連作クロスオーバー「アウレオールスの夜に」第一話

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さるにても、夜が星なき黒衣を身に纏う時
開けたる空間はあくびさながら暗い深淵を開き
小暗き屋敷はいや巨いに陰鬱には成りまさり
巷路はさながら地下の窖、暗き無明にぞ沈めり


――ジェイムズ・トムソン『恐ろしき夜の都府』





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 ごり。
 循環バスには相応しくない鉄の塊が、少女の頭に押し付けられた。
「別にとって喰おうってわけじゃないんだ、お嬢さん。うちの会社に手を貸してくれって、あんたの婆さんに言ってくれればいいだけさ。簡単なことだろ」
 塊を手にした若い男が、猫なで声を出した。
 黒光りする鉄の塊の正体はベレッタ・M92FSだ。各国の軍隊で正式採用されており、現存する拳銃の中でも指折りの実績を誇る自動拳銃。
 街中でこんな物を振り回していたら即逮捕だが、この街においては然程危険な物ではない。実際、念動者サイキック昆虫制御人インセクト・コントローラーあたりの前では、M92SFでは玩具にしかならなかろう。
 それでも、至近距離でそんなものを突きつけられれば、普通の人間なら縮み上がってしまうものだ。
 拳銃の持ち主がまた悪い。
 「うちの会社」などと言ってはいるが、どこからどう見ても堅気ではない。
 いかにもといった派手なスーツに乗っかっているのは、軽薄さと酷薄さが程よく混ざった顔。人を人とも思わさなげな態度といい、筋物の類――有り体に言えば、ヤクザである。この街において蛇蝎の如く嫌われ、雲霞の如く生息する輩の一端だ。
 対する少女は、十歳前後としか見えぬ幼さ。
 金髪と碧眼が何とも愛くるしい、人形のような少女である。
 バスの前部座席に一人座る少女に、ヤクザめいた男が立って拳銃を突きつけているなど――心和む光景とはとても言えまい。
「その件についてはお断りしたはずです。何度も答えさせないでくださいませ」
 鈴を転がすような声で、少女が冷たく答えた。
 ぴしゃりと撥ねつけるような声だった。
 顔色一つ変えていない。
 それどころか、男を見ようとすらしていない。大した胆力である。
「婆さんに断られたからアンタに頼んでるんだ。大人が頭を下げてるんだぜ、聞いてくれてもいいだろう」
 猫なで声。
 どうやらこの男の中では、銃を突きつけて脅すのが頭を下げることになるらしい。
「でははっきりと申しましょう――」
 じろり。
 碧眼が男を冷たく見つめた。
「害虫に手を貸す愚か者はおりません。今すぐ此処から消えて二度と顔を見せないでくださいませ」
 視線にも増して冷たい声。ひくりと、男の頬が引きつる。
「そうかいそうかい。じゃあしょうがねえな。不本意だが、ちょっとばかり痛い目に――」
 男が引き金にかけた指に、力をこめた時。
「やめろよ」
「あん?」
 鋭い声が、バスの中に響いた。
 男の視界に飛び込んできたのは、後部座席から立ち上がる少年の姿。
 少し癖のある赤い髪。
 真夏に相応しいラフな服装の上からでも解る、良く鍛えこまれた筋肉質の体。
 それらに増して印象的なのは、強い意志の宿った双眸だろう。
「黙ってろや、兄ちゃん。人様の事情に首を突っ込むもんじゃねえぜ。怪我、したくないだろ?」
「やめろって言ってるんだ。そんな女の子相手に、いい大人が何をしてるんだよ」
 恫喝するような物言いにも臆することなく、睨み付ける少年。
 ――彼の名は衛宮士郎。
 日本有数の霊地、冬木市に居を構える学生にして、未だ研鑽の途上にある魔術使い。
 そして此処は都心の一角。
 1947年3月5日、都告示第127号によって制定された、東京都が有する23区の一つ。
 多用な施設と、広大な公園、そして世界有数の歓楽街を有するこの街は、1980年代の『魔震』により壊滅的打撃を受け――見事再生し成長し続けた。そして、今も成長し続けている。
 驚異と災厄と悪徳とに満ち、老いも若きも正常も異常も人も人ならぬものも、全てを受け入れるそれはそれは残酷な都市まち
 人は呼ぶ。
 <新宿>――『魔界都市』。




