連作クロスオーバー「アウレオールスの夜に」第十五話

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伝奇クロスオーバー二次創作
『アウレオールスの夜に』
chapter-15 血戦 ~ VERSUS

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「セイバー!」
「遅くなりました、リン。ご無事ですか」
 音楽的なまでに美しく澄んだ声に、ニヤリと笑う。
「何とかね。格好良く出てきちゃって、真打ち登場ってとこかしら?」
 走り、セイバーの後方へと場所を移る。最優の騎士が現れた以上、魔術師たる自分が前に立つのは無益どころか有害だ。闇男爵の取り澄ました顔を一瞥し、現況を素早く見て取る。
 騎士王の出現は地下室の状況を一変させていた。
 セイバーの放つ清洌な氣が、室に充満していた瘴気を圧倒している。白銀の鎧と黄金の髪が洋燈(ランプ)の灯りを照り返すたびに、暗闇は千々と乱れ散って消え去りゆく。まるで、聖光に照らし出され巣穴へとしりぞく魔物たちのようだ。
 ただの比喩ではない。一体の魔物――瘴気の源泉、澱みの象徴とも言える怪物・ショゴスは、退くこともかなわず震えている。剣に断たれ、傷つけられ、部屋の隅で縮こまって痙攣を続けていた。英霊の剣を受けては異界の生物ならではの再生力も思うがままに働かぬのか、傷口からはじくじくと粘液がしみ出し続け、今しばらくは塞がりそうにない。当面は動くこともかなわぬだろう。
 そして闇男爵は、セイバーに不可視の剣を突き付けられ身じろぎもしない。その喉元には風王結界の切っ先が向けられたままだ。この距離、この間合いならば、闇男爵を斬って捨てるのに一秒と要しないだろう。
 緊張に張り詰めた空気の中、セイバーと凛の瞳が魔人を射抜く。闇男爵は鋭い視線を受けながら首を振り
「いやはや――美しい。噂にたがわず、いや、噂以上です。『こちら側』に還ってきた甲斐があったというものだ」
 感嘆の声を漏らした。
 陶然とした声だった。絵画や彫刻の傑作に間近に接した時のような感動と賛嘆がそこにはあった。もしかすると、セイバーの凛とした佇まいに本気で感心しているのかも知れない。
「戯れ言を。口を閉じよ、魔術師(メイガス)
「やれやれ、短気なお方だ。ミス・遠坂の影響ですかな?」
 警告も意に介さず、闇男爵は柔和に微笑む。その横顔に、凛は不気味なものを感じないわけにはいかない。
 闇男爵がいかなる輩かは、ここしばらくのやり取りで飲み込めている。一見すると毛並みの良い貴種であり、何があろうと悠然たる態度を崩さない様は大したものだ。実力でも纏う空気でも、魔術協会の重鎮に見劣りせぬだろう。
 しかし、それらは見せかけにすぎない。闇男爵の本質は傲慢と我欲であり、これ見よがしな余裕も己以外を見下す精神性に由来するものだと凛は確信している。しばしば発揮する韜晦(とうかい)癖も、他人を小馬鹿にするゆえの振る舞いなのだろう。
 その在り方に一貫しているのは、自己に対する絶対的な自信だ。圧倒的な優位を覆されても動じた様子がないのも当然だった。
 だが――
 凛は眉根を寄せる。
 状況が状況だ。
 剣の英霊を前にし、不可視の刀身を突き付けられながらこうまで余裕を示していられるものなのか。
 潔く敗北を認めた、などということは有り得ない。そもそも、自分が敗れる可能性など最初から考えにも入れていまい。何か企みを抱いていると考えるのが妥当だった。
 何をするつもりなのか。
 いかなる動きを示すのだろうか。
 この後に取るべき最善手は――
 首筋にふと視線を感じ、顔を上げる。
 闇男爵の切れ長の瞳が見詰めていた。整った相貌は吸い込まれそうなほどに黒く深く、知性と気品の輝きを宿している。一瞥しただけで、凛の総毛がぞわりと泡立つ。赤い唇がぬらりと開き、言葉を紡ぎ出した。
