連作クロスオーバー「アウレオールスの夜に」第五話





「何しに来たのさ、衛宮」
 投げかけられた第一声はそれだった。
 間桐慎二がガレーン・ヌーレンブルク邸より運び込まれたメフィスト病院の一室。士郎が足を踏み入れるや否や飛んできた言葉がそれだ。
 桜を助けてくれ、と必死の形相で飛び込んできた面影は全くない。士郎にはお馴染みの、皮肉な声と斜に構えた態度をすっかり取り戻していた。
 その捻くれ方がいかにも慎二らしくて、士郎はかえってほっとする。ほとんど本調子なのだろう。
「何って見舞いに来たに決まってるだろ。もう身体の方はいいのか?」
「明日には退院だってさ。だいたいね、元々入院するような体調じゃなかったんだよ。大体この病院は無駄な検査が多すぎだね。看護士や医者の数も少ないしさ」
 やれ点滴がどうした、部屋が暗い、人が来ないと言葉が続く。ひとしきりメフィスト病院をくさしてから、慎二は息をついた。個室なのが幸いだった。待合室や街中でメフィスト病院批判などすれば、病室に逆戻りということになりかねない。
 少しの沈黙。
 その隙に、病室の入り口に佇んでいた人形娘が、士郎へと控えめに囁く。
「衛宮様、私はそろそろ――」
「……悪いね、迷惑かけちゃって。後でガレーンさんの所に挨拶に行くよ。魔道書も結局置いて貰ったままだしね」
「そうしてくださるとお婆さまも喜びます。では、後ほど」
 ドレスの裾つまんで優美に一礼し、人形娘が去ってゆく。
 士郎と慎二の間柄を察し、気を使ってくれたのだろうか。<新宿>に来てからはあの小さな淑女に世話になりっぱなしだ。ちゃんと礼をしなければならないな、と士郎は思う。
 その後ろ姿を見るとは無しに見て、慎二がいつもの余裕ぶった笑いを浮かべた。
「ふうん、衛宮にしては可愛い娘連れてるじゃないか」
「そういうのじゃないよ。俺はこの街には不案内だからな、色々教えて貰っただけだ」
「どうだか……ま、そういうことにしておいてやるけどさ」
 慎二がベッドから身を起こしつつ快活に笑う。
 少しは調子が戻ってきたようだと、士郎は内心ほっとした。挙動不審な慎二は見ていて心地良いものではない。
「それで、桜のことなんだけど――」
「聞くまでもないね」
 本題に対し、慎二は言下に答えた。
 切って捨てる、といった風情だった。
 流石にむっとしたか、士郎の言葉の調子が強くなる。
「なんでだよ、心配じゃないのか」
「だって衛宮が助けるって言ってたじゃないか。衛宮は馬鹿だから、やると言ったらやるからな。そんなだから色々な奴にいいように使われるんだよ」
 ――全く、素直ではない。
 慎二はいつもこうなのだ。言葉や感情を正直に口にすることが出来ない。
「よく言うよ。俺を一番こき使ってたのは慎二じゃないか」
「僕はいいんだよ。だいたいあの時だって……」
 何やら言い差し、咳き込んだ。
 意地を張ってはいるが、まだ本調子ではないのだろう。ガレーンの工房に転がり込んできた時は正に満身創痍だったのだ。無理もない。
「無理するなよな。明日一番でまた来るよ。退院の手続きとかもあるだろうし」
「そんなの僕一人で出来るけどね。ま、衛宮がどうしても来たいって言うなら来てもいいけどさ」
「ああ、俺が来たいんだよ。これから桜の所行ってくるけど、何か伝えておくか?」
「だから桜のことはどうでもいいって。行くなら早く行けよ」
「じゃ、またな」
 士郎は備え付けの椅子から立った。病室の窓からは、<新宿>の夜景が一望出来た。改めて、とんでもない街に来てしまったものだと思う。
 退室の直前。
「おい、衛宮」
 士郎の背中に声が投げかけられた。虚勢が無い、静かな聲だった。
 だから、士郎はいつもの調子では答えずに、ゆっくり慎二へと振り向くだけだ。
「……有り難うな」
「友達だろ」
 ベッドに寝転び、窓の方を向いたまま慎二が呟いた。
 穏やかに笑って、真直ぐ見詰めたまま士郎が答えた。
 慎二からの返事はない。ひらひらと、おざなりに手が振られただけだ。
 ベッドに潜り込んだ慎二がいやに素直に思える。自分の気のせいと、そういうことにしておこうと士郎は思い、後ろ手で病室の扉を閉めた。



