読書録「書を読んで羊を失う」

増補 書を読んで羊を失う (平凡社ライブラリー)増補 書を読んで羊を失う (平凡社ライブラリー)
鶴ヶ谷 真一

平凡社 2008-07
売り上げランキング : 208904

Amazonで詳しく見る
by G-Tools


 驚くべき博識、柔和ながらも鋭さを失わない独自の視点、何より、高級な茶葉を思わせる品格ある文体。
 本書『書を読んで羊を失う』はそれらを兼ね備えた読書エッセイの名品です。
といっても、本についてだけ語っているわけではない。むしろ、書を核として多様なエピソードを綴っているといえるでしょう。
 話題は多岐に及びます。枯れ葉を用いた紙魚の防ぎ方、洋の東西におけるページのめくり方の違い、中世ヨーロッパと古代中国における本占い、紀元前の西アジアからペローの童話集に至るまでのシンデレラ物語の変遷、などなど。いずれ劣らず魅力的な逸話が次々と語られます。古代や中世においては、声を出さずに読む=黙読は珍しい行為だったという話には驚かされました。

 それにしても著者の博覧強記には圧倒されます。「記憶術」の項を例にとれば、客から出されたお題を忽ち記憶し舞台の上で完全に再現してみせたという寄席芸人・一柳斎柳一(回文ですね)から説き起こし、天保年間の頃に記憶術を売り物とした随筆があったこと、イエズス会士マテオ・リッチが明朝において記憶術を披露し現地の知識人を驚愕させたこと、記憶術の実践では馴染み深い空間を記憶の縁として用いること(参考:記憶の宮殿)……わずか十二頁に詰め込まれた情報量は並みではありません。それでいながら単なる引き写しとはなっていない。闊達自在な引用の筆は一読の価値ありかと。

 特筆すべきは、抑制のきいた筆致です。自称読書家にありがちな、本や読書を出汁にして己を語るということがない。主役はあくまで書物と余話逸話であり、著者は黒子に徹しています。品位ある文章、というのはこのことでしょうね。見習いたい。

 特徴的な題名は、羊牧をしていた男が読書に夢中になっていたら肝心の羊はどこかに行ってしまっていたという故事から。さすがに現代日本で羊を失うことはないでしょうが、一度読み始めたら時間が失われるのは請け合いです。

投稿者: 日時: 2009年03月13日 23:27 Web拍手

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://www.gyosekian.net/mt-tb.cgi/732

コメントを投稿