東西の人魚

 最近、cgiはおろかサーバー自体に繋がらない事態が頻発しています。ページを開こうとするとまるっきり反応がないことがしばしば。お訪ねくださる皆様にも大変ご迷惑おかけいたしております。申し訳御座いません。
 調べてみるとサーバーのXREAに色々と障害が発生している模様。うーむ、これ以上続くとなると移転も考えないとまずい。いっそのことライブドアあたりに移転してしまうか。しかし過去ログの問題があるしなあ。
 お勧めのレンタルサーバーがありましたらお知らせくださると幸いです。


●今日のUMA

「人魚」のミイラ、和歌山県が文化財指定

 読売新聞には画像あり。いつも思うのですがこれは人魚というより魚人ではないのか。
 そして日本の人魚の歴史は古い。なにせ日本書紀に記述があるほどです。推古天皇の治世27年(西暦619年)に摂津国堀江(現在の大阪)で漁師の網にかかっていたそうな。その大半が怪物めいたイメージである(参考)のが何ともまた。夢に出るぞこれ。

 ただ、本邦の人魚がすべて怪物的な外見だったわけではありません。
 甲子夜話の巻二十には

全く人体にて腹下は見ざれども、女容にして色青白く、髪薄赤色にて長かりしとぞ。人々怪しみて、かかる洋中に蜑の出没すること有るべからずなどと云ふ中に、船を望み微笑して海に没す。尋いで魚身現れぬ。没して魚尾出でたり。この時人始めて人魚ならんと云へり。

 との記述があります。延享年間、玄界灘でのこと。蜑とは海女の意です。

 おわかりの通り、かの有名な人魚姫のイメージに近いものがありますね。人魚=美女のイメージが一般に浸透したのは19世紀初頭、ロマン主義の時代に入ってからのこと。甲子夜話の執筆時期とほぼ同時期というのが興味深い(なお、1801年にはドイツの詩人ブレンターノがローレライ伝説を創作しています)。
「色青白く、髪薄赤色」という表現や長崎の近くで目撃されたということを考えると、西洋人(当時風に言うなら南蛮人)のイメージが投影されているのかもしれません。

 人魚の概念とイメージの変遷については『人魚伝説』に詳しいです。興味のある方はご一読を。

投稿者: 日時: 2009年03月20日 11:30 Web拍手

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