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師走も末。円蔵山、柳洞寺。
しつこく続いていた霧雨が漸く上がっていた。覆いかぶさるかのように茂る木々から、水滴が石段を穿つ。
石と石が擦れ合うかのような音。何処からか、尉鶲の啼き声が響いた。
戦国の世から遠く離れても鳥は啼くものか。山門の影に佇みつつ、アサシンはそのようなことを思っていた。
先程山門を通っていったあの者。年の頃は己と然して変わらぬか、違っても数歳であろうか。
――良き武人であった。
アサシンはそう思う。
一度死し、また現世にある恥をしのんでまで自身がかの神父らに組しているのは、あのような者を見届けたいからである。
かつての山門における、セイバーとの一戦。あれは実に素晴らしいものであった。技量を尽くして打ち合うこそ剣士としての望み。其れは十二分に満足を得ている。
されど、あの折のセイバーを思い出すにつけ、戦を望むとは別種の心が浮かぶをいかんともしがたい。あれ程の優れた戦士に匹敵する者が無数に入り混じり刃を交わすとあらば。その一端なりとも見届けんと願うことを誰が責められよう。
山門にもたれ身を休める。
人の姿は、一つとて無い。
――人影など、あるはずもないか。
柳洞寺一帯には既に結界が施されているはずだ。魔術の心得がある者ならばともかく、常人には立ち入ることも、何が起きているか気付くこともかなうまい。
寺院で生活する者たちも、深い眠りについているはずだ。
アサシンはふと、天を見上げた。
昏い空。
黒い雲。
冷い風。
雨が上がり、雲が晴れつつあっても、どんよりとした空模様は変わらない。雲間から時折覗く陽光にも力は無い。
鈍い陽光に照らされた山門は、寺院特有の重い空気と相俟って、一種禍々しく聳え立つままだ。
清浄であるべき古刹が禍々しく見ゆるも、あながち気のせいではあるまい。
――ああ、そういえば
ぴくり。アサシンの瞼が微かに動く。
風の冷たさが身を切った。
鳥の啼き声。
身を切る風の冷たさ。
拍子木は無くとも、刻一刻と変容する空気の香り、森羅万象が、正しく今の刻を訓えてくれる。
「――逢魔が時であったな」
刻限は既に、未の四刻。
大禍時。転じて逢魔が時。
魔が跳梁跋扈し、禍を呼び寄せる時間。
確かに、状況は正しく大禍時である。今この時、この街で魔というならば――己も含めた、人ならぬ者どもなのであろう。
「――ほう」
、感心したような呟きを漏らすアサシン。
何時の間にか加わった、一つの気配。
大十字九郎やアル・アジフのものではない。かつて此処で刃を交えた騎士王や魔術師のものでもない。
そこにあるだけで、周囲を圧する強大な氣。明鏡止水とは正反対に位置する、己の全存在を誇示するかのようなそれ。
静よりも動。
沈黙よりも雄弁。
この気配には、覚えがある。覇王を思わせる力強さ。これは――
身を起こす。アサシンは口元で微かに笑うと、黙って行動を開始した。
ミラーワールドのアリス第十三話「柳洞寺剣風帖」
柳洞寺。
由緒正しいこの古刹では、山と境内の別は判然としている。一見すれば、都市に鎮座する良く整備された寺としか見えまい。
だが――
「――驚いたな。まさか、これ程とは思わなかったぞ」
境内を疾走する九郎の肩で、アル・アジフが不機嫌に呟く。
無理もあるまい。
「良く整備された寺」であるのは正に外見だけだ。
瘴気。
一帯を取り囲む結界。
濃く残留した、魔術の匂い。
寺が――いや、山そのものが息をしているかのような錯覚。
「成程、アサシンとやらが守っていただけのことはある。九郎、汝も感じているな」
「ああ。胸がむかむかしやがる。ここは――」
――良くない場所だ。
そう感じながらも、ふと、一つの疑問点。難しい顔のアルを見やる。
