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カテゴリー:SS
『ひまわりのチャペルできみと』(amazonリンク)を盛大にプレイ中です。
いや、これは素晴らしい。『秋桜の空に』『お姉ちゃんの3乗』に匹敵する……いや、それらを上回るハイテンションな世界が繰り広げられております。
YU-SHOWさんも絶賛しておられますが、日常パートの面白さはちょっと類がありません。ゲームという媒体を最大限に活かした、目にもとまらぬボケと突っ込みの応酬は一見の価値あり。正直言いまして腹筋が危険です。
キャラクターはまことに魅力的。騒がしくも楽しい日常の中、ヒロインとの関係がゆっくり確実に変化してゆく過程には、個性豊かなキャラクター陣のおかげもあってニヤニヤが止まりません。中でも姫ことエステリア王女のデレっぷりは神域に達しております。出来ておる喃。
シナリオもギャグとシリアスの按配が良く、安心してプレイ可能。
中でも、中盤の山場とも言えるシーンは、無闇矢鱈な熱さと、何よりテキスト量に圧倒されてしまいます。ライトノベル20冊分の売り文句は伊達ではない。さらに、それら膨大なテキストがするすると読め、どれもこれも楽しいというのは名人芸と言わざるを得ないでしょう。さすが竹井10日先生だ。
買って損なし、是非ともプレイすることをお勧めします。
しかし、攻略不可キャラが軒並み揃ってたまらないのは何の罠なのでしょうか……ああ、ルーン先生、いっちゃん……
●今日のSS
自給自足になりますが、紅魔館メインの東方SS『盛夏の夜に花咲けば』をアップしました。お読みいただければ幸いです。
●WEB拍手レス
宇月原清明を読んでないエクスノフなんて! バカ! バカ! モンゴ!(マカロニ風)
とりあえず注文してみた。
皆川女史の復刊は感涙ものです。しかも「聖女の島」! いいぞもっとやれ。この調子で「冬の宴」が収録された作品や「朱鱗の家」も復刊されれば言うことなしですよ。特に後者は短編作品において一、二を争う美文なだけに改めて単行本が欲しいくらいです。
結構絶版が多いですからねー……作品精華は当然ながら短篇しか収録されておりませんし、いっそ全集が欲しい位です。『うろこの家』は画・文共に美麗の極みのため、是非とも復刊して貰いたいところです。私も文庫版しか持っていないのですよ、あれ。単行本注文してしまおうかな。
久しぶりに東方SSを更新しました。
レイラ・プリズムリバーを語り手とした『Home, Sweet Home』です。
少し長めなのでご注意ください。
ご意見ご感想などいただけると幸いです。
●WEB拍手レス
>本がお好きなヤス様にお勧めなサイトが一つありましたので紹介させて頂きます。
>慶應義塾大学HUMIプロジェクト
>特に西洋博物誌などはその手のものがお好きな方には鼻血ものかと。
>稀覯書はそうそうお目にかかれないためにこのようなプロジェクトが今後も発展すればいいなと思います。
これは素晴らしい! 有用な情報を有り難うございます。
ゲスナーの動物誌など、見ているだけで興奮ものですね。
この種の試みが発展しつつあるのは大変喜ばしいことだと思います。デジタルなら劣化もしませんし。
いやあ、それにしてもいい……
衛宮士郎は、店内の威容に目を丸くせざるを得なかった。いや、威容というより異様であろうか。
情報屋が居ると人形娘に連れられて来たのは、新大久保駅近くのティー・サロン『ヒポポタマス』。一口飲めば体重が10キロ増えるバルーン・コーヒーが売りの名物喫茶だ。人形娘曰く「丸々とした方ばかりですわ」とのことだったが――これほどとは思わなかった。
店全体が巨大なのだ。椅子やテーブルも、調度類も、縦にも横にも広くがっしりと作り込んである。明らかに日本人向けのサイズではない。
手近なテーブルに目を向ければ、コーヒーや紅茶はピッチャーに並々と注がれ、大皿にはからりと揚がったポテトが山盛り。衛宮邸の食いしん坊王様でも胸焼けを起こすかも知れない。
最も、<新宿>は、カリフォルニアやニューヨーク並の多国籍都市だ。椅子机の規格や、飲食物のサイズが一般的でなくても驚くことはない。それだけ客層が多様だからだ。
しかし――
「いらっしゃい。何名様でしょうか?」
――通常の喫茶店の優に二倍はあろうかという通路を、同じく通常の二倍は横幅のあるウェイトレスが塞いでいるのは、矢張り特殊であろう。制服よりまわしが似合うのではないかと、そんな不謹慎な思考が士郎の頭をよぎった。
ウェイトレスに向かい、戸惑い気味に用件を告げる。
「あー……その、外谷さんという方が此処にいると聞いてきたんですけど」
「ああ、外谷さんなら――」
ウェイトレスの指さした方にと目を向ける。
店内の奥――士郎や人形娘なら数人はかけられそうな長椅子。
その椅子を中心に、一角丸々占領している大きな影。
女だ。
だが只の女ではない。
全てが丸かった。
顔が丸い。
手足が丸い
それにも増して腹が丸い。
端的に言えば――素晴らしい程のでぶであった。
あまりに見事な体躯に思わず凝視してしまう。
「何さ」
士郎の視線に気付いたのか、女がじろりと睨み付けてきた。無遠慮で横柄な口調だが、外見が外見なのでどことなくユーモラスだ。
「あの人……だよな?」
「あの方です」
人形娘に確認をとり、歩み寄った。
側に寄ってみると、とてつもない巨体だ。縦ではなく横、筋肉ではなく贅肉がぶよぶよと広がっているため、一種異様な圧迫感がある。
「外谷……良子さん、ですよね?」
「その通りだわさ。勧誘ならお断りだよ」
太く良く通るだみ声。耳障りが良いとはお世辞にも言えない。
鳴き声でも出しそうだな――などと思っていたら
「ぶう」
本当に鳴いたので士郎はつんのめりそうになった。
「勧誘ならお断りだよ。デートは一年後でいいなら空いてるけどね」
「いえ、仕事をお願いしたいんです。欲しい情報があって――」
「ふん」
値踏みするように士郎をじろじろと眺め回す。その最中も、食を貪る手は休まない。
生クリームたっぷりのケーキ1ホールと、ピッチャー入りのコーヒーがみるみるうちに胃の中に消えてゆく。いっそ気持ちいいほどの健啖ぶりだ。
ケーキ皿とコーヒーカップが空っぽになると、すいとウェイトレスが寄ってくる。
「お代わりはいかがいたしましょう」
「腹八分目が健康の秘訣だっていうしね。後はコーヒーだけでいいわさ」
「かしこまりました」
(八分目……?)
