連作クロスオーバー「アウレオールスの夜に」第二話

 間桐慎二は慌てていた。
 見るも無惨なほどに慌てきっていた。
「何ぼーっとしてんのさ! 桜も僕も大変なんだ、衛宮が手を貸すのは当然だろ!」
 士郎の肩を掴んでがくがくと揺さぶりながら大声でがなりたてる。
 目が血走っている。ガレーンや人形娘の視線を気にしている節もない。大方、その容姿が目に入っていないのだろう。
 明らかに、理を失っていた。いつもの皮肉で冷笑的シニカルで軽薄な様子が無い。普段は隠している必死さだけが、やけに目にとまる。
「……いや、少し落ち着け、慎二」
 桜を助けてくれ、との言葉の真意は気になるが、この有様では話も出来ない。
 取りあえずは一度落ち着かせようと言葉をかけた。
 だが。
「落ち着いてられるわけないだろ! 何で、何であんな奴らが僕の家に来るんだ。聖杯戦争は終わったし、お爺さまだって今はいないんだ。なのにあんなことが起るなんて、何がどうなってるんだよ!」
 完全なパニック状態である。
 率直に言って、士郎には何が何だか解らない。
 状況の説明の欠片も無いのだ。桜と慎二に何か変事が起ったのは確かなようだが、理解出来るのはそれくらいである。
 深呼吸。
 じっと慎二の目を見て、ゆっくり口を開く。
「最初から話してくれ、慎二。桜に何があったんだ」
 じりじりとした気配。
 焦燥が伝わってくる。
「ああもう、なんで衛宮はそう鈍いのさ! 桜が攫われたんだよ!?」
 今にも地団駄を踏みそうな勢いで慎二ががなりたてた。その言葉の内容に、士郎の眉がぴくりと動く。
「……待て、桜が攫われたって、どういうことだ」
「はっ、どうもこうもないさ! 何がどうなってるんだが、僕の方が知りたいね!」
 激昂している。
 会話が成立していない。
 慎二から建設的な答えをどう引き出すべきかと、士郎が思案した時
「全く、少し黙っておいでな。これじゃ話にもなりはしないよ」
 皺がれた響きが、追い被さってきた。
 声の主を見る暇もあろうことか、ガレーンの杖が緩やかにもたげられ、慎二の額を小突く。
 こつん。
 軽い音。
 指先で突いたほうがまだ重いのではないかというような、力の抜けた一撃。これでは蚊の一匹も殺せまい。
 だが、そこはガレーン・ヌーレンブルクである。
 瘧めいた震えが止まる。
 瞼が大きく見開かれて。
 眼球がぐるりと裏返り。
 ――間桐慎二は、白目をむいて石の床にと倒れこんだ。
「し、慎二? ガレーンさん、これって……」
「安心おし。少し眠らせただけさね。あのまま喋らせていたって何も意味あることは聞けやしないさ」
 ――それもそうだ。
 士郎は友人の特質を考える。
 率直に言って、慎二は冷静沈着という性質の人間ではない。表面的な自信は一丁前であり、頭が切れて弁も立つ。
 だが――本質的に、窮地には弱く逆境に挫けやすく、一度パニックに陥ると容易には元に戻らない面があるのだ。有り体にいえば、へたれである。
 先までの有様では、士郎が幾ら言葉を尽くしても、慎二の狂乱を余計に加速させるだけであったろう。そういう意味で、ガレーンの処置は適切といえた。
 だが、眠らせておいてどうするというのか。これでは話を聞くことすら出来ない。
 疑問を察したか、ガレーンが魔女の笑みを浮かべ士郎を見上げる。
「娘や」
「心得ております、お婆さま」
 くだくだしい説明は不要なのか。老婆の一言に人形娘は恭しく一礼し、工房の奥へと足を向ける。
 ごそごそとした音がしばし響き、やがて少女は、魔鏡や魔術書や魔道具が山と積まれた中から、少女は蒼い鉢を引っ張り出してきた。
 材質は判然としない。
 青磁に近いような感じもするが、質感や光沢が微妙に異なっている。大方、魔術的な処置が施されているのであろう。
 鉢の中には並々と水が張られている。今入れたというわけでもなかろうに、随分と綺麗に澄んだ水だ。渓流や源泉の天然水を思わせるものがある。
「水占い、ですか?」
「ご名答。古くさいと馬鹿にしたもんでもないよ。古今東西、水鏡は魔術師には必携の道具さ。お前さんも一度や二度は経験あるだろう?」
「いや、俺、そういう魔術はさっぱりでして」
「……もしかして、修復や治療の術も駄目かい」
「得意分野以外は修行中なんです……遠坂に教わっているんですが、なかなか」
 今時そこまで不器用なのも珍しいよ、と。ガレーンはぶつぶつ言いながら背と腰を曲げて椅子に座り込んだ。鉢を覗き込み、指先を水面についと走らせる。
「一応聞いとくがね。何がおきたか、知りたいかい? あたしの見るところ、間桐の息子が持ち込んできたのは結構な厄介ごとだ。下手に首を突っ込むと命がけになりかねないよ」
 顎をしゃくって慎二を指す。
 間桐の息子、と呼ぶということは――
「ガレーンさん、慎二を知ってるんですか」
「会ったのははじめてだがね。マキリと名乗っていた頃の術師どもとは色々あったのさ。ま、そいつは今はどうでもいいこと。で――」
 どうするんだい、と。ガレーンが問う。
 答えは考えるまでもない。
 紆余曲折があった間柄とはいえ、友人が自分を頼って<新宿>くんだりまで来たのである。
 後輩であり半ば同居人である間桐桜が攫われた――とも、言っていた。衛宮士郎がそんな状況に対して何もしないはずがない。
「お願いします。何が起きたのか、慎二と桜に何があったのか、俺は知りたい。桜が危ないめにあってるなら、助けなきゃいけない」
 即答。
 ガレーンが溜息をついて士郎を見やる。その表情にどことなく諦念があった。
「解ったよ。さて、何があったか、ちょいと『覗かせて』貰おうかね。悪くお思いでないよ、間桐の息子」
 もう一度、ガレーンの杖が慎二の額を突く。
 ぴちょん、と。
 鉢に並々と張られた純水に、杖の先端を浸した。
 老婆の目は薄く閉じられ、口からは呪言が紡ぎ出される。
 ゆらゆら。
 ゆらゆら。
 水面が揺れる。
 影が像を結ぶ。
 人と風景とが、茫漠と浮かび。
 やがて、水鏡に映ったのは――