「ミス・遠坂。ものは相談ですが――」
 優しく穏やかな声がした。
 誠意に満ちた声だった。
 その音を聞いた瞬間、凛の決意は固まっていた。
 闇男爵は魔術師ではない。
 否、人間ですらない。
 もっとおぞましく忌まわしい何者かだ。言葉に耳を傾けるべきでなく、あらゆる振る舞いを許すべきではない。今、この時この場で滅ぼすべき存在でしかありえなかった。
「セイバー!」
「――!」
 断固とした響きで凛が叫ぶ。
 その叫びと、セイバーの斬撃といずれが速かっただろうか。
 首筋へと突き付けていた剣を僅かに引く。
 剣を諸手に構え、石畳を踏みしめて切り下ろす。足下には、闇男爵の影が洋燈の光を受けて長く伸びている。
 僅か三挙動ながら、神速の動きだ。刹那の時も要さぬ手練の技だった。いかなる魔人であれ、おそらくは英霊であれ見切ることは出来なかったろう。
 不可視の刃が銀線を引いて大気を切り裂く。闇男爵は嘲りの微笑を浮かべたままだ。動けぬのか、或いは動かぬものか。
 一閃、空気を裂いて刃が走り、セイバーは黒衣の魔人を断ち切った。


 斬った。
 剣を振った瞬間、セイバーは確信していた。
 間合い、速度、威力、全てが申し分無い。聖杯戦争で争った英霊たちや、倫敦で刃を交えた魔人ティトゥスとて防ぐことも避けることも出来ぬだろう。白兵戦を得手とせぬ魔術師、すなわち闇男爵のような者なら、何が起こったのか理解することすらかなわず死を迎えるのは必定だった。
 だというのに
 ――おかしい。
 直感が警報を鳴らしている。セイバーの直感は、戦士ならではの勘という領域を遙かに超えていた。迂遠な思考を介さず、あらゆる理を超えて最適解を導き出すその力は、ある意味で宝具以上に強力だ。直感こそが、セイバーを最優の戦士としてきた主因であるとすら言える。
 刃を振り切り、剣先が地上すれすれへと至った時――
 ぞくりと。
 背筋が震えた。氷柱を脊髄に突き刺されたかのようだ。
 寸刻、違和感の正体に思い至り、鎧の下に汗が伝う。
 手応えが全く無かったのだ。
 有り得ないことだ。英霊のような霊的存在ならともかく、何かを斬ればその感覚が手に伝わる。得物の別に関わらずであり、風王結界とて例外ではない。
 何が起きたのか考える間もなく――
「――ッ!」
 身を捻り飛び退っていた。
 それは、歴戦の剣士としての反射的な行動だったろう。
 漆黒の槍がセイバーの前髪をかすめた。断たれた髪が舞い、粉を散らしたかのように揺らめく。穂先は空しく地へと至り、石の床をずぶずぶと抉り貫いた。豆腐でも刺したかのようにそのまま奥へ進み、柄の半ばまでめりこんでようやく停止する。
「“闇槍(あんそう)”をかわしますか――」
 視線の先で、闇男爵がにいと笑った。
 無傷の姿だった。かすり傷一つ見当たらず、立っていた場所から動いてすらいないようだ。動くことすらなく、涼やかな笑みを浮かべている。
 ――何をした。
 セイバーの碧眼が細まり、輝きを増した。
 絶対の間合い、必殺の速度だったはずだ。確実な死をまねく剣の技、かの佐々木小次ならばいざ知らず、闇男爵が避け得たとは考えられない。
「そんな怖い目で見ないでください。お見事でしたよ。まともに斬られていたら、ただではすまなかったでしょう。だからこそ――」
 闇男爵が指を鳴らす。
 と、奇妙な事が起きた。足下に伸びていた影が、左右にぱっくりと裂けたのだ。その切り口は、セイバーの剣閃を正確になぞっている。
「影に肩代わりして貰ったのですがね」
 風王結界は確かに闇男爵を断っていた。セイバーが確信した通り、避けるも防ぐもかなわぬはずだった。だからこそ、この男は自分の代わりに影を斬らせたのだ。己が受ける筈の傷を影に差し替えたとも言えよう。魔術なのではあろうが、セイバーですら見たことも聞いたこともない術だった。
(この魔術師――!)