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伝奇クロスオーバー二次創作
『アウレオールスの夜に』
chapter-05
闇男爵 ~ Dark Barlon




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「衛宮士郎さん」
「はい?」
 病室から出た士郎に、落ち着いた声がかけられた。声の方向を向くと、白衣にナースキャップをした女性が立っている。年の頃は、幼馴染みで今では教師の姉的存在と大差ないくらいか。涼やかな瞳が印象的だ。メフィスト病院勤務の看護士だろう。
「先生がお呼びです。院長室までお出で願えますか」
 この病院において――いや、<新宿>において『先生』といえば一人しかいない。
 月さえも恥じ入ると称えられる美貌の白き医師。
 <新宿魔海>から撤収する際、手ずから桜を病院まで導いてくれたのもあの医師だった。流石の士郎が眩惑されそうになったほどの美しさだった。
 だが――率直に言って、積極的に関わりたい相手ではない。荒木町に住まう盲目の吟遊詩人はかつて評した。

 人にして人に非ず。
 
 と。
 人であれば善人であれ悪人であれ、対応の仕様があろう。英霊や魔術師にしても、精神性が人なら同じ事だ。
 だが、根幹の部分で人ならぬ者と関わった場合、どう対応すれば良いのか――士郎はまだ確信が持てずにいる。そして、この街にはその人ならぬ輩があまりに多すぎるのだ。
 とまれ、今はあれこれ考えている場合ではない。
「えーと、院長室にはどう行けば――」
「存じません」
「え?」
「ですから、存じ上げません。当病院の院長室は、先生に特別許可された方以外入れないのです。無理に押し入ろうとした方もいましたが――」
「……どうなったんでしょう」
 好奇心にかられて尋ねてみる。
 看護士がうっすらと笑みを浮かべた。
「聞きたいですか?」
「いえ、やめときます」
 即時撤回。その方が賢明だ、とばかりに頷く看護士。
「そちらの階段を昇った先、突き当たりの扉に入ってください。そちらがただいまの院長室となっておりますので」
 看護士は士郎の前方右手に伸びている階段を示し、にっこりと笑みを浮かべた。


 指示通りに階段を昇り、扉を開くと其処は白い密室だった。
 扉の場所と病院の構造から考えると、本来なら行き止まりになっている筈なのだが。空間でも捩じ曲げられていたのだろうか? そうだとしても、魔力など殆ど感じなかった。
 けれども、此処は間違いなく院長室だ。
 何故って――
 目映いばかりの、白皙の医師が椅子に座って士郎を凝乎と見ていたからだ。こんな人間、あるいは人間以外の存在が二人といるはずもない。

