読書録「増補 聖なるロシアを求めて」

増補 聖なるロシアを求めて―旧教徒のユートピア伝説 (平凡社ライブラリー)増補 聖なるロシアを求めて―旧教徒のユートピア伝説 (平凡社ライブラリー)
中村 喜和

平凡社 2003-09
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 キリスト教には様々な教派があります。カトリック、プロテスタント、そして東方正教会。東方正教会の一派たるロシア正教会は我が国とも縁が深いですね(Wikiの記述が充実しています)。
 ロシア正教の一派に旧儀式派(スタロオブリヤーデツ)(分離派とも)があります。十七世紀後半にニーコンの教会改革に反対し、分離した派です。フィクション等で見ることはあまりありませんが、ロシア史を語る上では避けて通れない存在といえましょう。最近ですと佐藤優の『自壊する帝国』で取り上げられていました。

 本書『聖なるロシアを求めて』は、旧儀式派の歴史、実態、伝説などについて解説した好著です。特に旧儀式派特有のユートピア伝説に頁の多くを割いていますね。
 旧儀式派のユートピアは多様です。旧儀式派の始祖アヴァクームが見た「教会はもちろん、礼拝堂すら欠けている」非楽園的な幻想、スヴェトロヤール湖に沈む「見えぬ町キーテジ」、カザーク(いわゆるコサック)たちが夢見た「イグナートの町」……とりわけ印象的なのが「白水境(ベロヴォージエ)」でしょう。

 白水境。それは古き信仰を守る良きキリスト教徒のみが集う理想郷です。遥か遠くの巨大で壮麗な都市に正しき伝統を受け継ぐ聖者たちが住むという……ユートピア伝説の典型ですね。ありがちといえばありがちですが、白水境=日本と考えられていたというのは驚きでした。南方幻想ならぬ東方幻想でしょうか。
 加えて、白水境伝説は単なる伝説に留まりませんでした。「ロシアの多くの農民をしばしば破壊的な実践行動に駆り立てた」とあるように、旧儀式派にとっては大きなリアリティを持つものだったのです。「日本国への旅案内」なる写本が残されているほどです。一八九八年には、グリゴーリイ・ホフロフなるカザックが、白水境を求め、イスタンブールを経て長崎にまで辿り着いています。

 本書第三章ではホフロフの旅行記がダイジェストで紹介されており、トリビア的な意味でも面白い。途中立ち寄ったアトス半島のパンテレイモン修道院では、修道僧がタコらしき海産物と大きなエビを食用としていたそうな。

 比較文学者川端香男里は「神話や民衆の伝説などに見られる地上楽園はユートピアの原型であるが、地上楽園は地上のどこかにあるので、それはただ発見されることを待っているだけである」と述べています。旧儀式派にとっての白水境は、文字通り「どこかにある」地上楽園だったのでしょう。ユートピアとは地上にあろうと天上にあろうと所詮は無可有郷。彼らの探索は空しい努力だったのかもしれませんが、その情熱には感銘を受けざるを得ません。私たちは常にここではないどこか、手の届かない理想郷を求めているものなのですから。

 充実の一冊。お勧め。
 ネタ集、素材集としても好適なので伝奇好きな方も是非どうぞ。

投稿者: 日時: 2009年03月17日 22:36 Web拍手

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