 ここに至り、セイバーと凛の認識は一致した。闇男爵は人外の倫理と技を備えた文字通りの魔人だ。猶予を与えずに討ち滅ぼすべき怪物だった。
「――はあっ!」
 気合一閃、刃風が巻き起こる。即座に第二撃を放つ。風王結界を素早く返し、下段から闇男爵を薙ぐ。日本の剣術で言うところの逆袈裟だ。
 闇男爵が口内で二、三語を唱えた。黒の帳が舞い、背のマントがはためく。マントはそれ自体が意志あるかのように、闇男爵を覆い隠し包み込む。
 刀身がマントに肉薄し、布を歪ませ体へ食い込んだと見えたも僅か――
 ぎいん。
 鋼と鋼が噛み合う澄んだ音が響き渡り、剣が弾き返された。手応えは不壊の鋼を殴った時のそれだ。いかなる術によってか、マントは鋼材の強度とゴムの展性を得ているようだった。じんと手が痺れ、反動が身を襲う。
 ぐらりと。
 反動に揺らめきかけた体をセイバーは強引に立て直す。絶妙な体捌きだった。たたらを踏むどころか、重心の崩れすら無かったのが一流の剣士たる所以だろう。間髪入れず、横薙ぎの斬撃を繰り出す。
「やれやれ、貴女相手では分が悪い」
 呟くと、闇男爵は地を蹴ってふわりと飛んだ。前を見据えたまま、後方へと跳躍したのだ。セイバーの剣はタキシードをかすめるも、僅かに届かぬ。
 音も立てずに闇男爵が地に降り立った。間合いは忽ちにして十メートル近い。安全な距離をとったと判じたか、闇男爵が口元を歪める。
 が――
「逃がさん――!」
 セイバーは止まらない。
 騎士王は既に走り出していた。剣を斜め下へと構え、背を低くかがめて地を蹴り駆ける。その姿はまさしく一陣の風、狙い過たず放たれた一個の弾丸だ。
 見る見る間に距離が縮まるも、闇男爵に慌てたそぶりはない。左腕を突きだし、ゆっくりと掌を開く。指先一つ一つに渦巻くのは、闇が凝結したかのような黒々とした塊だった。
「これで――どうです!」
 黒の閃光が虚空にたばしった。
 放たれた五筋の闇は、黒い糸を引きながら宙を走る。細長く伸びた闇の先端は鋭く尖り、さながら槍のごとし。闇男爵必殺の“闇槍”である。
 五本の魔槍は唸りを立てて飛び、セイバーを貫かんと殺到するも
「ぬっ!?」
 鎧に辿り着くことすらなく、寸前で弾かれ、砕け散り、消散した。
 闇男爵の整った眉が僅かに吊り上がる。
 当然の結果だった。“闇槍”は純粋な攻撃魔術だ。いかに強力であろうと、圧倒的な対魔力を誇るセイバーの前では石礫のようなものに過ぎない。闇男爵とて承知していたであろうが、全ての槍が打ち折られたのは予想外だったか、はじめて焦りが浮かぶ。
「さすがは……」
 闇男爵は再び跳んだ。マントが怪鳥の如く羽ばたき、風を巻く。上空へと逃れ距離をとるつもりだろう。
 好機だ。
 セイバーの瞳がぎらりと光る。突撃の速度を落とし、前傾姿勢を戻すと両脚を肩幅に開き急制動をかけた。作用反作用の法則に従い、摩擦熱を帯びた火花が飛び散り、軸足の鎧が石の床を削った。大型バイクがスロットル全開から急停止したようなものだ。堆積していた埃と削れた石のカスはもうもうと巻き上がり、白煙となって空間に広がる。壁に沿って上昇する煙が、セイバーを覆い隠した。
 その時には、闇男爵は天井近くにまで舞い上がっている。壁に映る影は、羽根を広げた不吉な大鴉のようだ。
 わずかな沈黙が降りる。
 コンマ五秒。
 一秒。
 二秒。
 空間は静まりかえっている。
 追っ手たる白銀の狩猟者は未だ現れぬ。
「――どうしました?」
 闇男爵が不審そうに呟き――
 次の瞬間、小柄な影がその身に覆いかぶさっていた。
 刃を抱いた銀の鳥が舞い降りる。振り仰いだ美貌に驚愕が浮かぶ。
 煙を巻き起こし姿を隠したと同時にセイバーは跳躍していたのだ。疾走からの急停止、さらに跳躍。人間では肉体的にも体力的にも不可能な動きだ。
 煙の中では、闇男爵が自分が視認出来ないように、自分も対手(あいて)の正確な位置を確認することは出来ない。それでも、セイバーには卓越した直感力と無数の戦闘経験がある。ましてここは、館の一室という限定された空間だ。剣を振るうに最適な位置を目指して跳ぶなど、児戯に等しい。
 唸りと共に剛剣が振り下ろされる。咄嗟にマントを翻したのは、闇男爵にとってすら本能的な行動であったろう。
 剣とマントが噛み合った。鋼と化したマントが不可視の刃を防いだのも束の間――
 戛然(かつぜん)! 鋼が鋼を切り裂く音と共にマントが裂けた。魔人の術といえど、二度続けて聖剣を防ぐのは不可能だったのだ。