 ドクター・メフィスト。

 魔界都市<新宿>における、触れてはならぬ三魔人の一人。月さえも恥じ入るとされる美貌と、人間離れした医療技術で内外に知られる名医中の名医である。
 患者にとっては天使の如く、敵したものにとっては悪魔の如く。西新宿のせんべい屋と並び、あらゆる意味で<新宿>そのものの象徴とされるこの医師に逆らうことは、すなわち死を意味した。
「お呼び立てして申し訳ない。少し時間をよろしいかね?」
「構いませんけど――」
「ありがたい。間桐桜さんのことについて伺いたいのだが」
「桜のこと――ですか」
 わざわざ士郎に尋ねたいとは、何事だろう。
 メフィストのことだ。一旦自分の患者となったものについては、万事を承知していると思えるのだが。
 そんな士郎の気持ちを読み取ったかのように、メフィストは頷く。
「生い立ちや病歴については把握している。勿論、それらの情報は患者のプライベートだ。万が一にも流出する心配など無いよ。私が聞きたいのは――」
 白いケープが風も無いのにふわりと揺れた。
 そういえば、院長室には空調施設らしきものが一切無い。その割に、程良い快適さを保っているのはどういう訳なのだろうか。
「<新宿魔海>で何があったかなのだ。あそこで何と争ったのか、誰がいたのか。どのような経緯で<新宿>に、<新宿魔海>に君と、ヌーレンブルクの娘が向かうことになったのか。細大漏らさず聞かせて欲しい」
 メフィストの黒い瞳が煌々と輝いている。
 憂鬱な黒い太陽の如し、と詠った詩人がいたが、まさにその通りだ。
 瞳に吸い込まれるように、士郎は、<新宿魔海>での体験を話し始める。
 追跡者の襲撃。
 桜の発見。
 残されていた機材――
「ふむ――」
「その実験室には、間桐桜さん以外にいなかったのかね」
「ええ、誰もいませんでした。俺たちが着くまでに居なくなったのかも知れないですけど。詳しく調べる余裕は無かったですし」
「そうだろうね。だがおそらく、君たちが辿り着く前に一人――いや、二人の男が立ち去っているはずだ」
 珍しく、眉をしかめている。
 士郎としてはメフィストの推測には賛成も否定もしようがない。
「部屋にあった機材についてだが――」
「確か、天井まである円筒状のケースと――」
 答えようと口を開きかけた時、メフィストがふと宙に目をやった。
「失礼」
 宝石をはめた指が振られる。その挙作すら優美だ。世界最高の指揮者でも、ここまで美しく手先指先を扱うことは出来まい。
「私だ」
 I・C(インフォメーション・センター)のライトが点灯し、先ほどの看護士の声が何処からか聞こえてきた。
「お取り込み中申し訳御座いません。院長先生にお会いしたいという方が――」
「来客中だと伝えてくれたまえ」
「そう申したのですが――直々に院長室に伺うと」
 メフィストの目がちかりと光った。
 病院のスタッフは一騎当千の職能人揃いだ。一介の看護士といえども例外ではない。その一人が、無理な申し込みを断ることが出来なかった相手。
 ならば、件の来客とやらは、既に院長室に向かっているに違いなかろう。
「申し訳ないが急用が出来た。有益な情報の提供を感謝する。間桐桜さんと間桐慎二くんは、明日にでも退院出来ると思ってくれて結構だ」
 話は終わり、とばかりの調子。
 不調法ではあるが――まあ、不意の来客があったなら仕方あるまい。
 仕方なく頷く。
「もう麻酔も切れているだろう。間桐桜さんの所に行ってあげるといい。ここから出て廊下を真っ直ぐいった病室だ」
「解りました。それじゃ、俺はこれで――」
 席を立ち、扉へと向かおうとする。
 思い出したかのようにメフィストが声をかけた。
「ああ、そういえば一つ尋ねたいのだが」
「何でしょう?」
「衛宮くんは独り身かね?」
「え?」
 さらりと切り出された言葉に、思わず立ち止まる。
 突然何を言い出すのだ。
 今までの話の内容と、士郎が独り身――つまり、恋人がいるかどうかがどういう関係が――
「いや当然独身ですよ。俺はまだ学生ですし」
 我ながら声に不審が滲み出ているな、と士郎は思う。
「それは理解しているよ。私が聞きたいのは、君に然るべき相手がいるかどうか、だ」
「……」
 沈黙。
 素直に答えて良いものかどうか。
 勿論士郎には遠坂凛がいる。客観的に二人の状況を整理検討すれば、恋人といって相応しかろう。傍からみれば凛の尻に士郎がしかれているように見えるかもしれないが、実際のところどちらが主導権を握っているか、解る者は解っている。
「ええ、居ますけど――」
 であるため、誤魔化したり虚偽を口にするのは正しくあるまい。大体凛が知ったら後が怖い。
 整った眉が微かにひそめられる。
「それは残念だ。思うに、神は地上に女を作りすぎ、人は女を賞賛しすぎる。本来美しいものは他にあるのに、だよ。君ほどの男性が女性に縛られるなど、望ましいこととは言えんな」
「はあ」
 メフィストが一人頷いた。
 何故だか士郎の背に怖気が走った。
「全てが終わったらまた来たまえ。君の強さは素晴らしいものがある」
 声に艶がある。今までの事務的な、冷たくすらある声音とはうってかわった調子だ。静かで情熱的な、そんな熱さが込められている。
 そういえば、例の太った情報屋がメフィストの恋愛の嗜好について何やら言っていたような。
 冗句の類だと思って聞き流していたが――
「あー……それじゃ、失礼します」
 身の危険を感じ、そそくさと頭を下げた。
 微笑してメフィストが頷き返す。
 逃げ出すような去り際にちらと見た美影は、悠久の時に思いをはせる哲学者のように思えた。