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伝奇クロスオーバー二次創作
『アウレオールスの夜に』

chapter-01
魔術使いと自動人形 ~ Magus meets Automata






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 話は少し遡る。
「<新宿>って……あの<新宿>か?」
「そうよ、その<新宿>。魔界都市に行って貰いたいの。本当は私が行かなきゃいけないんだけど、こっちから戻るの少し遅れそうなのよね」
 真夏の冬木市、衛宮邸。
 受話器越しにロンドン発の声が聞こえてきていた。
 はきはきとした、曖昧なところの少しも無い少女の声。
 士郎は相槌を適度に挟みながら、話の筋道に耳を傾け答える。
「行くのは別に構わないけどさ。戻るのが遅れそうって、何か手間取ってるのか、遠坂」
「手間取ってる……って訳でもないんだけどね」
 遠坂と呼ばれた少女の声に、苦笑と溜息の色が混ざった。その声音に、士郎は勝気な少女の面貌を想起する。
 ――遠坂凛。
 日本でも有数の霊地、冬木市を管理する遠坂一族の正当なる長である。
 五大元素をその身に有し、メイン・サブ合わせて三桁に届く魔術回路を所有。歳端はいかねど、魔術師としての実力は既に一級品である。魔術上の名家の出身にして、頭脳明晰。さらには見栄えする美貌の持ち主と、表向きは非の打ち所がない。
 士郎が凛と出会ったのは、半年前に勃発した魔術戦争――通称、聖杯戦争でのことであった。
 対峙と会話と闘争と協力を経て、心身共に和合した二人は、傷つきながらも聖杯戦争を終結に導いた。
 それから、早くも半年。
 期末試験、進級、中間試験――ごくごく当たり前の、平穏な日々を過ごすうちに、士郎と凛も卒業後の進路を決定しなければならない時期になっていた。
 最も、この点に関して、二人には悩む余地がない。
 凛は高校卒業後から、ロンドンの名門・時計塔で魔術の研鑽を積むことが決定しているし、士郎は士郎で、凛の弟子として同行することになっていた。
 凛がわざわざ国際電話をしなければならなかったのは、その準備のために一時的にロンドンに渡っていたからだ。
 最も、準備といっても大したことはない。
 凛は名門「トオサカ」の魔術師としての待遇であったし、協会からも無試験で時計塔に入学して良いとの許可を貰っている。
 数日もあれば、つつがなく支度は終わるはず……だったのだが。
「本当なら無試験入学だし、書類手続きだけでいいはずなんだけど。ごねてるお偉いさんが一人いてね……ちょっとした試験をやらなきゃいけないみたいなのよ」
「んー、でもそれって、約束と違わないか」
「勿論約束違反よ。理不尽そのもの、我が儘で試験押し付けられたみたいなものなんだから」
「……遠坂が素直にそんなこと聞くなんて珍しいなあ」
「あのね、士郎。私をなんだと思ってるのよ」
「あかいあくま」
 即答。
「……帰ってからひどいからね」
「いや冗談だって。試験受けるの承知したってことは、それなりに理由があるんだろ」
「そういうこと。相手が歴史も力もある家の出なのよね。アグリッパの直系だったかな。入学前からごたごたを起こすのは趣味じゃないしね。あーあ、それにしても早くそっち戻って、士郎の料理が食べたいわ」
「はは、腕を磨いて待ってるよ。それに、試験といっても遠坂なら大丈夫だろ」
「解ってるじゃない。さくっと片付けるつもりよ」
 ふふん、といった調子の声に、自信満々の表情かおが思い出される。
(まあ、セイバーもいることだしなあ……)
 士郎は心の中で一人ごちた。
 英霊・セイバー。
 士郎と凛と共に聖杯戦争を駆け抜けた誇り高き騎士。
 剣の名を持つ少女は、未だ現界に留まっていた。現在、立場的には遠坂凛の使い魔となっており、今回のロンドン行きでも凛に同行している。
「話を戻すけど、俺は<新宿>に行ってどうすればいいんだ。自慢じゃないけど、強化と投影以外はまだまだ使い物にならないからな。お使い位しか出来ないぞ」
「本当に自慢にならないわね……まあ、お使いで十分よ。父さんの知り合いだった魔術師が、ちょっと前に亡くなったらしいのよ。昔の約束で魔道書を一部譲って貰えることになってたの。それでまあ、遠坂の長は私なわけで」
「ああ、成程。つまり俺は、遠坂の弟子としてその魔道書を受け取りに行けばいいんだな」
「そ。遺品は別の魔術師が管理してるはずだから、その人のとこに行ってね。場所とか相手のこととか詳しいことは、後でそっちにファックス送っておくから」
 確かに、電話であれこれ聞くよりそちらの方が確実だろう。
 冬木とロンドンでの国際電話となれば、電話代も意外とばかにならないものだ。
「あと何かあったかな……あ、そうだ」
 何を思い出したか、凛の口調が変る。
 声のトーンが落ち、真剣味を帯びたのが明瞭に感じ取れた。
「……桜と慎二の様子って……どう?」
「桜はあまり変わりないよ。前よりうちに来ることは減ったけど。慎二は……憑物が落ちた、っていうのかな。皮肉屋で、素直じゃないままだけど……何ていうか、はじめて会った頃みたいだ」
 士郎の友人にして、聖杯戦争においては敵対者であった少年――間桐慎二。
 一連の事件が終わった後、慎二は随分と長いこと入院していた。聖杯の寄り代とされ、心身共に大きな負荷をおったからだ。
 思ったより身体に負担がかかっていたのか、心理面で落ち着くのに時間が必要だったのか、それは解らない。
 確かなのは、時折暇を見ては見舞いに行くたびに、慎二が少し変っていたことだ。
 つい先頃退院してからはまだ会っていないが、その傾向が続けばいいと士郎は願っていた。
「そっか。ならいいんだ。それじゃ士郎、任せたわね」
「ん、任された」
 どことなくほっとした様子で、凛が別れを告げる。
 ちん、と音を立てて受話器が置かれた。
 それがつい昨日のこと。
 翌日の朝早く士郎はバスで<新宿>に向かい――<区内>に入るなり、冒頭の事態にぶつかったというわけである。