信じられない言葉を聞いた気もするが、聞き流すことにした。
今は些末事にこだわっている場合ではない。
「さて、と」
運ばれてきたお代わりのコーヒー飲み干し、丸い女は士郎をじろりとねめつけて腹を叩いた。
ぽん、と、太鼓腹が実にいい音で鳴る。
「<新宿>1の情報屋、外谷良子さまに何の用だい、ぶう」
西新宿のせんべい屋ですら一目置くと言われる情報屋はふんぞり返ってそう鳴いたのだった。
▲▽▲▽▲▽
伝奇クロスオーバー二次創作
『アウレオールスの夜に』
chapter-03
追跡者 ~ The Chaser
▲▽▲▽▲▽
「ふーむ、“眠り男”ねえ――」
「はい。“眠り男”は殆どが収容所にいると聞きました。それで、新しい“眠り男”が大量に隠れている場所があるはずだと――」
士郎からあらましを聞き終わると、外谷は腕を組んで唸った。
「そんな事があればあたしの耳に入ってこないはずがないよ。すぐに調べは付くけれども……」
じろり。
鈍重そうな外見とは裏腹の、意外に鋭い視線が士郎を射抜く。
「こっちも仕事だから余計なことは言わないけどね、一つだけ聞かせとくれ」
「……何でしょうか」
「あんた<区外>の人間だろ。何があったのか知らないけどさ、真っ当な厄介ごとなら警察に頼るのが筋ってもんだ。この街の警察は優秀さね。何でわざわざ自分で動くんだい?」
一息ついてコーヒーを含む。一口でカップの半分が消えた。
「客にあれこれ尋ねないのがこの仕事の決まりなんだけどね。今度ばかりは聞いとくべきな気がするのさ。あたしの感は区のスーパーコンピューターより確実さね」
肥満体が自慢げにふんぞり返った。
「それは――」
考えるまでもない。
あの間桐慎二が己を頼り、此処まで来てくれたのだ。それだけで、十分士郎には自分が動く理由となり得る。
それに、士郎は『正義の味方』を任じている。己の手の届く範囲で、しかも親しい間柄の人間に有事があれば駆けつけるのは当然のことだ。疑問を抱く余地はない。警察に頼るなど、最初から考えなかった。
しかし、其の思いをどう説明したものか。言い淀んでいると――
「現実的な理由がありまして」
澄んだ声が、士郎の背より響いた。
先ほどから押し黙っていた人形娘の声だ。例によって平静そのものである。
「おや、あんたも居たのかい」
「お久しぶりです、外谷様」
人形娘がドレスの裾をつまんで一礼。
まあ座りな、と。外谷が身振りで椅子を指す。全身の肉がぷるぷると震えた。
「此度の“眠り男”は少々特殊なのです。衛宮様も覚えておいでですね」
「ああ、ガレーンさんが見せてくれたあれだな。なんか、軍隊みたいな動きをしてたな」
ガレーンの工房で見せられた映像を思い出し答えた。人形娘が頷く。
「“眠り男”があのように、他人の言うことを聞き、統制のとれた行動をするというのは考えにくいのです。少なくとも、私の知る限りでは前例がありませんわ」
「そこだよ、あたしが気になってるのは」
ずいと、外谷が身を乗り出してきた。
「“眠り男”はね、本能的な行動しかしないし、出来ないんだ。あいつらの目的は寄生虫を生き残らせることだけだしね。けど、そこの坊やの話じゃ、言葉を発して、考えて、動いて、誰かの命令まで聞いていたそうじゃないか。それじゃあまるで――映画のゾンビか何かだよ」
「ゾンビとは言い得て妙ですわね」
頤に指先当て、人形娘が呟く。
その挙作が実に可憐だ。場所が場所であり、一緒にいる人間が人間であるだけに、華が一層際だって見える。
「――衛宮様、ゾンビについてはどれほどのことをご存じですか?」
「ゾンビ、かあ。映画に出てくるのと、そうだなあ……」
記憶を探る。
いつだかクラスメートの高田くんが熱心に語っていた覚えがある。『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』だとか『ブレインデッド』だとか、そのような映画を挙げていたはずだ。士郎も夜のロードショーで見たことがある。
とはいえ、士郎は別段ホラー映画の愛好家ではない。世間一般の流布している以上の知識は別段持っているはずもない。
悪霊術師の類ならば死人を操る方法の一つや二つ心得ていようが、士郎にとっては悪霊術なぞホラー映画以上に縁遠い話である。
「うーん……ブードゥー教だっけ。魔術でゾンビを作るとかいう話を聞いたことがあるような無いような」
「ブードゥーのゾンビは魔術ではありません」
士郎の言葉に、人形娘が異議を差し挟んだ。思いの外鋭い声に、背筋が正される。
「一口にゾンビと言いましても多種多様なのです。ブードゥー教におけるゾンビは魔術によるものでも、時折言われるようにフグ毒によるものですらありません。あれは、精神に障害をきてしてしまった方々を自分の親族として扱っているという文化的な背景に基づく認識によるものです。今ではゾンビという単語が一人歩きしてしまっていますわね」
「人間の姿をした、理性の無い化物の総称ってとこかね」
外谷が口を挟んだ。人形娘が頷く。
「仰るとおりです。米国では人間をゾンビ化させるウィルスを開発した組織があったとも聞いております。あのダンウィッチでも、地獄への門が開きゾンビが大量に発生したという記録がありますわ。最も、本来の意味での『地獄』であったかどうかは疑問ですわね」
ですが――と。
人形娘は居住まいを正す。
「此度は其れとは訳が違うのです。“眠り男”に悪霊の類を憑依させることにより、一定の自由意志と知性を持たせています。アメリカのテネシー州で同様のケースがあったとも聞いておりますが、正確な記録は残されておりません。単に屍体が蘇って暴れ回っているというだけならば、警察でどうにでもなりましょうが、悪霊ともなりますと――」
「いくら<新宿>の警察でも、対応に時間がかかっちまうってことか。道理じゃああるね。『凍らせ屋』でも出てくれば話は違うんだろうけどねえ――」
「はい。一刻でも惜しい状況ゆえに、衛宮様がご自分で動いているわけです」
成程ねえ、と外谷がコーヒーを飲み干した。取りあえずは納得したのだろうか。だぶついた面相からは感情は読み取れない。
「大体の所は解ったよ。ま、あんたが口を挟むってことはガレーンの婆さんが関わってるんだろうしね。あの婆さんに睨まれるのもぞっとしないし、詮索はよしておくよ。そんなとんでもない“眠り男”の居場所なら直ぐに解るしね。だけどその情報は――」
芋虫のような指が、モバイルのノートパソコンを叩いた。モバイルとはいえB5サイズはあるというのに、この女の手元にあるとまるで小型の電卓のようだ。
「ちいと高いよ」
くるりと、ディスプレイが士郎に向けられる。
画面上に並んだ数値を見て――
「う」
言葉に詰まった。
高い。
かなり高い。
プロに仕事を頼むのだ。相応の値は覚悟していたが――少々厳しい価格である。
「外谷様、その値は少々――」
「素人相手に高すぎ、ってのかい。知ったことじゃないね。こちとら慈善事業じゃないさね。これでも勉強してやってるんだよ」
難渋を示した人形娘を余所に、ねえ、と士郎に目で同意を求めてくる。
しかし、はいとあっさり頷ける値ではない。
しばし黙考。悩んだ末に、キーボードに手を伸ばし。
「……これくらいになりませんか」
「むう」
士郎の示した値に外谷は難色を示した。
なら――
「これで」
かたかた。
もう一度数字を入力。
打ち込み終わるや否や、ぬ、と太い指先が伸びてきた。
「ぬっふっふっ」
がたがた。
芋虫めいた指が再入力。含み笑いと共に数字を突きつけてくる。これ以上は無理だよ、と、言外の圧力が伝わってきた。
士郎は今月の家計簿を思い出す。
光熱費、水道代、ガス代、何より食事代。家族の多さもあり、毎月の出費は意外なほど多い。
凛とセイバーがロンドンに行っているのが不幸中の幸いだったか。
提示されたのは――非常に厳しい出費ではあるが――不可能な額ではない。
それに、桜の身の安否が関わっているのだ。悩んでいる余裕はなかった。
「……お願いします」
「じゃあここにサインして頂戴な。支払いは現金か銀行振り込みで頼むよ」
言葉に従って『衛宮士郎』とサインした。早めに振り込まないとな――と、所帯じみたことを思う。
「毎度あり」
サインを見届け、外谷は手揉みしてにんまりと笑った。河馬が目を細めればをすればこんな顔になるかもしれない。
「二、三候補はあるけれど――まあ、九割方ここだろうね」
キーボードが押される。ディスプレイの表示が切り替わり、一つの風景が映し出される。其処の眺めに、人形娘の眉が動いた。
「外谷様、此処は――」
「白銀町――<新宿魔海>だわさ」
ディスプレイには、真っ黒な水に覆われた円状の沼地が映っていた。
▲▽▲▽▲▽
<新宿>でも打ち棄てられて久しい化学工場、その一室。
半壊した実験室に、アルバート・ウェスカーは居た。
あの気色悪い『眠り男』どもは別室に隔離してある。悪霊などという非科学的な力に頼ったモノは、一瞬たりとも傍に置いておきたくなかった。
リクライニングの椅子にもたれかかる。実験室を見回して、息をついた。
此処には異分子が存在しない。実験器具、コンピューター、薬品の匂い。在るのはmかつての自分を思い出させる馴染み深い物体ばかりだ。
――実に、居心地が良い。
ひび割れた培養槽、変色した液体に満ちた薬瓶、電源の入らないコンピューター。残骸しか留まっていないといえども、この空気はウェスカーには心地良い。まともに機能する設備は殆ど無いとしてもだ。
視線を前方に向ける。
無機質な手術台めいたベッド、一人の少女が横たえられている。
長い髪、すらりと伸びた四肢、ふくよかな身体。