▲▽▲▽▲▽



「待たせたね」
 湖底に沈んだ鋼のような声が院長室に響いた。
 貴族たちの社交場に相応しい洗練されたそれが答えを返す。
「流石はドクター・メフィスト。お気づきでしたか」
「久しぶりだ。昨年以来になるかな」
「そうなりますね。あの時(・・・)は冬でしたから、半年ぶりですか」
「せっかくの来訪だ。顔くらい見せたらどうかね?」
「これは失礼を」
 声が途切れ、密室であるはずの院長室に冷たい風が吹く。
 その風が、部屋の隅から、椅子と机の成す影から、闇を切り取ってゆく。
 瞬く間に、闇が凝集し、男の姿をとった。
 黒いオーバーに蝶ネクタイ。病院には場違いな格好が、その青年には不思議と似合っていた。
「ご無沙汰しております、ドクター。ご壮健そうで何より。まさか、僕をお忘れではありませんよね?」
「勿論だとも」
 メフィストは謡うように、青年の履歴を口の端にのせた。
「呪紋大三郎。故・呪紋正三郎元<新宿>区議会議員の一人息子。九州でも屈指の巫女を母とし、胎内に居る時から闇の魔力を扱ったとされる」
 院長室の光がメフィストを横から照らし出した。ぞくぞくするほど美しい横顔であった。
「やがて、一千年の魔都倫敦に留学。数年の研鑽を経て、“闇男爵”の称号を得る。<新宿>の根源を狙い策謀を巡らすも、私とガレーン・ヌーレンブルクに敗れ、闇の世界に消えた――これで宜しいかな」
「ドクターに敗れたわけではありませんが――まあ、良しとしましょうか」
 す、と。メフィストには及ばぬとはいえ、十二分に美しい指先が振られる。
 手品のように、手中にワインボトルが現出した。机の上には、ワイングラスが二つ。
 メフィストは眉をひそめた。何時の間にそんなものが用意されたのか、自分にも解らなかったからだ。
「シャンベルタン赤の1929年ものです。いかがです?」
「いただこう」
 真紅の液体が、繊細を極めたグラスになみなみと注がれた。
 医師と紳士の喉が、最上級のワインを嚥下する。
 手の中でグラスを揺らしながら、メフィストが問うた。
「日焼けでもしたのかね?」
「ああ、これですか」
 闇男爵はつるりと顔をなぜた。
 確かに、かつてメフィストと相まみえた時は肌理細かい色白だった肌が、全体的に浅黒くなっている。
 もっとも、元から彫りの深い顔立ちだ。今の肌のほうが似合っているとも言えた。
 凝乎と。
 メフィストの眼光が空気を貫く。
 この医師に凝視などされれば、常人なら正気を保つことすら難しい。表面的にでも平然としているのは流石に“闇男爵”といえた。
「貴方がたに闇の世界――“あちら側”に送られた影響でしょう。いくら僕でも、五体満足でいるのは難しかった」
「私をごまかせるとは思わんことだ」
 メフィストが冷たく言い放つ。
「いかに闇の世界に浸かろうと、人の肌はそうはならん。闇より暗い、沈着した色合いにはね。誰の――いや、何の力を借りた? あるいは得たのかね?」
「答える義務はありませんね。ご想像にお任せしますよ、ドクター」
 闇男爵が受け流す。
 メフィストの凝視はやまない。
 闇男爵が不快げに眉をひそめた。
「まだ何か?」
「前にもした忠告の繰り返しだ。まず一つ――」
 すらりと伸びた指がぴん、と一本立つ。
「自分のことを“僕”と呼ぶのはやめたまえ。君には似合わん」
 二本目。
「服の趣味を改めることだな。黒など似合わん。その着こなしは、黒という色に対する冒涜だ」
「これは手厳しい」
 悪びれた様子は無い。
「それで――」
 くい、とメフィストがワインを飲み干した。空のグラスを机の端に置き、指を組み合わせて静かに問う。
「――今更何用かね。私は忙しい。何かあるなら手短にすませていただきたいものだが」
「ドクターに、というわけではないのですよ。入院されている方――間桐桜さんにお願いしたいことがありまして。そのためにもご挨拶に伺っておこうかと」
「退院は明日だ。それまで待ちたまえ」
「そうもいきません。それでは面白くない」
「つまり君は、私の患者に用があると?」
「貴方の患者に、です」
 おそるべき宣戦布告であった。並の<区民>なら、この言葉を聞いただけで逃げ出すだろう。どのような惨劇に巻き込まれるか、解ったものではないからだ。
 ドクター・メフィストの患者に手を出す。
 魔界都市<新宿>でも、禁忌中の禁忌である。
「ダミー風情がそうまで言うかね」
「お気づきでしたか」
「私はダミー作成の専門家だよ。その程度のレプリカでは私の目はごまかせん」
「ええ、確かに僕は闇男爵――呪紋大三郎のダミーです。だが、あなたに対しては十分だ。()()()()が出る必要もない」
「本気で言っているのかね」
 メフィストが問う。
 闇男爵が答える。
「そうですとも。例え、貴方の患者を害したとしても――」
「ほう?」
 その言葉が発せられた刹那。
 全てが変った。
 否。
 何も変ってはいない。
 空気だけが変ったのだ――魔界都市の住人といえども、怯え立ち竦んでしまうそれに。

