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まず最初に、本書を読まれる前にレーヴィの著作、特に『アウシュヴィッツは終わらない』に目を通しておくことをお勧めします。レーヴィの思想を縁として思索が展開されていくからです。文章はその度に引用されますが、矢張り全体像を知っておいた方がいいでしょう。
1987年、プリーモ・レーヴィの死が大きな波紋を投げかけました。アウシュヴィッツ強制収容所からの生還者であり、「許す人」と評された彼に何があったのか? 無数の人々がその死の意味を探り、語り、何よりも戸惑ったことでしょう。著者の徐京植も例外ではありませんでした。徐にとって「プリーモ・レーヴィは『人間』の尺度だった」のであり、「彼こそがオデュッセウスだった」のですから。
徐はレーヴィの墓に詣でるためにトリノへと向かいます。ミラノからトリノへと向う普通列車で、人の溢れるローマ街で、墓参の帰路で、徐はアウシュヴィッツ帰還後のレーヴィの足跡を辿り、その死の意味を問い続けます。
プリーモ・レーヴィが自殺しなかったならば、すべてが単純明快であっただろう。苦難に対する人間性の勝利と救済の物語、オデュッセウスの凱旋の物語。……私たちのほとんどは自らの浅薄さと弱さのゆえに、その単純明快さにすがりつこうとする。だが、薄暗い宙空に身を投じたプリーモ・レーヴィは、自分自身の肉体を石の床に打ちつけることで、私たちの浅薄さを粉々に打ち砕いたのだ。(p. 223)
アウシュヴィッツという極限的状況で完膚無きまでに打ち砕かれた人間という「尺度」。その「尺度」をいかに再建すべきか。「こちら側」と「あちら側」に隔てられてしまった世界をいかに再構築すべきなのか。今なお進む「尺度」の破壊にいかにして抗すべきか。
徐の、レーヴィの言葉は我々に重い問いを突き付けます。問いは尽きることなく、明確な回答が与えられることもありません。
それでも我々は知り、思索し、理解しなければならない。終章の題ともなっている「一瞬の光」、普遍的な「尺度」を見出せるかどうかは個々に託されているのです。
文章は読みやすいですが、内容はひたすら重い。テーマがテーマですし、「善意で小心であり、正直で無気力」な人々への批判の筆の鋭さは時に息詰まるほどです。とはいえ、一度は読んでおくべきでしょう。まずは自ら読み、考えなければなりません。
著者の徐京植は東京経済大学で教鞭を執る作家。在日二世でもあり、思想弾圧による投獄を経験した二人の兄を持ちます。著作に『ディアスポラ紀行――追放された者のまなざし』など。
・追記
良書にも関わらずネット通販では軒並み品切れです。題材のためもありamazonでは異様な高値がついていますが、大きめの書店で数度在庫を見かけました(私はジュンク堂の池袋店で購入しました)。探してみてはいかがでしょうか。紀伊国屋書店にも幾つか在庫があるようです。
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