称好(ニイハオ)。勝手にあがらせて貰っていますヨ」
 背にそんな言葉が投げかけられたのは、言峰が私室に戻った時だった。
「馬呑吐か」
 言峰は振り向くこともしない。木製の机に腰かけ、何やら思案にふける態。その背後、淡い光に照らされて浮かぶ、丸い黒眼鏡にコートの肥満体――馬呑吐。
 馬は遠慮なく言峰の眼前に座る。重量に木の椅子が軋み悲鳴を上げた。
「古のものの水晶。ワタシの扱う中でもとびきりの貴重品ネ」
「ふむ。設置のほうはどうなっているかね」
「柳洞寺に一個。中央公園に一個。遠坂サンのところで、大十字九郎に邪魔されて置いてこれなかったのがこれヨ」
 馬が黒塗りのスーツケースを開く。そこに、水晶があった。正確には、外形が水晶であるモノ。不思議なことに、水晶本来の輝きと色合いはそこになく、室内を照らす白熱灯よりなお白い輝きが、全体を満たしている。いわば、白水晶か。
 ――古のものの水晶。この呪物、ひいては地球外生物“古のもの”の発見に関しては、ミスカトニック大学探検隊の手になる「狂気山脈」の探検記に詳しい。現代からでは及びも付かない未知のテクノロジーを駆使していた“古のもの”。その遺産である、白水晶の力は――
「ただこれだけのものが、一帯の魔力を吸い上げ蓄えるとはな。流石は、超古代の技術といったところかね」
 スーツケース中央に鎮座する水晶を見つめる言峰。その瞳には、明らかに好奇の色がある。最も、それは純粋な好奇心によるものでなく、己の目的に如何様にして使えるか、という種ではあろうが。
「これ以上のモノも無いわけじゃないけどネ。払うものも払ってもらったし、ワタシはもうお役御免かネ」
「冗談も休み休み言ってはどうかね?名うての長生者(エルダー)のお前が、ただの商売(ビジネス)や酔狂で私に接触してくるはずもない。ましてや、吸血騒ぎを起こし場を混乱させるまでやるとは、いやはや、大したものだ。我々の目的が成就すれば、そちらの目的達成への近道となる。大方、フルカネリ機関と五行器が目当てといったところか」
「……全く、喰えない人ネ」
「さて、お互い様ではないかね」
 ニヤリと凄みのある嗤いを浮かべる馬と、涼しげに受け流す言峰。フルカネリ機関、五行器。謎めいた言葉を肴に、妖人二人が向かい合う光景は実に不気味なものであった。
「ま、今はコレを届けにきただけ。お代は貰っているし、好きに使うといいヨ」
 それだけを告げると、床にこすれそうなほど長いマフラーをなびかせ、馬呑吐は扉へと向かった。特別な挨拶は無い。言峰も言峰で、淡々と水晶を見つめているのみだ。
 数秒。
 数分。
 十数分。
 ふう、と息をつくと言峰は水晶から眼を離す。底知れぬ暗い眼光と、皮肉げに歪んだ口元。かたり、と席を立つと、後ろ手に組んで窓から空を見上げた。
「さて……そろそろ、本幕最後の役者の出番か」
 呟く。その響きと共に、扉にはまた何者かの影が現れ出でていた。




ミラーワールドのアリス第十二話「混迷の街」






(……マズイな、こりゃ)
 柳洞寺の山門にて、マスター・オブ・ネクロノミコンとサーヴァーント・アサシン
が対峙して数分。大十字九郎は、心底危険を痛感していた。
 互いが名乗りを上げてより今まで、足の一歩とて踏み出せていない。一撃を送るなどもってのほか。
 マギウス化により強い強度を保つべく、灰がかって硬質化した肌を汗がつたう。緊張の汗と、冷や汗だ。
 見るべきものが見れば、九郎の焦燥と緊張の理由を一目で看破したであろう。
 原因は対峙する武者、アサシン佐々木小次郎の構えにあった。
 それは、実に奇妙だった。足を肩幅に開き、物干竿と呼ばれた長刀をやや寝かせて保つ。ただそれだけだ。
 だが、ただそれだけゆえに――あまりに奇妙な構えであった。
 それは。
 アンチクロス・ティトゥスのような触らなば斬れん、といった趣ではない。
 執事ウィンフィールドのように、静謐にして鋭利というわけでもない。
 アサシンはただ無造作に、五尺にも及ぶ刀を手に悠々と佇むのみである。
 殺気も無く、殺意も無く、ただ透明に、そこにあるのみ。素人目には無造作に立っているとしか見えないかもしれぬ。
「何をしている、九郎!出方を待つなど、汝らしくもない!」
「……」
 耳元でちびアルが叱咤した。九郎の性格を考えれば、最もである。
 九郎は本来、敵の出方を待つタイプの戦士ではない。攻と防との別でいえば、明らかに攻撃に偏った力の持ち主である。策を弄するよりも、正々堂々と正面きって叩き潰す。正真正銘の闘士である。