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伝奇クロスオーバー二次創作
『アウレオールスの夜に』



chapter-02
ロッティング・コープス ~ Rotting Corpse





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 皿とフォークの触れ合う、金属質な音が広間に響いていた。
 間桐邸の食堂は広い。
 日本には珍しい、洋館や城を思わせる造り。白と赤の壁紙に取り囲まれた室内には、長テーブルに木製の豪奢な椅子。テーブルの上には精緻な細工の施された蝋燭立てまで完備している徹底ぶりだ。
 形式ばった会食か良家の食事になら相応しかろうが、いかんせん、此処は間桐家。最大で三人、普段なら一人か二人しか人間がいないこの家には、正直言って広すぎる位だ。おまけに昼間でも薄暗く、夜になっても照明は弱々しくしか灯らない。
 こんな所で毎日過ごしていればおかしくなって当然だと――間桐慎二は今にしてそう思う。
 皿に落としていた視線をあげれば、其処には藍色の長髪をした少女の姿。俯向きがちに食事を進めている。
 少女はちらと目を上げるも、また直ぐに皿にと視線を戻した。まるで、慎二と真っ正面から目を合わせるのを避けているかのようだ。
 気まずい。
 実に――気まずい。
 食がどうにも進まない。
 食欲がないわけでなく、何となく気が重いだけだ。食事時の重苦しい雰囲気。少女――妹である間桐桜の影のある挙動。前はそれらに苛つかされたものだが、今は別の意味で慎二の心の負担になっている。
「……ご馳走様でした」
 桜が手を合わせて呟いた。
 見れば皿の中には肉野菜が残っている。食欲がないのだろうか。
 がたりと椅子をひいて部屋に戻ろうとする。その素振りに、慎二は我知らず声を出していた。
「なに、桜。僕がまだ食べ終わってないのに席立つの? それって随分ご挨拶だね」
「あっ……ご、ご免なさい、兄さん。私、そういうつもりじゃ……」
 尻すぼみな桜の声に、慎二はふんと鼻を鳴らす。
「……まあ、いいけどさ。食欲無いみたいだし、部屋戻ってろよ。食器くらいは洗っといてやるさ」
 きょとん、と。桜が目を丸くした。
 確かに――慎二の言葉とは思えまい。慎二自身もそう感じるのだから仕方ない。
「なんだよ、その眼。何か文句あるのか?」
「そ、そんなことないですけど……でもいいんですか、兄さん」
「ふん、お前は愚図なんだから僕の言うことを聞いてればいいんだよ」
「……それじゃあ、お願いします」
 言葉は丁寧なものの、笑顔はない。ぺこりと頭を下げると、桜は食堂の戸口へと向かった。
 扉が閉まる。
 軽い足音が、自室へと向かってゆくのが聞こえた。
 しばし沈黙。
 耳を澄まし、食堂へと戻ってこないことを確かめ――