 瞬間。

 黒の青年は、戦慄と共に己が言い過ぎたことに気付いた。
 闇男爵当人ならば、メフィストといえども恐れるものではない。
 だが、ダミーの自分はどうだ?
 悪魔を、異界の神々を弄んだ狂えるアラブ人は如何なる終末を迎えた?
「面白い。実に面白い。続きを聞かせて貰おうか。私の患者を害したとしても――何なのだね?」
 メフィストの口元に笑みが広がっていった。
 ドイツの大詩人が記した悪魔が浮かべたであろう笑い。
 この笑みだ。
 この笑みゆえに、彼はこう呼ばれる。
 ドクター・メフィスト。
 ――魔界医師。



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 桜の病室で面会用の椅子に腰掛けながら、士郎は困惑していた。
 おかしい。
 どうにも――何かがおかしい。
「すいません、わざわざ来て貰っちゃって。私、先輩に迷惑かけてばっかりで……」
「桜が気にすることじゃないさ。それより、怪我が無いみたいでよかった」
 桜が俯向き、悲しげに微笑う。
 士郎が気にするな、とそれを励ます。
 桜も昔に比べれば明るく、笑うようになったとはいえ、その身にまとった影は容易く消えるものではない。
 お馴染みの光景だ。
 見慣れているはずなのだ。
 だがそれでも、違和感がある。
 いわば、歯車が噛み合っていない感覚だ。
 桜の言葉、声、仕草、癖。
 その全てが、微妙にずれている。
「俺こそ悪かった。桜が大変なことに巻き込まれてるのに気がつかなくて……」
「仕様がないです。急だったし、先輩には、遠坂先輩がいますから」
 ちくり、と声に棘がある。
 またこれだ。
 普段の桜ならこんなことは言わない。思ったとしても、決して表には出さない。
 良くも悪くも――結果的に悪い方に傾くことが多いのだが――全てを内に溜め込むのが間桐桜という少女だ。この一点において、遠坂凛とは全く異なる。
「桜、聞きたいことがあるんだ。言いたくないなら答えなくていいから」
 前置きしながらも、士郎は胸の中で苦汁を飲んでいた。
 こんな言い方は卑怯だ。自分が真剣に頼めば、桜が答えるのを拒否するわけがないではないか。
 それでも――聞かねばならない。
「何でしょう?」
「あそこ――<新宿魔海>で、何があったんだ?」
「それは――」
 桜がはじめて躊躇をみせた。
 正直、あまり聞きただしたいことではない。だが、放っておける事ではない。
「――今、答えなければ駄目ですか」
「無理にとは言わないよ。言いたくないなら――」
「答えるのはいいんです。でも何で先輩が聞くんですか? もう危ないことは終わったんでしょう? また事件に飛び込むつもりなんですか?」
 疑問符の連続。
 カチ、カチと響く時計の音が神経を苛立たせる。
「そんなつもりじゃないよ。ただ――」
「ただ、何ですか? 私のことを、心配してくれてるからですか?」
「桜――」
 興奮してきている。
 落ち着かせようと、士郎が桜の手を取ろうとするも、いやいやをするかのように身を振ってそれも果たせない。
「先輩にとって私は何なんですか? 友達なんですか、ただの後輩なんですか、兄さんの妹なんですか? 一体私は何なんですか!? 先輩、いつもにこにこ笑っていてくれるだけで、私に何も話してくれたことないじゃないですか! いろんな隠し事してて、ちょっとでも打ち明けてくれたことが無いじゃないですか!! 私、危ないことしてるんじゃないかと心配で……それでも先輩は何も言ってくれなくて……いつもセイバーさんや遠坂先輩とばかり何かやってて……わたしは……わたしは……っ……先輩のこと……」
「桜!」
 一気呵成。
 感情が爆発したかのような言葉の奔流に耐えきれず、士郎は思わず叫んでいた。
 ハッと桜が顔を上げる。一途に思い詰めていたかのような表情は消え失せ、戸惑いが浮かんでいた。
「……す、すいません。私ったら、なんでこんなこと……」
 士郎が辛そうに首を振る。
「無神経に聞いたりしてすまない。それに、色々心配させてたみたいだ、本当に悪かった」
「……いえ、私はそんな」
「多分疲れてるんだよ。お願いだから、今日はもう休んでくれ。明日には退院出来るらしいから、迎えに来るよ」
「私、どうして――」
 しばしの沈黙。
 何ともやりきれぬ空気が漂う。
 桜が再び口を開きかけ。
 士郎が耳を欹てた、その時。
 病室の扉がノックされた。