 同時に、殺気と闘争本能を丸出しにした猪武者でもありえぬ。アーカムシティにおける一連の事件に関わる前ならばともかく、現在では既に、世界と調和し人の域を超えた力を汲みだす、熟練の魔術師である。勇気と無謀とを履き違えることなど、早々はあるまい。
 それだからこそ――九郎はアルに答えず、アサシンへと先手をうつことが出来なかったと言って良い。
 幾多の戦を潜り抜けてきた直感が告げるのだ。

 ――下手に近づけば斬られる、と。
 
「ほう――なかなかの手練。手合わせせずとも私の腕を見抜いたか」
 錆を含んだ美声が耳に届いた。雅ですらある。
「だが、木偶の如く立っているだけでは芸があるまい。私はいつまで待っていても構わぬのだが――其方にはあまり猶予が無いと見受ける」
 アサシンの言う通り。いつまでもお見合いをしていられるような場合でもない。九郎とアサシンの腕試しでも何でもない。少なくとも九郎にとって、これは柳洞寺境内に向かうための、障害排除なのだ。
「しゃあねえ!行くぞ、アル!」
「応よ!」
 九郎の叫びと共に、一振りの朱塗りの大剣がその手に握られる。
 ――バルザイの偃月刀。
 剣としての用途の他、魔術的な触媒としても機能する優れた魔導具。アーカムシティにおける一連の事変においては、大十字九郎とアル・アジフにとっての主 戦力の一つであった。アーカムシティのビルを両断し、アンチクロス・ティベリウスをも易々と切り刻んだことからも破壊力の程は容易に察せられよう。
 石段を蹴り、跳ぶ。アサシンまでの間合いは六間ほどといったところか。マギウス化した九郎の身体能力からすれば、一足一刀の間合いである。
 びゅん。
 偃月刀が振り下ろされる。
 アサシンは動かぬ。
 いや、動かぬのではない。九郎の動きと偃月刀の軌道から振り下ろされる位置を判断し、ミリ単位で身を逸らしているのだ。いわゆる“五分の見切り”。歴史上においては、宮本武蔵や柳生十兵衛といった達人が可能とした高等技術である。
 当然の帰結というべきか、九郎の斬撃はアサシンの髪の先端ぎりぎりをかすめるのみ。
「――はあっ!」
 返す刀で切り上げる。本来振り下ろされ、石段に食い込むであろうそれを力任せにねじり、今一度の斬撃を。やや強引ながらも、形としてはニ連撃。速さも申し分なく、並みの相手なら易々と切り伏せよう。
 だが――
「ほほう、良い腕だ。しかもその刀、日本刀とも西洋の剣とも違う。なかなかに、興味深いものよ」
 余裕綽々で身をずらすのみのアサシン。当人はまだ刀の一撃すら振るっておらぬ。
 九郎の耳元でアルが叫ぶ。
「九郎、接近戦は彼奴が上だ!あれを使え!」
「ちいっ、しゃあねえか!」
 重厚なる黒にして苛烈なる赤。自動拳銃(オートマティック)「クトゥグア」。
 精錬された銀にして耽美なる銀。回転式拳銃(リボルバー)「イタクァ」。
 偃月刀を石段に突き立て、間合いを計りつつ取り出されるは二挺の魔銃。くるり、と、無骨なフォルムを一回転させ
「吼えろ、クトゥグア!」
 悠々と石段を踏み構えるアサシンに向かい、自動拳銃が火を吹いた。炎の神性、クトゥグアを宿す魔弾は、空気を焼き喰らいながらアサシンを貫かんとす。その威力、速度、並の拳銃の比ではない。
 だが、アサシンにはその全てが無意味。
 所詮、銃弾の動きは直線。これならば、セイバーの斬撃をかわすほうが、余程困難。余裕の表情崩さず、体を少しずらすのみ。それだけで、銃弾は本来穿つべく相手を貫けぬ。
 ごおん。石段のやや上方で、鈍い音。
 クトゥグアより放たれた弾は、山門の上部を破壊するに留まった。
「これで終わりかな?」
「承知の上だぜ、イタクァ!」
 左手に握られた回転拳銃が跳ね上がる。正確に、二度。
 着弾のタイミングはほぼ同時。弾の数もクトゥグアの倍。そして何より――
「――ほう」
 アサシンより感嘆の響きが漏れた。直線とみえた銃弾の動き、だが、それは放たれた直後のみ。横、斜め、縦、そしてまた斜め。物理的にあり得ない軌道を描き、銃弾が襲いくる。仮に見切りでやり過ごそうとしたとて、そこでまた軌道を変えてくるやもしれぬ。
 果たして、はじめてアサシンが動いた。
 大気を切り裂き、銀光が走る。五尺を上回る長刀、物干し竿は、一瞬にして弾二つを弾いていた。
 いや、弾いていたというより、斬っていたというべきか。音立てて石段に落ちた弾は、見事真っ二つに断ち切られていたからだ。
「これで終わり、などということもあるまいな」
 とん、と。刀の背を肩にかついて流し目一つ。余裕のアサシンに対し、九郎の肩に浮かぶアルも不敵に笑み浮かべ返す。
「ふん、当然よ!いけ、九郎!」
「応!クトゥグア!イタクァ!!」
 轟音と共に二挺の拳銃が吼えた。
(もらった……!)