「けどよ、アル。そんな簡単に――言ってみりゃ、汚染なんて出来るもんなのか?この寺、元々はこんな場所じゃなかったわけだろ」
「うむ。普通ならば困難だな。だが、今回ばかりは、場が悪い」
「ってーと、どういうことだよ?頼むからもうちょっとばかし具体的に説明してくれ」
「ふむ、どう言ったものか。そうだ、九郎。綺麗な湖を汚すに、一番効率の良い方法はなんだと思う?」
「また突然だな。そうだなあ――汚い水を注げばいいんじゃないか?」
「正解だな。この寺はまあいわば、その湖のようなものだ。魔力の通り道であり集積地であり、土地そのものが強大な魔力を有している。本来の機能を果たして
いるならば、清浄な氣を放ち、心身を清めるに違いなかろう。区分化されずに、土地全体に魔力が広がっている故の効能ではあろうが」
アルは一端言葉を切る。鋭く九郎を見据えた。
「だが――それだけの魔力が、その一端を汚染されたならば、どうなると思う?」
「――成程、な。そういうことか」
得心がいった。
清水を満々とたたえた湖を汚すには、汚水を一滴でも垂らせばよい。其の汚水が高い濃度であればあるほど、汚れは湖全体に拡散してゆく。
湖には区切りなどないのだ。一端滴下された汚水は、ゆっくりと、だが確実に湖全体を蝕んでゆく。
柳洞寺で行われているのは、それと同じことだ。霊地全体を瘴気に溢れさせるには――禍々しいモノを、何処かに設置してしまえばいい。あとは放っておいても、汚染が進行するというわけであろう。
「こりゃあ、ますますヤバイな。アル、こっからはどっちに向かうんだ」
「そこの建物を迂回しろ。寺の裏手から、邪悪の波動を感じる。おそらく、これは――」
思案顔のアルを余所に、走り、跳ぶ。今は悠長に構えている場合ではない。
人の姿も、気配も無いのは気になるが、幸運として受け取っておくべきであろう。むしろ此処で寺の住人に気付かれたならば、トラブルは免れ得ない。誰も気付かないのをいいことに、目的の場所――強力な魔力の発生地点に向かい最短コースをとる。
お堂を迂回する。寺の構造は聞いていないが、そう複雑ではない。そこかしこにあった案内板と、アルの指示だけで十分だ。
ぐるりとお堂を回ると、寺院を覆うように茂る山林。此処から先は道もあまり整備されていないのだろう。むき出しの地面と、急な斜面。瘴気は益々濃くなりゆく。
「――この先だ。九郎、油断するな」
山に分け入る。がさがさ、がさがさと、木や葉がこすれあった音を立てる。先までの雨でじっとりと濡れたそれらがまとわりつき、九郎の肌を濡らした。
アルの言葉に従い、木々をかきわけて進むことしばし。
やがて、視界が開け――
「着いたようだな。ここが――」
「――ここが、元凶か」
九郎が足を止め、アルと頷き交わす。
其処に、目的地は、其処にあった。
山の裏手。人の手が入っていない、大きい沼。
あまり管理もされていないのか、周囲には鬱蒼と木々が茂っている。
自然の中で身を休めるには良い場所なのであろう。柳洞寺が龍脈ということもあり、沼といえども心身ともに癒されるようなスポットであるはずだ。
――本来ならば。
「――こりゃまた、酷いことになってるな。おいアル、どうすりゃいい?」
「しばし待て、九郎。おそらくここに、強い魔力を持つ呪物があるはずだ。彼奴らの狙いからすれば、おそらく――」
九郎が顔をしかめ、アルが答える。
元は清浄であろう空気は重く湿っており、今にも腐臭を放つかのよう。気のせいか、沼の水までもひどく濁っているようだ。
何よりも、一帯に立ち込める、邪悪な波動。九郎やアルにとって、夢幻心母やインスマスで感じたのと同類のそれである。
