ID説について

 創造論というものがあります。
 大まかに言ってしまえば、生命は全て神が創造したものであり、進化論は正しくないという主張でして、一時は米国を席巻しました。科学教育に「創造科学」なるものを取り入れようとした試みも何度も行われています。幸いにして、それらの殆どは潰えていますが。

 ところがこの進化論、装いを変えて近年復活してきました。
 それがID説です。IDは"Intelligent Design"の略ですな。本日(8/28)の読売新聞朝刊でも取り上げられていたのでご存じの方も多いかと。

 物凄い荒っぽく要約してしまえば、全ての生物の複雑な構造は、「高度な知性」の手によって初めて完成するのあって、自然選択などによって進化したものではない、というような考え方です。
 根本にあるのは、設計を調べる事によって、あるものが知性ある別のものによって作られたのかそうで無いのかを判別する事が出来るという発想ですな。
 ID説の支持者は、「生物の構造はあまりに複雑であり自然淘汰により進化してきたとは到底考えられない。高度な知性ある存在によって設計されたに違いない」と主張しています。
 この主張からして、ID説が神による創造を公に語っていないだけの創造論なのはお解りいただけるかと。

 さてこのID説、提唱されたのは80年代後半ですが、90年代後半に入ってからかなりの勢いで広まっており、今世紀に入ってからは、アメリカの一部の州で教育に組み入れられるほどになっています。科学雑誌Natureや懐疑主義の総本山CSICOPもしばしば取り上げていますな。

 そういう思想を信じて主張するだけなら別にいいんです。どんな思想を信じようと個人の自由ですし。
 問題なのは、ID説を自然科学として教えようとしている点にあります

 まず、自然科学は思想ではありません
 自然科学の根幹にあるのは反証可能性です。いかなる説であれ、実験なり何なりによって検討され、棄却され得ます。当然進化論だってそうです。
 ですから、自然科学によって得られる結論は、突き詰めれば(True)(False)かです。
 そこには、信じる、信じないという発想が存在する余地はありません(そういう意味で、自然科学と人文科学を同列に論じるのは愚かな行為です。それぞれ、カバーしている領域が全く違いますからね)。

 そしてID説は自然科学ではありません
 高度な「知的存在」などというものを想定している時点で、失格です。反証不可能な仮説ですからね、高度な知的存在なんてのは。
 それに「知的存在による設計」なんて概念を認めたとたん、どんな証拠を持ち出したって「それはそう設計されたからだ」で終わってしまいます。ハエと人間では50%以上の遺伝子が類縁性を示しますが、それを進化の証拠と考えずに、「設計図の使い回しだよ」と答えられてはどうしようもないですよ。

 自然科学で無いものを自然科学として教育するのは、愚かどころか危険です。ID説支持者のやっていることは、本質的にルイセンコ論争と何ら変わりがありません。

 「進化論には科学的根拠がある」と理解するアメリカ人は僅か35%という、恐るべき調査結果もあります。
 これからまあ、どうなることやら。頭が痛い。

 もっとも、ここで「これだから米国は」と批判しているだけでは思考停止も当然。批判するだけなら誰でも出来ます。
 幸いにして本邦では創造説、ID説の支持者は少数派です。
 が、ですよ。同程度に思想を無批判に受け入れてしまっている人が結構な数いる、という可能性は十分ありましょう。一度、自分の信じている事柄を冷静にチェックする必要があるかもしれませんね。


 しかし「進化論教育についてどう考えるか」に対して、「様々な考え方を教えるべきだ」と答えたブッシュ大統領はマジでどうにかしてくれ。ちなみに発言のソースはこちらです(英語)。


●WEB拍手レス

>マッドサイエンティスト・カフェ!? 行きたいっ! というか、むしろ働きたいって感じですっ!

 働きたい、ときましたか! うーん、矢張りマッドサイエンティストというのは甘美な響きなのですな。いいよなあ、狂気の科学者。

投稿者: 日時: 2005年08月28日 19:55 Web拍手

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コメント: ID説について

お邪魔します。

 「逆は真ならず」ということすら分かっていないのではない
でしょうか。かつて写真誌のフォーカスで「幼い娘の描いた絵
に母親が思わせぶりな題を付けて現代画のコンクールに出した
ら通ってしまった」(外国の話)という記事を見たのを思い出しました。

投稿者 ブロガー(志望) | 2005年09月21日 23:16

三ヶ月遅れのコメント返しお許し下さい。
どうにも仰りたいことが今ひとつ判然としないのですが……写真誌の例は確かにそういうことがあるようですな。
現代美術で似たような話を見たことがあります。

投稿者 ヤス | 2005年12月20日 15:39

レスありがとうございます。

 歴史作家の井沢元彦氏が『逆算の論理』という事を述べてい
ます。具体的には「明智光秀イジメ伝説」「浅野イジメ伝説」
といったもので、「明智光秀を浪人から大名に取り立てた織田
信長を本能寺で討った」「刀を抜いただけで死刑になる江戸
城内で刃傷沙汰を起こした」といった「(常識では)到底考え
られない行為」を「説明」するために「織田信長の明智光秀に
対するイジメ」「吉良の浅野に対するイジメ」が「あったに違
いない」とするものです。「イジメがあった」事を示す歴史的
史料はありませんし、「浅野が天皇の使節の接待をするのは二
度目(段取りもわかっているはず)」「吉良は天皇の使節の接
待の総責任者だから、浅野が失態をすれば吉良も管理責任を問
われる」「大石の討入の口上書の中にも具体的な事実の記載は
無い(知っていれば討入の正当化のために書くはず)」です。

自分にはID説は典型的な『逆算の論理』に思えるのですが。

投稿者 ブロガー(志望) | 2006年01月10日 23:00

まあみんなスパゲッティ・モンスター様を崇拝せよということでFA。

投稿者 小太刀右京 | 2006年01月28日 17:37

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