 ――はあ。

 慎二は大きく溜息をついた。
「――なんでこうなんだろうな、僕は」
 気がつけばまた憎まれ口を叩いていた。この癖ばかりは中々治らない。
 反省はしているのだ。
 半年前のこと。
 冬木市を襲った動乱――『聖杯戦争』により、間桐慎二は心身を負傷し、長きに渡って入院する羽目になった。
 身動き一つロクにとれない中で、慎二は否応なく自分と向き合わざるを得なかった。
 はじめは荒れた。
 周囲の人間――具体的には桜や士郎相手に随分と当たり散らしたものだ。
 だが、粘着的な気質といえども、そのうち、そんなエネルギーも尽きるものだ。ベッドに潜り込んで鬱屈しているにも限界があるのが世の常である。慎二も例外ではない。
 ベッドに身を沈め、目を瞑って寝返り打つと様々な想念がよぎった。決まって最後に思い至るのは衛宮士郎や遠坂凛といった者たちのことだ。
 勝手に敵対視していた士郎は、聖杯戦争が終わってから、慎二と出会った頃と変らぬ様に接してくれていた。聞いた話では、慎二に悪感情を抱いているであろう遠坂凛までもが、柳洞寺に現出した肉塊に飲み込まれていた所を助けてくれたというのだ。
 ――己は何をしていたのか。
 思考は必然的に、その問いへと流れる。
 慎二は愚かであったかもしれないが、馬鹿ではない。答えは直ぐに出た。憎悪と嫉妬を肥大化させ、自我を制御することも出来ずに悪意に振り回され翻弄されていただけだった。
 勿論慎二には受け入れがたい結論である。過剰とすら言える自意識の所有者である彼にとって、己が誤っていたことを素直に認めるなど出来たはずもない。
 だが、時間は幾らでもあった。
 思考は最後に自己の成した行為へと終着する。
 ――結局自分のしていたことは、虚しいばかりだ。
 ――自分の悪意は、自分が生み出していたのかも知れぬ。
 今にして考えれば、聖杯戦争での種々の体験と、長期の入院による心身の疲労とが心を弱めていたのだろう。でなければ、そんな殊勝な考えが浮かんでも慌てて否定したはずだ。
 だが、そう思い至ったとき、心中で何かがすとんと落ちてゆく気がした。
 身も心も軽くなり、思考が澄明になった感覚。その夜は、ぐっすりと眠ることが出来たのを覚えている。
 その日以来、士郎は慎二の顔付きが少し変ったという。憑きものが落ちたとでも言うのだろうか。
 ――今では、慎二の自分勝手な挙動は、少しなりを潜めている。
 感情の起伏もそれなりに落ち着いてきた。
 色々としこりはあったが――少なくとも慎二に関する限り、前のように凛を妬み、士郎を侮蔑し、そして桜を軽蔑し憎み羨んでいるということは最早無い。
 だが、慎二の心境に僅かなりとも変化があったといえど、傷つけられた側が全てを忘れることなどあり得ない。
 慎二が、妹である間桐桜を傍若無人に扱っていたのはそう昔のことではないのだ。面罵し、軽視し、暴力を振るい――とてつもなく破廉恥なことまでしでかした。本来なら、桜に復讐されてもおかしくない。
 そのような素振りこそ見せぬが、胸襟を開くことも当然無い。
 ここしばらくは、桜が影を引きずって部屋に戻り、慎二が悶悶と悩むことの繰り返しだ。
 その夜もそうなるかと思えた。
 いや、そうなるはずだった。
 だが――トラブルというのは突然やってくるものだ。
 間桐慎二と、間桐桜に降り懸った厄介ごとも、当然例外ではない。
 慎二が頭を抱えているまさにその時、間桐邸の周囲に、良からぬモノたちが集いつつあった。