 闇男爵が舌を打つ。よろめきながらも腕を捻り、掌から闇の塊を放つ。不可解なことにその狙いは地上だ。凛を狙ったかと思ったがそのようなこともなく、塊は室の隅、未だショゴスが震える一角に着弾する。闇はぞわりと音を立てて広がり、ショゴスを覆った。
「何をしている――!」
 その隙を見逃すセイバーではない。マントを断った衝撃を利用してそのまま一回転、重力を無視したかのように軽やかに壁面を蹴り宙を飛ぶ。頭を床に、足を天井に向ける形だ。柄を強く握り、愛剣へと魔力を注ぎ込む。体内から発せられた力は腕から柄へ、柄から刃へと伝播してゆく。
 剣を覆う風が勢いを増した。不可視にして無音の鞘は見る間に廻転を速め、色も音も持たぬ暴風となって吹き荒れる。風が集積し渦を巻く様は、小型の竜巻以外の何物でもない。
「風王結界ですか……!」
 闇男爵が叫ぶ。
 ――風王結界。セイバーの所有する三つの宝具の一つであり、聖剣を覆い真名を隠すための鞘だ。旋風を以て聖剣を覆い、光を屈折させることで内部を不可視とする任も担っている。宝具というよりも常時発動型の魔術に近く、用途は多岐に渡る。
 単純に風の力を強めるだけでも、斬撃の威力は倍加する。竜巻にまで昇華させればなおさらだ。
 魔力を後方へ噴射し勢いを増す。
 風の力が加わった剣を横薙ぎに斬りつける。
 数倍にも膨れあがった威力の剣を防ぐ手段などあるはずがない。竜巻と化した刀身が、胴を両断せんと食い込み
「っ!?」
 何かにがきりと阻まれた。腕に伝わる固い感覚。その感触は、鎧下に鎖帷子を着込んだ相手を斬った時と同じだ。まさかタキシードの下に帷子を着込んでいるはずもない。大方、胴体を魔力の鎧で覆っているのだろう。
 ならば――鎧ごと断ち切るまで。
「――はあっ!!」
 力をこめ、剣を振り抜く。腕にかかっていた圧力が消失し、重いものを吹き飛ばした感触があった。
 人間大の塊が、受身もとれずに壁へと吹き飛ばされる。
 激突音、続いて、舞い上がる煙。闇男爵が打ち付けられたであろう床の一角から石埃が飛び散り、再び視界を遮った。
「やった!?」
「まだです、リン!」
 煙の奥から響く凛の声に叫び返し、目を凝らす。
 セイバーの碧眼は、埃の中の光景をはっきりとらえていた。床に大きな穴がうがたれ、小型のクレーターを形作っている。その中に人らしき影が垣間見えた。影はよろめいて立ち上がる。間違いなく、闇男爵だろう。
 ここで決める。
 一撃を送った反動を利用し、くるりと姿勢を反転する。着地に備えて足を広げ、剣を振りかぶった。残るは、地に落ちた敵を斬り伏せるだけだ。
(もらった――!)
 確信した時。
 床が震えた。
 地上の一角、闇男爵が黒い塊を放った地点が黒に染まっていた。一箇所だけではない。石畳だったはずの床は、さざめき、蠢動し、沸き立つように揺れる黒へと塗り潰されてゆく。汚泥に満ちた湖か底無し沼のようだ。
 そして、沼の奥から響くこの世ならぬ忌まわしい鳴声。
 
 てけり・り!
 てけり・り!
 
 いななきと共に巨大な影が伸び上がった。うずくまり伏せて震えていた黒い原形質は、新たに命を吹き込まれたかのごとく咆哮し、激流のように上空へと流れ走る。
「ショゴスか……!」
 セイバーの両目が見開かれた。額に汗が浮かぶ。
 ショゴスの全体からは粘液質の液体がしたたり落ちている。休むことなく伸張し、収縮し、変形を繰り返す本体は、鳥もちのような粘性と弾性を有しているようだ。
 鳥もち。正にそれだ。このままいけば、ショゴスの体へと飛び込むことになる。自分を絡め取り、取り込むつもりか。
 思うがままにさせるつもりはない。正面から空中戦を挑むのは愚であり、時間の消費だった。最優先すべきは闇男爵の撃滅だ。自分とショゴス、互いの挙動を瞬時に判断し、交錯するタイミングを予測する。魔力を放出し軌道を変更するのが最善だろう。
 間合いに入った時――
「これは……!?」
 予想外のことが起きた。
 ショゴスが四方にばくりと裂ける。正確には、口を縦横に大きく広げていた。軟体動物めいた急激な伸張で開かれた黒い口内に、光が吸い込まれてゆく。二次元的にではなく三次元的、触手めいた動きで天井へと向けて広がりながら伸びた口は、地獄への入り口のようにセイバーを包み込む。軟体動物とは思えぬ素早さに、セイバーに出来たのは体を反らすことだけだった。
「ぐ……っ!」
 どすり。