二人は知る由もないが、この沼、先の聖杯戦争においては、士郎、凛、セイバーの三人が、大聖杯と最後のサーヴァントとに対峙した場である。二度に渡り悪意に蹂躙されるとは、不幸な場としか言い様が無い。もっとも、それだけ強力な霊地ということでもあるのだが。
「――あれじゃないか」
沼の縁に立ち、全容を眺めやる。微かに濁った、広大な沼地。その中央にたゆたう――球形の白きモノ。
形としては、宝石、それも水晶に近い。というよりも、そのものだ。通常の水晶と違う点があるとすれば、純白に近いその色合い。そして何より、強烈に放出される魔力の気配。アルが厳しい面持ちで声をあげる。
「あの形状――古のものの水晶か!」
「えーと……そいつの説明よろしく」
「……全く、汝はつくづく物を知らぬな」
腰に手を当て、呆れたようにアルが溜息。
アルの説明によれば、古のものとは、太古の南極に棲息した生命体だという。水陸両棲であり、半ば植物めいた形状をした生物であった。海星のような五芒星型の頭と樽状の胴体。胴体からは触肢と膜状の翼が伸びているという――外見だけならば「怪物」の類だ。
だが、その外見に反して、彼らは非常に高度な知的生物であった。現在地球上に生息している有機生命体は、元を正せば彼らの手になるものだという説まであ
るほどだ。他の種族との覇権争いに敗れ、人類誕生以前に、地上からその姿を消す。一説によれば、南極近辺の深海にコロニーを形成し生き残っているともい
う。その文明の残滓は、1930年代、ミスカトニック大学の狂気山脈探検によって一部が確認されている。
「古のものの水晶は、彼奴らが残した呪物の一種だ。魔力を吸い上げ、貯蔵することや、魔力を引き出すことが出来る。便利な品ではあるな」
「つーことは、あれを使ってこの場一帯の魔力を吸ってるわけだな」
「うむ。この禍々しい空気もそのせいであろう。元来からして外宇宙の生命体が造り上げたものだ。地上の霊場にとって良い影響のあるはずもない」
とん、と軽い着地音。アルが九郎の肩から離れ、マギウス・スタイルを解除する。動きやすい装束の九郎と、フリルのついた一体型の服装をしたアル。御馴染みの姿で、二人は沼の縁に立つ。
「見たところ、特別な術式を施した様子はないな。これならば、水晶の魔力を抑えて取り除いてしまえばよかろう。妾は此処で水晶を抑えるゆえ、九郎、頼むぞ」
「いやちょっと待て、アル。この格好で沼の中に入ってあれ持ってこいってのか?」
「当然であろう?汝ではあの力を抑えきれまい。安心しろ、九郎の服が汚れていても妾は気になどせんよ」
「気にするって!というか、お前のも含めて洗濯すんのは俺なんだぞ!?」
ぶつくさと軽口を叩きながらも、沼に足を踏み入れようとした、その時。
「ほう、魔導書の類にその主か。まあ、今は貴様らに用は無い。退くがよい」
「――ッ!?」
電撃にうたれたように、九郎とアルは寺院を振り仰いだ。何時からそこにあったのか、はちきれんばかりに場を圧する、強烈な気配。
良く通る声の元を探し、空を仰ぐ。
寺院の屋根。瓦張りのそこに立つ影一つ。
黒のライダースーツ。無造作ながらも綺麗に流れる金の髪。腕を組み、傲岸不遜に見下ろす、紅い瞳の若者。
「――あ」
どくん。
心臓が早鐘を打つ。
九郎の直感ががんがんと警鐘を鳴らす。
ヤバイ。
こいつは、ヤバイ。
一瞥しただけで危険とわかる相手が無かったわけではない。六人各々が、吹き付けるような殺意の持ち主であったアンチクロス。邪悪の顕現、マスターテリオン。そして何より、這い寄る混沌ナイアルラトホテップ。
だがこの男は――違う。
殺気が無い。
より正確に言えば、殺気は無い。
纏っているのはただ一つ、濃厚極まりない威圧感。誰であろうと、その前では膝を折り頭を垂れる他あるまい。端的に言えば、帝王にのみ許される、理を超えたカリスマ性の顕現である。