▲▽▲▽▲▽


 同刻、間桐邸近辺。
 深山町、それも遠坂邸や間桐邸がある丘の辺りは、夜になると人通りが少ない。間桐邸の近くは私有地となっているため、なおさらだ。人の気配は少ないというより、皆無である。
 だがその夜は、其処に何者かの姿があった。
 雲間に夏の月が隠れた時。
 ずるり。
 暗闇の中から男が姿を現す。
 男は首を鳴らし、腕を組んで周りを見渡す。
 異様な風体であった。
 平穏な街には何とも不釣り合いな様相であった。
 オールバックにして撫で付けた金髪。特殊部隊の軍服めく機動性に長けた装束。瞳はサングラスに隠れているが、さぞ鋭い眼光をしているのだろうと、誰にも思わせるものがある。
 冬木に、少なくとも平和な折の冬木に相応しい類の輩ではない。
「嫌な屋敷だ」
 男は屋敷を見上げ、鼻を鳴らして呟く。
「もっとも――連中にはいささか劣るか」
 ふん。
 侮蔑と色濃い嫌悪。
 じろりと眉を上げると、己の潜んでいた闇に目を向ける。
 暗闇の中に、何かの気配がある。
 否。
 気配ではない。
 確かに何かが其処に居る。
 男のサングラス越しに朦朧と浮かび上がるのは、二足歩行型と思わせる生物の輪郭フォルムだ。耳をすませば荒い息遣いも聞こえてくる。
 人か。
 いや違う。
 人ならば、このような欲望と本能のみに満ちた息は漏らすまい。
 では獣か。
 それも違う。
 獣ならば、二足歩行という形状を有するはずがない。
 一際強い夜風が吹いた。
 月を隠していた叢雲が払われ、冷たい光が闇の中に潜んでいたそれらを照らし出す。
 垣間見ただけならば、市井にある人々と何ら変わりがないように思えよう。
 実際、姿だけは正しく人間のものだ。
 だが。
 そのどれもこれもが、崩壊している。形状において、精神において崩れ壊れている。
 ある者には眼球が欠落している。
 別の者は四肢を損ない姿が傾斜している。
 またある者は理性の一片たりとも有せぬ眼をしている。
 朽ちて壊れて堕ちた有象無象の群れ。
 ぶるりと身を震わせた。
 恐怖からではない。恐怖など、男には最も無縁の感情だ。彼の身を走った震えは、生理的・心理的な嫌悪、半ば以上本能的なものによる。
 其処に居るのは人ではない。
 無論、獣でもない。
 そもそも生者イキモノですらない。
 いや、生者でないのは別に構わないのだ。男とて、現代科学の粋を尽くし、生者と死者の境界を弄ったことは幾度もある。
 だがそれは究極の生物をこの手で作り出すという欲望のため。ゾンビ、ハンターといった、世間一般は怪物としか表現のしようもない生命体も、それ相応の意義と意味があったのだ。
 しかし今、ここに居る怪物どもは意義も意味もない。さらに言えば、科学の産物ですらない。
 男の協力者――仲間などでは断じてない――は、この連中を“闇の軍勢Army of Darkness”とやらと称していた。
 全く大仰なネーミングである。
 男に言わせればそのような名前など与える価値もない。
 崩れた肢体。
 全身の腐臭。
 澱んだ眼球。
 そして――此の世ならぬ知性の宿った瞳。
 実に、醜悪だ。
 人間の脱殻に、悪霊とやらを宿らせただけの朽ち果てた屍骸ロッティングコープス。死者の外観に人外の知性を持った存在なぞ、醜悪以外に何と表現し得よう。
 ――これならば、Tウィルス型のゾンビのほうが余程マシだ。
 男――アルバート・ウェスカーは心中で悪態をつくと、もう一度鼻を鳴らした。


 ウェスカーは元来、研究者である。
 製薬会社アンブレラに属し、生物科学――特に、ウィルスを利用した生体兵器の開発を専門とし、大きな業績を上げていた。
 ゾンビ、ハンター、キメラ、ネメシス。アンブレラが誇る多種多様な生体兵器の基本は、殆ど彼が創り上げたと言って良い。
 研究を順調に進めていれば、今頃はその成果を認められ、重役の座についていたろう。アンブレラの本社から、指一本で社会に影響を及ぼしていたであろう。
 だが、彼はそれを望まなかった。
 ウェスカーが世の研究者と少々違ったのは二点。
 研究成果を、実験室の外でも眼にしたかったという点。
 そしてもう一点は、それを可能にするだけの心技体に恵まれていたことであった。
 理論と実験に長けた研究者であると同時に、実働者であり、実践家であり、武闘派であったのだ。
 いや、今でもそうである。
 言葉よりも力を、理論より実践をという嗜好を知るには、その外見を一瞥すれば十分だ。
 その経歴からして特殊と言える。
 元は、ラクーン市警特殊部隊Special Tactics And Rescue Service――通称S.T.A.R.S.隊長であり、同時に巨大製薬会社アンブレラに属していた男。
 現在は、全てが謎に包まれた組織、H.C.F.の幹部である男。
 それが、アルバート・ウェスカーという男だった。