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「口は災いの元、ってな。余計なことに口出しするもんじゃあない。それとも、このお嬢ちゃんの知り合いかい?」
「只の通りすがりだよ。でも、そんなことは関係ないだろ。あんたみたいな大の男が、そんな小さな女の子に銃を向けてる。黙ってられるはずがないだろう」
「ご立派なことだな」
 男の声には紛れもない嘲笑がこもっていた。
 それはそうだろう。
 今時こんなことを大真面目に言う若者はいない。<新宿>ならなおさらだ。
 おまけに、拳銃に対抗する手段を持っていそうにもない。
(とっぽい小僧だ……)
 男は心中で嗤う。
 一々青臭い物言いといい、警戒心ゼロの行動といい、大方<区外>の人間だろうと見当をつけた。
 ならば少し脅かしつけてやればいい。足元に弾を撃ち込めば、腰を抜かして黙り込むのではないか。
 もしそれでもわめくようなら、ちょいと足腰が立たなくなるまで痛めつけてやればいいのだ。
(それも悪くねえな……)
 よく見てみれば、結構いい体をした頑丈そうな少年ではないか。この手合いはいたぶり甲斐がある。
 嗜虐的な笑みを口の端に浮かべ、男は拳銃を浮かべると引き金を引いた。


 たん。
 銃声。
 先ほどまで士郎が座っていた座席を、9ミリパラベラムが穿った。
 だが、士郎の顔色に変化はない。
 銃を撃たれたから何だと言うのだ。
 目の前で、一人の少女がろくでもない大人に脅かされている。それを見過ごすことに比べれば全く大したことでもない。
 そもそも、立ち上がってやめろと言ったのも、深い考えがあってのことではない。自分でも言ったとおり、黙っていられなかっただけのことだ。
 相手は、銃を撃っておけばこちらが黙るでも思ったのだろうが、そうは問屋が卸さない。
 そもそも――銃声一つで腰を抜かすほど、微温い生き方はしていないのだ。
 無造作に一歩踏み出す。
 彼我の距離は5メートルに満たない。
 また一歩。
 強い意志の籠もった瞳が、じろりと銃の持ち主に向けられた。
 その目が、その動きが男を――ヤクザを刺激したのだろうか。
 ぎらりと、男の目が凶悪な光を帯びる。
「この餓鬼、生意気に……!」
 M92FSが改めてもたげられ、銃口が向きを変えた。
 狙いは脚か、腹か、下手をすれば頭か。
 引き金がひかれ、弾が飛び出そうとした、その時。