▲▽▲▽▲▽



 凄まじい笑みであった。
 此程恐ろしい笑みはあるまい。
 此程美しい笑みもあるまい。
 今のメフィストの表情かおを一目でも見たものは、天上の歓喜と煉獄の悪夢を、その脳裏に永遠に刻むことになるだろう。
 闇男爵の頬に汗が伝った。
 口の中がからからだ。喉の奥から声を絞り出す。
「――ドクター、本当にあなた、人間ですか?」
「さて。自分でも判然としなくてな」
 メフィストがワイングラスの口を弾いた。不調法な仕草だが、この医師がやると妙に絵になる。
 ちいん、と澄んだ高い音が響いた。
 闇男爵が左胸を押さえた。
 一瞬片眉をしかめたが、その表情はすぐに立ち戻る。口元は微笑んですらいた。
「酷いことをなさる。止まるかと思いましたよ」
「前は止まったと思ったが」
「“あちら側”に行ってまで何も学ばなかったら、僕は本当の愚か者です」
 闇男爵がグラスを傾けた。
 実にいい飲みっぷりだった。
「いい味です。ワインに関しては、我が祖国でもフランスにはかないませんね」
「君は日本人ではなかったかな」
「心持ちの問題ですよ」
 典雅に笑み、口を拭った。卓上にグラスを戻す。赤ワインの代わりに黒い影が充満していた。
「それが君の芸かね」
「お眼鏡にかなうかどうか」
 闇男爵がスナップを利かせて指を鳴らした。
 ぶわり。
 ワイングラスの中身で影の質量が増大した。
 うねうねと蠢くそれらがグラスからはみ出る。床をのたくって進み、白いケープにからまりつく。まるで触手だ。
「倫敦直輸入の闇です。僕の番犬のようなものでしてね。狙った獲物はどこまでも追いかける。染み込めば決して取り去れない。ドクターとて例外ではありません」
 メフィストは微動だにしない。
 冷ややかに迫り来る影を見ているだけだ。
「大道芸としては悪くない腕だ。よろしい、ドクター・メフィストの針金細工をお目にかけよう」
 既に胸元まで闇に埋まっている。
 ケープが翻り、何かが抜き取られた。メフィストがそれを宙にかざす。
 細い一本の針金だ
 針金が天井からの光を反射し輝く。
 光を受け、闇の侵攻が停止した。
 ずる、ずると。ゲル状の闇は、退いてゆく。まるで引き際の波のようだ。
 いや、それだけではない。針金に倫敦直々の闇が纏わりついてゆくではないか。
 闇が闇を呼び、何か大きな影を形作り――
「おおっ!?」
 感嘆の声を背景に、巨大な獣が立ち上がった。
 黒一色――闇だけで構成されたその怪物は、白亜紀に生きた史上最大の肉食動物、ティラノサウルス・レクスの形状を模していた。
 咆吼。
 闇男爵が立ちつくす。
「闇と影は君の領分だったな」
 メフィストがうっそりと言った。
 心からの慈愛がこもった声だった。
「愛しい闇に食らいつくされてみてはいかがかね。食べ残しの内臓や脳髄は、当院で有効に利用させていただこう。この街では新鮮な臓器は常に不足だ」
 巨大な顎が凶暴に開かれる。
 立ち竦んだままの闇男爵を一口でくわえ込み、嚥下した。
 悲鳴が響く暇すらなかった。
 メフィストが満足し、背を向けようとする。
 獣がぐるると唸った。
 まるで腹をこわした動物のようだ。
「ふむ――?」
 メフィストが不審げに瞳を揺らした時。
 ぐい、と。針金仕掛けの獣の腹が膨張し。
 ぱあん。
 風船が割れるような音たてて闇が破裂した。
 散り散りになった影が、四方八方に飛び散った。
 院長室のそこかしこに撒き散らされた残骸は、白い壁や調度に当たる度、端から吸収されてゆく。白が黒を吸い尽くしてゆく光景は、一種壮観だった。
 びちりびちりと闇の破片が舞い散り消える。
 床の上を見下ろす。
 そこにはもう、何も残っていない。
 闇も。
 勿論獣の残骸も。
 本来あるべきはずの死体も――だ。この符号が意味するところは一つ。
「逃げ果せたか。この私から」
 眉をひそめてメフィストが呟いた。
 患者に害を為す。そう宣言した者が、メフィストの手から逃れきったのだ。
 それも、オリジナルには遠く及ばないダミーが。
 区民が知ったら卒倒するかもしれない。それだけ、有り得ない事態だった。
 メフィストが指を振った。
 ランプが点灯し、ナースステーションへの回線が開く。
「婦長」
「はい」
「間桐桜さんの病室に特別医療班を向かわせてくれ。到着までどれくらいかかるかね」
「特別班となりますと、準備も込めて二分かと」
「一分にしたまえ」
「心得ました」
「私もすぐに行く」
 西新宿のせんべい屋なら、遠くを見詰める美貌に焦燥の色が浮かんでいるのに気付いたかも知れない。
 純白のケープを翻し、メフィストは院長室を後にした。