しかも、殺気が無いというのは、殺す意図が無いということを意味しない。人は殺す相手を同格と認識せぬ時に、殺意を放つであろうか。否だ。邪魔者であるから排除する、という論理に殺意殺気は無用。
下手に動けば、その場で自分の命脈は尽きよう。いや、動かなくとも、障害と認識されれば刹那に排除されよう。
強大なライバルがいた。邪悪な敵もいた。だが――否応なく膝を屈さねばならぬと感じる相手は初めてだ。蛇に睨まれた蛙の如く、身動きがきかぬ。
「……ふむ?セイバーも此処にはおらぬか、骨折り損であったな」
とん。
硬直する九郎とアルを尻目に、男は何やら一人ごちて地に降り立つ。
他者の存在など眼中に無いかのように、沼へと分け入る男――説明の要はあるまい。九郎とアルは知らねど、英雄王ギルガメッシュである。
「これが水晶球とやらか。ふん、言峰め。かような玩具を用いて何を企んでいるのやら」
手を伸ばす。
回収か、何らかの手を加えるのか。
古のものの水晶に、その手が触れようとする直前に
「待て、それを奪わせるわけにはいかん!そもそも、貴様、何者だ!」
呪縛から解き放たれたかのように、アルが声をあげる。
「……何?」
ゆっくりと――ギルガメッシュが振り向く。
「何者か――だと?」
面相が歪む。
無礼な臣下に己の行為を咎められたかのような、不機嫌そのものの表情と声。
ただそれだけのものに、九郎とアルは完全に動きと声とを封じられていた。まるで、絶対的で横暴君主に対し、無遠慮な諫言をしてしまったかのような緊張と危機感。今すぐ膝を折って謝ってしまいたい、という欲求が全身を駆け巡る。
腹腔に力を貯める。恐怖に負けてはならない。怯えてはならない。き、と顔をあげ。真っ向から、見据える。
「悪いが、今それを渡すわけにゃ――」
何とか絞り出した九郎の言葉は
「たわけ!いつ我が、貴様らへの問いかけを許したというのか。我は退けと言ったのだ。疾く退くが礼儀であろう!」
「――っ!?」
朗々とした怒声にかき消された。
全く同時に、風を切る音。
ギルガメッシュの威風に圧倒されながらも、その音に反応して瞬時に飛び散ったのは流石であった。
つい今まで九郎とアルが立っていた沼の縁。地面に突き立つ、一つの剣。
しかし、何処から、如何様にして取り出し撃ったのか。先の聖杯戦争を戦ったものならば、嫌というほど見知っておろう。
――「王の財宝」。空間を宝物庫へと繋ぎ、自由自在にあらゆる武具を呼び出す宝具。EX級にランクされる、英雄王ギルガメッシュの力の根源。今の剣も、これによって呼び出され、射出されたものである。
しかし、九郎もアルもそのような事実は知り様が無い。何も無い空間から突如、武器が飛んできたとしか思えなかろう。
沼地中央近くに立つギルガメッシュ。縁にて左右に別れ構える九郎とアル。
九郎は己と奴との距離を目測する。
10メートル弱といったところか。クトゥグアやイタクァならば十分に射程圏内。跳びかかって格闘戦に持ち込むのは多少厳しいが、やって出来ないことはあるまい。
だが、今しがた撃ち出された剣の脅威と、威風堂々の風采とが逸る心を鈍らせる。
それにも増して、己を躊躇させるのは、直感の声。
理由はわからねど、下手に手を出せば待つ結果は一つだけだと、全神経が告げている。それはあまりにも濃厚な死の気配。迂闊に身動きをすれば最後、剣の山が己を貫き一環の終わりとなろう。
それは、予感ではなく確信だ。
アルも同じことを感じているのか。突っかかる様子が無い。速攻を得手とする二人にとって、今の状態は非常に――マズい。
硬直している二人を眺め、英雄王は鼻で嗤った。腕を組み、蔑みの目で見下す。
「追い払う程度でよかろうと思うていたが――気が変わった。この場で排斥したとて、さして問題もあるまい」