 背後の屍骸どもへの感情を締め出す。今は己の任務を遂行せねばならない。
 髪を撫で付け、作戦内容を確認する。
 本作戦の主目的は、二つ。
 第一目的――間桐桜の確保。
 第二目的――目撃者の排除。
 作戦遂行は、日本国某県冬木市深山町間桐邸。
 私有地を周囲に有する広大な屋敷とはいえ、日本の、それもそれなりの規模のある街の一角である。本来ならば、隠密性を主とした部隊の投入の必要があろう。
 だが今回に限っては、少々の手荒な真似は大丈夫だ。
 音が漏れる心配も、付近の住人が駆けつけてくる心配もないと、あの老人が保証していた。

 ――準備は整うておる。
 ――なれば、余計なことを考えるでないぞ。
 ――お主らは、あの娘を連れてくればそれで良い。

 今でも耳元に、嗄れた声がこびりついているようだ。
 締め出したはずの嫌悪と胸のむかつきが再燃する。
 ウェスカーに屍人共を預けた、蟲めいた老爺を想起する。
 鬱血したかのように変色した外見といい、好々爺を装いながらも心底まで腐った人間性なかみといい、何から何まで気に喰わぬ醜悪な老爺であった。
 同時に、一流の魔術師であり力ある者なのは間違いない。
 ウェスカーは魔術や魔術師といった輩が心底嫌いだ。本質的に科学の徒であるこの男は、旧態依然として古くさい学問になど価値を見出していない。だが、相手の力量を推し量り、必要ならば好悪を押し殺して対応するだけの度量もまた持っている。
 己が背後に控える屍人が、命令に忠実に従うことも確認済みだ。少なくとも、今は。
 思考を切り替える。
 戦力は万端。
 布陣は完璧。
 死なない兵隊と優秀な指揮官。
 このお膳立てで目指すのは、一人の少女の確保。
 ――赤子の手を捻るより楽な仕事だ。
「よろしい」
 時計の時間を合わせる。S.T.A.R.S.時代からの癖だ。
「――作戦、開始だ」
 ウェスカーに答えるかのように、屍骸どもが鬨の声をあげる。
 唸りとも返事ともつかぬその音色に、ウェスカーはもう一度顔をしかめた。


▲▽▲▽▲▽


 硝子の砕ける音と、絹を裂く悲鳴。
「な、何だ!?」
 反射的に食卓の椅子から立ち上がり、きょろきょろと辺りを見渡した。
 耳障りな音が、複数響いている。
 硝子の破音。
 複数の足音。
 そして、獣とも人ともつかぬ唸り。
 耳を澄ませば、それらの発信源は桜の部屋の方角である。
「……お、おい、桜、何やってるんだよ! うるさいぞ!」
 怒鳴り声は虚しく食堂に響き渡るだけ。妹の、少しおどおどとした反応も、か細い抗議の声も無い。
 ――妙だ。
 夏だというのに、身を切るような冷たい空気が漂ってきている。
 勿論、物理的に冷たいのではない。寒気をもたらすという意味で冷たいのだ。慎二の肌はもう既に、鳥肌だらけになっている。
 空気の色も変ってきていた。
 魔術回路を持たぬとはいえ、間桐慎二は魔術の名門に連なるものだ。異変を常人より敏感に察する程度の感覚は残っている。
 ――何かが起っている。
 具体的な状況は解らぬ。
 だがこの空気、この気配はただ事ではない。
 窖で騒いでいた蟲達の姿にも似た、澱のように澱んだ空気。
 人と人ならぬ濃密な気配の群れが、殺気立ちこの屋敷を取り囲んでいる。この家と、おそらく妹とを狙ってずるずると入り込んできている。
「くそっ! ああもう、何で僕が桜のことなんか心配しなきゃならないんだよ!」
 駆け出す。
 ダッシュすれば食堂から桜の部屋までは直ぐだ。大邸宅とはいえ、所詮は屋敷の中。数秒と待たずに部屋に辿り着いた。
「桜、僕だ! 入るぞ!」
 ドアノブに手をかけて回すと、ガチャリと鳴った。
 鍵がかかっている。
 当然だ。
 桜が部屋の施鍵を怠らなくなったのはいつからだったか。臍をかむ。
 ――食堂から鍵を持ってくるべきだった。
 間桐邸の各部屋の合鍵は、万が一のために食堂に置いてある。うっかりしていた。桜の部屋に駆けつける前に持ってくるべきだった。
 もう一度駆け出す。
 合鍵を慌ただしく取り出し、急いで戻った。
 扉に鍵をはめ込む手間すらもどかしい。
 かちゃかちゃ。
 かちゃかちゃ。
 かちゃり。
 開いた。
 鍵を放り出す。
 扉を乱暴に開き――