▲▽▲▽▲▽



 その音が響いたのは、士郎と桜の会話が少し途切れた時だった。
 いかに親しい間柄だろうと、会話の“間”というのは微妙に息苦しいものだ。今のような、居心地の悪い空気が漂っている時ならなおさらだろう。
 それは桜も同じだったようで、これ幸いとばかりにノックされた扉に目をやる。
「誰でしょう? 兄さんかな――」
「さっき会ってきたし、慎二じゃないと思うけどなあ。先生か看護士さんじゃないか? 取りあえず俺が出――」
 病室のドアを開こうと、備え付けの椅子から立った瞬間。
 ぞくり。
 士郎の背筋に寒気が走った。
 全身の毛穴が開き、一筋一筋までが逆立つ。首筋が無意識に震え、掌と足の裏が汗でじっとりと濡れた。
 逃げろ。
 何もかも捨てて逃げろ。
 直感ががんがん警報を鳴らす。扉の先に、壁の向こうにいるのは化物だ。お前一人でかなうはずがない。
 息を呑む。
 背筋に冷たい汗が伝った。
 だが、士郎の思考には、危険から背を向けて逃げるなどという選択肢は存在しない。自分一人ならともかく、今この部屋には桜がいるのだ。彼女を置いていくなど、どうして出来ようか。
「――開いてるぞ」
 腹腔に力をため、重い息を吐き出しながら答える。
 壁一枚を隔てた先にいるのは明らかに“敵”だ。丁寧に対応している余裕などない。
「失礼いたします」
 音もなく扉が横に滑り、長身の影が入り込んできた。
 黒い男だった。
 服装が黒い。
 マントが黒い。
 革靴が黒い。
 肌が浅黒い。
 何も彼もが――黒い。
 病院の主である白い医師とは、好対照と言える姿だった。何より、全身から発せられる禍々しい気配。
「突然の来訪という不調法、お許しを」
 完璧といえる声と容姿だった。
 目を見開き冷や汗を流した桜の表情。士郎には目もくれず、青年は軽く頷く。
「ああ、そういえばご挨拶がまだでしたね。僕としたことが失礼を。僕の名は呪紋大三郎。近しい者からは“闇男爵”と呼ばれています」
 一礼。
 英国最高級の秘密クラブででも褒め称えられそうな優雅さだ。黒が、実に似合っている。
 味の感じられない唾を嚥下して、士郎が口を開いた。
「はじめまして……かな」
「ええ、はじめましてですよ、衛宮士郎くん。少なくとも、実際にお会いするのは」
 闇男爵は親しげに微笑む。
 だが、その眼は欠片ほども笑っていない。品定めするかのように、士郎を鋭く射抜いている。
「まあ、衛宮くんも僕も、わざわざ挨拶する必要は無いんですが」
「……どういうことだ」
「もう貴方には用がないからです」
 渇いた声で問う士郎に、闇男爵は最高の笑顔で応える。
「そういうわけでして。では――さようなら(・・・・・)
「――っ!?」
 闇男爵の右手があがった。人差し指がカギ状に曲げられていた。
 その先端から、闇が迸った。
 比喩ではない。闇が槍の形状を模して士郎へと放たれたのだ。
 “闇槍”。
 かつて、ドクター・メフィストを死の淵に追い込んだ闇の魔術。視認不可能な速度で放たれるそれは、かわすことも防ぐことも不可能に近い。