一つ。
また一つ。
さらに一つ。
その背に、剣が浮かぶ。形状は様々。長剣、短剣、螺旋剣、その他諸々。
一つ一つが、必殺の威力を持つ宝具。サーヴァントをも容易に滅する伝説級の武具だ。万が一にも直撃をうければ、世界最強の魔導書とその主とはいえただではすむまい。
くるくると、ギルガメッシュが指を回転させる。連動してあちこちに刃を向ける宝具たち。
やがて指先はぴたりと静止し、切っ先もまた一点を指した――そう、アル・アジフを。
「光栄に思え、魔導書。この我直々の手にかかるのだからな」
アルは答えず、動かない。
よくよく見れば、“古き印”を模した光が浮かんでいる。アルの得意とする防御術壁だ。宝具の雨を、魔力で防ぎきるつもりだろう。
だが、九郎にはわかる。
無理だ。
いくらアルでも、全てを防ぐことなど出来っこない。
一度解放されたが最後、あの武具の群はその悉くをもってアル・アジフを貫き蹂躙しつくそう。
警告は間に合うまい。幸いにして、王は九郎を欠片ほども警戒しておらぬ。まるで、己以外には誰もいないかのような傲岸不遜。
ぱちん。
ギルガメッシュの指が鳴る。
宝具が飛ぶ。
そして、九郎が――地を蹴って跳ぶ。
「駄目だアル、よけろっ!!」
「っ、九郎っ!?」
半ば本能的な行動だった。
宝具がアルを針鼠とする寸前。小柄な体を突き飛ばす。
無論、自分も留まっているわけにはいかない。もう一度、地面を蹴ろうとし――
ずん。
胴体に灼熱感。
意に介さず、まろび転がる。湿った地面に転がったせいで、せっかくの一張羅が台無しだ。
のんびりはしていられない。足を踏ん張って、立ち上がろうとする。
おかしい。
力が入らない。
頭はくらくらする。
視界がぼやけている。眩暈が止らない。
腹部に違和感。ねっとりと、何かが伝っている。
見下ろせば、腹から突き出た鋭い刃と――じくじくと流れ出る、血。
――これは
剣が刺さっている。腹腔を貫いている。
ごぼり。喉元から、せりあがる血の塊。
――そうか、さっきの熱い感覚は
頭が茫とする。今すぐ、眠りたい。
いや、まだ駄目だ。あいつがいる。あの金ピカが。このままじゃ、ヤバイ。
――そういえば、アルは
首を捻じ曲げる。ぼやける視界の中で、アルが何か叫んでいる。幸いにして、無傷のようだ
――ああ。無事で、よかっ――
どさり、と。地に何か倒れる音の元凶が、己の体だと気付いたかどうか。
そうして、大十字九郎の意識は闇の中に堕ちていった。
「九郎……っ!!」
悲痛な叫びをあげ、アル・アジフは倒れた姿へと駆け寄る。
一瞬のことだった。狙われていると気付き、防御術を展開。武具の山が放たれた刹那に、防御を選んだ愚を悟った。
覚悟を決めたその刹那に、九郎が突き飛ばしてきたのだ。
結果として己は無傷で助かり。主は腹部を貫かれて地に伏した。
脈を取る。呼吸を確認する。生命反応はある。幸いにして、即死クラスの致命傷ではないようだ。刺さった刃を無理に抜かずにおけば、大出血の危険性もなさそうだ。要するに、早めの治療さえ行えばどうにかなる傷。
そう――「早めの治療」が、今、この状況で許されるならの話だ。
唇を噛む。打ちひしがれるアルへとかかる、嘲笑うかのような声。
「小癪な真似を。だが、無駄な努力だ――すぐに後を追わせてやろう。感謝するのだな、娘」
ギルガメッシュは片目を瞑り、左腕を天へと伸ばす。
デュランダル。
ヴァジュラ。
ダインスレフ。
呼応するかのように、背後に浮かぶ宝具の数々。
アルの全身の神経が緊張を伝える。どれ一つをとっても、伝説級。直撃すれば己を確実に滅せる――とまでは言わねど、行動不能に陥れるには十二分な代物である。一歩間違えば、致命傷、あるいは己の消滅は免れ得まい。
