研究者と少々違ったのは二点。
 研究成果を、実験室の外でも眼にしたかったという点。
 そしてもう一点は、それを可能にするだけの心技体に恵まれていたことであった。
 理論と実験に長けた研究者であると同時に、実働者であり、実践家であり、武闘派であったのだ。
 いや、今でもそうである。
 言葉よりも力を、理論より実践をという嗜好を知るには、その外見を一瞥すれば十分だ。
 その経歴からして特殊と言える。
 元は、ラクーン市警特殊部隊Special Tactics And Rescue Service――通称S.T.A.R.S.隊長であり、同時に巨大製薬会社アンブレラに属していた男。
 現在は、全てが謎に包まれた組織、H.C.F.の幹部である男。
 それが、アルバート・ウェスカーという男だった。


 背後の屍骸どもへの感情を締め出す。今は己の任務を遂行せねばならない。
 髪を撫で付け、作戦内容を確認する。
 本作戦の主目的は、二つ。
 第一目的――間桐桜の確保。
 第二目的――目撃者の排除。
 作戦遂行は、日本国某県冬木市深山町間桐邸。
 私有地を周囲に有する広大な屋敷とはいえ、日本の、それもそれなりの規模のある街の一角である。本来ならば、隠密性を主とした部隊の投入の必要があろう。
 だが今回に限っては、少々の手荒な真似は大丈夫だ。
 音が漏れる心配も、付近の住人が駆けつけてくる心配もないと、あの老人が保証していた。

 ――準備は整うておる。
 ――なれば、余計なことを考えるでないぞ。
 ――お主らは、あの娘を連れてくればそれで良い。

 今でも耳元に、嗄れた声がこびりついているようだ。
 締め出したはずの嫌悪と胸のむかつきが再燃する。
 ウェスカーに屍人共を預けた、蟲めいた老爺を想起する。
 鬱血したかのように変色した外見といい、好々爺を装いながらも心底まで腐った人間性なかみといい、何から何まで気に喰わぬ醜悪な老爺であった。
 同時に、一流の魔術師であり力ある者なのは間違いない。
 ウェスカーは魔術や魔術師といった輩が心底嫌いだ。本質的に科学の徒であるこの男は、旧態依然として古くさい学問になど価値を見出していない。だが、相手の力量を推し量り、必要ならば好悪を押し殺して対応するだけの度量もまた持っている。
 己が背後に控える屍人が、命令に忠実に従うことも確認済みだ。少なくとも、今は。
 思考を切り替える。
 戦力は万端。
 布陣は完璧。
 死なない兵隊と優秀な指揮官。
 このお膳立てで目指すのは、一人の少女の確保。
 ――赤子の手を捻るより楽な仕事だ。
「よろしい」
 時計の時間を合わせる。S.T.A.R.S.時代からの癖だ。
「――作戦、開始だ」
 ウェスカーに答えるかのように、屍骸どもが鬨の声をあげる。
 唸りとも返事ともつかぬその音色に、ウェスカーはもう一度顔をしかめた。


▲▽▲▽▲▽


 硝子の砕ける音と、絹を裂く悲鳴。
「な、何だ!?」
 反射的に食卓の椅子から立ち上がり、きょろきょろと辺りを見渡した。
 耳障りな音が、複数響いている。
 硝子の破音。
 複数の足音。
 そして、獣とも人ともつかぬ唸り。
 耳を澄ませば、それらの発信源は桜の部屋の方角である。
「……お、おい、桜、何やってるんだよ! うるさいぞ!」
 怒鳴り声は虚しく食堂に響き渡るだけ。妹の、少しおどおどとした反応も、か細い抗議の声も無い。
 ――妙だ。
 夏だというのに、身を切るような冷たい空気が漂ってきている。
 勿論、物理的に冷たいのではない。寒気をもたらすという意味で冷たいのだ。慎二の肌はもう既に、鳥肌だらけになっている。
 空気の色も変ってきていた。
 魔術回路を持たぬとはいえ、間桐慎二は魔術の名門に連なるものだ。異変を常人より敏感に察する程度の感覚は残っている。
 ――何かが起っている。
 具体的な状況は解らぬ。
 だがこの空気、この気配はただ事ではない。
 窖で騒いでいた蟲達の姿にも似た、澱のように澱んだ空気。
 人と人ならぬ濃密な気配の群れが、殺気立ちこの屋敷を取り囲んでいる。この家と、おそらく妹とを狙ってずるずると入り込んできている。
「くそっ! ああもう、何で僕が桜のことなんか心配しなきゃならないんだよ!」
 駆け出す。
 ダッシュすれば食堂から桜の部屋までは直ぐだ。大邸宅とはいえ、所詮は屋敷の中。数秒と待たずに部屋に辿り着いた。
「桜、僕だ! 入るぞ!」
 ドアノブに手をかけて回すと、ガチャリと鳴った。
 鍵がかかっている。
 当然だ。
 桜が部屋の施鍵を怠らなくなったのはいつからだったか。臍をかむ。
 ――食堂から鍵を持ってくるべきだった。
 間桐邸の各部屋の合鍵は、万が一のために食堂に置いてある。うっかりしていた。桜の部屋に駆けつける前に持ってくるべきだった。
 もう一度駆け出す。
 合鍵を慌ただしく取り出し、急いで戻った。
 扉に鍵をはめ込む手間すらもどかしい。
 かちゃかちゃ。
 かちゃかちゃ。
 かちゃり。
 開いた。
 鍵を放り出す。
 扉を乱暴に開き――

「――な」

 慎二が目にしたのは、全くもって非現実的な光景だった。
 数体の生き物が居た。
 人間の似姿をとった者達だ。
 だがそれは、人間ではない。
 桜のベッドの傍にいたそれが、ぎょろりと目を向ける。
 姿を眼にした瞬間、慎二は食べたばかりの夕食が胃の腑からせりあがってくるのを感じた。酸っぱい胃液と、消化されかかって液体と固体の混合物になった肉が、喉元にまで這い上がってくる。
 それは、ひどい腐臭の所為だ。
 生肉を炎天下に数日さらし、さらに瓶に詰め込んで暗所に封じ込め、どろどろになったところを煮詰めて濃縮したかのような、頭痛のする匂い。あるいは、夏休み明け、教室のずっと放置しておいた飼育箱から漂ってくる饐えた香り。
 こんな匂いを直接嗅がされたら、朝昼晩の食事を戻したうえに、数日は肉類を口にもが出来ないだろう。
 だがその臭みも、目の前のモノが与えてくる生理的嫌悪感にはとても及ぶまい。
 過剰なまでに凹凸が強調された容貌かおに、捻曲った四肢。眼球をぐるりと反転させたかのようにむき出された白目から流れるのは、血とリンパ液の混ざった腐臭漂う汚液。肌は土気色に染まり、角質化して頗割れている。
 B級ホラー映画に出てくる「ゾンビ」そのものだ。
 そんな生きる屍体リビングデッドが――桜の肢体を抱え込んでいた。


▲▽▲▽▲▽


「な、何なんだよこれ! 何だよお前ら! 人の家に勝手に上がり込んで何やってるんだよ!!」
 アルバート・ウェスカーの眼前で、少年がわめいていた。
 何なのだこの餓鬼は。
 突然扉が開いて駆け込んできた。
 目標である間桐桜を、屍人の一体が確保しているのを見る否や、血相を変えて騒ぎ出したのだ。
 騒々しいことこのうえない。
「おい、答えろよ! 何やってるって聞いてるんだぞ!」
 ――喧しい。
 こめかみを抑え、間桐の家に関する情報を思い起こす。
 本作戦の目的である間桐桜には確か、兄が居たはずだ。直接の血は繋がっていないようで、折り合いも良くないということで気にも留めずにいたが。
 そういえば、あの蟲爺が何か言っていた。
「孫息子が居るかもしれんがの、煮るなり焼くなり好きにするがよかろう。あれでも血族と思い目をかけてきたが、いやいや、全くもって使い物にもならぬ。今となっては欠片ほども必要がないわ」
 となれば、この見るからに情けない少年が孫息子とやらだ。
 確か名前は――間桐慎二とか言ったか。
 ウェスカーは冷徹な瞳で、その少年を凝乎と観察する。
 実に、実に――情けない姿だ。
 腰はひけているし、大風邪でもひいたかのかという位震えている有様。軽薄そうな表情かおは冷や汗と脂汗にまみれていて、ウェスカーの方がいっそ天を仰ぎたくなる。
 このような奴腹にかかずらっている程暇ではない。
「おい、そこのお前、桜を離――」
「邪魔だ」
 上ずった調子の声を遮り、爪先が跳ね上がった。ブーツの先端が、無防備な腹部に食い込む。
「――っ!」
 吐瀉物を散らして慎二が倒れ込む。
 ぐしゃとした良い手応えだった。いや、足応えか。手加減はしておいたが、直ぐには起きあがれまい。
 こういう場合、部外者は始末するのが常道だ。
 愛銃、.357MAGNUMコルトパイソンを引き抜く。
 のたうちまわる慎二を冷たく見据え、銃口を頭部にポイント。
 狙いを定め、引き金を引こうとして――
「――馬鹿馬鹿しい」
 吐き捨てて、銃をおさめた。
 がたがたと震え怯えたように見上げる視線に、自分の行動が急に阿呆らしくなったのだ。
 この程度で片が付くなら、わざわざ屍人どもを連れてくることはなかった。H.C.F.のそれなりに優秀な部下を一人送り込んでも十分お釣りが来ただろう。
 つくづく――やり甲斐のない仕事だ。
 間桐慎二とかいうこの少年、どこからどう見ても小物だ。生かそうが殺そうが、大勢には全く影響しまい。ならば、自分が現時点以上の労力をわざわざ割くこともない。
 万が一にもウェスカー達の害になることがあれば、手勢を繰り出して片付けてしまえばすむことだ。“追跡者”のストックにも然程事欠いているわけではないのだから。
「作戦完了。これより撤退する」
「ま……待てって……」
 か細い声。
 視界の隅で間桐慎二が顔を上げていた。弱々しい瞳は、ぶるぶるとした怯えを満面にみなぎらせながらも、ウェスカーをしっかりと見据えている。
 ――声を出す程度の気力はあるか。
「お前ら……何なんだよ……!」
「答える必要はない」
 感情を動かしたのは一瞬。
 返答はそれだけ。本来なら答える必要などありはしない。
 それきり、ウェスカーは慎二を一瞥しようともせず。
 腹部の痛みと無力感と屈辱感にのたうち回る慎二を余所に、ウェスカーと屍人どもは、窓から闇へと消えた。
 そして――暗転。


▲▽▲▽▲▽


 ほう。
 水面に投影されていた光景が消えるや否や、誰とは無しに息をついた。
 それはそうであろう。
 仮にも魔術の名門である間桐の家に大事があったのである。並大抵の事件が起ったのではないと覚悟していたが、まさかにホラー映画さながらの展開を見せられるとは誰も思うまい。
 ――まるで、出来の悪い冗句だ。
 軍人らしき男にゾンビとしか形容出来ない怪物。
 まだ何処か唖然としている士郎を余所に、老婆と娘は眉根を寄せていた。
「あの容姿すがたかたち……眠り男ツェザーレ……ですわね」
「それにしちゃ、外も中も随分と歪んでるがね。娘や、どう思うね?」
「確証は持ちかねますが、おそらくは死者の書――いえ、死霊秘法ネクロノミコンによって召喚された悪霊が憑依、変容した類ではないかと」
 優等生の答えを聞いた教師の如く、老婆は満足げに頷く。
「それで間違いないさな。あんなものを今になって引っ張り出すとは、何処のどいつだか知らないが全く面倒なことをしておくれだよ」
「眠り男……?」
 聞き慣れない言葉に、士郎が眉根を寄せた。
「ああ、<新宿>には『操り虫』ってのがいてね。こいつに耳や鼻から入り込まれると、思考を乗っ取られちまうのさ。『眠り男』は、寄生されて虫の生存のためにだけ生かされてる人間のことさ。ただ――」
 ガレーンが言うには、あの眠り男は本来のものとは違うらしい。眠り男は本来、思考も感情も殆ど失っている。だから、『操り虫』感染の拡大を防ぐため、眠り男の大半を市ヶ谷近くの収容所に隔離するということも可能なのだ。
 だが、間桐の家を襲った眠り男は、ゾンビめいていたとはいえ、一定の思考と行動様式を保っていた。指揮官らしき男に従っていたのがその証拠である。
「娘が今しがた言ったけどね、ありゃ眠り男に悪霊を取憑かせたタイプさ。あの手の悪霊が人間に取憑いた記録は米国にあったはずだけどね――眠り男に憑かせるとは、中々大した発想だよ」
 コツ、と。ガレーンが杖で床を突いて言葉を継いだ。
「ま、それは追々調べておくさね。さて、遠坂の弟子の坊や」
「衛宮士郎です」
 憮然として答える。
 せめて名前で呼んで欲しい。
「男が細かいことを気にするんじゃないよ。それでここからは――どうするつもりだい?」
「それは――」
 問われるまでもない。
 桜の救出をするに決まっている。あんな光景を見せられて放っておくなど、もってのほかであろう。
 だが同時に、今の士郎のとれる選択肢は少ない。
 となれば、桜を連れ去ったであろう輩の後を追うのが最善であろう。
 しかし――如何やってあの連中を探せばいいものか。
 士郎がそう素直に口にすると。
「操り虫と眠り男は<新宿>の特産だよ。あれだけの数を<区外>で保持出来るもんかね。すぐに大騒ぎさ。あれを使ってた連中の拠点が、<新宿>にあるのは一目瞭然さ」
 事も無げにガレーンが答えた。
「そうですか――」
 ならば行動方針は決まったも当然だ。
 <新宿>にあるであろう拠点を探し、桜を助け出せばよい。
 ただ、気がかりなのは、慎二のことである。
 ガレーンが眠らせてからそれなりの時間が経つが、目覚める気配がない。
「慎二をどうしたもんだろうな」
 士郎の呟きに答えるように、慎二が苦しげにうめいた。
 随分と疲弊しているようだ。
 あのような出来事があった後に、<新宿>までわざわざ士郎を頼ってきたのだ。心身共に疲れ切っても無理もなかろう。
「間桐の息子は少しばかり休ませなきゃならないだろうね。私が面倒見てもいいんだが、これから野暮用がある。全く、忙しない世の中だよ」
「それじゃあ、何処か病院にでも――」
「ご安心下さい。既にメフィスト病院に連絡を入れてあります。数分もすれば救急車が到着するかと」
 人形娘が口を挟んだ。
 士郎もメフィスト病院の噂は聞いている。<区外>で見放された重病人、半死半生の患者ですら必ず死の淵より呼び戻す程の病院だそうだ。人ならぬ美しさを誇る院長は、<新宿>における触れてはならぬ魔人の一角であるという。
 ――よろしい。
 思考をまとめる。
 準備は整った。
 最早躊躇している段ではない。
 己の友人が傷つけられ、大切な後輩が拐かされたのだ。
 正義の味方である衛宮士郎の取る行動なぞ、ただ一つしかない。
 ――助けねばならない。
 桜がその輩の居る場所に在る可能性は高かろう。
「お世話になりました、ガレーンさん」
「……行くのかい?」
「はい。慎二を――お願いします」
 迷う必要は無い。
 立ち上がり、毅然とガレーンの工房を辞そうとして――
「お待ちな」
「はい?」
 出鼻をくじかれた。
「<新宿>の何処に行けばいいか、解ってるのかい?」
「――あ」
 言われてみればその通りである。
 士郎は<新宿>の土地勘がない。何処に行けば桜を攫った連中の拠点があるかなど、見当もつかない。
 やれやれ、と。ガレーンは苦笑して息をつく。
「餅は餅屋ってのはこの国の諺だったかね。幸か不幸か、知り合いに人捜し屋が――」
「あの方なら本業がお忙しいようですわ。副業はしばらくお休みだと仰っていました」
「何だって?」
 人形娘の答えに憮然とするガレーン。
 全くあの太平楽が、と。ひとしきりぶつぶつ言った後。
「なら情報屋に聞くのが一番だ。この時間ならが『ヒポポタマス』にいるだろうね。娘や、案内しておあげ。もののついでだ、手伝えることがあれば手を貸しておやりな」
「承知いたしました」
 人形娘が一礼。
「え、でもそれは」
「何か問題でもあるのかい」
 大ありだ。
 それは――困る。
 ただでさえ迷惑をかけているのだ。
 元々ガレーンの所には凛の遣いで来ただけのこと。用が片付いたら慎二ごと放り出されても文句は言えぬ。
 それに、内実はともかく、人形娘は外見的に十歳にも満たぬ少女である。明らかに危険が待っていると思われる行き先に、そのような子を連れて行くのには抵抗があった。
「そんな心配は無用だよ。娘はね、このガレーン・ヌーレンブルクの肝煎りさ。そうさね――そんじょそこらの代行者程度では相手にもならない程には鍛えてあるさ」
 絶妙のタイミング。
 思念が顔に出ていたか。最も、この老婆なら思考の一つ二つ読み取っても不思議ではない。
「取りあえずは言うことをお聞き。それに――」
 ガレーンが不敵に口元を曲げた。
「善意で手を貸す訳じゃないのさ。この仕事は結構制約が多くてね、自分の好き放題やりたい放題ってわけにはいかないのよ。覚えておおき、魔術師ってのは、彼方此方あちらこちらに目を配り、因果の帳尻合わねば立ちゆかぬもの。世話を焼いてるのはその一環だとでも思っておくのだね。今は他に考えることがあるだろうさ」
「……有り難うございます」
 こうまで言われて断れるはずがなかった。
「では参りましょう、衛宮様」
「ああ、それじゃあ――よろしく」
 頷き、軽く握手を交わしてガレーンの工房を辞する。
 魔法街から大通りへと踏み出すと、極彩色のネオンサインと、見通しのきかない闇に覆われた魔界都市の夜景。
(待ってろよ、桜……!)
 大切な後輩の笑顔を思い出しながら、士郎はぐっと拳を握って夜景を睨み付けた。