「――くそっ!」
「先輩っ!?」
 殺気を感じ、床を蹴って士郎が横に跳ぶ。
 桜の絶叫が病室の空気を裂く。
「桜! 衛宮!」
 扉がまた開いた。
 声と共に一つの影が走り込んできた。
 士郎と身を投げ出したそれとが交錯する。
 ずぶり、と。
 肉が刺し貫かれる音が響いた。
 一拍を置いて。
 リノリウムの床に、血と闇の入り交じった液体が広がってゆく。
 生温かい血がぽた、ぽたと傷口から染み出してきている。

 どたん。

 床に肉が打ち付けられる音が響いた。
 桜が、がばとベッドから起きあがり叫んだ。
 苦悶と悲鳴と絶叫が入り交じる中で、闇男爵は酷薄極まりない嗤いを浮かべたのだった。



⇒ to be continued in Chapter - 06 "The Beginning of The End."

投稿者: 日時: 2006年02月18日 21:32 Web拍手

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コメント: 連作クロスオーバー「アウレオールスの夜に」第五話

初めまして。零という者です。
「アウレオールスの夜に」楽しく拝見させていただいております。
士郎がメフィストに口説き落とされそうになっている……。
どうやら士郎は彼に気に入られたようですね。(笑)
多分、最後に貫かれたのは慎二ではないかと思うのですが……。

続きを楽しみにさせていただきます。
これからも頑張ってください。

投稿者 | 2006年02月19日 19:39

コメント有り難うございます。
メフィスト先生は型月男性陣を目の前にしたら色目使う気がするのですよね……ランサーとかアサシンとかいたらもう速攻ではないかと。

貫かれた影がどうなったかは次回をお楽しみに。
今後ともよろしくお願いいたします。

投稿者 ヤス | 2006年02月23日 18:34

 こんばんわ、永島です。今回も楽しく拝見させていただきました。闇男爵がヘタレじゃない事が新鮮な驚きでした。勿論良い意味で。
メフィストの言う「何か」というとアラブ人が弄んだ異界の神あたりが思い浮かびますね。〈新宿〉には、デモンベインのマスターテリオンの、腹違いの兄弟の脳みそやらなんやらを移植された人も居ますし。

外れていたら恥ずかしい限りですが……
それでは、これからもお体に気をつけて下さい、次回を楽しみにしています。

投稿者 永島 | 2006年02月26日 22:53

闇男爵はスペック的には強いはず……です。いや、原作でのヘタレぶりは素晴らしいものがありましたが。お前はどこの噛ませ犬だ。
「何か」の正体はお楽しみに。多分想定の範囲内だと思われます。
今後ともよろしくお願いいたします。

投稿者 ヤス | 2006年03月01日 17:57

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