 ――ぴいん。

 金の光が宙を走った。
 少し遅れて空気を貫く音。
「つっ!?」
 耳障りな悲鳴。
 何が起ったのか、男が掌を押さえる。
 よくよく見れば、きらりと光る細い何かが、その掌に突き刺さっていた。
 鉄の塊が床に落ち、からりからりと回り滑る。
「大人げない、とはこのことですわね。いい加減になさいませ」
 何時の間に動いたのか。
 男と士郎との間に、少女が割って入っていた。
 波打って流れる金髪。
 陶磁器を思わせる白い肌。
 青玉をはめ込んだような眸。
 天鵞絨の紫ドレスが風に翻る。
 先ほどまで、男が銃を向けていた少女だった。
 男の掌に突き刺さったのは、その髪の毛だろうか。
 男は歯をむき出しにして、少女と士郎を睨み付ける。先ほどまでのへらへらとした愛想の良さは欠片もない。
 浮かんでいるのは欲得ずくで自分のことしか考えていないゲスの色。
 害虫の、本性だ。
「餓鬼が揃って、舐めた真似しやがって……!」
 床に転がされた拳銃を取り戻そうと、床を蹴って手を伸ばす。
 筋力と反射神経の強化を施してあるのだろうか、意外なほどに速かった。
 距離から考えても、士郎や少女が何かする前に、男が拳銃を再び掴んでいただろう。もしそうなっていたら、バスの中で惨事が起っていたかも知れない。士郎は、近距離で放たれた拳銃の弾をどうこう出来るような超人でも化物でもないからだ。
 だが――
 その時には既に、少女はバスの通路を蹴っていた。
 ふわりと身体が舞い上がる。
 重力を無視したかのような跳躍だった。
 ひゅん。
 ほっそりした脚が振り抜かれ、男の――ヤクザのこめかみにクリーンヒット。
 それなりには武道の心得がある士郎が、ほれぼれするような一撃だった。
 男の目が揺れた。
 脳髄も揺れただろう。
 そして――
「ごめんあそばせ」
 返す刀でもう一撃。
 目が左右に揺らぎ、男は物も言わずに昏倒する。
 とん。
 着地。
 埃一つ舞い上がらない。
 ドレスの裾が翻り、くるりと舞った。
 ――絵になる。
 ともすると芝居がかった動きが、かえって様になっている。一足一動に人間らしさがないためだろうか。
 人形のような動きと、美しさだった。
 唖然としている士郎を蒼い眸が見つめ、小首を傾げる。
「貴方は、<区外>の方ですわね」
「あ、ああ。そうだけど、君は――」
 鈴の音を転がすような声とは、このことを言うのだろう。
 士郎は何となく気圧され、素直に頷く。
「ようこそ<新宿>へ――『魔界都市』は新たなる客人を心より歓迎いたします」