「――な」

 慎二が目にしたのは、全くもって非現実的な光景だった。
 数体の生き物が居た。
 人間の似姿をとった者達だ。
 だがそれは、人間ではない。
 桜のベッドの傍にいたそれが、ぎょろりと目を向ける。
 姿を眼にした瞬間、慎二は食べたばかりの夕食が胃の腑からせりあがってくるのを感じた。酸っぱい胃液と、消化されかかって液体と固体の混合物になった肉が、喉元にまで這い上がってくる。
 それは、ひどい腐臭の所為だ。
 生肉を炎天下に数日さらし、さらに瓶に詰め込んで暗所に封じ込め、どろどろになったところを煮詰めて濃縮したかのような、頭痛のする匂い。あるいは、夏休み明け、教室のずっと放置しておいた飼育箱から漂ってくる饐えた香り。
 こんな匂いを直接嗅がされたら、朝昼晩の食事を戻したうえに、数日は肉類を口にもが出来ないだろう。
 だがその臭みも、目の前のモノが与えてくる生理的嫌悪感にはとても及ぶまい。
 過剰なまでに凹凸が強調された容貌かおに、捻曲った四肢。眼球をぐるりと反転させたかのようにむき出された白目から流れるのは、血とリンパ液の混ざった腐臭漂う汚液。肌は土気色に染まり、角質化して頗割れている。
 B級ホラー映画に出てくる「ゾンビ」そのものだ。
 そんな生きる屍体リビングデッドが――桜の肢体を抱え込んでいた。


▲▽▲▽▲▽


「な、何なんだよこれ! 何だよお前ら! 人の家に勝手に上がり込んで何やってるんだよ!!」
 アルバート・ウェスカーの眼前で、少年がわめいていた。
 何なのだこの餓鬼は。
 突然扉が開いて駆け込んできた。
 目標である間桐桜を、屍人の一体が確保しているのを見る否や、血相を変えて騒ぎ出したのだ。
 騒々しいことこのうえない。
「おい、答えろよ! 何やってるって聞いてるんだぞ!」
 ――喧しい。
 こめかみを抑え、間桐の家に関する情報を思い起こす。
 本作戦の目的である間桐桜には確か、兄が居たはずだ。直接の血は繋がっていないようで、折り合いも良くないということで気にも留めずにいたが。
 そういえば、あの蟲爺が何か言っていた。
「孫息子が居るかもしれんがの、煮るなり焼くなり好きにするがよかろう。あれでも血族と思い目をかけてきたが、いやいや、全くもって使い物にもならぬ。今となっては欠片ほども必要がないわ」
 となれば、この見るからに情けない少年が孫息子とやらだ。
 確か名前は――間桐慎二とか言ったか。
 ウェスカーは冷徹な瞳で、その少年を凝乎と観察する。
 実に、実に――情けない姿だ。
 腰はひけているし、大風邪でもひいたかのかという位震えている有様。軽薄そうな表情かおは冷や汗と脂汗にまみれていて、ウェスカーの方がいっそ天を仰ぎたくなる。
 このような奴腹にかかずらっている程暇ではない。
「おい、そこのお前、桜を離――」
「邪魔だ」
 上ずった調子の声を遮り、爪先が跳ね上がった。ブーツの先端が、無防備な腹部に食い込む。
「――っ!」
 吐瀉物を散らして慎二が倒れ込む。
 ぐしゃとした良い手応えだった。いや、足応えか。手加減はしておいたが、直ぐには起きあがれまい。
 こういう場合、部外者は始末するのが常道だ。
 愛銃、.357MAGNUMコルトパイソンを引き抜く。
 のたうちまわる慎二を冷たく見据え、銃口を頭部にポイント。
 狙いを定め、引き金を引こうとして――
「――馬鹿馬鹿しい」
 吐き捨てて、銃をおさめた。
 がたがたと震え怯えたように見上げる視線に、自分の行動が急に阿呆らしくなったのだ。
 この程度で片が付くなら、わざわざ屍人どもを連れてくることはなかった。H.C.F.のそれなりに優秀な部下を一人送り込んでも十分お釣りが来ただろう。
 つくづく――やり甲斐のない仕事だ。
 間桐慎二とかいうこの少年、どこからどう見ても小物だ。生かそうが殺そうが、大勢には全く影響しまい。ならば、自分が現時点以上の労力をわざわざ割くこともない。
 万が一にもウェスカー達の害になることがあれば、手勢を繰り出して片付けてしまえばすむことだ。“追跡者”のストックにも然程事欠いているわけではないのだから。
「作戦完了。これより撤退する」
「ま……待てって……」
 か細い声。
 視界の隅で間桐慎二が顔を上げていた。弱々しい瞳は、ぶるぶるとした怯えを満面にみなぎらせながらも、ウェスカーをしっかりと見据えている。
 ――声を出す程度の気力はあるか。
「お前ら……何なんだよ……!」
「答える必要はない」
 感情を動かしたのは一瞬。
 返答はそれだけ。本来なら答える必要などありはしない。
 それきり、ウェスカーは慎二を一瞥しようともせず。
 腹部の痛みと無力感と屈辱感にのたうち回る慎二を余所に、ウェスカーと屍人どもは、窓から闇へと消えた。
 そして――暗転。