だがそれとわかっていても、今度もアルは動かない。己のマスターを庇うかのように、傲然と英雄王を睨み付け、立つ。
動けないのではない。威圧感に気圧されたのもある。無闇に動けばかえってダメージが大きいだろうという目算もある。だがそれ以上に、今動けば――九郎は
無防備のまま宝具の嵐にさらされることとなる。そうなったならば、間違いなく命はあるまい。魔力の全てを使い切ってでも、一撃たりとも九郎の元に届かせる
わけにはいかぬ。
感心したかのように、ギルガメッシュが目を細めた。嘲笑ったのかもしれない。
「殊勝なことだ。ならば、諸共に消えるがいい。その姿、一片たりとも残しはせん――!」
ぱちん。
指が鳴る。
中空に浮かぶ宝具が奔り――
「――無粋な」
涼やかな声と共に、刃の一閃が宝具の悉くを斬り捨てた。
「――汝は!」
「貴様――!」
アルとギルガメッシュの叫びは、共に驚きに彩られていた。
ギルガメッシュにとっても、予想外の事態であったに違いない。取るものも取り合えず、後方へと跳ぶ。咄嗟の展開に、現状を正確に把握するためか。そこには、欠片ほどの油断も無い。あるいは、新たに出現したソレと、正面から打ち合う愚を避けたかったのやもしれぬ。
煌く銀閃を手に、樹の影より出でるその姿。
錆を帯びた、静謐なる雅声。山門の守護者――アサシン・佐々木小次郎、推参。
「行くがよかろう、“ある・あじふ”よ。此処にてかの王と刃を討ち合わせるも、また一興」
九郎とアルに背を向けるように立ち、アサシンは事も無げに言い放つ。
アルは戸惑った。
成程、アサシンの腕は折り紙付きだ。
山門で目にした恐るべき技、長年の戦いでも類をみぬ程に秀でたものであった。
だが、あの金髪に勝てるのか。奴は伝説クラスの宝具を無数に引き出し、自在に操る怪物だ。いかに優れた技を持とうと、一つの刃のみを頼みとする武者が互角に戦えるとはとても思えぬ。
そもそも――何故アサシンが、自分たちを助ける?
山門での一戦は確かに、こちらが見逃してもらったようなものだった。あの折交わした言葉からしても、かなり好意を抱いていることは間違いなかろう。
だがそれでも、敵味方の関係にあることはかわりがない。
なぜ――
「思索に耽るもよかろうが、少々急くべきであろうな。医の心得はあらねど、その者の傷、放っておくは上策ではあるまい」
声に意識が引き戻った。
思考を中断し、息をつく。
悠長に考えている場合ではない。九郎の容態も一刻を争う。迷っていても、考えていても答えは出ない。ならば――
向き直る。
「汝の提言感謝する。だが、一つだけ問いたい――奴とその業、汝はどうみる?」
ギルガメッシュを目で示し、問う。どうみるか。つまり――無限の宝具を自在に操る怪物を敵として、生き延びる目があるのかどうか。
「あれぞ王相であろう。用いるは神域に近き武具の数々。我が技と得物で抗し得るなどという理、常ならば成り立つまいな」
事も無げに言い放つ。他人事であるかのような無造作な物言い。何か言い募ろうとするアルを瞳で制し、言葉を紡ぐ。
「だが、な」
不敵に笑う。五尺に及ぶ長刀が、雲間からの弱い光を照り返す。
「ただの刀が幾千万の宝具に及ばぬという理もまた在りはせぬ。百が至れば千を、千が来たれば万を。我が刃をもって、その悉くを斬捨てよう」
何のてらいもなく、言い切った。
「――」
押し黙る。こうまで言われて反論することが出来ようか。そもそもからして、願ったりかなったりの申し出なのだ。ここに至れば、アルの取るべき選択肢は一つである。
魔力をこめ、横たわる九郎を宙に浮かべる。流石にアルが背負うなどするのは無理だ。どうにかして休める場所に運ばねばなるまい。
「――武運長久を祈る」
「お主もな」
駆け出す。一度動き出せば、もう迷うことはない。