――間桐桜。
冬木市、間桐邸より奪取、輸送してきた少女である。
「ん……っ……」
少女が声を漏らした。
意識があるわけではない。移送の際に、強力な麻酔剤を投与してある。大方夢でも見ているのであろう。
この娘をわざわざ攫ってきたのは、ある目的のための『処置』を施すためだ。だが、そのためにはもう少し時を経る必要がある。
ウェスカーが少女についてのカルテを手に取った時――
「経過はどうです、Mr.ウェスカー?」
「――まだ早い。処置を施すには覚醒レベルが低すぎる。もう少々時間が必要だな」
何処よりか、一つの声。
ぶっきらぼうに答えを返しながらも、サングラスの奥で、ウェスカーの目が忌々しげに細まった。
声の主の姿は見えぬ。
いつの間にか実験室の西側扉が開いている。奇妙なことに、扉の向こう側は暗闇だ。実験室からの明かりは十分届いているはずなのに。雅で高慢な声は、その暗闇から響いてきている。
「科学技術というのも面倒なものですね。僕に任せて貰えれば、その娘の脳の中身を弄くる程度、直ぐだと言うに」
「――」
口出し無用とばかりに、ウェスカーは軽口を黙殺した。
口にこそ出さぬが、声の主が気に喰わぬと、その表情と気配が主張している。そんな冷たい沈黙を気にもせず、暗闇から声が紡がれた。
「ところで――気付いていますか」
「侵入者の件ならば心配無用。『新宿魔海』には監視カメラをセットしてある。何処の馬の骨から知らんが、動きは筒抜けだ」
手元の小型ディスプレイに目をやる。
沼に接した地面に立つ、少年と少女の姿が映し出されていた。
確か片方は間桐桜の関係者だ。名前は――衛宮士郎とか言ったか。
「ふむ、中々優秀ですね、彼らも。一昼夜もしないうちに此処を嗅ぎ付けるとは。それとも――貴方の手際が甘かったかな」
「――誰に物を言っている」
ぴき、と。音を立てて空気が凍る。
冷え冷えとした殺気が実験室に充満した。
気の弱いものなら失神しそうな殺意を意にも介さず、暗闇よりの声はくつくつと嗤う。笑い声まで、慇懃無礼だ。
「そう苛立つものではないですよ。まあ、彼らを放っておいても何かと面倒だ。お望みとあらば、僕が片付けておきますが?」
「余計な世話は止して貰おう。お前は元々出るつもりなどないのだろう。此処は私の領域だ。あの屍骸どもを使う必要もない」
ウェスカーの言う屍骸とは、間桐邸を襲った『ゾンビ』。つまり、悪霊を憑依させた『眠り男』、通称『闇の軍勢』のことである。
「ならばどうされます? お節介ついでに忠告しておきますが、片割れはガレーン・ヌーレンブルクお手製の
「――ネメシスT-型を出す。魔術師だか自動人形だか知らんが、所詮は半端物だ。T型に及ぶはずもない」
「ほう? ならば、お手並み拝見といきましょうか」
含み笑い。
やがて、声と気配がすうと消えた。
我知らず舌打ちをする。全く、忌々しい輩だ。例の蟲めいた老爺といい、“闇男爵”だとか名乗るあの声の主といい――魔術師という奴腹は、どうにも好きになれぬ。
とはいえ今は、好き嫌いを云々している場合ではない。
取りあえずは、愚かな侵入者二人を排除せねばなるまい。その為に己が取るべき手は一つ。
「お前の――出番だ」
椅子を回転させ、実験室の奥へと目を向ける。
其処には、唯一無傷なままの培養槽。
ごぽりと、声に応答するように、培養液が泡立つ。
ピンク色に泡立つ液体の中、2メートルはあろうかという巨体が眠っていた。
▲▽▲▽▲▽
ぬめぬめと光る広がりが士郎と人形娘の目をうつ。
そこは沼だった。
少なくとも、士郎の常識に照らせばそうとしか思えなかった。
「――うわ、凄いなここ」
「区でも有数の名所です。時折団体の方などもいらしているようですわ」
フェンス越しの眺めに思わずあげた声に、人形娘が静かに返答する。
都会の真中に、綺麗な円周型の沼、それも毒々しい極彩に彩られた一角が鎮座しているのだ。普通は驚く。加えて、沼のそこかしこで鞭めいた触手がうねうねと蠢いているとあってはなおさらであろう。
――この場所も含め、<新宿>には観光名所が多数存在する。
花園神社の殺人激安市、メフィスト病院、西新宿のせんべい店、海洋生物研究所……並べ立てていけば枚挙に暇がないほどだ。最も、気楽な観光気分で足を踏み入れれば良くて大怪我、悪ければ魂ごととって喰われるのも<新宿>ならではである。
その中において、人気も危険度もトップランクに数えられるのがここ――白銀町の<新宿魔海>であった。
「……あれは島、かな? なんか建物みたいな感じだけど」
「島でもあり、建物でもありますわね。此処は元々――」
人形娘の説明によれば、<新宿魔海>は、元々<魔震>によって陥没した化学薬品工場だそうだ。そこかしこに浮いている小島は、工場の屋上、給水塔、貯蔵庫などの名残。<魔海>と呼ばれているのは、工場から流出した廃液があまりに多量であり、一帯を沼のようにしているからだという。
沼の形状はほぼ真円であり、円周はおよそ500メートル。ぐるりとフェンスが張り巡らされ、そこかしこに立ち入り禁止の表示がある。<新宿>の観光名所の常として、迂闊に入り込めば死しか待っていない場所だからだ。
「ふーん……それでその工場の中に、あの“眠り男”と――桜がいるんだな」
「おそらく。外谷様は少々癖のあるお方ですが、情報は確かです」
ガレーンが言っていたように、“眠り男”の居場所は、桜を攫った物たちの本拠であろう。となれば、そこに桜が居るだろうというのは無理のある推定ではない。沼の中心部に浮かんでいる『島』まで辿り着き、工場の中に入り込めば良いのであろう。
普通の湖や沼なら泳いで目的地に向かえば良い。人形娘も士郎も、数百メートル程度の遊泳は物ともしない程度の体力はある。
普通の沼、ならばだが。
「――泳ぐのは、無茶だよな」
「お勧め致しかねます」
「ああ。あれを何とかしないと」
沼の水面に目を向けると、うねうねと緑色の藻らしき何かが蠢いていた。
勿論、只の藻であるはずがない。水に揺られるのでなく、己の意志で獲物を探す触手のように動く藻などあるはずもない。
棘やら疣やらに覆われた鞭みたいな触手が沼地を蠢き、高圧電流の流れたフェンスに触れてはどす黒い水へと慌てて引っ込んでいる。そんな場所に不用意に飛び込めばどうなるかは、火を見るよりも明らかだった。
「……一応聞くけど、何も対策しないで水に入ったらどうなるかな」
「骨も残りませんわ」
「ぞっとしないなあ、それ」
「ご心配なく。準備は致しております」
ぎい。
人形娘が、立ち入り禁止と表示された扉を開いた。士郎も後に続く。
沼に接した地面はぬちゃりと湿気ていた。沼の毒液が浸食しているのだろう。湿った地面なのに、泥が跳ねる様子も靴が沈む様子も無いのは流石であった。
人形娘が立ち止まる。
ドレスの胸元に手を入れた。
ごそりと取り出されたのは、掌サイズの木彫り品だ。小舟を象っている。
「準備って、それ?」
「はい。これを浮かべますと――」
少女は屈み込み、掌から木彫りの舟を水面に流した。
ぽちゃ、と。水面にミニチュアの舟が浮かぶ。
すると――
「おおっ!?」
あろうことか、掌ほどのサイズしかなかった舟が、みるみるうちに巨大化してゆくではないか。<新宿>ではこの程度の芸当は日常茶飯事とはいえ、士郎にとっては物珍しい光景だった。
一分とかからず、二、三人は乗れる木製の舟が沼に浮かぶ。人形娘が櫂を手に取り、士郎を促した。
「さ、お乗り下さいませ」
「あ、ああ」
促され、舟の縁に足をかけた時。
――ごぽ。
水が泡だった。
例の蠢く藻が近寄ってきたか、ガスでも涌き出てきたのかと気にもしなかったが――
「あれ?」
ふと見ると、人形娘が水面を見つめていた。僅かながらに眉根が寄っているのが気にかかる。
「どうかしたの?」
「いえ、今、何か――」
泡だった水面の辺りに、厳しい目が向けられている。
士郎も釣られて目を凝らすが、廃液の沼は黒々と濁っており、数センチ先はもう見えない始末だ。
五感を研ぎ澄ましていても、何かあるようにも思えない。
蛙や魚といった水棲生物の類でも飛び跳ねたのだろうと見当を付けた。
「気のせいじゃないかな。俺には何も見えなかったけど」
「ならばよろしいのですが――」
士郎の言葉に不承不承、という感じで頷き、備え付けの櫂を手にとると人形娘は舟を出発させた。
ぎい。
ぎい。
櫂の音がやけに高く響く。
最も巨大な島に向けて、木の舟が静かに進んでいた。魔術的な防護を施してあるのか、藻の群れは近寄ってこようとしない。
それでも、ねっとりした黒い沼と、其処に浮かぶ意志ある藻という組み合わせは中々に不気味だ。
まるで三途の川を渡っているようだなどと、不吉な連想がふと沸いた。
そんな考えを振り払うように、士郎は人形娘に声かける。
「そういえば、工場には何処から入ればいいんだ?」
「島の幾つかに、工場への通路や階段が残っているはずです。ただ、腐食していたりして正確な入り口が解らないことが多いのですが――」
「島って、元々は建物なんだよな? なら多分、入り口は俺が探せるよ」
残骸といえど、元は建造物である。当然、内部構造は金属から成っていよう。となれば、士郎にとってはお手の物だ。
修理や投影と同じ理屈だ。
建造物の構造に直接触れ、解析し、イメージする。
島の一つに降り立ち、直接触れて構造解析をすれば入り口は直ぐにでも見つかるだろう。
目的地まで半ばを過ぎた頃――
「なんだ、あれ?」
士郎の視線が水中に引きつけられた。
水の中に何かが揺らめいている。
丸みを帯びた形。
鼻と口と、そして目にも見えるパーツ。
あれは、まるで――
――人の、顔?