⇒to be continued in chapter-03 "The Chaser"

投稿者: 日時: 20:57 | | コメント (0) | トラックバック (0)

連作クロスオーバー「アウレオールスの夜に」第一話

▲▽▲▽▲▽



さるにても、夜が星なき黒衣を身に纏う時
開けたる空間はあくびさながら暗い深淵を開き
小暗き屋敷はいや巨いに陰鬱には成りまさり
巷路はさながら地下の窖、暗き無明にぞ沈めり


――ジェイムズ・トムソン『恐ろしき夜の都府』





▲▽▲▽▲▽


 ごり。
 循環バスには相応しくない鉄の塊が、少女の頭に押し付けられた。
「別にとって喰おうってわけじゃないんだ、お嬢さん。うちの会社に手を貸してくれって、あんたの婆さんに言ってくれればいいだけさ。簡単なことだろ」
 塊を手にした若い男が、猫なで声を出した。
 黒光りする鉄の塊の正体はベレッタ・M92FSだ。各国の軍隊で正式採用されており、現存する拳銃の中でも指折りの実績を誇る自動拳銃。
 街中でこんな物を振り回していたら即逮捕だが、この街においては然程危険な物ではない。実際、念動者サイキック昆虫制御人インセクト・コントローラーあたりの前では、M92SFでは玩具にしかならなかろう。
 それでも、至近距離でそんなものを突きつけられれば、普通の人間なら縮み上がってしまうものだ。
 拳銃の持ち主がまた悪い。
 「うちの会社」などと言ってはいるが、どこからどう見ても堅気ではない。
 いかにもといった派手なスーツに乗っかっているのは、軽薄さと酷薄さが程よく混ざった顔。人を人とも思わさなげな態度といい、筋物の類――有り体に言えば、ヤクザである。この街において蛇蝎の如く嫌われ、雲霞の如く生息する輩の一端だ。
 対する少女は、十歳前後としか見えぬ幼さ。
 金髪と碧眼が何とも愛くるしい、人形のような少女である。
 バスの前部座席に一人座る少女に、ヤクザめいた男が立って拳銃を突きつけているなど――心和む光景とはとても言えまい。
「その件についてはお断りしたはずです。何度も答えさせないでくださいませ」
 鈴を転がすような声で、少女が冷たく答えた。
 ぴしゃりと撥ねつけるような声だった。
 顔色一つ変えていない。
 それどころか、男を見ようとすらしていない。大した胆力である。
「婆さんに断られたからアンタに頼んでるんだ。大人が頭を下げてるんだぜ、聞いてくれてもいいだろう」
 猫なで声。
 どうやらこの男の中では、銃を突きつけて脅すのが頭を下げることになるらしい。
「でははっきりと申しましょう――」
 じろり。
 碧眼が男を冷たく見つめた。
「害虫に手を貸す愚か者はおりません。今すぐ此処から消えて二度と顔を見せないでくださいませ」
 視線にも増して冷たい声。ひくりと、男の頬が引きつる。
「そうかいそうかい。じゃあしょうがねえな。不本意だが、ちょっとばかり痛い目に――」
 男が引き金にかけた指に、力をこめた時。
「やめろよ」
「あん?」
 鋭い声が、バスの中に響いた。
 男の視界に飛び込んできたのは、後部座席から立ち上がる少年の姿。
 少し癖のある赤い髪。
 真夏に相応しいラフな服装の上からでも解る、良く鍛えこまれた筋肉質の体。
 それらに増して印象的なのは、強い意志の宿った双眸だろう。
「黙ってろや、兄ちゃん。人様の事情に首を突っ込むもんじゃねえぜ。怪我、したくないだろ?」
「やめろって言ってるんだ。そんな女の子相手に、いい大人が何をしてるんだよ」
 恫喝するような物言いにも臆することなく、睨み付ける少年。
 ――彼の名は衛宮士郎。
 日本有数の霊地、冬木市に居を構える学生にして、未だ研鑽の途上にある魔術使い。
 そして此処は都心の一角。
 1947年3月5日、都告示第127号によって制定された、東京都が有する23区の一つ。
 多用な施設と、広大な公園、そして世界有数の歓楽街を有するこの街は、1980年代の『魔震』により壊滅的打撃を受け――見事再生し成長し続けた。そして、今も成長し続けている。
 驚異と災厄と悪徳とに満ち、老いも若きも正常も異常も人も人ならぬものも、全てを受け入れるそれはそれは残酷な都市まち
 人は呼ぶ。
 <新宿>――『魔界都市』。




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伝奇クロスオーバー二次創作
『アウレオールスの夜に』

chapter-01
魔術使いと自動人形 ~ Magus meets Automata






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 話は少し遡る。
「<新宿>って……あの<新宿>か?」
「そうよ、その<新宿>。魔界都市に行って貰いたいの。本当は私が行かなきゃいけないんだけど、こっちから戻るの少し遅れそうなのよね」
 真夏の冬木市、衛宮邸。
 受話器越しにロンドン発の声が聞こえてきていた。
 はきはきとした、曖昧なところの少しも無い少女の声。
 士郎は相槌を適度に挟みながら、話の筋道に耳を傾け答える。
「行くのは別に構わないけどさ。戻るのが遅れそうって、何か手間取ってるのか、遠坂」
「手間取ってる……って訳でもないんだけどね」
 遠坂と呼ばれた少女の声に、苦笑と溜息の色が混ざった。その声音に、士郎は勝気な少女の面貌を想起する。
 ――遠坂凛。
 日本でも有数の霊地、冬木市を管理する遠坂一族の正当なる長である。
 五大元素をその身に有し、メイン・サブ合わせて三桁に届く魔術回路を所有。歳端はいかねど、魔術師としての実力は既に一級品である。魔術上の名家の出身にして、頭脳明晰。さらには見栄えする美貌の持ち主と、表向きは非の打ち所がない。
 士郎が凛と出会ったのは、半年前に勃発した魔術戦争――通称、聖杯戦争でのことであった。
 対峙と会話と闘争と協力を経て、心身共に和合した二人は、傷つきながらも聖杯戦争を終結に導いた。
 それから、早くも半年。
 期末試験、進級、中間試験――ごくごく当たり前の、平穏な日々を過ごすうちに、士郎と凛も卒業後の進路を決定しなければならない時期になっていた。
 最も、この点に関して、二人には悩む余地がない。
 凛は高校卒業後から、ロンドンの名門・時計塔で魔術の研鑽を積むことが決定しているし、士郎は士郎で、凛の弟子として同行することになっていた。
 凛がわざわざ国際電話をしなければならなかったのは、その準備のために一時的にロンドンに渡っていたからだ。
 最も、準備といっても大したことはない。
 凛は名門「トオサカ」の魔術師としての待遇であったし、協会からも無試験で時計塔に入学して良いとの許可を貰っている。
 数日もあれば、つつがなく支度は終わるはず……だったのだが。
「本当なら無試験入学だし、書類手続きだけでいいはずなんだけど。ごねてるお偉いさんが一人いてね……ちょっとした試験をやらなきゃいけないみたいなのよ」
「んー、でもそれって、約束と違わないか」
「勿論約束違反よ。理不尽そのもの、我が儘で試験押し付けられたみたいなものなんだから」
「……遠坂が素直にそんなこと聞くなんて珍しいなあ」
「あのね、士郎。私をなんだと思ってるのよ」
「あかいあくま」
 即答。
「……帰ってからひどいからね」
「いや冗談だって。試験受けるの承知したってことは、それなりに理由があるんだろ」
「そういうこと。相手が歴史も力もある家の出なのよね。アグリッパの直系だったかな。入学前からごたごたを起こすのは趣味じゃないしね。あーあ、それにしても早くそっち戻って、士郎の料理が食べたいわ」
「はは、腕を磨いて待ってるよ。それに、試験といっても遠坂なら大丈夫だろ」
「解ってるじゃない。さくっと片付けるつもりよ」
 ふふん、といった調子の声に、自信満々の表情かおが思い出される。
(まあ、セイバーもいることだしなあ……)
 士郎は心の中で一人ごちた。
 英霊・セイバー。
 士郎と凛と共に聖杯戦争を駆け抜けた誇り高き騎士。
 剣の名を持つ少女は、未だ現界に留まっていた。現在、立場的には遠坂凛の使い魔となっており、今回のロンドン行きでも凛に同行している。
「話を戻すけど、俺は<新宿>に行ってどうすればいいんだ。自慢じゃないけど、強化と投影以外はまだまだ使い物にならないからな。お使い位しか出来ないぞ」
「本当に自慢にならないわね……まあ、お使いで十分よ。父さんの知り合いだった魔術師が、ちょっと前に亡くなったらしいのよ。昔の約束で魔道書を一部譲って貰えることになってたの。それでまあ、遠坂の長は私なわけで」
「ああ、成程。つまり俺は、遠坂の弟子としてその魔道書を受け取りに行けばいいんだな」
「そ。遺品は別の魔術師が管理してるはずだから、その人のとこに行ってね。場所とか相手のこととか詳しいことは、後でそっちにファックス送っておくから」
 確かに、電話であれこれ聞くよりそちらの方が確実だろう。
 冬木とロンドンでの国際電話となれば、電話代も意外とばかにならないものだ。
「あと何かあったかな……あ、そうだ」
 何を思い出したか、凛の口調が変る。
 声のトーンが落ち、真剣味を帯びたのが明瞭に感じ取れた。
「……桜と慎二の様子って……どう?」
「桜はあまり変わりないよ。前よりうちに来ることは減ったけど。慎二は……憑物が落ちた、っていうのかな。皮肉屋で、素直じゃないままだけど……何ていうか、はじめて会った頃みたいだ」
 士郎の友人にして、聖杯戦争においては敵対者であった少年――間桐慎二。
 一連の事件が終わった後、慎二は随分と長いこと入院していた。聖杯の寄り代とされ、心身共に大きな負荷をおったからだ。
 思ったより身体に負担がかかっていたのか、心理面で落ち着くのに時間が必要だったのか、それは解らない。
 確かなのは、時折暇を見ては見舞いに行くたびに、慎二が少し変っていたことだ。
 つい先頃退院してからはまだ会っていないが、その傾向が続けばいいと士郎は願っていた。
「そっか。ならいいんだ。それじゃ士郎、任せたわね」
「ん、任された」
 どことなくほっとした様子で、凛が別れを告げる。
 ちん、と音を立てて受話器が置かれた。
 それがつい昨日のこと。
 翌日の朝早く士郎はバスで<新宿>に向かい――<区内>に入るなり、冒頭の事態にぶつかったというわけである。




▲▽▲▽▲▽



「口は災いの元、ってな。余計なことに口出しするもんじゃあない。それとも、このお嬢ちゃんの知り合いかい?」
「只の通りすがりだよ。でも、そんなことは関係ないだろ。あんたみたいな大の男が、そんな小さな女の子に銃を向けてる。黙ってられるはずがないだろう」
「ご立派なことだな」
 男の声には紛れもない嘲笑がこもっていた。
 それはそうだろう。
 今時こんなことを大真面目に言う若者はいない。<新宿>ならなおさらだ。
 おまけに、拳銃に対抗する手段を持っていそうにもない。
(とっぽい小僧だ……)
 男は心中で嗤う。
 一々青臭い物言いといい、警戒心ゼロの行動といい、大方<区外>の人間だろうと見当をつけた。
 ならば少し脅かしつけてやればいい。足元に弾を撃ち込めば、腰を抜かして黙り込むのではないか。
 もしそれでもわめくようなら、ちょいと足腰が立たなくなるまで痛めつけてやればいいのだ。
(それも悪くねえな……)
 よく見てみれば、結構いい体をした頑丈そうな少年ではないか。この手合いはいたぶり甲斐がある。
 嗜虐的な笑みを口の端に浮かべ、男は拳銃を浮かべると引き金を引いた。


 たん。
 銃声。
 先ほどまで士郎が座っていた座席を、9ミリパラベラムが穿った。
 だが、士郎の顔色に変化はない。
 銃を撃たれたから何だと言うのだ。
 目の前で、一人の少女がろくでもない大人に脅かされている。それを見過ごすことに比べれば全く大したことでもない。
 そもそも、立ち上がってやめろと言ったのも、深い考えがあってのことではない。自分でも言ったとおり、黙っていられなかっただけのことだ。
 相手は、銃を撃っておけばこちらが黙るでも思ったのだろうが、そうは問屋が卸さない。
 そもそも――銃声一つで腰を抜かすほど、微温い生き方はしていないのだ。
 無造作に一歩踏み出す。
 彼我の距離は5メートルに満たない。
 また一歩。
 強い意志の籠もった瞳が、じろりと銃の持ち主に向けられた。
 その目が、その動きが男を――ヤクザを刺激したのだろうか。
 ぎらりと、男の目が凶悪な光を帯びる。
「この餓鬼、生意気に……!」
 M92FSが改めてもたげられ、銃口が向きを変えた。
 狙いは脚か、腹か、下手をすれば頭か。
 引き金がひかれ、弾が飛び出そうとした、その時。

 ――ぴいん。

 金の光が宙を走った。
 少し遅れて空気を貫く音。
「つっ!?」
 耳障りな悲鳴。
 何が起ったのか、男が掌を押さえる。
 よくよく見れば、きらりと光る細い何かが、その掌に突き刺さっていた。
 鉄の塊が床に落ち、からりからりと回り滑る。
「大人げない、とはこのことですわね。いい加減になさいませ」
 何時の間に動いたのか。
 男と士郎との間に、少女が割って入っていた。
 波打って流れる金髪。
 陶磁器を思わせる白い肌。
 青玉をはめ込んだような眸。
 天鵞絨の紫ドレスが風に翻る。
 先ほどまで、男が銃を向けていた少女だった。
 男の掌に突き刺さったのは、その髪の毛だろうか。
 男は歯をむき出しにして、少女と士郎を睨み付ける。先ほどまでのへらへらとした愛想の良さは欠片もない。
 浮かんでいるのは欲得ずくで自分のことしか考えていないゲスの色。
 害虫の、本性だ。
「餓鬼が揃って、舐めた真似しやがって……!」
 床に転がされた拳銃を取り戻そうと、床を蹴って手を伸ばす。
 筋力と反射神経の強化を施してあるのだろうか、意外なほどに速かった。
 距離から考えても、士郎や少女が何かする前に、男が拳銃を再び掴んでいただろう。もしそうなっていたら、バスの中で惨事が起っていたかも知れない。士郎は、近距離で放たれた拳銃の弾をどうこう出来るような超人でも化物でもないからだ。
 だが――
 その時には既に、少女はバスの通路を蹴っていた。
 ふわりと身体が舞い上がる。
 重力を無視したかのような跳躍だった。
 ひゅん。
 ほっそりした脚が振り抜かれ、男の――ヤクザのこめかみにクリーンヒット。
 それなりには武道の心得がある士郎が、ほれぼれするような一撃だった。
 男の目が揺れた。
 脳髄も揺れただろう。
 そして――
「ごめんあそばせ」
 返す刀でもう一撃。
 目が左右に揺らぎ、男は物も言わずに昏倒する。
 とん。
 着地。
 埃一つ舞い上がらない。
 ドレスの裾が翻り、くるりと舞った。
 ――絵になる。
 ともすると芝居がかった動きが、かえって様になっている。一足一動に人間らしさがないためだろうか。
 人形のような動きと、美しさだった。
 唖然としている士郎を蒼い眸が見つめ、小首を傾げる。
「貴方は、<区外>の方ですわね」
「あ、ああ。そうだけど、君は――」
 鈴の音を転がすような声とは、このことを言うのだろう。
 士郎は何となく気圧され、素直に頷く。
「ようこそ<新宿>へ――『魔界都市』は新たなる客人を心より歓迎いたします」