 九郎とアルは勝利を確信したと言って良い。放たれたはクトゥグアの一弾、続いてイタクァの六弾全て。
 先の二回、即ちクトゥグアとイタクァの銃撃はアサシンの力を見切るためであった。
 仮に、アサシンがクトゥグアの一弾をかわし、先に見せた剣技でイタクァの二弾を斬ったとしても、四弾が残る計算だ。アサシンの超人的な見切り――即ち心眼と、剣術をもってしても四方向から襲いかかる魔弾を封じることは出来まい。
 なればこその、クトゥグアの一弾と、イタクァの全弾の同時発射。
 五分の見切りでクトゥグアをやり過ごす。そこに襲来する六つの魔弾。その全ては確実に、複雑精妙な軌道を描いてアサシンを襲う。魔弾の射手、と呼んでも遜色ない威力と精度である。
 イタクァの銃弾が空気を凍らせ、疾る。
 迎え撃つは、縦に弧を描く長刀・物干し竿。
 二弾を斬り落とす。
 残る四弾が、アサシンを貫かんとした、刹那。
「秘剣――」
 物干し竿が、疾った。
「――燕返し」
 横に、斜めに刀が弧を描く。そう、最初の二弾を斬り捨てるのと、全く同時に(・・・・・)
 きいん。
 鋼の打ち合う音は、一つだけだった。いや、正確には六つのはずなのだが、一つにしか聞こえなかった。マギウス化した九郎の聴力を持ってしても聞き分けられぬ程の瞬時に、アサシンは六つの弾を斬っていたこととなる。
「……冗談だろ……」
 呆然。次の策も忘れ、九郎はアサシンを見上げた。
 その声はある種の呆れを宿していたかもしれない。当然だ。満を持して放った、弾着箇所と時間を完全に計算しての銃撃。己の意により操作可能な銃弾。標的を同時に貫くはずが、相手によって同時に斬り落とされるなど、誰が思おう。
 唾を飲み込み、喉を湿らせる。肩口からのアルの声も揺れている。
「信じられん――多重次元屈折現象だと……?」
 アルが息を呑む。アサシン、佐々木小次郎の秘剣・燕返し。多重次元屈折現象という最高難度の魔術を技量によってのみ可能とした、宝具級の剣技。かの騎士王も同じく驚愕したのを、アルは知らぬか。
「ふむ、僥倖に過ぎぬよ。いたくぁ、とか言ったか。その全てを斬れたのは、貴様の腕が優れていたゆえのこと」
「どういうことだ……?」
「燕返しは、空を舞う燕を斬るためのみに編み出した技でな。二、三といった物を一度に斬ることは本来出来ぬよ。ただ、先の飛び道具、私を狙って一箇所に集まっていた様子。複数の物といえど、一点に集まってしまえば、一つを斬ると何も変わらぬだけのこと」
「簡単に言ってくれるな……」
 思わず憮然として愚痴る九郎。当然だ。アサシンは事も無げに言い放っているが、その内容はとても真似出来るものではない。六つの弾丸全ての軌道を見切り、一点に集約した時をもって狂い無く技を放つなど、既に人間業では無い。
 額を汗が伝う。空気が冷たい。
 力量の差は圧倒的だろうか。ぎりりと歯を鳴らし何かを呟くと、九郎は、石段よりバルザイの偃月刀を抜き放つ。
「ちいっ!飛べ、偃月刀!」
「待て、九郎!焦るな!」
 危惧に彩られたアルの声も知ろうことか。弾、と。九郎が数歩を踏み込み手を振るった。アサシンとの距離はまたしても、白兵戦闘の間合い。
 振るわれ、空に放たれたは朱塗りの刃。石段から抜き放たれた偃月刀が空を舞う。
 とはいうものの、アルの言葉通りだ。焦りに彩られた一撃では正確さを期待すべくもない。しかも、相手が相手だ。通用するはずも、無い。
「自暴自棄は感心せんな」
 片目閉じて、アサシンが涼やかに言葉紡ぐ。
 “五分の見切り”。す、と体を流すのみで 偃月刀は虚空を切るのみであった。
 全く同時。ちん、と。刃が鞘走り、九郎を捕らえんとし――
「何!?」
 キイ……ン。
 硬質な、何かが砕け散る音。同時に、破片となって砕け散る九郎の姿。
 アサシンにはじめて動揺が浮かんだ。
 ――ニトクリスの鏡。