「どうかなさいましたか?」
人形娘が訝しげに問うてきた。
「いや、水の中に人の顔みたいなのが――」
「顔、ですか」
「でもまあ、こんなところに潜る人がいるわけないし、見間違いだと思うけど」
士郎はもう一度目を凝らすが、沼の中ではゆらゆらと藻が揺れているだけだ。人の顔など、当然あろうはずもない。
何かの誤認であろうと一人納得し、軽く答えた。
だが。
「――急ぎましょう、衛宮様。もしかすると――」
気にかかる事でもあったのか、人形娘が表情を引き締め、櫂を送る手を早めた。
ぎい、ぎい。
細腕の少女に操られているとは思えない程の速度で、舟が進む。
舳先が島の一つに後1メートルの辺りまで辿り着いた時――
ぞくり。
悪寒。
戦慄。
士郎の背筋に寒気が走った。
脳がガンガンと警報を鳴らす。
何かが――居る。
「――衛宮様!」
「――っ!?」
時同じくして、鋭い警告の声。声にかぶさり、樫の木を突き破り、引き裂く音が響いた。
反射的に船底を蹴り、島、即ち廃工場の屋上部へと跳ぶ。
「おっ……と……!」
僅かにバランスを崩しながらも足場を確保。
慌てて振り向くと、舟の底から生えたかのような鋭い爪が、また沈み込んでゆくところだった
いや、生えたわけではない。士郎が今立っていたのは、人形娘が出した樫の舟の中心だ。
となれば――爪は沼の水に潜んでいた何かが突き出してきたものか。
人形娘の警告がなく動きが一瞬遅れていたら、その爪は士郎の下半身を貫いていただろう。それほどに鋭い一撃だった。
「衛宮様、お気をつけて! まだ気配が消えていません……!」
「解ってる、そっちも気をつけろ!」
感覚を研ぎすます。
空間の四方に意識を飛ばし、
気配の察知だ。セイバーやアーチャーのようにはいかねど、その真似事が出来る程度には士郎も経験を積んでいる。
上方――異常なし。
水平方向――異常なし。
残る一方に――巨大な敵意と、明らかな殺気。
「……下か!」
どしゃあ、と。
士郎の叫びに呼応したかのように、水柱が吹き上がった。
真っ黒に濁った廃液が雨の如く降り注ぐ。
高密度な質量の塊が水を突き破った。
刺激性の廃液を意にも介さず、跳んだ。
屋上を覆う鉄の床をぐしゃりとへこませながら――それは衛宮士郎の前に立つ。
「……なんだ、これ」
思わず呟き、一歩後ずさる。
異形の存在だった。
悪夢の中にのみ住まう生物だった。
実に奇っ怪な姿である。
継ぎ接ぎだらけの襤褸コートが覆っているのは、黄褐色に変色して無数の継ぎ接ぎ痕が刻まれた巨体だ。頸筋から伸びているのはパイプだろうか。大きく開かれた口からは、真っ赤な歯茎が覗いている始末。
何より忌まわしいのは、その瞳だ。左目は手術痕に閉ざされて顔面を引きつらせ、大きく開かれた右目には、明らかな敵意が宿っている。
化物である。
怪物である。
それも紛れもなく――人の手に依るものだ。
Tウィルスによる遺伝子改造と身体強化を施された有機生命体兵器――B.O.W。その中でも屈指の完成度を誇り、成人男性をベースとした個体、タイラント。
そして、タイラントに、ネメシスと呼ばれる蟲を寄生させ知性を増強した個体が少数なが存在する。
アンブレラにおいても最貴重品の一つが、此処に居た。
――ネメシスT型、通称“追跡者”。
フランケンシュタインの怪物の咆吼が、魔海へと響き渡った。
⇒ to be continued in Chapter - 04 "Mephist"
間桐慎二は慌てていた。
見るも無惨なほどに慌てきっていた。
「何ぼーっとしてんのさ! 桜も僕も大変なんだ、衛宮が手を貸すのは当然だろ!」
士郎の肩を掴んでがくがくと揺さぶりながら大声でがなりたてる。
目が血走っている。ガレーンや人形娘の視線を気にしている節もない。大方、その容姿が目に入っていないのだろう。
明らかに、理を失っていた。いつもの皮肉で
「……いや、少し落ち着け、慎二」
桜を助けてくれ、との言葉の真意は気になるが、この有様では話も出来ない。
取りあえずは一度落ち着かせようと言葉をかけた。
だが。
「落ち着いてられるわけないだろ! 何で、何であんな奴らが僕の家に来るんだ。聖杯戦争は終わったし、お爺さまだって今はいないんだ。なのにあんなことが起るなんて、何がどうなってるんだよ!」
完全なパニック状態である。
率直に言って、士郎には何が何だか解らない。
状況の説明の欠片も無いのだ。桜と慎二に何か変事が起ったのは確かなようだが、理解出来るのはそれくらいである。
深呼吸。
じっと慎二の目を見て、ゆっくり口を開く。
「最初から話してくれ、慎二。桜に何があったんだ」
じりじりとした気配。
焦燥が伝わってくる。
「ああもう、なんで衛宮はそう鈍いのさ! 桜が攫われたんだよ!?」
今にも地団駄を踏みそうな勢いで慎二ががなりたてた。その言葉の内容に、士郎の眉がぴくりと動く。
「……待て、桜が攫われたって、どういうことだ」
「はっ、どうもこうもないさ! 何がどうなってるんだが、僕の方が知りたいね!」
激昂している。
会話が成立していない。
慎二から建設的な答えをどう引き出すべきかと、士郎が思案した時
「全く、少し黙っておいでな。これじゃ話にもなりはしないよ」
皺がれた響きが、追い被さってきた。
声の主を見る暇もあろうことか、ガレーンの杖が緩やかにもたげられ、慎二の額を小突く。
こつん。
軽い音。
指先で突いたほうがまだ重いのではないかというような、力の抜けた一撃。これでは蚊の一匹も殺せまい。
だが、そこはガレーン・ヌーレンブルクである。
瘧めいた震えが止まる。
瞼が大きく見開かれて。
眼球がぐるりと裏返り。
――間桐慎二は、白目をむいて石の床にと倒れこんだ。
「し、慎二? ガレーンさん、これって……」
「安心おし。少し眠らせただけさね。あのまま喋らせていたって何も意味あることは聞けやしないさ」
――それもそうだ。
士郎は友人の特質を考える。
率直に言って、慎二は冷静沈着という性質の人間ではない。表面的な自信は一丁前であり、頭が切れて弁も立つ。
だが――本質的に、窮地には弱く逆境に挫けやすく、一度パニックに陥ると容易には元に戻らない面があるのだ。有り体にいえば、へたれである。
先までの有様では、士郎が幾ら言葉を尽くしても、慎二の狂乱を余計に加速させるだけであったろう。そういう意味で、ガレーンの処置は適切といえた。
だが、眠らせておいてどうするというのか。これでは話を聞くことすら出来ない。
疑問を察したか、ガレーンが魔女の笑みを浮かべ士郎を見上げる。
「娘や」
「心得ております、お婆さま」
くだくだしい説明は不要なのか。老婆の一言に人形娘は恭しく一礼し、工房の奥へと足を向ける。
ごそごそとした音がしばし響き、やがて少女は、魔鏡や魔術書や魔道具が山と積まれた中から、少女は蒼い鉢を引っ張り出してきた。
材質は判然としない。
青磁に近いような感じもするが、質感や光沢が微妙に異なっている。大方、魔術的な処置が施されているのであろう。
鉢の中には並々と水が張られている。今入れたというわけでもなかろうに、随分と綺麗に澄んだ水だ。渓流や源泉の天然水を思わせるものがある。
「水占い、ですか?」
「ご名答。古くさいと馬鹿にしたもんでもないよ。古今東西、水鏡は魔術師には必携の道具さ。お前さんも一度や二度は経験あるだろう?」
「いや、俺、そういう魔術はさっぱりでして」
「……もしかして、修復や治療の術も駄目かい」
「得意分野以外は修行中なんです……遠坂に教わっているんですが、なかなか」
今時そこまで不器用なのも珍しいよ、と。ガレーンはぶつぶつ言いながら背と腰を曲げて椅子に座り込んだ。鉢を覗き込み、指先を水面についと走らせる。