▲▽▲▽▲▽



「有り難う御座いました」
「いや、俺は何もしてないよ。かえって余計なことしたかな」
 循環バス「魔法街入り口」停留所で降りると、少女は士郎に向かい頭を下げた。
 例のヤクザは、バスの運転手が縛りあげて後部座席に放り込み、警察に連絡していたようだ。
 <新宿>の警察は、ならず者に情け容赦の欠片もないことで知られる。情けをかければ死ぬのは自分たちだと解っているからだ。
 あの男も、こってりと絞り上げられることになるのだろう。
 それはそうと、凛に頼まれたことを果たさねばならない。
 幸いにして、目の前の少女は<新宿>の住人のようだ。尋ねられることは尋ねておくに超したことはなかった。
「もし良ければ一つ聞きたいことがあるんだけど」
「はい、何なりと」
 鞄に入れておいた、凛が送ってきたファックスを覗き込む。
 降りるバス停は確かにここでいい。
 目的地もすぐそこだ。凛に聞いたとおりの外観が、このバス停からでもよく見えている。
 しかしここは<新宿>だ。地図と自分の感覚だけに頼っていたら迷う可能性は高い。
 実際、士郎は循環バスに乗り込むまでに二度三度と道に迷っている。目の前にバス停があるはずなのに中々辿り着けなかったり、どこからともなく女の声が聞こえてきて方向感覚を見失ったり、そんなことばかりだ。
 士郎が方向音痴だったり、幻覚幻聴持ちというわけでは勿論無い。
 そのような怪事が日常茶飯事に起きるからこその『魔界都市』だと、士郎も徐徐に理解しつつあった。
「魔法街、っていうのはこの近くでいいのかな。多分あそこだと思うんだけど」
 指さす方角には、もくもくと、緑と紅の混ざった毒々しい煙が立ちこめる長屋めいた一角。
 あら、と。少女は目を丸くする。
「魔法街は私の住処ですわ。何かお探しでしょうか? 目的の物があるならばご案内いたしますが」
 少女の言葉も道理、魔法街は<新宿>における隠れた買い物スポットだ。
 百二十件にも及ぶ魔術師や調剤師の家が集まっており、住人による黒魔術用具一式は極上のものとされる。<区外>への持ち出しこそ制限されているものの、<新宿>在住の魔術師や隠秘学者オカルティストの間で人気が高い。
 だが勿論、士郎はそのようなものを買いにきたわけではなかった。
 凛からのファックスに書いてあった名前を思い出す。
 確かあれは――
「いや、買い物に来たんじゃないんだ。ガレーン・ヌーレンブルクって人に用事があって……」
 ガレーン、との名に少女の目が細まった。
 穏やかで静かなだけだった空気が変貌する。
「……そうでしたか。それでは貴方が――」
 口元に手を当て、少女が士郎を見上げた。
 その表情に、士郎は少し目を見張る。
 可憐さと深遠さの同居。
 底知れない気配。
 どことなく――聖杯戦争で出会った一人の少女を思わせるものがあった。
「衛宮士郎さま、ですわね。お話は伺っております。私はガレーン・ヌーレンブルクの孫娘……『人形娘』と呼ばれております。どうぞお見知りおきを」
 そして、人形を名乗る少女はドレスの裾をちょこんとつまみ、貴婦人の礼をしたのだった。



▲▽▲▽▲▽



 高田馬場一丁目、魔法街
 硫黄の匂いが立ちこめ、奇妙な呪文が昼日中から流れる石造りの街。
 その一角に、目的の家はあった。
 四角い煙突屋根に、玄関前の下水。石の工房めいた家構え。
 おとぎ話に出てくるような「魔法使いの家」が、士郎と人形娘の前に建っていた。
「お婆さま、お客様をお連れしました」
「失礼します」
「お入り」
 鈴の音と、精悍な声への返答は、しわがれた、闇の向こう側から響くようなそれ。
 ぎい。
 人形娘が、軋んだ音を立てる扉を開いた。
「暗いな……」
「魔法街は何処もこのようなものですわ」
 士郎の呟きに、人形娘が答える。
 とはいえ、確かに暗い。
 蛍光灯や白色灯といった近代設備の影は欠片もなく、壁際に設置された洋燈や、碧色の炎を発している蝋燭がかろうじて光源となっている位だ。
 それでも、視界が零というわけではない。
 暗闇に目が慣れると、人の姿が朦朧ぼんやりと浮かんでいるのが解った。
 目をこらす。
 籐椅子に女が――老婆が腰掛けていた。
 何度も折りたたんでからまた引き伸ばしたかのような皺だらけの顔。青い目と鉤鼻が異国の血を示す。サテンの黒ワンピースが包んだ身体は、手にした黒檀の杖よりなお細い。 まるで枯れ木のような姿――遠慮無く言えば、おとぎ話の悪の魔女そのままだ。
 苦虫を噛み潰したような不機嫌な顔付きが、士郎をじっと見据えている。
 ぞくり、と。
 その視線に、士郎は何故だが背筋に寒気が走るのを感じた。
 理由は解らない。
 見た目におかしなところはないのだ。
 平凡な服を着れば、平凡な婆さんにしか見えなかろう。
 士郎に向けた視線は偏屈もののそれだが、相手は魔法街の住人、頑固偏屈は当たり前である。奇声を発したり突然飛び跳ねたりするわけではなし、立ち居振る舞いにも、異常な点は何一つ無い。
 強いて言うなら、双眸に宿った炯々たる光は、『気の良いお婆さん』のものなどでは断じてなかったからだろう。
 老婆は動かない。
 目を細め、士郎を凝乎と見つめているだけだ。
 息を大きく吸い込んで、腹に力をため、頭を下げた。
「初めまして。俺は遠坂凛の使いで……」
「衛宮士郎、だね。お前さんの来ることは夜雀の羽ばたきが教えてくれていたよ。遠坂の娘も人使いの荒いことだ」
 見た目通りの、嗄れた声。
 その声に悪意の色は無い。
 少なくとも、客を黙って追い返すようなことはしないのだろう。
「いい匂いだ」
 老婆が鼻をひくつかせて呟いた。不機嫌そのものだった面貌が、奇妙に安らぐ。
「純粋な霊地の匂い。魔術の匂い。おやおや、アイツベルンにマキリの一族までいるよ。聖杯と大聖杯と英霊と――お前さん、結構な修羅場をくぐってるね」
「えと、お婆さん……」
 士郎が呼びかけた。
「ガレーンさ」
「え?」
 老婆は無愛想に答える。
「ガレーン。ガレーン・ヌーレンブルクと覚えておおき。お嬢ちゃんに名前は聞いているんだろう?」
 ガレーン・ヌーレンブルク。
 現存する中では、名実共にトップクラスに位置する大魔術師である。
 その実力はチェコ第一と称され、<新宿>においては、西新宿のせんべい屋や区役所跡の病院長と並び、触れてはならぬ三魔人の一人に数えられる。
 要するに、魔界都市に巣くう超人魔人の親玉格と言えよう。
「メイの魔道書の形見分けだったね。着いておいで、衛宮士郎とやら。娘や、あんたは此処で待ってな。星の巡りが良くない。また何かが来るかもしれないからね」
「承知いたしました」
「誰か来るんですか?」
 士郎が訝しげに尋ねる。
「何かが、さ」
 それだけ答えると、ガレーンは籐椅子から立ち上がり、さっさと部屋の奥へと足を向けた。
 ぺこりと頭を下げる人形娘に会釈を返してから、士郎も後を追い、ふと足を止める。
 頭部に違和感。夏だというのに、何か冷たい。
 額に手を当てると、じっとりと濡れている。
 ――冷や汗だった。




▲▽▲▽▲▽



 その工房には、和漢洋、凡百の奇書珍書が所狭しと並び積み上げられていた。
 ぐるりと見渡しただけでも、日本語で書かれたものは極僅かだと知れる。英語やドイツ語、フランス語、ラテン語といった欧州圏の言葉は当たり前、梵字やアラビア語のものまで散見される。中には、どう見ても碑文にしか思えないものもあった。
 凛ならばともかく、士郎にとっては初見のものも少なくない。
「凄いですね、ここ。これだけ集まってるのは見たこと無いな」
「何が凄いもんかね。こんなのは紙屑みたいなもんだよ」
 士郎の賛嘆に、ガレーンは仏頂面を崩さずに答える。
 ガレーンはそう言うが、紙屑とはとても言えなかろう。
 かの『死霊秘法』とまではいかないが、好事家や魔術師なら垂涎ものの書物がごろごろしていた。
 最も、士郎では名前しか知らないようなものも数多い。
 詳しく見知っているといえるのは、フレイザーの『金枝編』、『ニューイングランドの楽園における魔術的驚異』第二版のような定番の研究書くらいだ。書誌学者コンラート・フォン・ゲスナーが16世紀末に刊行した『魚類大鑑』、ドイツの奇書『深海祭祀書』といったあたりで、凛から名前を聞いた覚えがある程度。さらには『ナイハーゴ写本』や『クタアト・アクアディンゲン』のような真性の魔道書となるとお手上げである。
「役にたたないわけじゃあないがね。あんたも魔術師なら覚えておいで。真の栄光は小細工なしの術にこそ宿るのよ。人様の書いたものに頼らなきゃならないうちは、まだまださね」
 杖をついて老婆が歩く。矍鑠とした動き。年齢を考えればたいしたものだ。
「遠坂の家の分はそこにあるよ。ちょっとばかり量があるけどね」
 黒檀の杖を持ち上げて指したのは、簡素な木の机に積まれた本の山。量にして十冊強といったところだが、どれもかなりの年代物だ。破損に気をつけて運ばねばならないことを考えると、持ち帰るのは少し骨だろう。
「<新宿>から<区外>に物を送るのは結構面倒でね。取りに来て貰えるならそれが一番なのさ。ちょっとばかり面倒だろうが、頼むよ」
「解りました。これくらいの量なら何とかしますよ」
 快諾する士郎に、老婆は目を細める。
「ほ、今時の若いものにしては素直でいいねえ。どこぞの院長やせんべい屋に、爪の垢を煎じて飲ませたいもんだよ」
「これくらいで音を上げていたら遠坂に何言われるか……」
 何気ない呟きに、ガレーンが動きを止めた。
 皺だらけの顔を歪めて、士郎をじっと覗き込む。
「ほ、成程。ただの師匠弟子じゃなさそうだと思っていたら、そういう間柄かい」
「な、何です……?」
「なあに、遠坂の一族が弟子をとるなんて珍しいからね。成程成程、それなら納得がいくよ。その様子じゃお前さん、尻に敷かれてるね。この先も苦労しそうだ、難儀なことだよ」
 ひょひょと、からかうような笑い声。
 ガレーンの言葉に、士郎は苦笑するしかない。
 どのような思考過程を辿ったものか、自分と遠坂凛との関係性は見抜かれているらしい。確かに、只の師匠弟子ではない。士郎の立場は、友人兼料理人兼弟子兼恋人兼凛専用執事といったところだ。日々の生活を鑑みるに、尻に敷かれていると言われても、反論の余地はあまりなかった。
 ひとしきり笑った後、ガレーンは僅かに好意のこもった目で士郎を見やった。
「頼んだよ。この時間なら冬木市に帰るのもそう大変じゃないはずだ。何か困ったことがあれば娘に――おや」
 ガレーンが唐突に言葉を切った。
 杖で地面を突き、じっと前方を見つめてる。士郎もその視線の先を追うが、当然そこには何もない。
「どうか――しましたか」
「ああ、どうかしたようだね。やれやれ、”何か”が来てしまったよ。招かれざる客、の形をとったのか。面倒なことさ」
 確かにこの老婆は、先ほど『何かが来るかも知れない』と言っていた。
 一気に苦虫を噛み潰したような顔になり、忌々しげに言葉が紡がれる。
「私があれこれ言うより見た方が良かろうね。ほれ、さっきの部屋に戻りな」
「は、はあ……」
 ガレーンの指示に従って、最初に入った部屋へと通じる扉に手をかけた。
 意外なほどに大きな音を立てて扉が開き。
 音を聞きつけたか、四つの瞳が士郎に向けられた。
 そこに居たのは、困惑した表情の人形娘と、何やらまくしたてていたらしい、一人の少年。
 その光景に老婆は眉をひそめ。
 士郎は驚きを浮かべた。
 それだけ予想外の人物だったからだ。
 見慣れた姿だ。
 見慣れすぎたと言っても良い。
 海藻を思わせる癖のある毛。士郎と然程変わりないであろう背丈。顔立ちはそれなりに整っているが、その視線はどこか揺らいでいる。
 こんな少年を、士郎は一人しか知らない。
「え、何でここにいるんだ?」
「衛宮!」
 士郎を見つけた表情が歪む。
 余程のことがあったのだろうか。
 情けなさそうな、心細そうな、心配そうな、そんな色。
 士郎は内心驚いていた。
 この少年がこんな顔をしたのは――見たことがない。
 そんなことを思っているうちに、少年は士郎の元へと駆け寄ってくる。ガレーンと人形娘は、視野にも入っていないのか。
「桜を……桜を助けてくれ!」
 少年――間桐慎二は、そう叫んで士郎の肩をがしりと掴んだのだった。





⇒to be continued in chapter-02 "Rotting Corpse"

投稿者: 日時: 22:54 | | コメント (2) | トラックバック (0)

アップ完了

 はい、お待たせいたしました。妖忌参上(略)、後編アップです。
 今回も時間かかりまして大変申し訳ありません。
 ご意見ご感想なぞ頂けましたら幸いです。

投稿者: 日時: 21:39 | | コメント (0) | トラックバック (0)

魂魄妖忌只今参上仕る(後)


 数日の後、酉の刻。
 妖忌は言い知れぬ気配を外に感じ、蘿蔔(すずしろ)を刻んでいた手を止めた。
 外へと念を凝らせば、複数の生き物の気。
 野から獣でも迷い込んできたのかと思うたが、どうにも判然とせぬ。感覚を研ぎ澄ませてみれば、ざわりざわりと蠢く何かが感じられた。
 人と云うには殺伐にすぎ、獣と呼ぶには統制が取れすぎた一挙一足。
 ――妖か。
 そう思ったのも無理はあるまい。
 幻想郷には雲霞の如く妖怪が住もうている事を、妖忌もようやく得心していた。紫と藍から聞いただけでも、湖上の精に春風の遣い、夜雀化猫化狐、さらには鳳凰白沢鳴兎と――百鬼夜行という言葉がそのまま当てはまる有様である。
 何者かが彷徨うてでもいるのであろうと、疑念を残しつつも包丁と俎板とに目を戻した。今宵は八雲一族が居ない為、妖忌が料理をせねばならない。
「藍と出かけてくるわ。今夜は帰らないでしょうから、ご飯は適当にすませておいて頂戴ね」
 云い残して紫が出て行ったのが、二刻ほど前のこと。
 珍しいことだった。
 紫と幽々子が連れ立って野を散策している光景などはそれなりに見受けられたが、夜を徹して出かけるなどはじめてだ。
 少なくとも、妖忌と幽々子が迷家に足を留めてからは覚えが無い。
 何か御用か――
 と、好奇心に駆られ訊ねても
「春先は栄養が必要なのよ」
 くすりと笑って微笑むばかり。
 それ以上の詮索は妖忌も控えておいた。
 扇の下の微笑みに、何とも云えぬ一種の恐れを感じたからだ。
 かような時ばかりは、迷家が現世ならぬ地であり、紫が人ならぬ身であることを思わざるを得ない。
 (くりや)の異様な程に巨大な釜は何の為なのか。納屋の隅に打ち捨てられていた白い欠片からは、やけに乾いた匂いがしたような気がする。
 ほう、と息をついた。
 ――詮索はしすぎぬ事だ。
 紫をはじめとする八雲の一家が、心からの親切さで己らを遇してくれているのは確かなのだ。感謝こそすれ、腹の底を探るような真似は厳に慎まねばならぬ。
 疑問を押し殺すと鍋の蓋を取り、副食を膳に配した。
 地芽蕗の薹の煮物、ぜんまいの煮附け、清流でとれた岩魚の塩焼き。蘿蔔の味噌汁も良い頃合であろう。
 気付けば時刻は既に酉の刻。午餐の時間だ。
 一通りの支度が終わると、妖忌は幽々子を呼ぶため、離れに足を向けた。