数秒を待たず、アル・アジフと、其の主は沼地から姿を消した。
九郎を抱えたアルが去り、しばし。
沈黙を守っていたギルガメッシュがようやく口を開く。今の今まで大人しく黙っていたのは何故か。覇王の誇りか、アルとアサシンとまとめて渡り合うは分が悪いとみたか。
それは、ギルガメッシュにしか解るまい。
「念のため問うぞ。アサシン、邪魔立てをするとは、何の――」
口上遮り、アサシンは瞳閉じて薄く笑む。
「何のつもりだ、など月並な問いはしてくれるな、英雄王。釈明が入用とも思えぬ。彼らの如き良き武人の命脈、かような場で絶えるには少々惜しいというだけの話よ」
「ただそれだけの為に刃を向けるか。ハ、我も随分と軽くみられたものだ――」
ギルガメッシュの表情が一変した。余裕綽々で浮かべていた笑みが消える。今にもアサシンを射殺しそうな風情。
「この我の邪魔をし、あまつさえ剣を向けた無礼、とても許されることではない――相応の覚悟は出来ているのであろうな」
アサシンは世間話でもするかのように答える。
「一々口上を述べるが貴国の流儀か?逢魔が時、霊地に英霊が二人――無益な言葉を交わす前に為すべきことがあろう」
「良く吼えた。望み通り――王の力、その身でもって知るがいい!」
宝具が跳ぶ。
五尺の長刀が鞘走る。
禍の沼地は、英傑二人の戦場と化した――
***
アル・アジフは山門へと辿り着いていた。
九郎に息はある。道々治療の術を施してきたせいもあり、容態は致命的なまでの悪化を免れていた。
だが、容態は悪化していない、というだけだ。好転はしていない。治療の術もいつまでももつとは限らぬ。つまりは、時間の問題であった。
一刻も早く、丁寧な治療の出来る場に運ばねばならない。しかし何処に足を運んだものか。アーカムシティと違い、冬木市は表面上何ら変哲の無いごくごく普
通の日本の市町村だ。住人も変事に免疫があるわけではない。人ならぬ身の自分が、腹に剣を刺した青年を連れて病院に駆け込むというのは、少々リスキーにす
ぎる。
――遠坂の邸宅に向かうしかあるまい。
そう決意したところで、山門から覗く空を見上げた。冬空はすぐに暮れる。早くも街は闇に閉ざされつつある。
闇の中。さらに暗い、一つの気配に向かい声かける。
「汝も来ていたのか。だがな、今はかかずらっている時間がない」
呼びかけに応えてか。ふわりと、山門に舞い降りる一人の青年。
闇から抜け出てきたような、黒衣の姿。天上の美貌は、目にしたもの全てを忘我の境地に誘うだろうか。言わずと知れた秋せつらである。
だが、ここにいるのは教会で出会った茫洋たる、春の陽の如きうららかな青年ではない。今の季節に相応しい、凄烈ともいえる気配。触らば切れんといった刃の趣。せつらをよく知るものならば、今の彼が「私」であることを悟って慄然とするであろう。
「やられたか」
九郎に一瞥くれ、せつらが呟いた。声には感情の欠片も含まれてはいない。冷たい独白そのもの。アルが不機嫌に返答する。
「妾の不注意でな。遠坂の娘の屋敷にでも運び、治療の術を施す他あるまい。いかに九郎でも、この状態で放っておくわけにはいかぬ」
そこまで述べ、アルはふと面を上げた。何か思いついたかのように、じっとせつらを見やる。
「――幸いに、魔術的な外傷ではないのだ。秋せつらよ、汝の持つ治療具を貸しては貰えまいか?」
「――」
せつらは冷たく見据えるのみ。頷きもせぬ。断りもせぬ。いつものことだ。
アルの言うのは、<新宿>製の応急キットである。応急用とはいえ、効果は折り紙付き。双頭犬や毒蜘蛛といった、凶暴な妖物による負傷を前提として製造さ
れている。<区外>での救急治療病院に匹敵する性能を持っていると思えばほぼ間違いが無い。九郎の容態を安定させるには、何とか足りるであろう。
数秒を待たず。
とん。