「一応聞いとくがね。何がおきたか、知りたいかい? あたしの見るところ、間桐の息子が持ち込んできたのは結構な厄介ごとだ。下手に首を突っ込むと命がけになりかねないよ」
顎をしゃくって慎二を指す。
間桐の息子、と呼ぶということは――
「ガレーンさん、慎二を知ってるんですか」
「会ったのははじめてだがね。マキリと名乗っていた頃の術師どもとは色々あったのさ。ま、そいつは今はどうでもいいこと。で――」
どうするんだい、と。ガレーンが問う。
答えは考えるまでもない。
紆余曲折があった間柄とはいえ、友人が自分を頼って<新宿>くんだりまで来たのである。
後輩であり半ば同居人である間桐桜が攫われた――とも、言っていた。衛宮士郎がそんな状況に対して何もしないはずがない。
「お願いします。何が起きたのか、慎二と桜に何があったのか、俺は知りたい。桜が危ないめにあってるなら、助けなきゃいけない」
即答。
ガレーンが溜息をついて士郎を見やる。その表情にどことなく諦念があった。
「解ったよ。さて、何があったか、ちょいと『覗かせて』貰おうかね。悪くお思いでないよ、間桐の息子」
もう一度、ガレーンの杖が慎二の額を突く。
ぴちょん、と。
鉢に並々と張られた純水に、杖の先端を浸した。
老婆の目は薄く閉じられ、口からは呪言が紡ぎ出される。
ゆらゆら。
ゆらゆら。
水面が揺れる。
影が像を結ぶ。
人と風景とが、茫漠と浮かび。
やがて、水鏡に映ったのは――
▲▽▲▽▲▽
伝奇クロスオーバー二次創作
『アウレオールスの夜に』
chapter-02
ロッティング・コープス ~ Rotting Corpse
▲▽▲▽▲▽
皿とフォークの触れ合う、金属質な音が広間に響いていた。
間桐邸の食堂は広い。
日本には珍しい、洋館や城を思わせる造り。白と赤の壁紙に取り囲まれた室内には、長テーブルに木製の豪奢な椅子。テーブルの上には精緻な細工の施された蝋燭立てまで完備している徹底ぶりだ。
形式ばった会食か良家の食事になら相応しかろうが、いかんせん、此処は間桐家。最大で三人、普段なら一人か二人しか人間がいないこの家には、正直言って広すぎる位だ。おまけに昼間でも薄暗く、夜になっても照明は弱々しくしか灯らない。
こんな所で毎日過ごしていればおかしくなって当然だと――間桐慎二は今にしてそう思う。
皿に落としていた視線をあげれば、其処には藍色の長髪をした少女の姿。俯向きがちに食事を進めている。
少女はちらと目を上げるも、また直ぐに皿にと視線を戻した。まるで、慎二と真っ正面から目を合わせるのを避けているかのようだ。
気まずい。
実に――気まずい。
食がどうにも進まない。
食欲がないわけでなく、何となく気が重いだけだ。食事時の重苦しい雰囲気。少女――妹である間桐桜の影のある挙動。前はそれらに苛つかされたものだが、今は別の意味で慎二の心の負担になっている。
「……ご馳走様でした」
桜が手を合わせて呟いた。
見れば皿の中には肉野菜が残っている。食欲がないのだろうか。
がたりと椅子をひいて部屋に戻ろうとする。その素振りに、慎二は我知らず声を出していた。
「なに、桜。僕がまだ食べ終わってないのに席立つの? それって随分ご挨拶だね」
「あっ……ご、ご免なさい、兄さん。私、そういうつもりじゃ……」
尻すぼみな桜の声に、慎二はふんと鼻を鳴らす。
「……まあ、いいけどさ。食欲無いみたいだし、部屋戻ってろよ。食器くらいは洗っといてやるさ」
きょとん、と。桜が目を丸くした。
確かに――慎二の言葉とは思えまい。慎二自身もそう感じるのだから仕方ない。
「なんだよ、その眼。何か文句あるのか?」
「そ、そんなことないですけど……でもいいんですか、兄さん」
「ふん、お前は愚図なんだから僕の言うことを聞いてればいいんだよ」
「……それじゃあ、お願いします」
言葉は丁寧なものの、笑顔はない。ぺこりと頭を下げると、桜は食堂の戸口へと向かった。
扉が閉まる。
軽い足音が、自室へと向かってゆくのが聞こえた。
しばし沈黙。
耳を澄まし、食堂へと戻ってこないことを確かめ――
――はあ。
慎二は大きく溜息をついた。
「――なんでこうなんだろうな、僕は」
気がつけばまた憎まれ口を叩いていた。この癖ばかりは中々治らない。
反省はしているのだ。
半年前のこと。
冬木市を襲った動乱――『聖杯戦争』により、間桐慎二は心身を負傷し、長きに渡って入院する羽目になった。
身動き一つロクにとれない中で、慎二は否応なく自分と向き合わざるを得なかった。
はじめは荒れた。
周囲の人間――具体的には桜や士郎相手に随分と当たり散らしたものだ。
だが、粘着的な気質といえども、そのうち、そんなエネルギーも尽きるものだ。ベッドに潜り込んで鬱屈しているにも限界があるのが世の常である。慎二も例外ではない。
ベッドに身を沈め、目を瞑って寝返り打つと様々な想念がよぎった。決まって最後に思い至るのは衛宮士郎や遠坂凛といった者たちのことだ。
勝手に敵対視していた士郎は、聖杯戦争が終わってから、慎二と出会った頃と変らぬ様に接してくれていた。聞いた話では、慎二に悪感情を抱いているであろう遠坂凛までもが、柳洞寺に現出した肉塊に飲み込まれていた所を助けてくれたというのだ。
――己は何をしていたのか。
思考は必然的に、その問いへと流れる。
慎二は愚かであったかもしれないが、馬鹿ではない。答えは直ぐに出た。憎悪と嫉妬を肥大化させ、自我を制御することも出来ずに悪意に振り回され翻弄されていただけだった。
勿論慎二には受け入れがたい結論である。過剰とすら言える自意識の所有者である彼にとって、己が誤っていたことを素直に認めるなど出来たはずもない。
だが、時間は幾らでもあった。
思考は最後に自己の成した行為へと終着する。
――結局自分のしていたことは、虚しいばかりだ。
――自分の悪意は、自分が生み出していたのかも知れぬ。
今にして考えれば、聖杯戦争での種々の体験と、長期の入院による心身の疲労とが心を弱めていたのだろう。でなければ、そんな殊勝な考えが浮かんでも慌てて否定したはずだ。
だが、そう思い至ったとき、心中で何かがすとんと落ちてゆく気がした。
身も心も軽くなり、思考が澄明になった感覚。その夜は、ぐっすりと眠ることが出来たのを覚えている。
その日以来、士郎は慎二の顔付きが少し変ったという。憑きものが落ちたとでも言うのだろうか。
――今では、慎二の自分勝手な挙動は、少しなりを潜めている。
感情の起伏もそれなりに落ち着いてきた。
色々としこりはあったが――少なくとも慎二に関する限り、前のように凛を妬み、士郎を侮蔑し、そして桜を軽蔑し憎み羨んでいるということは最早無い。
だが、慎二の心境に僅かなりとも変化があったといえど、傷つけられた側が全てを忘れることなどあり得ない。
慎二が、妹である間桐桜を傍若無人に扱っていたのはそう昔のことではないのだ。面罵し、軽視し、暴力を振るい――とてつもなく破廉恥なことまでしでかした。本来なら、桜に復讐されてもおかしくない。
そのような素振りこそ見せぬが、胸襟を開くことも当然無い。
ここしばらくは、桜が影を引きずって部屋に戻り、慎二が悶悶と悩むことの繰り返しだ。
その夜もそうなるかと思えた。
いや、そうなるはずだった。
だが――トラブルというのは突然やってくるものだ。
間桐慎二と、間桐桜に降り懸った厄介ごとも、当然例外ではない。
慎二が頭を抱えているまさにその時、間桐邸の周囲に、良からぬモノたちが集いつつあった。
▲▽▲▽▲▽
同刻、間桐邸近辺。