 幽々子に与えられた一室は離れにあった。幸いにして、厨からはそう遠くない。
 襖の前に座して控えると、妖忌は間へと声かけた。
「お嬢様、夕餉の支度が出来ました。ご所望ならばお持ちいたしますが」
「有難う。あ、入って頂戴。ちょっと手が放せないの」
「失礼致す」
 襖を開くと、背筋を伸ばして畳に座す幽々子の姿。
 書見台へと目を落としているのか。すべらかな(てな)が、和綴じの柔らかそうな絵巻物を捲っている。
 何とは無しに覗いて見ると、和紙の上、華麗に描かれた桜の一葉。
 おや、と。妖忌が声をあげる。見覚えがあったからだ。
「其の絵は――」
「あら、気付いた? ねえ妖忌、この桜ってもしかして――」
「丘の桜で御座いますな。西行妖と云う名であると、藍殿からは聞いておりまするが」
 やっぱりね、と。幽々子は微笑む。
「この間、紫と一緒に見てきたのよ。立派だったわ。花も咲きかけだったし、もう少ししたらお花見とかも良いかもしれないわね」
「花見でありますか。確かにこの折ならばさぞや見事でありましょうな」
「ええ、花もいいけど、妖忌の料理が楽しみねえ」
 本当に楽しみそうな声。妖忌が渋く笑う。
「花より団子なのはお変わりありませぬな。お嬢様が幼少のみぎり、桜は桜でも、桜餅に夢中であったことを思い出します」
「あらあら妖忌、お団子は大事よ。お腹がすいては戦も出来ないわ」
 くすくすと笑む快活な様子に、妖忌の目が我知らず細まった。
 このような他愛も無いやり取り一つでも、幽々子の表情はくるくると良く変わる。ほんの一月二月前には考えも出来なかったことだ。
 迷家に誘われ、紫や藍と触れ合ったことで、かつての明るさを取り戻しつつあることが、妖忌には我が事のように嬉しかった。


 迷家より半刻程歩んだ小高い丘に、西行妖は咲いている。
 野原と丘とに林立する樹樹の中でも一際大きな枝垂桜。
 願はくば花の下にて――と。
 幻想郷を放浪した歌聖が入滅したと伝わる絶景である。
 ちらと見た限りでも、かようなこともあろうかと得心行く眺めであった。
「桜は良いわね。紫と妖忌と私とで、お酒とご飯で笛に舞い。櫻花詠歌が咲き誇る。どれ程賑やかか、考えただけで楽しくなるわ」
 幽々子が穏やかに云った。妖忌はその光景を脳裏に描き、西行妖の下にある幽々子を夢想する。
 満開の桜の下、笛の音に合わせて舞う娘。
 昼でも良いし夜でも良い。黄昏時ならばなお良かった。髮に扇に一片の花弁が落ちるだろう。笛と舞とに合わせて散り行くだろう。桜はひらりひらりと春風に吹かれ、娘はふわりふわりと舞うであろう。朦朧とした斜光の中、振りつむ花瓣(はなびら)は誰も彼をも埋め尽くすだろう。
 素晴らしい眺めだった。
 花精もかくやと云う姿だった。
 妖忌は殆ど陶然として幽々子を見詰める。矢張りこの娘には春が、百花が繚乱し影と光が間断なく入り混じる卯月こそが相応しい。
「……妖忌、聞いてる?」
 不満げな声。
 どうも茫としていたらしい。慌てて意識を引き戻すと、幽々子が頬を膨らませていた。


「失礼、気を散じておりました」
「でも、桜にお団子ね――」
 ふと、幽々子が黙り込んだ。
 沈黙して一点を凝視していた。どこか遠くを見るような瞳だった。
「……いかがなされました?」
 訝しげな妖忌に、幽々子がゆっくり口を開く。
「ねえ妖忌。もしも。もしもよ。ずっと此処で、一緒に――」
「――お待ちを、お嬢様」
 ぴくり、と。
 妖忌の片眉が跳ね上がり、言葉を遮った。
 突然の違和感。
 五感を研ぎ澄ます。
 異臭。
 透明な空気に混じる、煤けた黒。
 竈の火を落とし忘れたかとも思うたが、それにしては匂いが強すぎる。
 襖を開き、離れへと通ずる廊下の彼方を透かし見た。
 黒煙。
 火の匂い。
 鬨の声――。

 ――これは。

「お嬢様、こちらへ!」
 返事を待たずに幽々子を抱え込むと、妖忌は跳んだ。
 庭に面した障子を突き破り転び出る。
 迷家の各所が一気呵成に燃え上がったのは丁度この時だった。



 庭にまろび転げ出た妖忌と幽々子の目に映ったのは、迷家のそちこちに上がる火の手だった。
 妖忌は慌てかける心を制し、冷静に視線と思考とを走らせる。
 まず第一に――
「お嬢様」
「こっちは大丈夫よ」
 打てば響くように答えが返ってきた。
 安堵の息つけば、幽々子は妖忌の腕からするりと抜けて庭に立つ。ぱちぱちという火煙を目の当たりにして、幽々子が訝しげに眉を潜めた。
「焼き討ち、かしら」
「それにしては火の回りが足りませぬ。おそらく――」 
 そう。
 火の回りは然程早くない。迷家の規模からすれば、焼き落とすには火勢が少々足りぬ。
 してみると目当ては――
(燻り出しか)
 となれば、狙いは当然己と幽々子であろう。忘れかけていたが、自分たちは追われる身なのである。
 そして、幻想郷までも追ってくる奴輩(やつばら)なぞ、ただ一つ。
「妖忌、あれ!」
 幽々子の鋭い声に、庭の彼方へと目を向ける。
 転げ出た際の音を聞きつけたものか、此方へと駆けてくる男たちの影があった。
 月が淡く照らし出したのは、太刀を佩いた安袴。
 大半は武士と云うより衛士に近い、動きやすそうな装束。
 先頭に立つ者の羽織に記された紋には、確かに見覚えがあった。桜と蝶とに囲まれた、渦巻状の円形。先だって藍が拾ってきた旅装束に記されたのと同じものである。
「矢張り――白玉衆か!」
 妖忌が叫んだ。
 白玉衆。
 西行寺の一門に属し、衛士としての役割を果たしていた面々である。
 最も、西行寺に連なるとはいえ、家来というよりは契約制の戦闘要員に近い。西行寺家が廃れてからは、他の名家や都の富裕な者に雇われ、もっぱら荒事に手を染めていたと、妖忌は記憶していた。
 妖忌も元々は一員であり、優れた腕と幽々子との相性とを見込まれて、従者となった過去を持つ。
 そしてまた、幽々子を狙って、西行寺の本家を襲ったのもこの者達だった。
 厨で感じた違和感はこやつらであったか――と。
 妖忌は己の油断に臍を噛む。
 どうしたものか。
 駆けて来る者達を見定める。辿り着いてくるには僅かなりの猶予はあろう。
 その合間に幽々子をどうにかせねばならない。
 周囲を見渡すと、庭の一角、大きな蔵が目に付いた。
 蔵は本邸とは離れていることもあり、火の手が廻る気配は無い。白玉衆は本邸から離れへと向かっており、その方角にまでは手勢を配していないようだ。
 となれば。
「――お嬢様、蔵の方角からお逃げなされ。拙者が時間を稼ぎ申す」
「で、でも妖忌……」
「お急ぎなされい!」
 有無を云わさず、幽々子を押し出した。
 同時に白玉衆の手勢へと向かい走り出す。
 幽々子を送り出しはしたが、実際のところ、逃げ道は無いに等しい。
 迷家の周囲の、広々とした草原が仇となった。視界を遮るものも祿に無いこの地では、見付かるのに然程時間もかかるまい。
 白玉衆を説得するしかなかろう。
 それが不可能な時は――
 首を振った。
 今はあれこれ悩んでいる場合ではない。
 目を瞑り、息を吐いた。
 腰と背との刀を確かめ、仁王立ちで構え待つ。
 やがてやってきたのは一団は、確かに白玉衆であった。
 およそ三十人。
 数こそそれなりだが、見たところ五体満足とはいかぬようだ。
 足を引きずる者、目や腕から血を流している者、倒れ伏しかねぬ者。
 怪我人が妙に多いのは、人を取って喰う鬼や夜雀にでも襲われたものか。
 そのような有様にも関らず、意気が消沈している様子は見受けられぬ。むしろ意気高いと云ってよかろう。妖忌の姿を見出すや否や、無駄口叩かず円状に取り囲んできたほどだ。
 動きに無駄は無い。
 右に左に後ろに。
 円を描くように、妖忌の周囲に白玉衆が展開してゆく。
 一点に眼を据えて待っていると、前方から一際強い気配。
 覚えがあった。
 闇に向かって、声を投げかける。
「――自ら来られたか」
「久しいな、妖忌」
 ずい、と。
 年嵩の男が進み出てきた。
 年の頃は四十も半ばであろう。
 六尺を超える体躯に、腰にたばさんだ太刀。不適な面構えには、幾多の修羅場を潛り抜けて来た荒武者の印象がある。
 妖忌には見覚えがあった。白玉衆の頭領であり、能力は確かだ。
 歴戦の武人である。
「――このような地まで来られた理由を伺いたい。本家を焼き討ってまで、何故我等を追われるのか」
「知れたこと。幽々子殿の身柄、いただくつもりであった。また其の為、此処まで参上した」
 横柄な物言いに、妖忌の片眉がぴくりと吊り上った。
 幽々子殿、という呼び方は主筋に対してのものでは無い。つまりは、頭領は既に西行寺一門に仕える意思が無いことを意味していた。
「都の何者だ? 他の家か? それとも――」
 何者の頼みによるのかと。
 真摯に問うた。
 馬鹿馬鹿しい、とでも云いたそうに頭領は手を振る。
「とぼけまいぞ。お主ならばとうに理解していよう」
「……何だと云うのだ」
 妖忌は困惑していた。
 何があったというのだ。余所の者が幽々子の命を狙った、死に誘う力を恐れた者が憎んだというならばまだ解る。
 だが、白玉衆は元来西行寺の一族に連なるものだ。直接の雇用関係は無くなっているものの、余程のことが無い限り主筋を狙うとは思えぬ。
「――都でまた流行り病が出たのを知らぬのか?」
「――何?」
「ふむ。お主らは館にこもっておったからな。知らぬも無理はあるまい。だが、事実だ。しかも先だっての病に倍する勢いでな」
 頭領は溜息をついた。急に年老いたかのようだった。
「都は既に恐慌に陥っておるよ。そのせいで人心も乱れておる。打ち壊しが続き、罪科無き者が無残に殺されておる。手に負えぬ有様よ。このままでは――」
 ――おしまいだ。
 頭領は吐き捨てた。
 何とも忌々しそうな声だった。
「しかし、それが幽々子様と何の関係があると云うのだ。流行り病は不幸な出来事であろう。だが、貴殿らが家を襲い、この地まで追うてくる理由(わけ)にはならぬ」
 戸惑いを隠せぬ妖忌に、頭領が視線を向けた。
 ぞっとするような冷たい眼だった。
「その通り。幽々子殿には既に縁無きこと。だがな、妖忌――群集とはそうは思わぬものなのだ。彼奴等には、あげつらうべき相手が必要なのだ」
 閃くものがあった。
 青ざめた妖忌の面に、頭領は重々しく頷く。
「先の流行り病を思い出せ。幽々子殿が死を告げた時からまた、病は勢いをふき帰したではないか。此度の病も幽々子殿の所為と、そう思われておるのよ」
「馬鹿な!」
 思わず叫んでいた。
 それでは話が逆である。
 流行り病があったからこそ、幽々子が死を告げることが出来たのだ。
 そもそも、当時の幽々子の力は死霊と意を通ずるのみである。死を操るようになったのはその後のことだ。流行り病をもたらし死へと招くなど、論外であった。
「幽々子殿の力のことは都で知らぬ者は無い。歪められ、恐れられた形でな。真実であろうとそうでなかろうとさして問題ではないのだ。この意味が解らぬお主でもあるまい」
「まさか――」
 震える妖忌の声に、頭領は重く頷く。
「そのまさかだ。西行寺幽々子、討つべし。さすれば流行り病も静まり、都も常に復するであろう。これが都の――総意だ」
 妖忌の歯がぎりりと鳴った。
 何だと云うのだ。
 幽々子が己の力にどれほど苦しんでいたか知らぬのか。
 いかなる思いで都を出奔したと思うているのだ。
 そもそも、幽々子が縁無き者を死に誘ったことなぞ一度も無い。親族の死を予言し、先の流行り病で数人が此の世より去るのを告げただけではないか。
 成程、西行寺の両親は幽々子によって死に招かれたのかもしれぬ。
 だが――
 無性に腹がたった。
 都にも。
 人々にも。
 白玉衆にも。
 押し黙った様子をどう見たか、頭領は冷たく告げた。
「――観念せい。手向かえば主従諸共斬る」
 この言葉が妖忌を激怒させた。
 曲りなりにも一門に連なるものであろう。己はともかく、幽々子まであっさり「斬る」とは何事だ。
 かっと頭に血が上った。
 瞬時に抜刀し、二刀を手にしていた。
 楼観剣を右手に。
 白楼剣を左手に。
 双刀を振るって疾走ると、あっという間に四人斬った。頭領が反応出来なかったほどだった。
 返す刀で二人が倒れた。そこで背中を斬られて目が眩んだが、そのままさらに四人斬った。
「な――」
 頭領の顔に驚嘆が浮かんでいた。妖忌がこれ程突然、凄まじい勢いでもって斬りかかるとは思ってもいなかったのだろう。
 だが流石に白玉衆の頭領である。即座に飛び退り、さっと手を上げた。矢勢への合図だった。
 間髪入れず、円陣から矢が飛んできた。
 かわした。
 切り払った。
 飛び越えた。
 頭領に一刀浴びせんとしたところで、すんでの所で切り払われた。
 それでもついでとばかりに三人程斬った。
「化物か、お主!」
 流石に恐慌の響きがある。
 だがそうするうち、肩に衝撃があった。
 激痛が走り切先がぶれた。
 黒々とした矢が肩に突き刺さっている。
 また背中から斬られた。
 傷は浅かったが、脳髄がぶれて視界がくらんだ。
 蔵の方角を向いた眼が、少女の姿をおぼろげに捉えた。
(幽々子さ――)
 ガッ。
 鈍い音。
 後頭部に重いものがぶつかる感覚がして、妖忌の意識が消えてゆく。
 瞼が落ちる直前、駆け寄ってくる幽々子の姿が見えたような気がした。



 ずきり。
 痛みが走った。
 ずきり。ずきり。
 肩と背中が――やけに痛む。
 無意識に肩に手をやっていた。
 ぬめり、と。
 錆びた鉄の匂いと、生温い水の感覚。
 いや、水ではなく――
(――血か)
 ぱっと目が覚めた。
 身を起こして見回せば、辺り一体は暗闇に覆われていた。
 窓は無いようだ。故に、月明かりが差し込むはずも無い。
 ひんやりとした空気が辺りを覆っていた。
 鼻をひくつかせれば、微かに火と墨の残り香。
 人影は無い。
 足元の感触がどうにも頼りなかったので触ってみた。
 ざらりとしている。心なしか腐臭がした。手触りと香りからして井草であろう。つまりは、古ぼけた畳だ。
 さらに、手を伸ばしてみれば木製の格子が行く手を阻んでいる。
 囚われの身だ。
 となるとここは――
「座敷牢、か」
 目が闇に慣れてくるとその判断が正しかったことが解った。
 横向きに並べられた二枚の古畳、行く手を阻むは、十文字を形成する木の升目。背を屈めてやっと通れそうな出入り口には、簡素な錠前がかかっていた。
 迷家の一角、座敷牢である。
 このような場所があるというのは藍から聞いたことがあった。何に使うのか、という問いには苦笑いのみで答えてはくれなかったが――
(まさか己が入る羽目になろうとはな)
 苦笑いしてあぐらをかくと、肩の傷が痛んだ。
 手をやってみると、矢張り血の感触。誰かが手当てをしたのか、申し訳程度の包帯こそ巻いてあるが、気休め程度のものであろう。事実、血と痛みとが止まる気配は無い。
 苦い思いを禁じ得ない。
 自分の居場所が判明すると、思考はどうしても幽々子へと向かう。
 蔵の方から逃げよと送り出してからどうなったか。
 素直に逃げたか。逃げ切れたか。
 いや。
 幽々子のことだ。
 妖忌にああ云われ、はいそうですか、と逃げ出している可能性はまずない。また、そうだとしても、直ちに追手がかかったであろうことは疑い様がなかった。
 白玉衆に囚われていると考えているのが妥当であろう。
 幸いにしてあの者たちは野盗ではない。幽々子に対し不埒な振る舞いに及ぶことはあるまいが――
(お命が無事であれば良いが)
 まずはそこである。
 白玉衆としては、幽々子を生きたまま都に連れ帰りたいところであろう。だが、頑強に抵抗なぞするとしたら――
 舌打ちした。
 嫌な想像を振り払う。善後策を考えるのが先だ。
(とまれ、此処から抜け出ねば――)
 そこまで思念が流れた時。
 突如。
 絶叫が響いてきた。
 芯からの恐怖に満ち満ちた叫びだった。
(何事……!)
 鋭く跳ね起きる。
 座敷牢に続く道行には、明かりは殆ど無い。見透かそうとしても、猫の子一匹見当たらない暗がり。
 声の元は座敷牢の階上、おそらくは広間の方角。
 耳を澄ますと恐怖の叫びに重なって異音。
 ぺた。
 音だけではない。妖忌の感覚は近づいて来る他者の存在を告げている。
 ぺた、ぺた。
 木の床を踏む音が近づいてくる。
 ぼう、と。
 廊下の奧に浮かび上がったのは、一人の男。
 裾がほつれた安袴。白玉衆の若衆であろう。見廻りかとに思ったが、何処か様子が妙である。
 虚ろな眼。
 手足はふらふらと揺れ、挙動が定まっていない。
 ずるずると足を引きずり、男は座敷牢の前に辿り着く。
「――何用か」
 押し殺した声で尋ねるも、返答は無い。
 尋常な様子ではなかった。何か用があるというわけではなく、妖忌の姿が目に入っているかどうかも疑わしい。
 男の全身が痙攣した。腹に刀を刺し込まれたようなわななきだった。
 そのまま二、三度と身を震わせて。
 ごぼりと血の塊を吐き出し。
 物も云わずに――倒れた。
「此れは一体――む?」
 ちゃり、と。
 金属質な音が妖忌の耳に届いた。
 男の腰には、錠前に対する鍵の束があった。
 妖忌の脳髄がぶんぶんと唸りをあげる。
 何が起こっているのか。
 この男の身に何があったのか。
 疑問は尽きぬ。だが、今成すべきことは只一つである。
 格子の隙間から手を伸ばし、鍵をむんずと掴み引き寄せた。
 がちゃり。
 錠前を解き、扉を潜り抜ける。体を伸ばすとあちこちが悲鳴をあげたか、構っていられるはずもない。
 屍骸は捨て置き、声が響く方向へと走り出した。