手元目掛けて何かが落ちてきた。見れば<新宿>製の応急キット。アルは驚きと懐疑の表情で、せつらを見上げる。
「――随分と気前が良いな、秋せつら」
「遠坂凛の邸宅には、私が運んでも構わん」
せつらを知るものからすれば、自分からこんな申し出を積極的にするなど、驚天動地の類であろう。「ぼく」ならばともかく、今の秋せつらは――
「――ふん、“私”、か」
アルが不機嫌そうに鼻を鳴らした。しばしせつらをねめつけた後、険のある声で言葉を継ぐ。
「願ったりかなったり、といったところだ。しかし正直に言うとな、妾は汝をさして信用しておらぬ。汝は如何なる理由があろうと、善意からそのようなことを申し出る輩ではないはずだ――」
強い翡翠の瞳が、黒衣の美貌を正面から見据える。
「――何を企んでおる、秋せつらよ」
せつらは答えない。夢のような美貌は、あらゆる感情を拒絶したかのように佇み、アル・アジフを見つめるだけだ。常人ならば二秒と持たずにその美に魅入ら
れ言葉を忘れるか、全意志を振り絞って眼を逸らすしかあるまい。一刻を争う時といえど、真っ向から見つめ顔色一つ変えぬアルは、流石といえた。
ゆっくりと、せつらが口を開く。
「奴らの目的には気づいているな、アル・アジフよ」
「無論のこと」
「余人は、<新宿>は魔界、この世ならぬ街だという」
せつらは呟いた。
「住んでみればわかる。<新宿>もまた、生ある者の街だ。如何なる方法であろうと、本来この世ならぬ者を受け入れることは許されない。まして、第二第三の<新宿>を、そのような輩のために生み出すなど、なおさら――」
「なれば、汝は如何とするのだ?」
「排斥するのみ――そう、私の名において」
瞳に微かな感情の色が浮かぶ。鋭い視線が、真正面からアル・アジフを射抜いた。
「そしてアル・アジフよ。お前にも為すべきことがあるはずだ。世界最強の魔導書の名において――」
「つまりはこういうことか。九郎を取り置いて、やるべきことをやれ――と」
答えも首肯も無いのが、肯定の証明である。
つまりはせつらは、今の九郎は戦力にならぬと言っているのだ。わざわざ自分が手を貸してまで蚊帳の外に置いておきたいということであろう。
アルにすれば認めがたい言い草だ。そもそも大十字九郎は実戦レベルでみれば、技術体力共に一流である。重傷ではあるが、ある程度容態が安定すれば意識を取り戻すだろう。数時間もすれば動けるかもしれない。甚だ心外である。
だが、今は一刻の猶予も無いのも、また事実だ。
柳洞寺の瘴気は晴れぬまま。遠坂の娘と衛宮士郎が向かった先にも、相当に強力な術者が控えていよう。悠長に治療をしている暇があれば、自分たちにとって状況が好転すべくよう動くのが最善であろう。
「――」
逡巡。一分に満たぬ沈黙の末、アル・アジフが選んだのは
「――承知した」
身を切る思いで九郎をせつらへと渡した。このような状態にある最愛の主を他者の手に渡すことに抵抗がないわけがない。
だが――ここで己が情に流され付きっきりとなってしまっては、九郎は喜ぶまい。何も状況が変わっておらぬ柳洞寺と、沼地で会うた覇王。吸血鬼・馬呑吐
に、底知れぬ神父。問題は山積みのままだ。大十字九郎という人間ならば、アルを叱咤激励して底知れぬ精力で動き回るところだろう。
「九郎を――頼む」
万感の願いをこめてそれだけを告げ、アル・アジフはまた走り出す。視界の片隅、せつらが九郎を抱え跳ぶのが見えた。此度の目的地は、冬木中央公園。どう事が進むにしろ、一旦遠坂凛や衛宮士郎と合流せねばなるまい。
――そして、その冬木中央公園では。広場にて激戦が繰り広げられていた。
(第十三話・了)
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