 虚空に本体を模倣した幻像を浮かべ、標的を霍乱する妖具である。アンチクロスとの戦いにおいては縦横無尽に活躍し、九郎もその扱いに習熟していた。
 アサシンの動揺。それは、一瞬。往来戦場、戦国時代を生き抜いた武者からすれば、忘我は死への片道切符だ。故に、己を失うのは、まさに寸秒であろう。
 その、ほんの僅かの間に。懐へと走りこむ黒い影。強靭な脚部が、石段を蹴り、拳を固め――
「おらあああっ!」
「ぐ……っ!」
 ぼごっ、と。
 鈍い音を立て、九郎の一撃が、アサシンの腹部を貫いた。術式強化された拳は、鍛え抜かれた筋肉の鎧を貫き、臓腑を抉る。たまらず、うめきを漏らすアサシン。
 反作用を利用してまた背後に飛ぶ。一瞬、白光が己を掠めた気がしたが、痛みは無い。アサシンが刃を振るったのやもしれぬが、実害は無いと判断しまた身構えた。
「ようやく一矢報いたか――だが、油断するな、九郎」
「わかってるさ。正直、かなうかどうか……」
 弧を描き舞い戻ってきた偃月刀を受け取る九郎。厳しくアサシンを見据えるアル。
 ――だが、アサシンは不可思議にも刀をひくと――山門の横に身を移し、ひっそりと佇んだ。刃は鞘に収め、既に戦いの意は微塵も無い。
「……何の真似だ?」
 訝しげな九郎の問い。アサシンは相も変らぬ雅な様相のまま、答える。
「ふむ、其方の力、十分に見させてもらった。今はこれで良い。通りたくば、通るがいい」
「妙なことを言うな、剣士よ。貴様はこの門を守っているのではなかったのか?」
「私がそのように告げたかね?先立っての戦の折は兎も角、門番という枷を負っているわけではない。それに、彼の神父らに手を貸すつもりとて毛頭ありはせぬ。花鳥風月の下、素晴らしき使い手と剣を交え消えた身、今更何の欲があろうか」
 道理である。アサシンは別に、己が門番であるとは一言も言っておらぬ。ただ、為すべきことがあるゆえに立ち塞がったというだけの話だ。
 むう、と。眉根を寄せて、アルが続けて問うた。
「アサシンよ。では、何故ここにあって、刃を振るうのだ?」
「私はただ、見届けたいだけだ。戦場の空気、闘争の匂い。察するに、此度の戦、先んじたそれに類する壮士が揃うているのだろう。なれば、その者たちを実際に見聞し、手を合わせ、行く末を見届けるを願う位は許されよう」
 ――考えてみれば、アサシンは己から全く攻勢に出ていない。あれほどの卓越した腕前をもってすれば、九郎とアルを倒すまではいかねど、柳洞寺への立入りを防ぐのは十分可能であったろう。
 あえてそれをせず、防戦に徹していたという事実は、アサシンの言葉を十分に裏書していた。
「……成程な。いきなり信じろって言われても正直困るけど……筋は通ってる」
「信じようと信じまいと構わぬ。少なくとも、私にとってはそれこそが真。大十字九郎に、アル・アジフ。そなたら二者が、確かなるいくさ人とわかっただけでも、ここにて待った甲斐があったというもの」
「それじゃ、俺たちが先に進んでも構わないってわけだな」
「むしろ望む所といえような」
 頷き交わす九郎とアサシン。九郎の緊迫した面持ちと、アサシンの典雅な姿。対比は先ほどから変わることはない。
 だが、今の二人には、どこかわかりあった男たちの気配があった。武人は武人を知るという。荒削りながらも必死にして仮借なき九郎の姿勢に、アサシンは何かしらの感銘を覚えたのであろう。
 堂々と、ひるむことなく九郎が石段を登り始める。その肩には、こちらも倣岸と胸をはったアル。もっとも、アルにははるべき胸が無い気もするが。
「ああ、大十字九郎よ。もう少し、己の身体に注意を払う術を身につけたほうがいいやもしれぬな」
 九郎が山門を潜り抜けた時。ふと、声がかかった。
 振り返った時には、声の主は既に山門に隠れ見えぬ。
「何言ってるんだ、あいつ?」
「……アサシンの言うとおりかもしれんな。九郎、胸元だ」
「……げげっ」