 ――傷が痛む。
 肩に受けた矢傷から血が流れ出続けていた。矢毒でも塗ってあったものか。血が止まる気配は一向に無い。
 意に介さず走る。
 ずきん。
 振動が伝わるたび、脳天を揺さぶられるような激痛が全身を襲う。
 ずきん。ずきん。
 走る。
 走る。走る。
 ずるりと足がぬめった。
 見下ろすと、ねっとりとした赤い液体が足元に絡み付いていた。
 何時の間にか目的の広間前に着いていたらしい。
 目の前には巨大な襖。
 つんとした異臭を放つ粘つく液は、襖の向こうより流れ匂うてきている。
 既に絶叫は静まっていた。
 うう、ううと。呻きのような声ならぬ声が低く流れている。
 一枚隔てた先は大広間。頭領が、白玉衆の大半が、そして幽々子は其処に居るのであろうと、そう思う。
 となればおそらく――
 何が起こっているか、どんな状況になっているかは考えたくなかった。
 考えが及ばないわけではない。
 此処に走り来るまでに、大方の予想はついていた。襖の前に立ったところで、推測は確信へと変わっていた。
 何が起きるであろうか解っている。
 どのような光景が目に入るか知っている。
 だが。
 それでも――
 雑念を振り切るように、襖に手をかけた。
「幽々子様、失礼致す!」
 思い切り。
 引き開く。
 鬼娘が。
 富士見の娘が。


 ――西行寺幽々子が立って居た。


 妖忌が。
 茫然として立ちすくんだ。
 幽々子が。
 ゆっくりと振り向いた。
「お――お嬢様」
 声が声とならぬ。
 やっと絞り出したのは、己のものとも思えぬ掠れた響き。
 思うたより遥かに凄惨であった。
 想像に倍する情景であった。
 十と数畳、井草も香る一室に山と積まれし柔な肉。積み重なる肉へと目を凝らせば、喉を掻き毟る、苦悶の表情を浮かべる、救いを求めて手を伸ばす人。人だった残骸。青々とした畳に沈着するのはどろりとした黒と赤の塊。
 ずきり。
 ずきり。ずきり。
 全身が軋み痛む。頭が眩眩(くらくら)した。
 倒れ込みそうな身体を、すんでの所で持ち直す。
 見覚えがある姿に、眩んだ瞳の焦点が合わされた。
 西行寺の紋附羽織。
 六尺を超える体躯。
 白玉衆の頭領だ。
 妖忌に気づく様子も無く、かっと目を開いて喉をかきむしり叫んでいた。
 ごぼごぼと嫌な音を立てて血を吐き出し続けている。
 声も出ず立ちすくむ妖忌の前。
 男は一際高く叫ぶと、血を大量に吐き出し事切れた。
 その鮮血が宙を飛ぶ。
 周囲の骸にぶつかり、四散する。
 ぴ、と。
 柔らかそうな頬が赤く染まり。
 幽々子の口元が奇妙に歪む。
 飛散した血が、幽々子の透き通って白い肌を彩っていた。

 ずきずき。
 ずきずき。

 肩にも頭にも、耐え難い程の痛みが襲ってくる。頭の中がじんじんと鳴って、脳髄は揺さぶられているようだ。
「やっぱり――」
 誰に語りかけるのでもない、幽々子のか細い声だけが響く。
「やっぱりこうなるのよ。所詮私は不死視の家の忌み子。只自のみが何も負わず、咎無き者を死にへと誘う鬼娘」

 ――どうしてこうなのかしらね。

 自嘲めいた嗤い。
「お嬢様、繰言はお止めくだされ。今は一刻も早く此処より離れねばなりませぬ」
 呼びかけた。
 反応が無い。
 ぎり、と歯が鳴った。恐怖と苛立ちと忠信とがない交ぜになっていた。
「さあ、こちらへ――」
 一歩進み、また呼びかけた。
 少女が首を振った。
 静かで達観して、それなのに子供がいやいやをするような首の振り方だった。
 頭に血がのぼった。
 肩の熱は既に耐え難い。眩暈もひどく、幽々子の姿もはっきりとは見えない。自分の身体が本当に自分のものであるかどうかも不明瞭だ。
「何故です!?」
 叫んだ。
 何故このような真似を。
 何故己がついていながら。
 何故こんなことになってしまったのか――
 視界が暗い。
 何も見えぬ。
 声しか聴こえぬ。
 矢毒が回ったせいか、自分の体が自分のものではない様だ。
 それとも、血の匂いに酔うたか。
 醜く陰惨なこの地獄に。
 それでもよろよろと歩み、幽々子らしき影に手を伸ばした。
 幽々子が悲しげに微笑んだ気がした。
 目元にはぬらりと光る何かが見えた。
 繊手が首筋へと触れたように思えた。
 そして。
「御免なさいね、妖忌」
 言葉が聞こえたのを最後に、妖忌の意識は闇に沈んでいった。



 あら、紫じゃない。
 待っててくれたんだ。貴方なら気付いていると思ってたけど、やっぱりそうだったわね。
 道程(みちのり)
 それは大変だったわよ。妖忌が私を連れてくるならともかく、その逆じゃねえ。
 しょうがないけどね。妖忌は怪我してるし、まだ目を覚まさないし。
 うん。
 でもいい月ね。西行妖が綺麗だわ。
 ――どうするの、って云われてもね。
 解っているでしょ。
 ううん、もう決めたことだもの。
 妖忌が知ったら絶対止めるでしょうし。私も決心(こころ)が鈍るでしょうしね――
 あらあら紫。そんな顔しないで。貴方らしくないわ。
 絶望したとか、そういうのじゃないのよ。
 白玉衆がああなったのだって、それほど気は咎めないわ。外ならともかく、幻想郷(ここ)まで追ってきたのですものね。
 ただ。
 ただ――ね。
 いつかは、貴方を傷付けてしまうかもしれない。
 ひょっとすると、妖忌を死に招いてしまうかもしれない。
 それが怖いのよ。
 自分がどうなっても悔やみはしないでしょうけど、紫や妖忌に何かあったら死んでも死にきれないわ。
 解ってくれた?
 ああ、もう。だからそんな顔しないでってば――
 私まで辛くなっちゃうじゃないの。
 ――ええ。
 それじゃあ、皆によろしく云っておいてね。
 妖忌は怒るでしょうけど、何とかなだめておいて頂戴。
 あ、それから――

 ――有難うね。貴方に会えて良かったわ。


十一


 其れが何なのか、直ぐには解らなかった。
 西行妖の満開の下。
 花より匂う桜色の髪。
 手には小刀。
 頸筋より朱。
 地に伏す白。
 紅い血を流し地に伏す主の姿がそこにあった。
 その横には、紫衣装の妖が一人。
 何をするでもなく、倒れた少女を見詰め続けていた。後姿なのでどんな表情をしているかまでは解らなかった。
「紫、殿――」
 よろよろと立上がって、声をかける。別に何を話そうと思ったわけでもない。何となくの、反射に近い行動だった。
 並び立ち、其れを見下ろす。
「幽々子様は――」
 聞くまでもなかった。
 只でさえ白い肌を白蝋として、鮮血流し仰向けに倒れている姿。
 見紛いたくとも、余りに確かに在りすぎた。
 転がっているのは、何度視ても骸だった。
 妖忌は夢想家でも逃避主義者でもない。従者であり武人であり、優れた現実家である。幽々子の心の闇まで知り抜いている。そうでなければ、長年傍に居ることなど出来たわけが無い。
 どんな過程で、何があったのかを心得た。幽々子がこうなることを選んだ気持ちまで手にとるように解っていた。
 それでも、答えを聞かずにはいられぬ自分が腹立たしい。
「自尽したわ。あそこにあるのはもう――脱殻(ぬけがら)よ」
 妖忌の心の内を知ってか知らずか、淡々とした言葉。
 不思議と涙は出なかった。
 悲しみもなかった。
 ただ、胸の内にぽっかり穴が開いて隙間風が吹き抜けて行くようだった。
「紫殿」
「なあに?」
「貴公、その折に――」
「居たわよ。話もした。最後まで見ていたわ」
「ただ、黙って見過ごしておられたと云うのか――」
 責めるような調子。
 云わずにはいられなかった。
 だが、繰言に過ぎぬ。
 幽々子は飄々とした娘だが、心から決めたことは決して曲げない一面があった。
 自尽を望んでいたのなら自分にも止めることは出来なかったかもしれないとも、そう思うからだ。
 しばしの沈黙。
 紫は妖忌から目を逸らしたままだ。
「死を迎えた人や妖は、どうなると思うかしら」
 ぽつりと聞いてきた。返答の気力もなかったが、何とか言葉を絞り出した。
「拙者は神仏を篤く信ずるものでは無き故、自信を持っては答えられませぬが――地獄か極楽か、此の世ならぬ地に向かうことは間違いありますまい」
 紫が頷く。
「その通りね。外の世界はともかく、幻想郷で生を失った人や妖は冥界に往くわ。地続きなのよね、あそこ。その気になれば歩いていける。其処である者は転生し、ある者は成仏し、今一度地上へと還ってくるのが大半ね」
「――幽々子様が輪廻転生し、帰還されるのを待て、と?」
 紫が首を横に振って息をついた。
 心底辛そうな吐息だった。
「幽々子の能力(ちから)は特別すぎたわ。あの娘は多分、同じ能力を持って還ってくるでしょうね。死を操る能力は、外でも幻想郷でも忌避されるのよ。あの娘にまた――同じ労苦を背負えと云うの?」
 嘆きながらもどこか思案気である。
 閃くものがあった。
「そうまで云われるからには――何やらお考えがあるようですな」
「死んでいる、というのは――眠りに似ていると思わない」
 ようやく向き直ってきた。
 金の瞳が真っ直ぐに妖忌を見詰めてくる。妖忌も目を外すことなく視線を返した。
「申し訳御座らぬが、今少し明瞭にご説明願いたい」
「そうね、つまり」
 空に向けた掌に、西行妖の一片が舞い落ちる。
「西行妖を媒介にして、幽々子を冥界に封じてしまうの。姿も精神(こころ)も、何も変わらず」
「そのようなこと――」
 出来るはずが無い、と云いさして止めた。
 要するに結界の一種であろう。都にいた時分、呪師の類が試みるのを見聞したことがある。細部は少々突飛も無いが――考えてみれば此処は幻想郷、話相手は八雲紫。不思議も不可能も意味を成さぬ組み合わせであろう。
「――どういうことになりますのか」
「しばらくは冥界で眠り続けるでしょうね。もし目が覚めても、転生することもなく。成仏することもない。周りの人や妖を死に誘うこともない。何といっても、冥界にいるのは死者だけなんですから」
 想像してみる。
 輪廻のくびきから放たれ、此方でなく彼方で暮らし続ける。
 望ましいかもしれない。
 現の憂さも無いのだろう。
 しかしそれは――人で無くなると云うことではないか。
 さしもの妖忌もそれには二の足を踏む。
 だが。
 幽々子の表情(かお)を想起する。
 何時からだったろうか。
 都に居た時。
 旅の最中。
 幽々子はいつも寂しそうだった。感情を表に出さないか、取り繕ったような笑みを浮かべているかだった。
 妖忌の記憶でも、幽々子が心から楽しそうだったのは、幼なき頃と、幻想郷での短い生活の時のみだった。
 そして。
 今わの際に見せた、悲しそうな笑顔。
 過去未来を通じ、あのような表情をさせていいものか。
 ――いや。
 逡巡は一瞬だった。
 妖忌の心は固まった。
 梃子でも動かぬ固さだった。
「現であろうと夢だろうと、幽冥界の何処にあろうと。幽々子様が心安らかに在られるならば、只、それだけで――」
「いいの? それはそれは長い眠りよ。目覚めていた頃、生きていた頃の自分と、在った人々との全てを忘れてしまうほどに。勿論、貴方のことも――」
「問うまでもありませぬ。例え幽々子様が拙者を忘れられていようと、それが何の問題となりましょうか。我が身の思いなぞ、幽々子様の労苦に比べれば何のことはありませぬ」
「……解ったわ」
 紫は少しだけ頷くと。
 西行妖と幽々子の亡骸へと向かい合った。


「……掛けまくも畏き伊邪那岐大神 筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原に禊ぎ祓えたまひしときに成りませる祓戸大神たち もろもろの禍事罪穢あらんをば祓えたまへ清めたまへと白すことをきこしめせとかしこみかしこみも白す……」
 謡うような調子で、紫の声が響く。
 しゃん、しゃん、と。
 何処からか鈴が鳴って扇が舞った。
 ざわわ、ざわわと風が啼く。
 消えてゆく。
 幽々子と西行妖との実像が薄くなってゆく。
 はらはらと振りつむ桜の花。
 ひゅう、と一抹の風が吹いた。
 舞い上がった花と葉とが、妖忌の視界を覆う。突き刺さるようなそれらが痛くて、思わず目を閉じた。
「――終ったわよ」
 紫の無表情な声が耳に届いた。
 目を開く。
 ただ広々としただけの丘。
 花と葉しか残っていない。
 佇んでいるのは妖忌と紫だけ。
 そこにはもう――誰の姿も無かった。


十二


 沈黙を破ったのは紫だった。
「さて、貴方はどうするのかしら?」
 単刀直入に問う。
 主を失った従者ほど辛いものはない。心底から仕えていたとなればなおさらだ。
 逡巡無く、至極あっさりした答えが返ってきた。
「知れたこと。幽々子様が冥界にて眠り続けるというならば、拙者もここで腹切って冥府にて――」
「無意味ね」
 ぴしゃりと撥ねつける声が、妖忌の短絡を鋭く遮る。
「冥界で霊になって幽々子を待つつもりでしょうけどね。骨折り損になるだけよ。さっきも云ったでしょ? いつかは成仏するか転生するかしなくてはならないわ」
「む――そういえば先ほどは、幽々子様を眠らせると――」
「その通りよ。あれは只の比喩じゃない。幽々子は本当に眠ることになるわ。目を覚ます前に貴方が転生でもしたらどうするのよ。かといって、貴方も冥界に封ずるなんて論外。あれは西行妖があって、幽々子が死んでいたから出来たのよね」
 妖忌が難しい顔をして考え込む。
 少しすると渋く暗い色が晴れてきた。紫には、妖忌の思考の過程が手に取るように解っている。幻想郷と冥界が地続きと云ったことに気づいたのだろう。
 だが。
「ならばこの身のまま、冥界に行きて――」
「手ではあるけど……あそこはつまるところ死霊の地。長く居ることは出来ないわよ。人の身では――ですけどね」
「――人の身では、ですかな」
 含みをもたせた言葉に、果たして妖忌が反応した。
 眉がぴくりと上がり、紫に鋭い視線を送ってくる。
 蝙蝠(かわほり)にて口元隠し、妖忌の眼を覗き込んだ。
「魂は冥土に、魄は地上に。片羽の蝶が舞えぬ道理は何もなし」
「何を云われる?」
「簡単なことよ。生き死にの狭間で、人としての姿のまま冥界に居ればいいの」
「つまり――拙者がこの姿のまま、生きもせず、死にもせずに、冥府に向かうと」
 紫は扇をくるりと翻す。
「私は、時の、空の、海の地の、彼方と此方の狭間に在る化生。生でも死でも、有でも無でも、あらゆる境界を歪め渡る隙間の妖怪。人と幽の境界を弄るのも難しいことじゃないわ」
 紫の言をどう捉えたか。妖忌は眉根を寄せて何か考えこんでいた。
 少々唐突な提案だったかと、紫は迷いに襲われる。自分は彼の者の傷口に塩を塗りこんでいるのではないかと――らしくない思念が頭をよぎった。
 だがこうなっては引っ込みが付かない。ままよとばかりに続けるしかない。
「半人半霊とならば、寿命は殆ど無限よ。大悟でもしない限り、ずっと姿を保ったままで居られるわ。まあ――寿命が延びるだけだから、體も心も、ゆっくりと老いてゆくけれど」
 妖忌は黙り込んだままだ。不安が拡大する。
「……御免なさい、こんな時に云うべきことでは――」
 矢張り焦りすぎたか。時を置くべきだったかと。紫が頭を下げようとした時。
「それしかありますまい。紫殿、お願いし申す」
 簡潔な答えが来た。
 即断だった。いっそ心地良いほどの涼やかさだった。
 紫は心の奥底で泣きそうになる。
 妖忌の顔はさっぱりとしていて、つい先ほどまでの昏い色は微塵も無い。見失いかけた自分の生きる道をまた取り戻した、そんな趣すらある。
「本当にいいのね。一応云っておくけど、幽々子が目を覚ます保証は無いわ。もしかするとずっと眠ったままかもしれない。目覚めても貴方のことを覚えていないかもしれない。それでも、そう願うのかしら?」
「然り」
「迷わないのね」
「迷いませぬ」
「惑いもせず」
「惑いませぬ」
「後悔もしない」
「欠片ほども」
 只、幽々子様の御側に――と。
 衒いも力みもなく、真っ直ぐに妖忌は断言した。
「……解ったわ」
 数分程も黙っていただろうか。紫は諦めたように深い息をついた。
「すぐ終わる。ちょっと目を瞑っていてね――」
 一度目を閉じ、開き。
 紫は扇を手に、呪言を紡ぎ出した。