▲▽▲▽▲▽


 ほう。
 水面に投影されていた光景が消えるや否や、誰とは無しに息をついた。
 それはそうであろう。
 仮にも魔術の名門である間桐の家に大事があったのである。並大抵の事件が起ったのではないと覚悟していたが、まさかにホラー映画さながらの展開を見せられるとは誰も思うまい。
 ――まるで、出来の悪い冗句だ。
 軍人らしき男にゾンビとしか形容出来ない怪物。
 まだ何処か唖然としている士郎を余所に、老婆と娘は眉根を寄せていた。
「あの容姿すがたかたち……眠り男ツェザーレ……ですわね」
「それにしちゃ、外も中も随分と歪んでるがね。娘や、どう思うね?」
「確証は持ちかねますが、おそらくは死者の書――いえ、死霊秘法ネクロノミコンによって召喚された悪霊が憑依、変容した類ではないかと」
 優等生の答えを聞いた教師の如く、老婆は満足げに頷く。
「それで間違いないさな。あんなものを今になって引っ張り出すとは、何処のどいつだか知らないが全く面倒なことをしておくれだよ」
「眠り男……?」
 聞き慣れない言葉に、士郎が眉根を寄せた。
「ああ、<新宿>には『操り虫』ってのがいてね。こいつに耳や鼻から入り込まれると、思考を乗っ取られちまうのさ。『眠り男』は、寄生されて虫の生存のためにだけ生かされてる人間のことさ。ただ――」
 ガレーンが言うには、あの眠り男は本来のものとは違うらしい。眠り男は本来、思考も感情も殆ど失っている。だから、『操り虫』感染の拡大を防ぐため、眠り男の大半を市ヶ谷近くの収容所に隔離するということも可能なのだ。
 だが、間桐の家を襲った眠り男は、ゾンビめいていたとはいえ、一定の思考と行動様式を保っていた。指揮官らしき男に従っていたのがその証拠である。
「娘が今しがた言ったけどね、ありゃ眠り男に悪霊を取憑かせたタイプさ。あの手の悪霊が人間に取憑いた記録は米国にあったはずだけどね――眠り男に憑かせるとは、中々大した発想だよ」
 コツ、と。ガレーンが杖で床を突いて言葉を継いだ。
「ま、それは追々調べておくさね。さて、遠坂の弟子の坊や」
「衛宮士郎です」
 憮然として答える。
 せめて名前で呼んで欲しい。
「男が細かいことを気にするんじゃないよ。それでここからは――どうするつもりだい?」
「それは――」
 問われるまでもない。
 桜の救出をするに決まっている。あんな光景を見せられて放っておくなど、もってのほかであろう。
 だが同時に、今の士郎のとれる選択肢は少ない。
 となれば、桜を連れ去ったであろう輩の後を追うのが最善であろう。
 しかし――如何やってあの連中を探せばいいものか。
 士郎がそう素直に口にすると。
「操り虫と眠り男は<新宿>の特産だよ。あれだけの数を<区外>で保持出来るもんかね。すぐに大騒ぎさ。あれを使ってた連中の拠点が、<新宿>にあるのは一目瞭然さ」
 事も無げにガレーンが答えた。
「そうですか――」
 ならば行動方針は決まったも当然だ。
 <新宿>にあるであろう拠点を探し、桜を助け出せばよい。
 ただ、気がかりなのは、慎二のことである。
 ガレーンが眠らせてからそれなりの時間が経つが、目覚める気配がない。
「慎二をどうしたもんだろうな」
 士郎の呟きに答えるように、慎二が苦しげにうめいた。
 随分と疲弊しているようだ。
 あのような出来事があった後に、<新宿>までわざわざ士郎を頼ってきたのだ。心身共に疲れ切っても無理もなかろう。
「間桐の息子は少しばかり休ませなきゃならないだろうね。私が面倒見てもいいんだが、これから野暮用がある。全く、忙しない世の中だよ」
「それじゃあ、何処か病院にでも――」
「ご安心下さい。既にメフィスト病院に連絡を入れてあります。数分もすれば救急車が到着するかと」