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「有り難う御座いました」
「いや、俺は何もしてないよ。かえって余計なことしたかな」
 循環バス「魔法街入り口」停留所で降りると、少女は士郎に向かい頭を下げた。
 例のヤクザは、バスの運転手が縛りあげて後部座席に放り込み、警察に連絡していたようだ。
 <新宿>の警察は、ならず者に情け容赦の欠片もないことで知られる。情けをかければ死ぬのは自分たちだと解っているからだ。
 あの男も、こってりと絞り上げられることになるのだろう。
 それはそうと、凛に頼まれたことを果たさねばならない。
 幸いにして、目の前の少女は<新宿>の住人のようだ。尋ねられることは尋ねておくに超したことはなかった。
「もし良ければ一つ聞きたいことがあるんだけど」
「はい、何なりと」
 鞄に入れておいた、凛が送ってきたファックスを覗き込む。
 降りるバス停は確かにここでいい。
 目的地もすぐそこだ。凛に聞いたとおりの外観が、このバス停からでもよく見えている。
 しかしここは<新宿>だ。地図と自分の感覚だけに頼っていたら迷う可能性は高い。
 実際、士郎は循環バスに乗り込むまでに二度三度と道に迷っている。目の前にバス停があるはずなのに中々辿り着けなかったり、どこからともなく女の声が聞こえてきて方向感覚を見失ったり、そんなことばかりだ。
 士郎が方向音痴だったり、幻覚幻聴持ちというわけでは勿論無い。
 そのような怪事が日常茶飯事に起きるからこその『魔界都市』だと、士郎も徐徐に理解しつつあった。
「魔法街、っていうのはこの近くでいいのかな。多分あそこだと思うんだけど」
 指さす方角には、もくもくと、緑と紅の混ざった毒々しい煙が立ちこめる長屋めいた一角。
 あら、と。少女は目を丸くする。
「魔法街は私の住処ですわ。何かお探しでしょうか? 目的の物があるならばご案内いたしますが」
 少女の言葉も道理、魔法街は<新宿>における隠れた買い物スポットだ。
 百二十件にも及ぶ魔術師や調剤師の家が集まっており、住人による黒魔術用具一式は極上のものとされる。<区外>への持ち出しこそ制限されているものの、<新宿>在住の魔術師や隠秘学者オカルティストの間で人気が高い。
 だが勿論、士郎はそのようなものを買いにきたわけではなかった。
 凛からのファックスに書いてあった名前を思い出す。
 確かあれは――
「いや、買い物に来たんじゃないんだ。ガレーン・ヌーレンブルクって人に用事があって……」
 ガレーン、との名に少女の目が細まった。
 穏やかで静かなだけだった空気が変貌する。
「……そうでしたか。それでは貴方が――」
 口元に手を当て、少女が士郎を見上げた。
 その表情に、士郎は少し目を見張る。
 可憐さと深遠さの同居。
 底知れない気配。
 どことなく――聖杯戦争で出会った一人の少女を思わせるものがあった。
「衛宮士郎さま、ですわね。お話は伺っております。私はガレーン・ヌーレンブルクの孫娘……『人形娘』と呼ばれております。どうぞお見知りおきを」
 そして、人形を名乗る少女はドレスの裾をちょこんとつまみ、貴婦人の礼をしたのだった。



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 高田馬場一丁目、魔法街
 硫黄の匂いが立ちこめ、奇妙な呪文が昼日中から流れる石造りの街。
 その一角に、目的の家はあった。
 四角い煙突屋根に、玄関前の下水。石の工房めいた家構え。
 おとぎ話に出てくるような「魔法使いの家」が、士郎と人形娘の前に建っていた。