 鈍い衝撃。口が閉じられ、歯と歯が噛み合う音がした。鋭く尖った何かが鎧を貫き、腹部に食い込む。
 喉元にせり上がる熱い塊を飲み干し、歯をぎりと鳴らし見下ろす。
 胴体に食らいつくショゴスの姿がそこにはあった。


35


 闇男爵はクレーターから身を跳ね起こした。風王結界により薙がれた事など無かったかのような身軽さで床へと立ち上ると、衣服に付着した埃を伊達な仕草で神経質そうに払う。自慢のマントとタキシードが裂けてしまったのは不愉快だが、身体には目立つ外傷も骨折も無い。多少の傷など問題にもならぬが、後々の治癒が面倒だ。無傷であるにしくはない。
 それにしても危うかった。あらかじめ薄い結界を身の回りに張り巡らせておかねば、今頃上半身と下半身がおさらばしていたに違いない。セイバーの力は想像を遙かに上回っていた。最優の英霊の名は伊達ではないようだ。
 とはいえ――
 にいと口元を歪めると、朱色の唇から白い歯が覗き、陰惨な笑いを形作る。
 戦況は一気に傾いた。
 セイバーはショゴスに食らいつかれている。普通ならば幽体化して逃げられてしまうだろうが、あれはただのショゴスではない。手ずから調整した特製だ。牙から分泌する魔術的な酵素が、英霊を実体化したまま捕らえていてくれるだろう。せいぜい、鋼鉄をも噛み切るショゴスの牙にさいなまれるがいい。
 遠坂凛は頭を振って身を起こすところだ。膨れあがったショゴスに弾き飛ばされ、床に転げたようだった。思わぬ副産物に、笑みが一層深くなる。
 油断ならぬ敵対者たちがかような苦境に陥ったことは、闇男爵にとって無上の快楽だった。揃って可憐な少女であるのが、また心楽しい。ワインでも傾けながら彼女たちの苦悶をじっくりと観察したいところだが、そうもいかないのだけが残念だった。
 英霊・セイバー、そして魔術師・遠坂凛。この主従の実力は決して侮れるものではない。思うに、倫敦はおろか、魔界都市<新宿>ですら一角のものと成り得るだろう。すぐにでも状況を理解し、対処し、反撃に転じようとするのは間違いなかった。
 だからこそ、今の内に片付ける必要がある。
 近接戦闘において自分がセイバーに敵し得ないことはわかっていた。なるほどこの闇男爵、魔術師としては超一流、戦士としても一流ではあろう。問題は、一流の戦士という言葉なぞ、セイバーの前で空しいだけということにあった。本来の姿であればいざ知らず、闇男爵こと呪紋大三郎の体で最優の英霊を相手どるのは愚の骨頂だ。
 ならば、主たる姫君に狙いを定めれば良いだけの話である。
 大気が歪み、闇男爵の姿がホログラフのように揺らぐ。黒ずくめの体が風をはらんで凛へと飛ぶ。
 凛が頭を振って身を起こした。魔風は既に吹きすぎ、黒衣の魔人は少女の眼前に立ちはだかる。
「残念、お目覚めが少し遅かったようです」
「――っ!」
 無防備な喉元めがけて右腕を突き出し、喉を鷲掴みにする。間髪入れずに力を加え、地下室を覆う壁へとその体を押しつけた。赤い上衣が勢いをつけて壁に打ち付けられると、衣服と皮膚の下で骨がきしむ。壁一面が揺れ動き、長い歳月に積もり積もった塵芥がもうもうと舞い上がる。視界を遮る粉塵の中、背骨に伝わる衝撃と喉を絞められる苦痛に、凛が顔を歪めた。
「いい表情です。このまま連れ帰り、時計塔の俊才を花嫁とするもまた一興かもしれません」
「……誰が……っ」
「おや、ふられましたか」
 右手にさらに力をこめる。脛骨がみしりと、凛の喉がけくりと鳴った。
 端整な面差しが苦痛に歪む眺めに、闇男爵は背筋が痺れる思いだ。
 細い首である。腕利きの魔術師といえど肉体的にはただの小娘にすぎない。これほどほっそりとして柔らかいのでは、腕で少し捻るだけで有り得ない方向へと曲がってしまうに違いない。その時、この少女はどんな表情を浮かべるのだろう。骨が折れる時に、喉が潰れる時に凛が示すであろう苦悶の相を想像するだけで、どす黒く心地良い快楽が心の底から沸き上がってくる。末期の悲鳴はさぞかし美しく響くことだろう。若々しい少女だけが持つ柔らかで絹のような手触りに、闇男爵は陶然と目を細め耳元に口を寄せる。
「それにしても貴女は頑固だ。ものは相談、と先ほど言ったではありませんか」
 優しく、甘やかに囁く。人を殺せそうなほど険しく睨み据えてくる瞳が美しい。
「いけません。実にいけません。人が話し合おうとしているのに、使い魔にいきなり暴力を振るわせるとはね。貴女たち二人をまとめて相手するのは大変ですし、改めて交渉の席を設けようかと思ったのですが……悲しいかな、つれないにも程がある」