 己の胸元見下ろし、九郎は絶句した。左の肩口から右脇腹にかけて、刃の跡が綺麗に残っている。切られているのは、見事にマギウス化の折の装束のみ。肌には傷一つついておらぬ。狙って服のみを斬ったのは、明白。その気になっていれば、臓腑ごと両断出来たであろう。
「見逃してもらったってわけか……」
 苦く、だがどこか爽やかな笑みを口元に浮かべ、九郎は山門を潜り抜ける。ここから続くは、聖杯戦争においても終局点であった柳洞寺の境内。鬼が出るか蛇が出るか。果たして、大十字九郎とアルを待ち受ける脅威はいかに――
 そして、一方その頃。遠坂邸前でもまた、激戦が繰り広げられていた。

******

「いいところで邪魔しやがって。このアマ、まずはテメエから解体(バラ)してやらあっ!!」
 クラウディウスが憎しみをこめて叫ぶ。先ほどからここ一番でねばる士郎と凛、それに戦線に加わったセイバー。己の思うようにあっさりと片付かない相手に、クラウディウスは苛立っていた。いらつきと激情が、あらぶる魔力をさらに加速させてゆく。
 セイバーの一撃を避けた時の運動量を利用し、後方に飛び退り間合いを取った。軽く腕を振るった。その途端、まるで主の命を受けたが如く、大気がその様相を変えてゆく。鋭敏にして怜悧な、刃にと。
「カマイタチを造り出すですって!?」
「知ってるのか、遠坂?」
 凛が士郎に頷き返した。吹き付ける風から身を庇いながら、鋭くクラウディウスの方向を睨みつける。
「カマイタチ――漢字なら鎌鼬ね。空気中に出来た真空に人体が触れ、皮膚が裂ける現象。ま、一種のソニックブームみたいなものかしら」
「ああ、それなら聞いたことがあるな。でも、そんなに驚くことなのか?」
「まあ、結局自然操作の範疇だからね。そんなに困難な術じゃないわ。でも、呪文の行使も無しにああまで自由に操るなんて……」
 二人の一瞬の会話。その合間にも、戦の展開は休むことがない。
「おらよ、こいつでミンチ肉、一丁あがりだっ!」
 その声が合図であったか。クラウディウスが腕を振り下ろすと、全てを切り裂く風が、一気呵成に流れ出す。全く同時のタイミングで、セイバーは剣を構えクラウディウスへと疾走を始めた。普通に考えれば、剣が届く前に、鎌鼬で全身がズタズタとなるような、無謀な突撃。
 だが――
「んだとお!?」
 その全ては、無言で疾走するセイバーの一睨みで運霧消散する。聖杯戦争でセイバーの力を知り尽くした士郎や凛にとっては、当然すぎる結果。
 そして、クラウディウスにとっては、己の風の魔術を弾かれるなど想定の外であろう。さすがに驚愕を浮かべた瞬間には、剣と騎士とが、眼前にと迫っている。およそ五間、十メートルを一瞬で詰める脚力もまた、脅威的であった。
「ちっ――冗談じゃねえぜ……っ……!」
「――はあっ!!」
 悪態をつきながら矮躯が後方に飛ぶ。いわゆるバク転の姿勢。途端、見えざる剣が頭上を掠めてゆく。先端がふれたか、クラウディウスの緑髪がはらはらと散った。
 ――数分、いや、数秒を待たずして、戦況は激変していた。
 身体能力を旨とするとはいえ、クラウディウスも根本的には魔力を武器とする者である。人間離れした運動能力もまた、魔術の行使と強化によるものだ。アン チクロスの大幹部に名を連ねるほどの魔術師である以上、当然であり自然の流れであろう。ゆえに、術師たちの争いであれば、卓越した魔力と豊富な実戦経験を 持つクラウディウスが後れを取ることは滅多に無い。
 だが、今回ばかりは相手が悪かった。聖杯戦争におけるサーヴァントであり、現在は遠坂凛の使い魔である少女、セイバー、一名をアルトリア。
 一気に逆転した理由は、セイバーの圧倒的な抗魔力にあった。それがいかほどのものであるか、魔法使いクラスの魔力を誇った魔女キャスターからして、傷一 つつけることが不可能であったことを思い起こせば良い。いかにクラウディウスが優れた術師とて、神代の魔女の力すら及ばぬ相手では手も足も出ぬ。