「手数をおかけ申した。以後、拙者は冥界にて幽々子様を待ち続けるといたそう。然らば、これにて――」
 楼観剣と白楼剣とを渡すと、妖忌は編笠を深くかぶった。
 一礼。そのまま背を向けて歩み出す。
 消えてゆく。
 迷家と丁度反対の方角に丘を降ってゆく。
 如何なる道行きを辿ってか――冥界へと己が足にて向かうつもりなのだろう。
 見えなくなるまで、紫はその後姿を見守っていた。
 完全に見えなくなると、ほうと息をついた。我知らず出た溜息だった。
 背中より何かの気配。
 振り向くと、道服を纏う式が何時の間にか控えていた。
「――藍」
「はっ」
「――これで、よかったのかしら」
「私は只の式故に、善し悪しを判ずるなどは――」
「そうだったわね」
 三歩下がった式に答え、眼を凝らす。
 見上げる。
 西行妖は無い。
 見渡す。
 妖忌は去り、西行寺幽々子も既に亡い。
 迷家に帰っても、自分と式以外には矢張り誰もいないのだ。
 紫は首を振った。何だか妙に寂しかった。
「帰りましょう、藍。もうここには――来ないわ」
 春なのに冷たい風が吹いた。
 これより以後、この丘を尋ね来る者は誰一人居なかったと云う。


十三


 妖忌は座していた。
 黙然として西行妖の下で足を組んでいた。
 人魂めいた半身を傍らに纏わせたまま微動だにしない。
 冥界に降ってからは、西行妖が花を咲かせることもなかった。青々とした葉をつけているだけだった。その方がなんとなく好もしかった。
 そのうちに東の空から日が昇ってきた。大きくて薄暗い、黄昏時のような日だった。座したまま見ていると、やがて薄暗いまま西に沈んでいった。
 今度は月が見えてきた。半身をすっぱり切り落とした半月だった。何となく悲しかったのでずっと見ていると、東から太陽が昇ってきたので見えなくなった。 
 また太陽が天頂に向けて動き出し、しばらくすると沈んでから月が昇った。
 数十回繰り返すうちに季節は変わったけれども、妖忌は座して待つがままだった。
 食に事欠くことはなかった。
 ふと気がつくと、足元に果物や米や肉が置かれている。
 紫が差し入れてくれたものに違いなかった。十分な量だったし、半幽霊となった身では以前程定期的に食を取る必要はなかった。
 むしろ気になったのは衣の方だ。いつ何時幽々子が帰ってきても良いように身だしなみを整えておく必要があった。しばらく考えた末、洗いさらしの袴をたくさん用意し、定期的に着替えることにした。
 雨が体を濡らし。
 雪が降り積もり。
 風が吹き付ける。
 そして昼間の太陽が、雨風に打ち付けられた身体を乾かす。
 一日二日、一月二月、一年二年と――
 繰り返すうちに、妖忌の顔には深い皺が刻まれていた。
 西行妖は葉を付けたままで。
 人妖も通りかかる者は無し。
 それでも妖忌は待ち続けていた。
 伸び放題だった髪と髭を整えたら、何時の間にか真っ白になっていたのが妙に可笑しかった。


 干支が六回程回った頃のことである。
 或る春の日。視界の片隅に見慣れぬものが飛び込んできた。
 薄桜色。
 桜色の何かがさわさわと揺れている。
 花弁か。
 だが、西行妖は今年も花を付かせておらぬはず。
 奇妙に思って振り仰ぐと、めぐり一片が妖忌の面を掠め風に吹かれて消えていった。

 ――否。

 吹かれているのではない。
 風はすっかり凪いでいて、空は冷たい海のよう。
 掌を天に向けてみても、空気の動きは感じられぬ。
 してみると――己で飛んでいるものか。
 ひらりひらりと、又何かが近寄ってきた。
 妖忌はじっと目を凝らす。
 ゆらゆらと揺れる薄い羽に、ぴんと伸びた触角。
 蝶だ。
 朦朧とした光を放つ蝶だ。
 桃と薄黄に彩られ、彼方が透けて見えるほどに薄葉なる蝶。
 その蝶が、大挙して桜の枝にと止まっている。
 見たことも聞いたことも無い、半ば幽霊めいた群れであった。
 桜が咲いたと見えたはこのせいであったかと、妖忌は一人頷く。

 ふわり。

 白髪が揺れた。
 一陣の春風が吹き抜ける。
 風に搖らされて、一匹が空に舞う。
 一つが飛び立つと、また一つ。それに釣られて更に一つ。
 地には幾百、天に幾千。相共々に飛び立った。
 燐粉ならぬ燐光が冥界の微昏い空を満たす。見事な情景にほうとばかり感嘆の声をあげかけ――

 ――何だ。

 己以外の何者かの気配。
 数十年、他者の影なぞ全く見なかった地である。今しがた(そら)を埋めたものかとも思うたが、それにしては妙であった。
 気配は人のものと似て、どこかが違う。妖か霊か鬼か死か。強いて云わば、半幽霊たる己が身に最も近かろう。
 ――霊だと?
 ある予感に動悸が早くなるのを感じる。
 其の上、柔らかで飄然とした気の流れには覚えがある。
 もしやこれは――と。
 座禅を崩し。
 幾年振りに立ち上がり。
 ぐるりと辺りを見渡して。

 息が止まった。

 何時からそこに在ったのか。
 西行妖の下。
 澄明(ちょうめい)なる死蝶が羽ばたく真中にて、ひらりふわりと舞い踊る姿。
 しゃらん、しゃらんと。鈴の音が鳴り響く。
 白の小袖に藍の単と思しき装束。壷折姿にも似た傾いた仕立に、黒の細帯を結び切る。双肩に波がかって垂らされた桜色の髮。朱色の染料にて渦巻模様を記した紙冠(かみかぶり)。純白の魂が其の四周に浮かんでいた。
 違えるはずがない。
 見紛うはずもない。
 息を呑むことも出来ず、妖忌は食い入るように、舞い踊る娘を見詰め続ける。
 どれ程の間魅入られていたものか。
 ぱたん。
 翠の扇が閉じられる音がやけに大きく響き。
 くるりと娘が一回りして。
 舞が止んだ。
 さあ、と。蝶の群れが四方八方へと飛び去って行く。
 ゆっくりと振り向いて、凝乎と注視るその姿。
 死人を遣う富士見の娘 (うつつ)より消えし不死視の娘 冥府に還る――


 西行寺幽々子


「良く寝たわ」
 第一声がそれだった。
 聞き違えるはずもない雅声。
 幾年を経ようとも記憶からけして薄れぬ響きであった。
「――お待ち申しておりました」
 自然に身体が動いていた。妖忌は地に膝を付き、畏まって言葉を紡ぐ。
 幽々子がゆっくり振り向いた。僅かに宙に浮き、不思議そうに小首を傾げる。
「あら、貴方は誰?」
「誰――と仰るか」
 妖忌の心がちくりと痛む。
 成程、主は眠り続け、目を覚ましたときには何もかもを忘れていた。
 だがそれでいい。為すべきことは変わらぬのだ。
 迷妄も雑念も無い。
 己が使えるべき主は唯一人。幽玄にて凄絶なこの少女のみである。
「お忘れやもしれませぬが、拙者はかつてお嬢様に仕えし者。お目覚めの時をお待ち申しておりました」
「そうだったの。あらあら、待たせすぎちやったかしらねえ」
 幽々子は小首を傾げた。
 妙に可愛らしい挙作と、影の無い表情。遙か昔、死の影を纏う前の――赤ん坊の頃のような仕草。
「お気になさらず。いかなる御用であれ果たすが拙者の務めなれば、何なりと御下命を――」
「何でもいいのかしら?」
「はっ」
「じゃあ、そうねえ――」
 天を見詰め、しばしの思案。
 少しして。
 ぽん。
 飄々とした面持ちのまま手を打った。
「それじゃあ、何はともあれ、ご飯の支度をお願い。眼が覚めたばっかりでお腹ぺこぺこだわ」
「承知致した」
「それじゃこっちに――」
 歩みだそうとして少女が振り返り。
 後に従わんとする老翁が問い返す。
「あら、そういえば」
「いかがなされましたか」
「名前を聞いていないわ。私は幽々子。西行寺幽々子。じゃあ、貴方は?」
 尋ねられふと言葉に詰まる。
 待ち始めてより幾十年。己が名なぞ思い起こすことはまず無かった。
 隅に追いやられていた記憶を想起する。
 西行寺の衛士。
 幽々子の従者。
 妖忌という名ははっきり刻印されているものの、さて苗字と云えば何であったか。
 八雲紫の言葉を思い出す。

 魂は冥土に在りながら
 魄は地上に留まりて

 然り。
 ならば。
 幽冥郷の果てにて仕えるこの身は――

「妖忌。魂魄妖忌と申します」

 ――魂魄妖忌、只今参上仕る。

(了)

投稿者: 日時: 21:38 | | コメント (0) | トラックバック (0)

祭り開催中

●今日のSS

SS作家が、歌ったり踊ったり電撃結婚しながら嘘予告を発表する祭り

 TYPE-MOON板発で嘘予告祭り開催中の模様。いいペースで作品が投稿されております。
 お勧めは辰田信彦氏の「凛ねえ」。
 お姉ちゃん属性を獲得し、バカ姉と化した凛が最高すぎですよ。
 祭りの開催期間は今月末までのようです。振るってご参加を。

 とりあえずバナーを張っておきます。


 なお、参加される方は規約である

・外部リンクに登録禁止
・嘘予告なので、予告で終わっても泣かない
・型月関係の嘘予告であるなら、クロスでも普通のでもOK
・外部リンクは自分のサイトにのみ可

 にご注意くださいませ。

投稿者: 日時: 21:55 | | コメント (0) | トラックバック (0)

久々のSS

 久々のSS「魂魄妖忌只今参上仕る」を、ブログとSSページに載せました。
 Coolierさんの「東方創想話」にも投稿してあります。
 後編も近いうちにアップ出来るかと思います。
 もしよろしければご意見ご感想を頂けると幸いです。

 あ、それとルビを多用しているのでIE系ブラウザの使用を激しく推奨。

●WEB拍手レス

>花のエミヤ 其の2も期待してます

 ……が、頑張ってみます。
 今度は本文丸写しでない方向で。

色んな恐怖症

 多種多様な恐怖症があるものですなー……
 アラクノフォビアが多いそですな、そういや。

投稿者: 日時: 23:04 | | コメント (0) | トラックバック (0)

東方SS:「魂魄妖忌只今参上仕る」(前編)

「魂魄妖忌只今参上仕る」(前編)



 屋敷が燃えていた。
 炎が夜を赤赤と照らし出していた。
 富士見の本家が、火に取り巻かれ燃えている。
 頭領と思しきは、具足姿の壮年。手に引っさげた大刀。
 屋敷を取り巻く松明掲げた無数の配下。
 油と紙とが母屋一帯に敷かれ、炎を上げていた。
 都の片隅と云えど、公衆の面前でこのような狼藉を行えば役人が飛んでくるはずだが、そのような気配は全く無い。
 してみると、役人も周知の上のことか。
 仁王像の如く立つ頭領の元に、数人の若者が駆けてきた。目標の捜索を命じておいた者共であろう。
「姿が見えませぬ。近隣にもあたってみましたが、かくまっている様子は皆無。既に山へと逃げたかと」
「となれば、我らの焼き討ちを察していたか。あの小娘にそのような真似が可能とも思えぬが」
「例の従僕も消えております。となれば……」
「……妖忌めが連れ出したか。小癪な」
 忌々しげに舌打ちすると、頭領はさっと手を上げた。呼応して配下がわらわらと集まり来る。
「捜索隊を編成せよ。直ちに追撃にかかる。国境へも使者を送れ」
「しかし頭領。そこまでやることは無いのではありませぬか。あの娘も望んで一族を滅ぼしたわけでは無い。罪無きものです。ここまで追い詰めるのは、どうにも……」
 気の弱そうな配下の者がおずおずと提言してきた。
「聞く耳もたぬ」
 泣き言をぴしゃりと遮る。繰言を聞いている暇は無い。
「追うのだ。何があろうとあの娘を生かしておいてはならぬ。罪が無い? 馬鹿な。仮に生かさば、また何処かで死骸の山が積まれることとなるのだぞ。それが我らでなくとも、見逃す事なぞ出来ぬであろう」
 鋭い語調で睨み付ける。
 何か云いたげに口を開きかけたものこそ数名居たが、結局、わざわざ反駁するものはいなかった。
 ぎょろりと眼球(めだま)開き、手を振って声を張り上げる。
「山を狩れ。川を漁れ。隣国への関所を見張れ。艪櫂の及ぶ限り、あの娘を追い続けよ。見付け次第叩き切っても構わぬ!」
 号令一下、松明をかざした男共は四方八方へと散っていった。



 冷たい雨だった。
 春夜の雨は未だ冷たく、一足を進めるごとに体温が奪われてゆく。草木の生い茂り藪も密な山中を歩むとなれば尚更であろう。
 ましてや此処は峰をぐるりと取り巻く、足を踏み外せば後が無い崖の山道。真暗な空にどんよりとかかる雨の雲。屈強の旅人とて踏み入るを躊躇すると思しき道行き。
 そんな中、深編笠に手甲脚絆。旅装束にて、闇に紛れて歩む影が二つ。
 一つは娘。その面は旅装束に隠れてはっきりとは見えぬにせよ、少女と呼ばれるべき年嵩なのは見当がついた。
 一つは男。六尺はあろうかという長身で少女の前を歩み、己の身体を雨風を防ぐ盾としている。
 男の吐いた息が白い煙として凝結し、直ぐ散った。雨に湿った土を踏めば、ぐにゃりとした肉のような感触が足裏に伝わる。流れ滴る泥が、濁り切った血のようだ。
 少女が崖下に目をやった。
 ちらちら、ちらちらと松明の篝火が明滅している。大勢で草の根掻き分けての探し物の模様。目を凝らせば、松明をかざした追手(おって)どもの姿までが見えてきそうだ。
 怒鳴りつける声の端までは流石に届かぬものの、騒騒(ざわざわ)とした様子だけは明瞭(はっきり)と見て取れる。
「――妖忌」
 不安げなか細い声に、妖忌と呼ばれた男は足を止めた。
 くいと編笠を上げ、少女を見やる。
 笠の下から精悍とも言える面構えが覗いた。
 年の頃は二十と半ばであろう。撫附けられた灰色がかる髮に、彫刻された峻嚴な面。鋭い瞳には明白な意志の強さが宿っている。
 背に負うたは二尺七寸、腰にたばさむ一尺三寸。
 立居振舞いから見るに、少女の従者か家臣の侍であろうか。重厚な物腰の、人品卑しからぬ若武者である。
「ご安心を。如何に奴らとて、ここまでは追うて来られますまい。どうぞ今しばしのご辛抱を。今宵の雨露を凌ぐ場を探さねばなりませぬ」
 錆を含んだ善く通る声に、少女は首肯(うなず)くのみ。
 答える気力も無いのか。
 ただでさえ白い肌は蒼白に近く、唇も青白く染まっている。雨の中で震える小さな身体が哀れを誘った。今にも倒れてしまいそうな風情。