深山町、それも遠坂邸や間桐邸がある丘の辺りは、夜になると人通りが少ない。間桐邸の近くは私有地となっているため、なおさらだ。人の気配は少ないというより、皆無である。
だがその夜は、其処に何者かの姿があった。
雲間に夏の月が隠れた時。
ずるり。
暗闇の中から男が姿を現す。
男は首を鳴らし、腕を組んで周りを見渡す。
異様な風体であった。
平穏な街には何とも不釣り合いな様相であった。
オールバックにして撫で付けた金髪。特殊部隊の軍服めく機動性に長けた装束。瞳はサングラスに隠れているが、さぞ鋭い眼光をしているのだろうと、誰にも思わせるものがある。
冬木に、少なくとも平和な折の冬木に相応しい類の輩ではない。
「嫌な屋敷だ」
男は屋敷を見上げ、鼻を鳴らして呟く。
「もっとも――連中にはいささか劣るか」
ふん。
侮蔑と色濃い嫌悪。
じろりと眉を上げると、己の潜んでいた闇に目を向ける。
暗闇の中に、何かの気配がある。
否。
気配ではない。
確かに何かが其処に居る。
男のサングラス越しに朦朧と浮かび上がるのは、二足歩行型と思わせる生物の
人か。
いや違う。
人ならば、このような欲望と本能のみに満ちた息は漏らすまい。
では獣か。
それも違う。
獣ならば、二足歩行という形状を有するはずがない。
一際強い夜風が吹いた。
月を隠していた叢雲が払われ、冷たい光が闇の中に潜んでいたそれらを照らし出す。
垣間見ただけならば、市井にある人々と何ら変わりがないように思えよう。
実際、姿だけは正しく人間のものだ。
だが。
そのどれもこれもが、崩壊している。形状において、精神において崩れ壊れている。
ある者には眼球が欠落している。
別の者は四肢を損ない姿が傾斜している。
またある者は理性の一片たりとも有せぬ眼をしている。
朽ちて壊れて堕ちた有象無象の群れ。
ぶるりと身を震わせた。
恐怖からではない。恐怖など、男には最も無縁の感情だ。彼の身を走った震えは、生理的・心理的な嫌悪、半ば以上本能的なものによる。
其処に居るのは人ではない。
無論、獣でもない。
そもそも
いや、生者でないのは別に構わないのだ。男とて、現代科学の粋を尽くし、生者と死者の境界を弄ったことは幾度もある。
だがそれは究極の生物をこの手で作り出すという欲望のため。ゾンビ、ハンターといった、世間一般は怪物としか表現のしようもない生命体も、それ相応の意義と意味があったのだ。
しかし今、ここに居る怪物どもは意義も意味もない。さらに言えば、科学の産物ですらない。
男の協力者――仲間などでは断じてない――は、この連中を“
全く大仰なネーミングである。
男に言わせればそのような名前など与える価値もない。
崩れた肢体。
全身の腐臭。
澱んだ眼球。
そして――此の世ならぬ知性の宿った瞳。
実に、醜悪だ。
人間の脱殻に、悪霊とやらを宿らせただけの
――これならば、Tウィルス型のゾンビのほうが余程マシだ。
男――アルバート・ウェスカーは心中で悪態をつくと、もう一度鼻を鳴らした。
ウェスカーは元来、研究者である。
製薬会社アンブレラに属し、生物科学――特に、ウィルスを利用した生体兵器の開発を専門とし、大きな業績を上げていた。
ゾンビ、ハンター、キメラ、ネメシス。アンブレラが誇る多種多様な生体兵器の基本は、殆ど彼が創り上げたと言って良い。
研究を順調に進めていれば、今頃はその成果を認められ、重役の座についていたろう。アンブレラの本社から、指一本で社会に影響を及ぼしていたであろう。
だが、彼はそれを望まなかった。
ウェスカーが世の研究者と少々違ったのは二点。
研究成果を、実験室の外でも眼にしたかったという点。
そしてもう一点は、それを可能にするだけの心技体に恵まれていたことであった。
理論と実験に長けた研究者であると同時に、実働者であり、実践家であり、武闘派であったのだ。
いや、今でもそうである。
言葉よりも力を、理論より実践をという嗜好を知るには、その外見を一瞥すれば十分だ。
その経歴からして特殊と言える。
元は、ラクーン市警特殊部隊Special Tactics And Rescue Service――通称S.T.A.R.S.隊長であり、同時に巨大製薬会社アンブレラに属していた男。
現在は、全てが謎に包まれた組織、H.C.F.の幹部である男。
それが、アルバート・ウェスカーという男だった。
背後の屍骸どもへの感情を締め出す。今は己の任務を遂行せねばならない。
髪を撫で付け、作戦内容を確認する。
本作戦の主目的は、二つ。
第一目的――間桐桜の確保。
第二目的――目撃者の排除。
作戦遂行は、日本国某県冬木市深山町間桐邸。
私有地を周囲に有する広大な屋敷とはいえ、日本の、それもそれなりの規模のある街の一角である。本来ならば、隠密性を主とした部隊の投入の必要があろう。
だが今回に限っては、少々の手荒な真似は大丈夫だ。
音が漏れる心配も、付近の住人が駆けつけてくる心配もないと、あの老人が保証していた。
――準備は整うておる。
――なれば、余計なことを考えるでないぞ。
――お主らは、あの娘を連れてくればそれで良い。
今でも耳元に、嗄れた声がこびりついているようだ。
締め出したはずの嫌悪と胸のむかつきが再燃する。
ウェスカーに屍人共を預けた、蟲めいた老爺を想起する。
鬱血したかのように変色した外見といい、好々爺を装いながらも心底まで腐った
同時に、一流の魔術師であり力ある者なのは間違いない。
ウェスカーは魔術や魔術師といった輩が心底嫌いだ。本質的に科学の徒であるこの男は、旧態依然として古くさい学問になど価値を見出していない。だが、相手の力量を推し量り、必要ならば好悪を押し殺して対応するだけの度量もまた持っている。
己が背後に控える屍人が、命令に忠実に従うことも確認済みだ。少なくとも、今は。
思考を切り替える。
戦力は万端。
布陣は完璧。
死なない兵隊と優秀な指揮官。
このお膳立てで目指すのは、一人の少女の確保。
――赤子の手を捻るより楽な仕事だ。
「よろしい」
時計の時間を合わせる。S.T.A.R.S.時代からの癖だ。
「――作戦、開始だ」
ウェスカーに答えるかのように、屍骸どもが鬨の声をあげる。
唸りとも返事ともつかぬその音色に、ウェスカーはもう一度顔をしかめた。
▲▽▲▽▲▽
硝子の砕ける音と、絹を裂く悲鳴。
「な、何だ!?」
反射的に食卓の椅子から立ち上がり、きょろきょろと辺りを見渡した。
耳障りな音が、複数響いている。
硝子の破音。
複数の足音。
そして、獣とも人ともつかぬ唸り。
耳を澄ませば、それらの発信源は桜の部屋の方角である。
「……お、おい、桜、何やってるんだよ! うるさいぞ!」
怒鳴り声は虚しく食堂に響き渡るだけ。妹の、少しおどおどとした反応も、か細い抗議の声も無い。
――妙だ。
夏だというのに、身を切るような冷たい空気が漂ってきている。
勿論、物理的に冷たいのではない。寒気をもたらすという意味で冷たいのだ。慎二の肌はもう既に、鳥肌だらけになっている。
空気の色も変ってきていた。
魔術回路を持たぬとはいえ、間桐慎二は魔術の名門に連なるものだ。異変を常人より敏感に察する程度の感覚は残っている。
――何かが起っている。
具体的な状況は解らぬ。
だがこの空気、この気配はただ事ではない。
窖で騒いでいた蟲達の姿にも似た、澱のように澱んだ空気。
人と人ならぬ濃密な気配の群れが、殺気立ちこの屋敷を取り囲んでいる。この家と、おそらく妹とを狙ってずるずると入り込んできている。
「くそっ! ああもう、何で僕が桜のことなんか心配しなきゃならないんだよ!」
駆け出す。