 では、身体能力はどうか。これとても、クラウディウス不利であると言わざるを得ない。
 セイバー、即ち剣の英霊は武具を用いた近接戦闘を得意とする者が大半だ。中でも、姿無き剣、風王結界を振るう少女は、単純なパワーよりも高い技量と身体能力を武器としている。戦闘スタイルではクラウディウスと同じタイプといえよう。
 さらには、生前の無数の戦と英霊と化して後の聖杯戦争。セイバーにはそれこそ山ほどの実戦経験がある。ならば、魔術による直接攻撃が通用せぬクラウディウスと、魔力量以外に枷の無いセイバー。短時間の決戦ではどちらが有利か論を待つまでもあるまい。
 跳躍し、風を放ち、ベーゴマやケンダマめいた武器を駆使して反撃を図るクラウディウス。
 その全てを弾き、交わし、疾駆して、確実に追い詰めてゆくセイバー。凛と士郎の目から見ても、最早事の趨勢は決定的であった。
 数分を待たずして。どん。塀を貫く刃の音。
「――そこまでだ、術師」
 塀を背にしたクラウディウス。その面の真横に剣を突き立て、セイバーが静かに告げた。上下左右と空間が開き、一見脱出路があるように見えても、周囲は今やいわば剣の結界と化している。ほんの僅かな動きでも見せたが最後、風王結界は容赦なくアンチクロスを斬り捨てよう。
 周囲を見渡す。状況は不利の一言。周りの人間との距離を測り、己の身体能力を計算し、クラウディウスのとった選択は――
「はいはい。ボクの負けだ。好きにしろよ――」
「良い覚悟だ。では――」
 剣を振り上げるセイバー。だが、
「――なーんて、言うはずがねえだろ!甘いんだよ!」
「くっ!?」
 弾!
 舌を出しての嘲弄。クラウディウスが、鋭く塀を蹴り空に舞った。一瞬遅れて通過した剣風は、むなしく宙を切る。
 咄嗟に動こうとした士郎の背に。どすん、と。質量が加わった。続いて、喉元に感じる、強い力。
「動くなあ!」
 駆け出そうとしたセイバーと凛。その挙動を一声が――いや、今の状況が、止めた。士郎の背におぶさった形となったクラウディウスの指先。それが、がっちりと士郎の喉にと食い込んでいる。
「シロウ!」
「士郎!」
 二つの声があがった。焦ったようなその声と、額に浮かんだ冷や汗にクラウディウスがほくそえむ。
 だが、それも一瞬のこと。直ちに平静を取り戻した凛は静かに魔力を己の周囲に集めだし、セイバーはセイバーで剣を構え、いつでも斬り込める姿となる。その瞳は、強く鋭くクラウディウスを見据えるのみ。
「お、おい、テメエら……どういうつもりだよ。ボクがちょっと力を入れれば、こいつの命ははいさようなら、ってわかってんのか?」
 無言。クラウディウスの声に微かな焦りがあるのは、気のせいではあるまい。
「やってみろよ」
 そして、士郎にも動揺は欠片も無かった。ほんの僅かな動作で喉を潰されるような姿勢にありながら、堂々と背筋を伸ばしたままだ。その眼もまた、微塵も揺らいでいない。共にあるパートナー、遠坂凛とセイバーへの絶対的信頼がそこにはあった。
「テメエ……今の状況わかってんのか」
「勿論さ。でも、そっちこそいいのか?」
「何がだよ?」
「いや、さ。俺がやられたとしても、その瞬間(とき)には遠坂とセイバーがお前を倒してるだろってことだ」
 士郎の言は正しい。こと戦の場となれば、セイバーは言うに及ばず、遠坂凛も覚悟を決めた立派な戦士である。今この場で衛宮士郎が倒れたとしても、躊躇も 動揺も無く眼前の敵を討つであろう。嘆き悲しむのはいつでも出来るということを良く知っている者たちだ。クラウディウスが士郎を盾に動揺を誘おうとしたの ならば、その選択は愚の骨頂であったと言えよう。
「生意気いいやがって!いいさ、せいぜいあの世でヒーヒー泣けばいいよ!」
 クラウディウスの絶叫。指先に力を込める。士郎の喉など、まるでカステラの如くひきちぎられよう。凛と士郎が覚悟を決めた、その瞬間。
 ――斬。
「……え?」
 重い衝撃。
 続いて、激痛。