 人形娘が口を挟んだ。
 士郎もメフィスト病院の噂は聞いている。<区外>で見放された重病人、半死半生の患者ですら必ず死の淵より呼び戻す程の病院だそうだ。人ならぬ美しさを誇る院長は、<新宿>における触れてはならぬ魔人の一角であるという。
 ――よろしい。
 思考をまとめる。
 準備は整った。
 最早躊躇している段ではない。
 己の友人が傷つけられ、大切な後輩が拐かされたのだ。
 正義の味方である衛宮士郎の取る行動なぞ、ただ一つしかない。
 ――助けねばならない。
 桜がその輩の居る場所に在る可能性は高かろう。
「お世話になりました、ガレーンさん」
「……行くのかい?」
「はい。慎二を――お願いします」
 迷う必要は無い。
 立ち上がり、毅然とガレーンの工房を辞そうとして――
「お待ちな」
「はい?」
 出鼻をくじかれた。
「<新宿>の何処に行けばいいか、解ってるのかい?」
「――あ」
 言われてみればその通りである。
 士郎は<新宿>の土地勘がない。何処に行けば桜を攫った連中の拠点があるかなど、見当もつかない。
 やれやれ、と。ガレーンは苦笑して息をつく。
「餅は餅屋ってのはこの国の諺だったかね。幸か不幸か、知り合いに人捜し屋が――」
「あの方なら本業がお忙しいようですわ。副業はしばらくお休みだと仰っていました」
「何だって?」
 人形娘の答えに憮然とするガレーン。
 全くあの太平楽が、と。ひとしきりぶつぶつ言った後。
「なら情報屋に聞くのが一番だ。この時間ならが『ヒポポタマス』にいるだろうね。娘や、案内しておあげ。もののついでだ、手伝えることがあれば手を貸しておやりな」
「承知いたしました」
 人形娘が一礼。
「え、でもそれは」
「何か問題でもあるのかい」
 大ありだ。
 それは――困る。
 ただでさえ迷惑をかけているのだ。
 元々ガレーンの所には凛の遣いで来ただけのこと。用が片付いたら慎二ごと放り出されても文句は言えぬ。
 それに、内実はともかく、人形娘は外見的に十歳にも満たぬ少女である。明らかに危険が待っていると思われる行き先に、そのような子を連れて行くのには抵抗があった。
「そんな心配は無用だよ。娘はね、このガレーン・ヌーレンブルクの肝煎りさ。そうさね――そんじょそこらの代行者程度では相手にもならない程には鍛えてあるさ」
 絶妙のタイミング。
 思念が顔に出ていたか。最も、この老婆なら思考の一つ二つ読み取っても不思議ではない。
「取りあえずは言うことをお聞き。それに――」
 ガレーンが不敵に口元を曲げた。
「善意で手を貸す訳じゃないのさ。この仕事は結構制約が多くてね、自分の好き放題やりたい放題ってわけにはいかないのよ。覚えておおき、魔術師ってのは、彼方此方あちらこちらに目を配り、因果の帳尻合わねば立ちゆかぬもの。世話を焼いてるのはその一環だとでも思っておくのだね。今は他に考えることがあるだろうさ」
「……有り難うございます」
 こうまで言われて断れるはずがなかった。
「では参りましょう、衛宮様」
「ああ、それじゃあ――よろしく」
 頷き、軽く握手を交わしてガレーンの工房を辞する。
 魔法街から大通りへと踏み出すと、極彩色のネオンサインと、見通しのきかない闇に覆われた魔界都市の夜景。
(待ってろよ、桜……!)
 大切な後輩の笑顔を思い出しながら、士郎はぐっと拳を握って夜景を睨み付けた。




⇒to be continued in chapter-03 "The Chaser"

投稿者: 日時: 2005年11月18日 20:57 Web拍手

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