ダッシュすれば食堂から桜の部屋までは直ぐだ。大邸宅とはいえ、所詮は屋敷の中。数秒と待たずに部屋に辿り着いた。
「桜、僕だ! 入るぞ!」
ドアノブに手をかけて回すと、ガチャリと鳴った。
鍵がかかっている。
当然だ。
桜が部屋の施鍵を怠らなくなったのはいつからだったか。臍をかむ。
――食堂から鍵を持ってくるべきだった。
間桐邸の各部屋の合鍵は、万が一のために食堂に置いてある。うっかりしていた。桜の部屋に駆けつける前に持ってくるべきだった。
もう一度駆け出す。
合鍵を慌ただしく取り出し、急いで戻った。
扉に鍵をはめ込む手間すらもどかしい。
かちゃかちゃ。
かちゃかちゃ。
かちゃり。
開いた。
鍵を放り出す。
扉を乱暴に開き――
「――な」
慎二が目にしたのは、全くもって非現実的な光景だった。
数体の生き物が居た。
人間の似姿をとった者達だ。
だがそれは、人間ではない。
桜のベッドの傍にいたそれが、ぎょろりと目を向ける。
姿を眼にした瞬間、慎二は食べたばかりの夕食が胃の腑からせりあがってくるのを感じた。酸っぱい胃液と、消化されかかって液体と固体の混合物になった肉が、喉元にまで這い上がってくる。
それは、ひどい腐臭の所為だ。
生肉を炎天下に数日さらし、さらに瓶に詰め込んで暗所に封じ込め、どろどろになったところを煮詰めて濃縮したかのような、頭痛のする匂い。あるいは、夏休み明け、教室のずっと放置しておいた飼育箱から漂ってくる饐えた香り。
こんな匂いを直接嗅がされたら、朝昼晩の食事を戻したうえに、数日は肉類を口にもが出来ないだろう。
だがその臭みも、目の前のモノが与えてくる生理的嫌悪感にはとても及ぶまい。
過剰なまでに凹凸が強調された
B級ホラー映画に出てくる「ゾンビ」そのものだ。
そんな
▲▽▲▽▲▽
「な、何なんだよこれ! 何だよお前ら! 人の家に勝手に上がり込んで何やってるんだよ!!」
アルバート・ウェスカーの眼前で、少年がわめいていた。
何なのだこの餓鬼は。
突然扉が開いて駆け込んできた。
目標である間桐桜を、屍人の一体が確保しているのを見る否や、血相を変えて騒ぎ出したのだ。
騒々しいことこのうえない。
「おい、答えろよ! 何やってるって聞いてるんだぞ!」
――喧しい。
こめかみを抑え、間桐の家に関する情報を思い起こす。
本作戦の目的である間桐桜には確か、兄が居たはずだ。直接の血は繋がっていないようで、折り合いも良くないということで気にも留めずにいたが。
そういえば、あの蟲爺が何か言っていた。
「孫息子が居るかもしれんがの、煮るなり焼くなり好きにするがよかろう。あれでも血族と思い目をかけてきたが、いやいや、全くもって使い物にもならぬ。今となっては欠片ほども必要がないわ」
となれば、この見るからに情けない少年が孫息子とやらだ。
確か名前は――間桐慎二とか言ったか。
ウェスカーは冷徹な瞳で、その少年を凝乎と観察する。
実に、実に――情けない姿だ。
腰はひけているし、大風邪でもひいたかのかという位震えている有様。軽薄そうな
このような奴腹にかかずらっている程暇ではない。
「おい、そこのお前、桜を離――」
「邪魔だ」
上ずった調子の声を遮り、爪先が跳ね上がった。ブーツの先端が、無防備な腹部に食い込む。
「――っ!」
吐瀉物を散らして慎二が倒れ込む。
ぐしゃとした良い手応えだった。いや、足応えか。手加減はしておいたが、直ぐには起きあがれまい。
こういう場合、部外者は始末するのが常道だ。
愛銃、.357MAGNUMコルトパイソンを引き抜く。
のたうちまわる慎二を冷たく見据え、銃口を頭部にポイント。
狙いを定め、引き金を引こうとして――
「――馬鹿馬鹿しい」
吐き捨てて、銃をおさめた。
がたがたと震え怯えたように見上げる視線に、自分の行動が急に阿呆らしくなったのだ。
この程度で片が付くなら、わざわざ屍人どもを連れてくることはなかった。H.C.F.のそれなりに優秀な部下を一人送り込んでも十分お釣りが来ただろう。
つくづく――やり甲斐のない仕事だ。
間桐慎二とかいうこの少年、どこからどう見ても小物だ。生かそうが殺そうが、大勢には全く影響しまい。ならば、自分が現時点以上の労力をわざわざ割くこともない。
万が一にもウェスカー達の害になることがあれば、手勢を繰り出して片付けてしまえばすむことだ。“追跡者”のストックにも然程事欠いているわけではないのだから。
「作戦完了。これより撤退する」
「ま……待てって……」
か細い声。
視界の隅で間桐慎二が顔を上げていた。弱々しい瞳は、ぶるぶるとした怯えを満面にみなぎらせながらも、ウェスカーをしっかりと見据えている。
――声を出す程度の気力はあるか。
「お前ら……何なんだよ……!」
「答える必要はない」
感情を動かしたのは一瞬。
返答はそれだけ。本来なら答える必要などありはしない。
それきり、ウェスカーは慎二を一瞥しようともせず。
腹部の痛みと無力感と屈辱感にのたうち回る慎二を余所に、ウェスカーと屍人どもは、窓から闇へと消えた。
そして――暗転。
▲▽▲▽▲▽
ほう。
水面に投影されていた光景が消えるや否や、誰とは無しに息をついた。
それはそうであろう。
仮にも魔術の名門である間桐の家に大事があったのである。並大抵の事件が起ったのではないと覚悟していたが、まさかにホラー映画さながらの展開を見せられるとは誰も思うまい。
――まるで、出来の悪い冗句だ。
軍人らしき男にゾンビとしか形容出来ない怪物。
まだ何処か唖然としている士郎を余所に、老婆と娘は眉根を寄せていた。
「あの
「それにしちゃ、外も中も随分と歪んでるがね。娘や、どう思うね?」
「確証は持ちかねますが、おそらくは死者の書――いえ、
優等生の答えを聞いた教師の如く、老婆は満足げに頷く。
「それで間違いないさな。あんなものを今になって引っ張り出すとは、何処のどいつだか知らないが全く面倒なことをしておくれだよ」
「眠り男……?」
聞き慣れない言葉に、士郎が眉根を寄せた。
「ああ、<新宿>には『操り虫』ってのがいてね。こいつに耳や鼻から入り込まれると、思考を乗っ取られちまうのさ。『眠り男』は、寄生されて虫の生存のためにだけ生かされてる人間のことさ。ただ――」
ガレーンが言うには、あの眠り男は本来のものとは違うらしい。眠り男は本来、思考も感情も殆ど失っている。だから、『操り虫』感染の拡大を防ぐため、眠り男の大半を市ヶ谷近くの収容所に隔離するということも可能なのだ。
だが、間桐の家を襲った眠り男は、ゾンビめいていたとはいえ、一定の思考と行動様式を保っていた。指揮官らしき男に従っていたのがその証拠である。
「娘が今しがた言ったけどね、ありゃ眠り男に悪霊を取憑かせたタイプさ。あの手の悪霊が人間に取憑いた記録は米国にあったはずだけどね――眠り男に憑かせるとは、中々大した発想だよ」
コツ、と。ガレーンが杖で床を突いて言葉を継いだ。
「ま、それは追々調べておくさね。さて、遠坂の弟子の坊や」
「衛宮士郎です」
憮然として答える。
せめて名前で呼んで欲しい。
「男が細かいことを気にするんじゃないよ。それでここからは――どうするつもりだい?」
「それは――」
問われるまでもない。
桜の救出をするに決まっている。あんな光景を見せられて放っておくなど、もってのほかであろう。
だが同時に、今の士郎のとれる選択肢は少ない。
となれば、桜を連れ去ったであろう輩の後を追うのが最善であろう。
しかし――如何やってあの連中を探せばいいものか。
士郎がそう素直に口にすると。
「操り虫と眠り男は<新宿>の特産だよ。あれだけの数を<区外>で保持出来るもんかね。すぐに大騒ぎさ。あれを使ってた連中の拠点が、<新宿>にあるのは一目瞭然さ」