 呆けたように、士郎の喉に喰らいついていたはずの右手先を見る。何も無い。いや、それどころか、胴体へと向かうはずの右腕も無い。
「あ……ああああっ!ボクの、ボクの腕があっ!?」
「戦の最中に気を散らすか、術師。その不覚悟、恥と知れ」
 上段より斜め下に剣を構え、セイバーが冷たく告げた。その足元には血をしたたらすクラウディウスの右腕。
 売り言葉に買い言葉。士郎の返答に激昂していたクラウディウス。その最中、電光石火に間合いを詰めていたのか。神速の一撃は、正確にクラウディウスの右腕をとらえ、断ち切っていた。
 どん。すかさず響く、肉のぶつかる音。
 身を補足していた腕は既にない。士郎は、身体をひねってクラウディウスを振り払い距離をとる。
 衛宮士郎は手から逃れた。遠方に遠坂凛。そして、眼前には刃を構えた騎士王の姿。ぶるぶると、瘧のように身を震わせてクラウディウスが声を荒げた。
「こんな……こんなはずがない。このボクが、一方的にやられるなんてはずがない!」
「いい加減認めなさいな――貴方の負けよ」
「くそ、くっそおおおおお!!」
「――終わりだ、術師」
 冷酷な凛の一声。クラウディウスは自棄とも思える叫びと共に、セイバーへと襲いかからんと、地を蹴る。
 だが、所詮それは悪あがき。タイミングも、動作にも、全てにおいて、無駄の極地。
 ちゃきり。剣を構え、振るう。
 ――今度こそ、一撃で事足りた。

「――士郎、大丈夫!?」
「ああ、何とも無い。それにしても――助かったよ、セイバー」
 今度こそ血相を変えて駆け寄ってくる凛。士郎はいつも通りの笑顔をかえし、セイバーに向き直る。
「いえ、シロウこそ無事で何よりでした。それより、何が起こっているのです?今の輩といい、街を覆う気配といい、尋常ではない」
 ほう、と、息をついて答えるセイバー。安堵の息だ。士郎が無事であること、己の一撃が間に合ったことは確信していたであろう。それでもなお、己の目ではっきりと士郎の無事を確認するあたり、セイバーらしいといえるかもしれぬ。
 セイバーの気持ちを知ってか知らずか、眉根を寄せる士郎。山積みの難題を思い出したといったところか。
「まあ……色々厄介なことになってるんだ。とりあえず今は中央公園に急がなきゃいけない。一緒に来てくれないか、セイバー?今の状況は道々説明するよ」
「わかりました」
「そうね。とりあえずはそっちが先決か」
 ふう、と息をつく三人。一戦終わって緊張を解く、といった状況ではないのが辛いところか。弛緩した空気は、微塵も感じられない。セイバーも、厳しく面を引き締め、士郎と凛を見据えている。
 ふと、士郎が地面に目を落とす。そこには、真一文字に切り裂かれたクラウディウスの姿。どう考えても、即死だ。
「それにしても、殺すことまではなかったんじゃ……」
「何言ってるのよ。それに、本当だったらこいつはもう死んでるはず。言峰がそう言ってたでしょ」
 呆れたように凛が溜息。真顔になって、士郎を鋭く睨む。
「いい、衛宮くん。この際だから言っておくけど、敵方は本気よ。聖杯戦争の時みたく甘い考えでいたら、今度こそ本当に命が無いわ」
「リンの言う通りです。シロウ、覚悟を決めてください」
「……心しておくよ」
 衛宮くん、との表現に凛の本気さが窺い知れた。セイバーもセイバーで、本能的に今の冬木が戦場であることを感じ取っている。士郎は深い溜息をつくと、またクラウディウスだったモノに眼を向けた。
「――で、どうするんだ。まさか放っておくわけにもいかないだろ」
「ああ、そのままでいいわ。一応家の周りは私有地だし、結界もあるから人は来ない。それに、言峰がこういうことを想定してないはずがないわ。どうせ、私たちの姿が無くなったら、何事も無かったようになってるでしょうね」
「言われてみればそうか」
 こういうことは凛の言に従うが確実だ。それに今は、中央公園に向かわねばならぬ。そこまで考えたところで、凛がセイバーに向き直った。