 ――無理もない。

 吐息と共に妖忌は天を仰いだ。春雨がぽつ、ぽつと端正な顔を濡らす。
(どうしたものか――)
 歩き詰めの上、降り続けの冷たい雨は少女の体力を確実に奪っていた。日々の鍛錬と戦場往来で鍛えられた妖忌ならばいざ知らず、この行程、婦童(おんなこども)には少々荷が重かろう。
 ざあざあと。
 小粒だった雨は何時の間にか大粒に変わっている。
 雨露を凌ぐとて、当てがあるわけでもない。宿場街道ならばともかく、都より遠く離れた片田舎の山中だ。茶店の一つでもあれば救いとなろうが、人気の無い地を幸いに足を向けた山。そのような場があろうはずもない。
 隣国に続く古街道へ抜けるつもりであったが、そもそも辿り着けるかどうかが怪しいところ。
 仮に辿り着いたとしても、国境の河は濁流となっているであろう。粗末な橋がかかっていたはずだが、水が少し暴れれば流されてしまう程度のもの。
 ――この雨模様では無謀か。
 そうまで思うと身体の隅々まで、急に疲労が広がってきた。
 ――甘えるな。
 愚痴の一つもこぼさぬ少女の姿に、萎えかけた心を奮い立たせる。
 己一人ならば、天に生き死にを左右されようと恨むことは無い。だが今は、万策尽くしてでも少女の生と安全を確保する必要がある。
 まだしも歩み易そうな道を選び進みだす。
 道を曲がり尾根を登りまた下った。
 夜闇のせいで方角が正しいかどうかも心許ない。
 己一人が野垂れ死ぬならばともかく、まさかに主を野晒の憂き目に合わせるわけにはいかず。時を経るにつれて厳しくなる妖忌の面。
 休息出来る場所を求めてさらに歩を進めると、徐々に道幅が狭くなってきた。少女に手を貸しながら藪だの斜面だのを突っ切れば、耳に届くせせらぎの音。少女は耳聡くそれを聞きつけ、妖忌の袖を引いてくる。
「……川の音じゃないかしら?」
「――行ってみましょう。もしやすると、身を休める場があるかもしれませぬ」
 はて、この辺りに水源なぞあったかと、妖忌は心中首を傾げる。
 だが川の側ならば小屋の一つや二つあるやもしれぬ。少女を促して沢筋への道に足を向け往くも、水音は近づいたかと思うと遠離り、また近づいて遠離る。
 夜の山に惑わされたか、狐狸の類に化かされたかと不安に覚え、彼方此方(かなたこなた)へと迷うていたのがおよそ半刻。沢への筋も定かならず、いつしか四方八方には暗く繁った草草、四方八方を囲む藪。
「妖忌、あれ、何?」
「む……?」
 少女の言葉に藪の向かうを透かしてみれば、ぽっかりと岩穴が口を開けている。妙なことに水音は穴の奥から聞こえているようだ。さて、何処からか反響でもしているのか、穴の奧が川にでも続いているのか。
 せめて雨露と寒さを凌ぐ頼りにはなろうと、背を屈め大岩小岩を取り除き狭い岩穴を進めば、益々大きくなる水音。やがて視界が開け岩が尽き、急な斜面が現れ、さっと広がる異なる風景。
「これは……」
 妖忌は絶句し、少女は歎声をあげた。
 平原であった。
 草花が萌える一面の平野であった。
 絵巻物に見たことのある唐土の桃源郷の景色と異なろうとも思われぬ。足元の土と草との確乎りとした感触と、若草の柔らかい匂いが幻ではないことを伝えてきた。
 改めて見渡せば、目の前には清流。水音はここから響いてきたものか。
 申し訳程度にかかる橋を渡れば、黄連(おうれん)東一華(あずまいちげ)鈴蘭(すずらん)海老根(えびね)三角草(みすみそう)編笠百合(あみがさゆり)には蓮華草(れんげそう)杉菜(すぎな)(あぶみ)蒲公英(たんぽぽ)とを取り囲む一人二人の静御前。まこと一面に雪解けの花々。
 色取り取りの花々は美しけれど、さて、進んだものか戻ったものか。
 どうしたものかと戸惑っていると
 ちかり。
 人工の光が一瞬目に入った。
 遠方を透かし見る。
 彼方先に。
 大きな屋敷が建っていた。
 屋敷の内側からは燈が僅かに漏れており、何者かが住まうとは思われる。
 常ならばこれ幸いとばかりに足を向けるところだが、まさかこんな所に立派な屋敷があるとは欠片も考えていなかった。
 いかにも怪しい屋敷に妖忌が躊躇していると。

 ぽつん。

 平原の一点に影が浮かんだ。
 見る間にその点は妖忌たちへと向かい来る。
 するすると近づいてくるにつれて、金毛と尻尾を持つ大柄な獣の姿がはっきりとしてきた。
 それは一匹の狐だった。
 野山で見かける狐より二回り大きい。金毛が風にしなやかになびいていた。
 ついと全身が真っ直ぐに伸びており、一種の高貴さを感じさせる。
 妖忌と少女から少し離れた野の真中で立ち止まり、くるくると廻る。
 只の畜生ではないと判じ、妖忌は気を張り詰める。
 何か物言いたげな瞳には、明白に知性の輝き。稲荷神の使いか、人を取って食う妖の類か。
 少女を己の後ろに回さんとするも、その当人は物怖じせずに踏み出した。
 編笠を取るとふわりと広がる桜色の髮。
 草花を踏む軽い(あしおと)に、狐が首をかしげる。
 じい、と。
 少女と狐は見詰め合う。
「――お嬢様」
「静かにしてて」
 たまりかねて声をかけた妖忌をぴしゃりと遮り、少女は凝乎(じっ)と見つめ続ける。
 数秒。
 数十秒。
 数分。
 妖忌が痺れを切らさんとした頃、四つの瞳が、何やら合意に達した気配。出でた時と同じように、狐は突然に背を向けて尻尾振る。
 少女も妖忌を振り仰いだ。
「着いて来いって云ってるわ、行くわよ、妖忌」
「しかし、お嬢様……」
 珍しく妖忌が難色を示した。それもそうであろう。
 突如として出現した穴。
 その先に広がりし野原。
 聳える屋敷に金毛の狐――
 怪力乱神狐狸妖怪を恐れるわけではないが、何もかもが怪しすぎる。
 眉間に皺寄せる妖忌に向かい、少女が少しだけ笑んだ。疲れの所為か弱弱しい微笑ではあったが、鷹揚とした、どこか余裕を感じさせる笑みだった。
「行くも戻るも同じことよ。戻っても待ってるのは先も見えない山道と、追ってくる人たちだけ。それなら、何が居るか解らない邸に行ってみましょう」
「――仰るとおりですな。せめて拙者から離れずに居てくだされ。この妖忌、万に一のことがあろうとも命を賭してお嬢様をお守り申す」
「そんなに気張らないでいいわよ。妖忌のことは信じてるから」
「……む」
 率直な言葉への反応に困っている内、少女はぱさりと扇広げ、ふわりふわりと草を踏みながら尻尾の後を追うていた。



 ふいと狐が姿を消したのは、屋敷の前でのことだった。
 見上げれば、五層はあろうかという木造の絢爛な建築。
 屋根は千鳥破風付の入母屋。二つの両端翼部が突出しており、全体としてコの字型の印象だ。妖忌が見慣れた武家屋敷とは程遠く、かと云って南蛮渡来の建物にしては和風の面影が強すぎる。観音開きの扉の横には雪洞(ぼんぼり)が備え付けられてすらいた。
 まるで花街だ。
 和洋折衷と呼ぶのがもっとも的確であろうか。何とも境界が判然とせぬ印象である。
「失礼する。何方(どなた)か居られぬであろうか」
 二度三度と呼ぶも現れる人も無く、仕方なく扉に手をかけるとするすると開く。
 とまた、数間先にて見ている狐の姿。
 コン、と一声啼くと尻尾を振って歩き出す。
「心配ないわよ。こっち来いって云ってるわ」
「しかしですな、お嬢様――」
 未だに難色を示す妖忌の様子などどこ吹く風。無造作に狐の後を追う少女に致し方なく付き従う。
 無数の襖に挾まれた板張りの廊下に踏み入る。
 足を進めるたび、きゅ、きゅと、板が鳴った。うぐいす張りであろう。
 廊下の鳴る音が重なる。先導している筈の狐からはその音が聞こえてこないのが、益々妙だ。
 庭に面した橋懸かりを曲がると、狐が首を振り曲げながら待っていた。
 風に揺られる尻尾は二本。
 矢張り妖の類であろうか。
 狐が口元歪めて笑った気がした。
 嘲笑でも憫笑でもない、何とも謎めいた笑いだった。
 その笑いに、妖忌は腹を決める。
 からかわれているだけにしても、何やら意図があってのことにせよ、直ちに害を為してくるということは無さそうだ。
 万に一つの場合となれば、楼観剣が鞘走るだけのこと。かの名刀と妖忌の腕をもってすれば、現世にて断てぬものなぞ多分無い。
 眉根を寄せて難しい顔をした妖忌の様子に、狐は走り出す。しなやかな疾駆に、妖忌と少女も駆け足で着いて行く。
 何処を如何通っているものか。屋敷の構造がどうなっているのか。
 左に曲がり右に曲がり階段を上り下り、母屋へと続きそうな長廊下を渡ったかと思うと、斜めに折れたまた新しい曲がり廊下。
 その度追う二人の目に映るのは、新たな通路に丁度消える、ふさふさとした尻尾のみ。 三四五本。
 六七八本。
 角を曲がる度に、尻尾が一本、また一本と増えてゆく。
 七つ目の角を曲がった時に待っていたのは、金毛九尾の狐と、立派な襖。
 襖へと向かい頭を垂れると

 こおん。

 奇妙な獣は誰かに呼びかけるよう一声高く鳴き、くるりと回って姿を消した。
「置き去りねえ」
 呆然と虚空を見詰める妖忌の横で、のほほんと少女が呟く。
 その言の葉が消える直前に。
「あらあら、藍、お客様?」
「――!」
 雅な声と背筋への冷水とを覚え、言い知れぬ気配の正体を見定める前に、妖忌は反射的に背の刀に手をかけた。
 ぱたん、と。
 少し遅れて襖の音。
 其の奥に。
 異装の女が座して居た。
 一分の隙も無い妖忌の構え見やり、女は艶然と笑む。
 ぞくり。
 どこまでも華やかな笑みに、妖忌の総身が粟立つ。
 ――物の怪か。
 息を呑む。
 美しい。
 否。
 美しすぎる。
 白地に紫の紋樣を配した小袖とも打掛ともつかぬ装束を纏い、頭には奇妙な被り物。武家やら公家やら、あるいは道道の者か判別がつかぬ。おさえ髷にも似た頭は金色に彩られ、それにも増して明るい猫の瞳がじっと見詰めている。風流の者にも見かけぬ伊達にて婆裟羅な扮装(いでたち)である。
 これは確かに――人では在り得ぬ。
 ごくり。
 喉が鳴った。我意に反して緊張した筋肉を解きほぐす。
 無意識に刀の柄に手が伸びた。
 鯉口を切ろうとした刹那。
 女はひらひらと扇を振ってきた。
「物騷な物から手を離したらどうかしら。藍が案内してきたお客様だもの、取って食べてしまうような真似はしないわよ」
「む……」
 張り詰めた殺気を茶化すかのように、扇で口元隠しころころと笑う。
 鈴の音を転がすような楽しげな響きに、思わず毒気が抜かれてしまう。
 思うてみれば女の云う通りである。
 察するに先の狐は使いの類であろう。ならば、人妖の別が定かならぬ相手といえど、然程の害意があろうとは思いにくい。
 己らを狙う輩の一味かもしれぬが、かような人界とも思えぬ地で待ち構えていることはなかろう。
 仮にそうだとしても、その時はその時である。
 落ち付けそうな場所に一旦足を踏み入れた以上、妖忌としては一刻も早く少女の身を休ませねばならなかった。
「――失礼致しました。館の主殿とお見受けいたす。我らはしがなき旅の者。雨の山道に難澁しておりました。よろしければ一晩の宿をお願いしたく」
「こんな家でよければ構わないわよ。こっちもそのつもりがなければ、藍を使いに出したりしないわ」
 藍と云うのはあの狐のことであろうか。
 使いに出したということといい、あの振る舞いといい、思った通りに只の狐では無かった様子。
 女の好意に謝意を示し、姿勢を正す。真っ直ぐに見据えて
「拙者、妖忌と申す。こちらは――」
 妖忌と少女とが名乗ろうとすると、紫が手をぱたぱたと振った。
「堅苦しい挨拶はいいわよ。それより休む方が先でしょ。可哀想に、すっかり疲れちゃってるじゃない」
 やれやれ、とばかりに。女は少女を見やる。
 休める場を得て張り詰めていた気が緩んだか。
 泰然自若を装ってはいるが、其の身は微かに震え、肌は紅潮している。発熱まではしていないようだが、蓄積した疲労が表に出てきていた。早い所、湯を浴びて疲れをゆっくり取らねばなるまい。
 鉄のように頑丈な己の身ならばともかく――少女の身にはやはり少々強行軍であったかと、妖忌は慙愧の念に襲われた。我知らずに、言葉の調子が重くなる。
「――かたじけない」
「それじゃ、こっちよ」
 だらだらと長く延びる廊下を、女の後について歩み出した。
 冷たい床だ。
 香り高い、木の床と柱。
 天井の木目が、朦朧と光る燐光に照らされて浮き上がって見えた。
 湯殿と客間は直ぐとのことだったが、こうして歩いてみれば、道中は十分にも二十分にも、或いは数秒にも思える。
 屋敷自体もまた一つの化生であるのだろうかと、そんな疑念も頭に浮かぶ。
「――ところで主殿。少々お伺いしたき疑が」
 ここぞとばかりに妖忌が疑念を問い掛けた。
 険しい山で偶々見つけた洞穴。そこを抜ければ肥沃な平野に、このような立派な屋敷。現世のものとはとても思えぬ。
 山賊の隠れ家か山の隠れ里か。それにしたとて、様子が奇妙である。
 実在しようとは思わなんだが、或いは音に聞く山中異界か。
 となれば――現世ならぬ幻世なのであろうか。
「此処は一体いかなる――」
「幻想郷よ」
「幻想郷?」
 鸚鵡返しに妖忌が問う。傍らの少女は物問いたげに見上げてくる。
 女がくすりと笑った。
 何時の間にか女は足を止めていた。二股に分かたれた廊下と、庭に面した障子。
 壁面には「男湯」「女湯」の表示が一つずつ。
 女が指差した先からは、硫黄の心地良い匂いが香ってきていた。
「何にせよ話は後回し。見れば見るほどひどい濡れ鼠ねえ。取りあえず、湯に入ってきなさいな。そのままじゃ風邪引くわよ?」
「……重ね重ね、かたじけない」
 聞きたいことは山ほどあるが、なるほど、落ち着いてみれば己も少女も散々たる有様だ。旅装束もしとどに濡れて、雨水を吸い込んだ着物がじっとりと重い。
 渡殿へと足を向けると、思い出した様な声が飛んできた。
「そうそう、私は八雲紫。この邸は迷家(マヨヒガ)。湯から上がったら、床の間にいらっしゃいな。食事の用意をさせておくわ」
 幻想郷。
 迷家。
 そして、八雲紫。
 聞きやらぬ名ばかりである。
 山ほどの疑問を抱えつつ、妖忌と少女は湯殿に向かっていった。何はともあれ、汚れを落とさねばならない――



 床の間に座した湯上りの少女に、紫は感心したように息を吐いた。
 襟筋から覗く、湯浴みでほんのり紅潮した蝋めいた肌。
 背の半ばまで垂らされた、波がかった桜色の髪。
 大きく見開かれた下がり目に、小ぶりな唇。
 美貌であり、貴人の相である。
 何より――

「――紫殿」

 妖忌の声が横合いより、紫の思念を破った。
 背筋をしゃんと伸ばし、手足を揃えて少女の背後に控えている。
 絞り込まれた身体を木綿の着流しに包み、鋭い瞳はじっと紫を見据えている。改めて見ると、かなりの伊達男。小粋な着物でも纏わせれば、何とも涼やかな男ぶりであろう。
「まずは我等主従をお救いいただきかたじけない。感謝の言葉もありませぬ」
 深深と頭を下げる妖忌に、紫は華やかに笑う。
「だから堅苦しいのは抜きでいいわよ。外の世界とは違うんですしねえ」
「外――と申されるか」
 妖忌は疑念と得心とで相反する表情(かお)をした。
 外の世界とは、という疑義が半分、矢張り只の屋敷ではないという納得が半分であろう。次に出てくる質問も、容易に見当がついた。
「此処は一体どのような地なのでありましょうか。貴殿のような貴人が住まうて居られるにも関らず、噂の一端とて聞いたことがないというのはどうも得心がいきませぬ。拙者、然程見聞が広いわけではありませぬが――」
 矢張りそこかと、紫は少し笑う。
「云わなかったかしら。此処は幻想郷の一角。迷家と呼ばれる屋敷よ。聞き覚えはない?」
「はて、一向に――」
 妖忌が首を傾げると
「覚えがあります。丘に森、橋に辻の逢魔が時。道を外さば迷い込む。万物の近くに在るが故に、常では見出せぬ幻の地」
 横合いから少女がぽつぽつと答えた。
 紫は満足そうに頷く。