 赤い舌が唇をなめた。獲物を前に舌なめずりする蛇のように。
 声と共に吐き出した息を、凛のきめ細かい肌に沿わせて耳朶へと吹き込む。身震いするような嫌悪感に、少女は顔を歪ませた。
「ご縁が無かったということなのでしょう。実に……ええ、実に残念ですよ」
「かく……っぁ……!」
 五指でじわじわと頚部を締め上げ、猛禽類を思わせる爪を喉に食い込ませてゆく。凛は言葉を返すことすらままならず、ただ呻くだけだ。
「リン……!!」
 セイバーの叫びは、むせ返るような血の香りに彩られている。耳障りだとでも言いたげに、ショゴスは顎の力を加え牙をより深く突き立てた。鎧に亀裂が入る音がして、セイバーの口の端を血の筋が伝う。押し殺した苦鳴が漏れた。
「やめな……さい……」
 息も絶え絶えに、凛が言葉を絞り出す。
 言葉の合間にひゅうひゅうと喘鳴が混ざる。呼吸をするだけで一苦労なのだろう。足はだらんと垂れ下がり、白い皮膚は浮き上がる静脈で青みを帯びていた。そろそろ意識が朦朧となる頃だ。さて、呼吸が止まるのが先か、首の骨が折れるのが先か。
「何をやめろと言うのです? 今更命乞いもないでしょう。なあに、ご安心ください、貴女のお友達も同じ場所に送って差し上げます。あの世は悪い所ではありませんよ。一度死んだ僕が言うのだから間違いない」
 随喜に満ちた瞳で凛を見つめる。闇男爵はもはや愉悦を隠さなかった。
 くすくすと嗤う姿に、凛は唇を噛み
 ぶん。
 風を切る音と共に、右拳を突き出してきた。きつく握り締められた手は、怒りのあらわれか。まだこんな余力があったのかと、妙な感心をしてしまう。
 せめて一矢でも、というところか。健気なことだ。
 顔に拳が当たる直前、空いている左手でその手首を掴む。それだけで拳はぴたりと止まり、腕は一ミリとも動かなくなった。骨が痛む程度の力で締め付けてやると、痛みにか、あるいは屈辱にか、拳が小刻みに震える。
 喉へかけた手に少しずつ力を加える。真綿で首をしめるという言い回しがあるが、まさにそれだ。屈辱と共に命を奪ってゆく興奮は性的ですらあった。
「やめろと? それはまた何故です?」
「……かは……っ……このままじゃ……死んじゃう……からよ」
 やれやれ、やっと命乞いか。
 もう少し早ければ聞いてやらなくもなかったが。
 あえて重苦しく首を振る。内心では今にも笑い出しそうだ。
「未来ある魔術師が不本意にも命を落とすのは悲しいことです。悲しいかな、僕には故人をしのぶことしか出来ません。せめて、どなたが亡くなるのか教えてくださいませんか?」
「もちろん――」
 苦痛に顔を歪ませ、声を掠れさせながらも凛は闇男爵をひたと見据えた。
 猫の瞳が細まり、口元が不敵な笑みを形作る。表情は苦悶から一転、自信に満ち、見惚れるほどに華やかで艶やかだ。
「あなたがよ!」
 ぱ、と。握り締めていた拳が開かれる。指の隙間から鮮やかな輝きが漏れ、手品のように虚空から宝石が現れた。人差し指、中指、薬指、小指。指間に挟まれたのは、紅玉(ルビー)紅縞瑪瑙(サードニクス)紅榴石(ガーネット)と、紅に輝く三つの宝石だ。朱色の閃光は凛の白い指をなぞり、蛇のように絡まりあい渦を巻く。
「――Es last frei(解放)
 蒼冷めた唇が呪言を紡ぐ。
 闇男爵の顔色が土気色に変わった。全身から血の引く音が聞こえる。宝石を抱いたしなやかな手の内で魔力が白熱するのが感じ取れた。
「貴様……!!」
 目を見開き、紳士の仮面をかなぐり捨て闇男爵は叫ぶ。
 凛を投げ捨てようと腕を振った時、少女は既に詠唱を終えていた。
「――EileSalve(一斉射撃)!!」
 獣のような絶叫が地下室を満たした。


「くっ……!」
 凛はどさりと地に落ちた。片手で喉を押さえ、咳き込む。
 重なるように宝石の砕ける音。きらきらと血の色の破片が舞う中、宝石から放たれた莫大な魔力は闇男爵の顔を燃やし、蹂躙し、奔流と化して去った。
 鼻をつく、肉の焼けただれる匂いに目をやる。
 闇男爵は悶絶していた。顔を手で押さえながら後退り、意味を成さぬ呻きを漏らし天を仰ぐ。傷ついた皮膚から漏れ出た血液とリンパ液が掌を濡らし、ぼたぼたと垂れ落ちた。
「遠坂……凛……!」
 手で顔面を隠したまま闇男爵が吠える。声にも、振る舞いにも、余裕と嘲笑は無い。ただ怒りと憎悪が溢れるだけだ。
 ――やりそこねた!