事も無げにガレーンが答えた。
「そうですか――」
ならば行動方針は決まったも当然だ。
<新宿>にあるであろう拠点を探し、桜を助け出せばよい。
ただ、気がかりなのは、慎二のことである。
ガレーンが眠らせてからそれなりの時間が経つが、目覚める気配がない。
「慎二をどうしたもんだろうな」
士郎の呟きに答えるように、慎二が苦しげにうめいた。
随分と疲弊しているようだ。
あのような出来事があった後に、<新宿>までわざわざ士郎を頼ってきたのだ。心身共に疲れ切っても無理もなかろう。
「間桐の息子は少しばかり休ませなきゃならないだろうね。私が面倒見てもいいんだが、これから野暮用がある。全く、忙しない世の中だよ」
「それじゃあ、何処か病院にでも――」
「ご安心下さい。既にメフィスト病院に連絡を入れてあります。数分もすれば救急車が到着するかと」
人形娘が口を挟んだ。
士郎もメフィスト病院の噂は聞いている。<区外>で見放された重病人、半死半生の患者ですら必ず死の淵より呼び戻す程の病院だそうだ。人ならぬ美しさを誇る院長は、<新宿>における触れてはならぬ魔人の一角であるという。
――よろしい。
思考をまとめる。
準備は整った。
最早躊躇している段ではない。
己の友人が傷つけられ、大切な後輩が拐かされたのだ。
正義の味方である衛宮士郎の取る行動なぞ、ただ一つしかない。
――助けねばならない。
桜がその輩の居る場所に在る可能性は高かろう。
「お世話になりました、ガレーンさん」
「……行くのかい?」
「はい。慎二を――お願いします」
迷う必要は無い。
立ち上がり、毅然とガレーンの工房を辞そうとして――
「お待ちな」
「はい?」
出鼻をくじかれた。
「<新宿>の何処に行けばいいか、解ってるのかい?」
「――あ」
言われてみればその通りである。
士郎は<新宿>の土地勘がない。何処に行けば桜を攫った連中の拠点があるかなど、見当もつかない。
やれやれ、と。ガレーンは苦笑して息をつく。
「餅は餅屋ってのはこの国の諺だったかね。幸か不幸か、知り合いに人捜し屋が――」
「あの方なら本業がお忙しいようですわ。副業はしばらくお休みだと仰っていました」
「何だって?」
人形娘の答えに憮然とするガレーン。
全くあの太平楽が、と。ひとしきりぶつぶつ言った後。
「なら情報屋に聞くのが一番だ。この時間なら
「承知いたしました」
人形娘が一礼。
「え、でもそれは」
「何か問題でもあるのかい」
大ありだ。
それは――困る。
ただでさえ迷惑をかけているのだ。
元々ガレーンの所には凛の遣いで来ただけのこと。用が片付いたら慎二ごと放り出されても文句は言えぬ。
それに、内実はともかく、人形娘は外見的に十歳にも満たぬ少女である。明らかに危険が待っていると思われる行き先に、そのような子を連れて行くのには抵抗があった。
「そんな心配は無用だよ。娘はね、このガレーン・ヌーレンブルクの肝煎りさ。そうさね――そんじょそこらの代行者程度では相手にもならない程には鍛えてあるさ」
絶妙のタイミング。
思念が顔に出ていたか。最も、この老婆なら思考の一つ二つ読み取っても不思議ではない。
「取りあえずは言うことをお聞き。それに――」
ガレーンが不敵に口元を曲げた。
「善意で手を貸す訳じゃないのさ。この仕事は結構制約が多くてね、自分の好き放題やりたい放題ってわけにはいかないのよ。覚えておおき、魔術師ってのは、
「……有り難うございます」
こうまで言われて断れるはずがなかった。
「では参りましょう、衛宮様」
「ああ、それじゃあ――よろしく」
頷き、軽く握手を交わしてガレーンの工房を辞する。
魔法街から大通りへと踏み出すと、極彩色のネオンサインと、見通しのきかない闇に覆われた魔界都市の夜景。
(待ってろよ、桜……!)
大切な後輩の笑顔を思い出しながら、士郎はぐっと拳を握って夜景を睨み付けた。
⇒to be continued in chapter-03 "The Chaser"
▲▽▲▽▲▽
さるにても、夜が星なき黒衣を身に纏う時
開けたる空間はあくびさながら暗い深淵を開き
小暗き屋敷はいや巨いに陰鬱には成りまさり
巷路はさながら地下の窖、暗き無明にぞ沈めり
――ジェイムズ・トムソン『恐ろしき夜の都府』
▲▽▲▽▲▽
ごり。
循環バスには相応しくない鉄の塊が、少女の頭に押し付けられた。
「別にとって喰おうってわけじゃないんだ、お嬢さん。うちの会社に手を貸してくれって、あんたの婆さんに言ってくれればいいだけさ。簡単なことだろ」
塊を手にした若い男が、猫なで声を出した。
黒光りする鉄の塊の正体はベレッタ・M92FSだ。各国の軍隊で正式採用されており、現存する拳銃の中でも指折りの実績を誇る自動拳銃。
街中でこんな物を振り回していたら即逮捕だが、この街においては然程危険な物ではない。実際、
それでも、至近距離でそんなものを突きつけられれば、普通の人間なら縮み上がってしまうものだ。
拳銃の持ち主がまた悪い。
「うちの会社」などと言ってはいるが、どこからどう見ても堅気ではない。
いかにもといった派手なスーツに乗っかっているのは、軽薄さと酷薄さが程よく混ざった顔。人を人とも思わさなげな態度といい、筋物の類――有り体に言えば、ヤクザである。この街において蛇蝎の如く嫌われ、雲霞の如く生息する輩の一端だ。
対する少女は、十歳前後としか見えぬ幼さ。
金髪と碧眼が何とも愛くるしい、人形のような少女である。
バスの前部座席に一人座る少女に、ヤクザめいた男が立って拳銃を突きつけているなど――心和む光景とはとても言えまい。
「その件についてはお断りしたはずです。何度も答えさせないでくださいませ」
鈴を転がすような声で、少女が冷たく答えた。
ぴしゃりと撥ねつけるような声だった。
顔色一つ変えていない。
それどころか、男を見ようとすらしていない。大した胆力である。
「婆さんに断られたからアンタに頼んでるんだ。大人が頭を下げてるんだぜ、聞いてくれてもいいだろう」
猫なで声。
どうやらこの男の中では、銃を突きつけて脅すのが頭を下げることになるらしい。
「でははっきりと申しましょう――」
じろり。
碧眼が男を冷たく見つめた。
「害虫に手を貸す愚か者はおりません。今すぐ此処から消えて二度と顔を見せないでくださいませ」
視線にも増して冷たい声。ひくりと、男の頬が引きつる。
「そうかいそうかい。じゃあしょうがねえな。不本意だが、ちょっとばかり痛い目に――」
男が引き金にかけた指に、力をこめた時。
「やめろよ」
「あん?」
鋭い声が、バスの中に響いた。
男の視界に飛び込んできたのは、後部座席から立ち上がる少年の姿。
少し癖のある赤い髪。
真夏に相応しいラフな服装の上からでも解る、良く鍛えこまれた筋肉質の体。
それらに増して印象的なのは、強い意志の宿った双眸だろう。
「黙ってろや、兄ちゃん。人様の事情に首を突っ込むもんじゃねえぜ。怪我、したくないだろ?」
「やめろって言ってるんだ。そんな女の子相手に、いい大人が何をしてるんだよ」
恫喝するような物言いにも臆することなく、睨み付ける少年。
――彼の名は衛宮士郎。
日本有数の霊地、冬木市に居を構える学生にして、未だ研鑽の途上にある魔術使い。
そして此処は都心の一角。
1947年3月5日、都告示第127号によって制定された、東京都が有する23区の一つ。
多用な施設と、広大な公園、そして世界有数の歓楽街を有するこの街は、1980年代の『魔震』により壊滅的打撃を受け――見事再生し成長し続けた。そして、今も成長し続けている。