「お婆さま、お客様をお連れしました」
「失礼します」
「お入り」
 鈴の音と、精悍な声への返答は、しわがれた、闇の向こう側から響くようなそれ。
 ぎい。
 人形娘が、軋んだ音を立てる扉を開いた。
「暗いな……」
「魔法街は何処もこのようなものですわ」
 士郎の呟きに、人形娘が答える。
 とはいえ、確かに暗い。
 蛍光灯や白色灯といった近代設備の影は欠片もなく、壁際に設置された洋燈や、碧色の炎を発している蝋燭がかろうじて光源となっている位だ。
 それでも、視界が零というわけではない。
 暗闇に目が慣れると、人の姿が朦朧ぼんやりと浮かんでいるのが解った。
 目をこらす。
 籐椅子に女が――老婆が腰掛けていた。
 何度も折りたたんでからまた引き伸ばしたかのような皺だらけの顔。青い目と鉤鼻が異国の血を示す。サテンの黒ワンピースが包んだ身体は、手にした黒檀の杖よりなお細い。 まるで枯れ木のような姿――遠慮無く言えば、おとぎ話の悪の魔女そのままだ。
 苦虫を噛み潰したような不機嫌な顔付きが、士郎をじっと見据えている。
 ぞくり、と。
 その視線に、士郎は何故だが背筋に寒気が走るのを感じた。
 理由は解らない。
 見た目におかしなところはないのだ。
 平凡な服を着れば、平凡な婆さんにしか見えなかろう。
 士郎に向けた視線は偏屈もののそれだが、相手は魔法街の住人、頑固偏屈は当たり前である。奇声を発したり突然飛び跳ねたりするわけではなし、立ち居振る舞いにも、異常な点は何一つ無い。
 強いて言うなら、双眸に宿った炯々たる光は、『気の良いお婆さん』のものなどでは断じてなかったからだろう。
 老婆は動かない。
 目を細め、士郎を凝乎と見つめているだけだ。
 息を大きく吸い込んで、腹に力をため、頭を下げた。
「初めまして。俺は遠坂凛の使いで……」
「衛宮士郎、だね。お前さんの来ることは夜雀の羽ばたきが教えてくれていたよ。遠坂の娘も人使いの荒いことだ」
 見た目通りの、嗄れた声。
 その声に悪意の色は無い。
 少なくとも、客を黙って追い返すようなことはしないのだろう。
「いい匂いだ」
 老婆が鼻をひくつかせて呟いた。不機嫌そのものだった面貌が、奇妙に安らぐ。
「純粋な霊地の匂い。魔術の匂い。おやおや、アイツベルンにマキリの一族までいるよ。聖杯と大聖杯と英霊と――お前さん、結構な修羅場をくぐってるね」
「えと、お婆さん……」
 士郎が呼びかけた。
「ガレーンさ」
「え?」
 老婆は無愛想に答える。
「ガレーン。ガレーン・ヌーレンブルクと覚えておおき。お嬢ちゃんに名前は聞いているんだろう?」
 ガレーン・ヌーレンブルク。
 現存する中では、名実共にトップクラスに位置する大魔術師である。
 その実力はチェコ第一と称され、<新宿>においては、西新宿のせんべい屋や区役所跡の病院長と並び、触れてはならぬ三魔人の一人に数えられる。
 要するに、魔界都市に巣くう超人魔人の親玉格と言えよう。
「メイの魔道書の形見分けだったね。着いておいで、衛宮士郎とやら。娘や、あんたは此処で待ってな。星の巡りが良くない。また何かが来るかもしれないからね」
「承知いたしました」
「誰か来るんですか?」
 士郎が訝しげに尋ねる。
「何かが、さ」
 それだけ答えると、ガレーンは籐椅子から立ち上がり、さっさと部屋の奥へと足を向けた。
 ぺこりと頭を下げる人形娘に会釈を返してから、士郎も後を追い、ふと足を止める。
 頭部に違和感。夏だというのに、何か冷たい。
 額に手を当てると、じっとりと濡れている。
 ――冷や汗だった。