「あ、ところでセイバー」
「何でしょう、リン」
「貴方、確か士郎の家にいたはずよね?私たちがここで戦ってるって、良くわかったわね」
「そういえばそうだなあ。おかげで助かったけどさ」
「あー、それは……」
 なぜか眼を逸らし、宙を見つめるセイバー。つつ、と汗が頬を伝う。どこか挙動不審だ。強いて言えば、悪戯を見つけられた子供の如し。
「もしかしてセイバー……」
 士郎が言いかけた時
 ぐう。
 誰かの腹の虫が、鳴った。
 士郎と凛が一斉に微苦笑を浮かべる。
「そっか。とっくにお昼過ぎだもんね。なかなか私たちが帰らないから……」
「遠坂のとこにいると見当つけて探しにきたのか。で、さっきの場に出くわした」
「い、いえ。これには深い事情があるのです!いくらリンがいるとはいえ、今の冬木でシロウたちだけでは……」
「わかったわかった。そんなに慌てなくていいから」
「うう……」
 しょぼん、とうなだれるセイバー。御馴染みの跳ね毛が心無しか倒れている。凛が頤に指を当てて、優しげにセイバーを見やった。
「とはいえ、確かにお腹減ったわね……まあ、今は時間無いけど、ちゃっちゃと当面の問題片付けて、ご飯といきましょ」
「......助かります」
 セイバーの何とも言えない笑み。だが、それは直ぐに消え、戦士としての表情に回帰する。今のところやるべきことは、山積みなのだ。
「それでシロウ、リン。中央公園に向かうのですね?」
「そうね。ま、とっとと行きましょうか。どうせあっちでも、誰かが待っててくれることでしょうし」
「――では、急ぎましょう。現状の説明をお願いします」
「ああ」
 頷き交わし、三者は駆け出す。次の目的地、中央公園に何が待つか。それこそ、神のみぞ知るといったところか――

******

「アサシンが道を譲り、クラウディウスは破れたか。大方は予想通りといったところかな」
 冬木教会深奥。言峰綺礼、私室。
 神父服を纏った巨漢は、ただ一人着座のままに呟いた。座したまま、如何様にして場の進展を監視しているのか。それこそ不可解。
 茫、と。闇に覆われた室内に浮かび出る影が一つ。
 馬呑吐ではない。彼の長生者は、既に此処を去った。
 此度現れたのは、華のある若者であった。ラフに着こなしたライダースーツに、金の髪が映える。何より印象的なのはその面立ち。圧倒的な傲岸不遜さを示しながらも、否と思わせないカリスマ性を同居させた若々しいそれ。まさしく、王者の相というべきか。
 「――それで言峰。いつまで(オレ)を待たせておくつもりだ?」
 若者が鼻を鳴らして言葉を投げつけた。神父はそれに、例の如き底知れぬ笑みをかえし。
「そう焦るな。既に役者は揃った。これにて、“魔界都市計画”は第二段階に移行、といったところか」
「では、我の出番だな。おまえの言いなりになるつもりなど毛頭無いが、雑種どもへの借りもある。我を虚仮にした罰、思い知らせてくれよう」
「その意気だ。では頼んだぞ。アーチャー――いや、ギルガメッシュ」
「フン。おまえに言われるまでも無いわ。我を誰と思うておるのだ?」
 そしてライダースーツの男は闇にかき消えた。
 アーチャー。ギルガメッシュ。先の聖杯戦争における例外的なサーヴァントであり、人類最古の英雄王。無限とも思える宝具を操る最強無類の存在が、ついに舞台に立つ。
 アンチクロスの一は退場したものの、未だ残るは結界の魔術師、東洋の長生者。対する衛宮士郎、大十字九郎連合は、目的地に辿り着く前に苦戦の一途。その戦線に加わる、英雄王ギルガメッシュ。そして、黒衣の人捜し屋――。
 事態はますます混迷を深める一途。その中で一人、何を思い嗤うか言峰綺礼。
 冬木の街を覆う暗雲は、今もって晴れる気配の欠片も無かった。

(第十二話・了)

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