 俗に云う異界。山のあなたのもう知らぬ他国。
 神隠された者が招かれ、歌人修験者が幻視する地こそが幻想郷である。
 後の世こそ幻想郷への入口を見つけるのは困難になったが、この当時、外の世界と幻想郷との境目は薄かった。黄昏時に四辻に足を向け、山の奥へと少し入り込めば、そこは既に幻想郷であったのだ。博麗大結界によって、此方彼方(こなたかなた)の境が明確になるのは後年のことである。
 そのため、屋敷に人が迷い込んでくるのは、珍しくはあるが有り得ないことではなかった。そもそもからして、迷うて訪ね来る者が無ければ、迷家と呼ばれるはずもなかろう。紫が客人を迎えたのも、何もこれが初めてというわけではない。
「異界、でありますか――」
 訝しげな妖忌。
「余り考えすぎないほう方がいいわよ。少なくとも貴方たちが休める場所なのは確かね。どうする? 帰るって言うなら送っていかせるわよ」
 さらりと紫は言ってのけた。
 迷い込んできた人間には喰ったり供応したり色々だが、こうまで親切なのは珍しい。
 丁寧に迎えるにしても、いつもだったら式に任せきりだ。
 手ずから案内して色々世話をみるのは、奇妙な二人連れに興味をもったからに過ぎない。
 そして、紫にとってそれは、親身になって対応するのに十二分な理由だった。
「ご厄介になります」
 深々と頭を下げる二人に、紫はにこと笑った。
「それじゃ、食事にしましょ。ありあわせの鍋位しか出来なかったけどね」

 広い床の間に、箸と器が触れ合う音が響いた。
 ぐつぐつと良く煮込まれた鳥肉の鍋は美味だった。新鮮な春野菜と鳥の出汁が実に絶妙だ。相変わらず藍の料理の腕前は確かだと、満足気に考える。
「ご馳走様でした」
 箸を置いて手を合わせると、紫は扇一振りして姿勢を崩した。金の長髮がふぁさりと広がる。
 腹がくちると、またぞろ二人組みへの興味がわいてくる。
 常に一歩下がりつつも、必要とあらば庇い立て出来る位置に己を置く妖忌。
 それに全幅の信頼を置き、自然体に構えている少女。
 見れば見るほどに絵になる主従である。
 鑑賞しているうちに、また一つの疑問が頭をもたげてきた。
 扇を閉じて、ゆっくりと口を開いた。
「ところで――」
 短刀直入に切り込む。
「今まで何人死んだのかしら」
 少女がはっと視線を上げ、妖忌が食後の茶を噴きかけた。
「突然何を仰います。拙者、確かに数名の者を斬ったことはありますが、それは必要あってのこと。何ゆえそのような問いを――」
 妖忌が困惑げに答えた。
 それは云われずとも解る。
 追っ手のみではない。都には盜賊、野には山賊。山犬に狼といった獣達。
 己の誇りのために、生存のために、何より主を守るために斬ることもあったであろう。それは、妖忌の纏う気配と、使い込まれた刀から察しがついた。
 だが――
「あら、違うわよ。貴方じゃなくて――」
 ついと。
 しなやかな指が、妖忌の影に佇む女を指す。
「貴女の方」
 少女がぴくりと身を竦ませ、紫を見詰めてきた。
 そう。
 先に紫を驚かせたのは、少女の身に纏わりついた気配であった。
 流れ出でては地を濡らす血。
 断たれた肉から溢れる死臭。
 髑髏(されこうべ)から発する乾いた香り。
 違うべくもない――濃密な死の匂い。
 ゆっくり。
 少女が小ぶりな唇を開く。
「……幾人となく。思うてみれば、生を受けた時より周りに在ったは死の影のみ。余人は死霊と申しましたが、私にとっては親しいものでありました。この幾年かは、否も応も無く、我知らずに死の影を引き寄せる日々。西行寺の家と云えば、お聞き及びやもしれませぬ」
 涼やかな美声であった。
 哇哇、と。紫が得心して頷く。
「聞いたことがあるわ。花にもいたく散る別れ。桜が下で死を招く。不死視(ふじみ)の家の鬼娘――」
「――はい。西行寺本家が一子、幽々子と申します」
 そして、妖忌の主、西行寺幽々子は、ぽつりぽつりと己の素性を語り始めた。



 西行寺といえば、都でも知らぬ者は無かったと聞いております。
 慥かに、憶えている限りでも、ひどく立派な家でありました。
 敷地は優に数百坪。間口豊かな立派な母屋に漆喰の土蔵。
 道行く人で足を留めぬ者は無い、都外れの豪家、だったそうです。
 え?
 庭の枝垂桜(しだれざくら)――ですか。
 良くご存知で。
 はい、確かに庭に咲いていた記憶があります。
 春になればその下で高歌放吟、門を開いて人々を招きいれ、まさに門前市を成す様子でありました。
 幼ない折、妖忌に連れられはしゃいでいたのを思い出します。人が大勢いたのが嬉しかったのでしょう。
 ええ。
 そうです。
 その頃はまだ――普通の娘であったのです。
 彼らに気付いたのは、五歳(いつとせ)の頃からだったでしょうか。
 社仏閣街外れ、四辻を見渡せば見える、人のような姿。
 体が透けてしまっている者も居りました。
 臓物が出て仕舞っている者も居りました。
 恨めしげに眺めるだけの者も居りました。
 今とならば、死霊であることを心得ておりますが、何といっても子供のこと、そのような事が解ろうはずもありませぬ。
 父様あそこに人が居る、母様こちらに誰か来ると。
 何気なく告げる度、何を云うているのかと叱責されたものです。
 私の言葉を信じてくれたのは妖忌だけでありました。
 何故か、彼らは私に親切でした。
 色々と教えてもらったものです。
 他者の死期、死後の世、死霊の存在――
 その全てが目新しく、また刺激に満ち。家の中でのお仕着せの手習いよりも遙かに魅惑的であったのです。
 こんなこともありました。
 お婆様(ばばさま)が亡くなると聞いたは、確か七つの折。
 教えてくれたのは、屋敷に住み着いている霊であったと憶えております。
 既にもう、死霊を操ることは他愛も無い技でありました。
 婆様が今夜亡くなると、無分別にも口に出してしまったのです。
 それはもうひどく怒られました。
 婆様がどうなったかと仰いますか?
 当然、その夜に亡くなりました。
 お婆様は心の臓を病んでおりましたゆえ、然程の騒ぎには成らずにはすみましたが――周囲の私への目が変わったのはあの頃からだったようです。
 数年前の流行り病をご存知でしょう。
 ええ、虎狼痢(ころり)です。
 幸いにも、西行寺の家では誰一人として亡くなりませんでした。
 それが幸だったのか不幸だったのかは何とも云えませぬが。
 虎狼痢がようやく鎮まった頃。
 面白半分でありましたのでしょう。
 誰か死ぬのかと――愚かな親族が問うてきたのです。
 私も劣らずに愚かでありました。
 叔父叔母をはじめ七人が死ぬと、正直に答えてしまったのが運の尽き。
 ええ、外れるわけが御座いません。
 翌日虎狼痢がまた暴れ出し。親族七人が忽ちに命を奪われました。
 そのような事が幾度と無くあったのです。
 もう、私に近寄る者は誰一人として――いえ、妖忌を除いては誰一人近寄ろうとしませんでした。
 下女や馬飼いはとうに逃げ出し、尋ね来る親族の影も無く。
 富み栄え人に満ちていた屋敷は最早がらんどう。財を成すにも上手くいくはずもなく、蓄えを削って細々と生き継ぐ有様。
 両親もたまりかねたのでありましょう。
 或る日突然、私を睨み付け口から泡を飛ばして。

 お主の所為だ
 呪われておる
 鬼め悪魔め魔の使いめ

 罵られるには慣れておりました。
 だから黙っていたのです。
 やり場の無い怒りもいつかは鎮まろうと信じていたのです。
 けれども。

 ――産まねば良かったのだ

 其れを聞いた途端目の前が真暗になり。
 気が付けば両親は、倒れ伏しておりました。
 噂の足は速いもの。死を操る富士見の娘、親も殺した鬼娘と。都を駆けめぐる悪意と風聞。
 それから後はご推察の通り。
 都を総出の狩立てが始まり。
 私は妖忌に連れられ当所(あてど)も無く彷徨うていたので御座います。

 私はかように、死を招き害をもたらす富士見の娘。私めが居たら、いつ何時どのようなご迷惑をかけるかもしれません。
 今宵身を休めたら、直ぐにでも出立しようかと考えております――



「はい、私の上がり。幽々子のやり方は相変わらずぬるいわねえ」
「いやいや紫。これで丁度半々よ。次は私の勝ちじゃないかしら」
 庭に面した間から、幽々子と紫の笑い声が響いてきた。
 さいころを振る音と紙の擦れる音。双六でも愉しんでいるのであろう。
 心地好い声を耳に、日課である素振りを終えた。目にも留まらぬ速さで大刀を鞘に納めると、妖忌は汗を拭って息をつく。
(お嬢様は安らがれておられる)
 その思いが妖忌の心を穏やかにする。
 考えてみれば、幽々子の笑い声なぞ聞いたのは何時以来のことか。
 ここ最近で言葉遣いも随分とくだけてきた。
 妖忌の知る幽々子は、元々洒脱で飄々とした少女だ。追われる身であるという恐怖が薄れた分、天来の性情が顔を覗かせているのだろう。紫の気さくな性格が一役買っているのも疑うべくはなかった。

 ――迷家に辿り着いてからもう一月になる。
「何云ってるの。どうせ行く当てもないでしょ。好きなだけ居るといいわ。生きていくだけなら困らない場所だしねえ」
 辞意を告げる幽々子に対し、にこにこしながらそう云ってきた紫。
 言葉に甘えるのも気が引けたが、悪い提案ではない。
 追われる身という自分たちの立場や、安心して身を安らげることが出来る場があるかどうか心許ないことなどを考えると、魅力的な提案であった。
 これ以上のご迷惑は――と云っても
「誰が迷惑って云ったの?」
 そう答えるだけ。
 事実、紫は嬉々として客間の用意に余念が無い。
 湯殿に寝所から床の間、多彩な着物に日夜の食事と、何事につけても十二分に支度されていた。
 勿論、紫が実際に手を動かしているわけではない。命ずればあっという間に大抵のものは準備されてしまう。
 どのような仕掛けがあるにせよ、有難い事には変わりがなかった。
 妖忌自身も疲れがたまっていた。幽々子と共に都から逃げ出してよりの追われる日々。自分一人ならともかく、頑健とは云えぬ幽々子を支えながらの日々は、決して楽なものではない。幽々子への忠義は微塵も揺らがぬが、心身共に休息を求めているのは確かだった。
 かくして、妖忌と幽々子は未だに迷家に足を留めているわけである。

 妖忌殿――
 当て所も無い思念を藍の声がまた遮る。
「おお、藍殿か」
 庭園の一角にある池の方から、袖口に手と手を入れて歩んで来る姿。白地に藍をあしらった大陸風の道服、二股に衣装された伊達な帽子、紫に比しても遜色ない金色の髮と、九つに分かたれた尻尾とが印象的だ。
 八雲紫の式にして従者、八雲藍である。
「精が出ますな。とはいえ、あまり根を詰めては却って毒。茶なりと一杯進ぜようか」
「何、これも日課故。されど藍殿の立てた茶とあっては断れませぬな。有難く頂こう」
 大きく「八雲」と記された湯呑を受け取り、妖忌は縁側に腰を下ろした。藍も尻尾を巻いて座り込み、茶をすする。
 迷い込んだ日に自分と幽々子を導いてくれた狐こそがこの式だと、今では妖忌も心得ている。
 飄々とした主人に仕えるという立場、生真面目で融通が利かないという気質的な相似もあり、妖忌と藍とは妙に気があった。茶飲み友達のようなものである。
 茶を干すと息をつく。
 何とはなしに天を見上げた。
 抜けるような――空。
 視界の端に多少の雲があるものの、快晴と云って良い空模様。
 空が抜けるのが視線が抜けるのかと、埒も無いことをふと思う。
 ぼんやりとした思念を、藍の声が破った。
「幽々子殿には随分とお元気になられた様子。塞ぎ込んでいるのは心身に良くありませんからな」
「いや、これも紫殿や藍殿のお陰。迷うていた時、貴公がおらねばどうなっていたことか。感謝してもし足りぬとはこのことで」
 絶えざる続く戯れ声が少し大きくなる。
 視線を向けると、風を吹き入れるためか、障子の隙間が開いて幽々子と紫の横顔が覗いていた。
 幽々子は笑っていた。
 紫との一挙一足が心底楽しそうだった。
 しかし――と。
 妖忌が何とも云えぬ苦味の利いた、それでいて安心したような複雜な表情で口元を歪める。
「腑甲斐ないものですな。この妖忌、幽々子様の幼なき折よりお仕えしておるが、あれほど楽しそうなご様子はこの幾年かとんと見た覚えが御座らぬ。我と我が身は果たして何をして来たのやらと――」
「それは私とて同じこと。幻想郷の外れも外れ、人も通わぬ迷家で、三國に渡り妖異をなした大化生。式と成りて早や百歳千歳になるというに、紫様が友と呼べるお方を得るを見たはこれが初めて。こちらも少々悔しい気が致す」
 お互いの口元に苦笑らしきものが浮かんでいたのは、致し方ない所であろう。

「して藍殿、拙者に何か御用でありますかな」
 うむと藍が頷いた。
 穏やかな面が引き締まる。
 優しげだった声色も、厳しく練り上げられた苦労人のそれへと変わっていた。
「――少々気になる儀が」
 妖忌は眉間に皺を寄せた。
「と、申されると?」
「之を御覧下され」
 幽々子と紫は既に障子を閉じている。
 何時の間にか日が翳ってきていた。
 燦燦としていた空に、ぽっかりと幾条かの暗雲が浮かんできていた。
 ぱさりと、藍の袂から、何者かの旅装束がこぼれ出る。
「野の外れに落ちておりました。中の者が見当たりませなんだが、大方、通りすがりの夜雀にでも喰われたのでしょう」
 取り上げると、じっくりとなだめ透かし見た。
 紋様に見覚えがある。
 桜をあしらい蝶を配し、渦巻状の円形を基調とする家紋。
 紛れも無く、西行寺に連なる一門のものである。
 即ち、都を追い、山に入るまで妖忌と幽々子を執拗に狩り立ててきた輩のものであった。
「彼奴ら、此処をつきとめおったか……?」
 己と幽々子の境遇は藍にも話してあった。
 彼奴ら、の意味を察したか。果たして藍が眉根を寄せる。
「と申されると、先日お話くださった者共でありますかな」
「追手です。山に入り込み巻いたつもりではありましたが、こうも動きが早いとは――愚図愚図しておれませぬな。貴公や紫殿に迷惑をかけるわけにも参らぬ」
「ふむ……」
 今にも出立の支度を始めそうな妖忌に、藍が思案げに顎を撫でた。
 まあ待たれよ――と、手で妖忌を制する。
「そう即断されるな。大方、貴公と幽々子殿が此処へ来られた、あの岩穴に偶偶迷い込んだものでありましょう」
「……そうでありましょうか」
「集団で貴公らを追ってきたのならば、着衣が一つしか見つからぬのは妙でありましょうよ。そもそも――」
 にんまりと藍が笑った。
「私の先導なしで迷家まで至り来るは至難の業。無理に進もうとすれば喰われるのが落ちでしょうな。どちらにせよ、今しばしは迷家に留まるほうが宜敷かろう。あまり思い詰めなさらぬ事が肝要」
「――お心遣い感謝致す」
 藍は気軽にそう云うものの、妖忌の表情は浮かない。
 妖忌は彼らの力を知っている。
 そのしつこさを知っている。
 幽々子と妖忌が見つからぬとあれば、それこそ草の根かきわけて日本全国津々浦々まで追ってくる輩である。
(――幽々子様だけはお守りせねば)
 ぽつん。
 天を見上げると、妖忌の額に何かが当たった。
「雨、か」
 呟いて見上げると、何時の間にか空は暗雲に覆われ、身を切るような冷たい雨を降らし始めていた。

(続)

投稿者: 日時: 23:02 | | コメント (0) | トラックバック (0)
 

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