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 その工房には、和漢洋、凡百の奇書珍書が所狭しと並び積み上げられていた。
 ぐるりと見渡しただけでも、日本語で書かれたものは極僅かだと知れる。英語やドイツ語、フランス語、ラテン語といった欧州圏の言葉は当たり前、梵字やアラビア語のものまで散見される。中には、どう見ても碑文にしか思えないものもあった。
 凛ならばともかく、士郎にとっては初見のものも少なくない。
「凄いですね、ここ。これだけ集まってるのは見たこと無いな」
「何が凄いもんかね。こんなのは紙屑みたいなもんだよ」
 士郎の賛嘆に、ガレーンは仏頂面を崩さずに答える。
 ガレーンはそう言うが、紙屑とはとても言えなかろう。
 かの『死霊秘法』とまではいかないが、好事家や魔術師なら垂涎ものの書物がごろごろしていた。
 最も、士郎では名前しか知らないようなものも数多い。
 詳しく見知っているといえるのは、フレイザーの『金枝編』、『ニューイングランドの楽園における魔術的驚異』第二版のような定番の研究書くらいだ。書誌学者コンラート・フォン・ゲスナーが16世紀末に刊行した『魚類大鑑』、ドイツの奇書『深海祭祀書』といったあたりで、凛から名前を聞いた覚えがある程度。さらには『ナイハーゴ写本』や『クタアト・アクアディンゲン』のような真性の魔道書となるとお手上げである。
「役にたたないわけじゃあないがね。あんたも魔術師なら覚えておいで。真の栄光は小細工なしの術にこそ宿るのよ。人様の書いたものに頼らなきゃならないうちは、まだまださね」
 杖をついて老婆が歩く。矍鑠とした動き。年齢を考えればたいしたものだ。
「遠坂の家の分はそこにあるよ。ちょっとばかり量があるけどね」
 黒檀の杖を持ち上げて指したのは、簡素な木の机に積まれた本の山。量にして十冊強といったところだが、どれもかなりの年代物だ。破損に気をつけて運ばねばならないことを考えると、持ち帰るのは少し骨だろう。
「<新宿>から<区外>に物を送るのは結構面倒でね。取りに来て貰えるならそれが一番なのさ。ちょっとばかり面倒だろうが、頼むよ」
「解りました。これくらいの量なら何とかしますよ」
 快諾する士郎に、老婆は目を細める。
「ほ、今時の若いものにしては素直でいいねえ。どこぞの院長やせんべい屋に、爪の垢を煎じて飲ませたいもんだよ」
「これくらいで音を上げていたら遠坂に何言われるか……」
 何気ない呟きに、ガレーンが動きを止めた。
 皺だらけの顔を歪めて、士郎をじっと覗き込む。
「ほ、成程。ただの師匠弟子じゃなさそうだと思っていたら、そういう間柄かい」
「な、何です……?」
「なあに、遠坂の一族が弟子をとるなんて珍しいからね。成程成程、それなら納得がいくよ。その様子じゃお前さん、尻に敷かれてるね。この先も苦労しそうだ、難儀なことだよ」
 ひょひょと、からかうような笑い声。
 ガレーンの言葉に、士郎は苦笑するしかない。
 どのような思考過程を辿ったものか、自分と遠坂凛との関係性は見抜かれているらしい。確かに、只の師匠弟子ではない。士郎の立場は、友人兼料理人兼弟子兼恋人兼凛専用執事といったところだ。日々の生活を鑑みるに、尻に敷かれていると言われても、反論の余地はあまりなかった。
 ひとしきり笑った後、ガレーンは僅かに好意のこもった目で士郎を見やった。
「頼んだよ。この時間なら冬木市に帰るのもそう大変じゃないはずだ。何か困ったことがあれば娘に――おや」
 ガレーンが唐突に言葉を切った。
 杖で地面を突き、じっと前方を見つめてる。士郎もその視線の先を追うが、当然そこには何もない。
「どうか――しましたか」
「ああ、どうかしたようだね。やれやれ、”何か”が来てしまったよ。招かれざる客、の形をとったのか。面倒なことさ」
 確かにこの老婆は、先ほど『何かが来るかも知れない』と言っていた。
 一気に苦虫を噛み潰したような顔になり、忌々しげに言葉が紡がれる。
「私があれこれ言うより見た方が良かろうね。ほれ、さっきの部屋に戻りな」
「は、はあ……」
 ガレーンの指示に従って、最初に入った部屋へと通じる扉に手をかけた。
 意外なほどに大きな音を立てて扉が開き。
 音を聞きつけたか、四つの瞳が士郎に向けられた。
 そこに居たのは、困惑した表情の人形娘と、何やらまくしたてていたらしい、一人の少年。
 その光景に老婆は眉をひそめ。
 士郎は驚きを浮かべた。
 それだけ予想外の人物だったからだ。
 見慣れた姿だ。
 見慣れすぎたと言っても良い。
 海藻を思わせる癖のある毛。士郎と然程変わりないであろう背丈。顔立ちはそれなりに整っているが、その視線はどこか揺らいでいる。
 こんな少年を、士郎は一人しか知らない。
「え、何でここにいるんだ?」
「衛宮!」
 士郎を見つけた表情が歪む。
 余程のことがあったのだろうか。
 情けなさそうな、心細そうな、心配そうな、そんな色。
 士郎は内心驚いていた。
 この少年がこんな顔をしたのは――見たことがない。
 そんなことを思っているうちに、少年は士郎の元へと駆け寄ってくる。ガレーンと人形娘は、視野にも入っていないのか。
「桜を……桜を助けてくれ!」
 少年――間桐慎二は、そう叫んで士郎の肩をがしりと掴んだのだった。





⇒to be continued in chapter-02 "Rotting Corpse"

投稿者: 日時: 2005年10月18日 22:54 Web拍手

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コメント: 連作クロスオーバー「アウレオールスの夜に」第一話

復活おめでとうございます!
見事な文章力に、ただただ感服いたしております。
(悔しさと恥ずかしさとで身悶えしながら読ませて頂きました)
ガーレンが存命ってことは夜叉姫伝前の新宿なんですね。

投稿者 ハーバード・西 | 2005年10月26日 22:48

コメント遅れて申し訳御座いません。

そうですねー、時間軸的に夜叉姫伝以前となります。
菊地先生の作品は今市時間軸が判然としないことが多いのですが……

投稿者 ヤス | 2005年12月20日 15:42

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