 凛は唇を噛んだ。
 秘蔵の宝石を一度に用いた術だった。破壊力は並の攻撃魔術や近代兵器の比ではない。普通なら闇男爵の頭は吹き飛ばされているはずだ。それがどうやら、手ひどい火傷を負わせただけにとどまっていた。
 まさかここまでの対魔力を誇るとは――誤算だった。読み違えは凛の十八番とはいえ、少々まずい。
 悶えていた闇男爵が動きを止める。手で顔を隠したまま、凛を睨み付けた。指の間から覗く形相は激変している。
 能面のように白く滑らかだった皮膚は焼けただれ、表皮のところどころが剥離している。紅斑がまばらに浮かび、体液がじくじくと滲出し続けていた。垣間見える左の眼球は熱にさらされて変性し、白く濁っている。あれでは器官としての用は足せまい。
「よくも……このようなあ!!」
 屈辱に震える声。魔力が膨れあがり、爆発した。
“闇槍”がめくら打ちに放たれる。十や二十ではきかない数だ。狙いもつけていないのか、漆黒の槍は壁を、天井を、床を、当たるを幸いとばかりに貫いてゆく。ハリネズミが背中の針を一斉に撃ち出したかのようだ。槍の雨に晒されたら、人間など瞬時にして蜂の巣になってしまうに違いない。
 凛は身を翻し床を転がった。立ち上がり駆ける猶予などあるはずもなかった。頬をかすめた槍が肌を薄く切り裂き、痛みと共に血が流れる。“闇槍”が体すれすれに突立った。
「泣け、わめけ、無様な姿をさらして逃げ惑え!」
 闇男爵は身動きもせず怒声をあげていた。表向きの優雅さをかなぐりすてた声を聞きながら、凛は止まることなく床を転げ続ける。“闇槍”は執拗に飛来し、後を追うように床に突き刺さり続けた。
「しつこいわね、もう……!」
 ごちた途端、背中に硬いものが当たり凛の動きが止まる。
 壁だ。
 まずいと思った時には遅かった。
 空気を切り裂く音がして、肩に激痛が走る。痛みと衝撃に脳髄が揺れる。
 二本の“闇槍”が両の肩を貫いていた。槍は肉を貫通し、背面へと突き抜け壁に突き刺さっている。壁にもたれたまま縫い取られた形だ。傷口から血が跳ね、赤い服を一層濃く染める。
「逃がしはせん」
 顔を覆った手をおろし、闇男爵がくぐもった声で言った。喉まで焼かれたのだろうか、良く通っていた声は震え乱れている。地獄の底から這い出てきた亡者のものであるかのようだ。焼けただれ、崩れたであろう顔貌は影となっており認めることが出来ない。
「ただでは殺さん。この世のものならぬ苦痛と恥辱の中でなぶり殺しにしてくれる」
「っ!!」
 闇の礫が飛び、掌が焼けた。短い“闇槍”が右手と左手を貫いて壁に食い込んでいる。両肩に続いて両手、磔にされたようなものだが――これではまるで
「魔術師の標本というわけだ。そのまま五寸刻みにされるのを待つがいい」
 凛の思考を読んだかのように、闇男爵は宣告する。口を開く度に、肉の焦げた嫌な匂いが漂った。
「だが、その前に――」
 闇男爵は燃える瞳で凛を、そしてセイバーを睨み据えた。
「あの厄介な英霊を処分するとしよう。仲間がショゴスの牙に砕かれ、その身が爆ぜて臓腑に飲まれるを見届けるがいい」
 タキシードを纏う魔人は告げる。余裕も韜晦もかなぐり捨てた声には、怒り、憎悪、妄執、あらゆる負の念が燃えていた。その言葉には、凛も危機感を抱かざるを得ない。
 セイバーにもしものことがあれば、決着はついたも同然だ。闇男爵を倒す手段は潰える。全ては終わり、自分は宣告通りにこの世のものとも思えぬ凄惨な死を遂げることになるだろう。
 どうする。
 凛は自問する。手から、肩から、足首から、全身から伝わる痛みを意識の外に追いやり、思考を加速させる。
 観察と注意に全てを注ぎ込んだ瞳が四方八方へと動く。
 天井から床へ、右から左へ。僅かな機会(チャンス)ですら見逃すまいと飛び回る。
 室の構造から配置物まで、細部の細部まで頭の中に描いていると――ふと、閃くものがあった。
 闇男爵、セイバー、そして凛。三人を頂点とし、図形が形作られている。三位一体、三原則、魔術的にも重要な意味を持つ三角形(トリグラム)。特徴的な配置だ。
 ――これだ。
 即断した。
 自己の有する、セイバーの内包する魔力。
 セイバーと闇男爵が直線的に結ばれているという事実。
 ならば――
「やれ、ショゴス!」憤怒に歪む闇男爵の命。
「今よ、セイバー!」確信に則る遠坂凛の声。
 揃って同時に叫ぶ。
 ショゴスが身を震わせて――
 ぱん、と。
 袋の破れる音がした。
 肉が弾け飛ぶ音だった。
 文字通りに千切れる――ショゴスの肉体が。
 黒い粘液の残滓が地下室に飛び散る。まるで血飛沫のようだ。一滴が闇男爵の頬に辿り着き、煙をたてて痣のような染みを作った。
 腐食性の体液が床を穿ち、煙を上げた。
 何処かから風が吹いてくる。
 風と白煙、相容れぬ二つは衝突し、集合し、拡散する。
 やがて、モーセの紅海渡りの如く風と煙は二つに割れ
「――」
 白銀の騎士が進み出た。
 荒く息をつき、鎧は砕かれ、その身は汚液と肉片と血にまみれながらも、セイバーはあくまで気高く美しい。騎士であり、王であり、英霊である彼女は膝を屈することなく、強く大地を踏みしめている。
 その手に握られるのは金色の刃。セイバーは風の鞘を捨てていた。してみると、風の発生源は開放された風王結界だったか。
「魔力を放出したか……」
 憎々しげに闇男爵が歯を鳴らす。
 セイバーが有する魔力は膨大である。
 それを、外へと向けて瞬時に放出すればどうなるか?
 ダムの堤防が一気に決壊するのを想像すれば良い。満々と湛えられた貯水は奔流となり流れだし、行く手を阻むもの全てを飲み込み砕くことだろう。
 全く同じ事が起こったのだ。近代兵器に対しては無敵を誇るショゴスといえど、対魔力に特別秀でているわけではない。四方八方に膨張した魔力は、原形が留まらぬ程にショゴスを引き裂き、肉片と呼ぶにも足らぬ細切れへと還元していた。
「セイ……バァァー!!」
 闇男爵が絶叫する。その影から“闇槍”が伸びた。五や十の数ではきかぬ。数十、あるいは数百、凝集しほとんど一本の巨大な槍と化したような“闇槍”がうねり、飛び、包み込むようにしてセイバーを襲うも
 斬!
 触れることすらかなわず一刀のもとに切り払われた。
 セイバーはそのまま走る。
 ただ一直線、闇男爵を目指して。真の姿を現した剣が眩く輝く。
 凛の狙いは的中した。魔人と英霊は一線上にあり、直線で結ばれていたのだ。言い換えれば、二人を阻むものは何一つ無い。
“闇槍”を撃つにも。
 一気呵成に走り込むにも。
 必殺の一撃を放つにも――だ。
 ただ一足、それだけでセイバーは闇男爵の懐に躍り込む。
 目の前に白い顔があった。“闇槍”を撃つつもりか、防御結界を構築するつもりか、いずれにせよその動きはまるでスローモーションだ。繊細だった美貌はひきつれ、憤激に、激昂に、何より驚愕に歪んでいた。
 聖剣を強く握り締める。
 爆発しそうな魔力を刀身にこめ、真の名を口にのせる。
約束された(エクス)――」
 開放された宝具が黄金に輝き
勝利の剣(カリバー)――!!」
 伝説の聖剣は、今度こそ魔人を両断した。






 ⇒ to be continued in Chapter - 16

投稿者: 日時: 2007年10月08日 22:14 Web拍手

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