|
雨が降っていた。
冬木市、何故か人の影も無い一本道。
二人の男が静かに向き合う。片や重厚そのものの巨体。片や美を体現したかのような青年。荒耶宗蓮と秋せつら、鋭く冷たく向き合う。
「二重人格。人格転移。起源覚醒――私が見るところ、君はその全てと異なろう。実に、興味深い」
「なれば、なんとする?」
「知れたこと。今一度冥府より来たりたこの身、両儀を用いた根源への道は既に潰えた。そしてここに根源に限りなく近く、あるいはそれすら逸しかねぬ存在がある。答えは決まっていよう」
「道理だな」
断たれた右腕を意にも介さず、荒耶が歩を進めた。せつらは夢をみているかのように、ただ佇むのみ。深遠な解答を求めて散策する大哲学者と、霊感にうたれ立ち尽くす天才芸術家といったところか。
五メートル。
巨大な質量と圧迫感を持つ巨躯も、秋せつらも、心ここにあらずといった風情。お互いに視線かわすこともなく、己の世界に没入しているかのようだ。
二メートル。
歩み来る荒耶の体の周囲で、何かが弾け飛んだ。路地に張り巡らせたミクロン単位の妖糸が、何の手応えも残さず断ち切られたと、この二人以外に知覚出来たかどうか。せつらの片眉が、軽くあがる。
見れば、荒耶が歩むにつれて付随する三つの輪を描く魔法陣。冷たく美しい声が、感嘆の響きを帯びた。
「移動型の結界か――<新宿>でも久しく見た覚えが無い」
「一目で見抜くとは流石であるな。左様、結界とは本質的に場を定義し操る術である。相応の術式を用いれば、私という一個の場に付随させるも不可能ではない」
瞬間、荒耶の左腕が電光の如く奔った。
凄まじい速度に仏舎利を埋め込んだ腕の硬度が加われば、人間の体など豆腐にすぎなかろう。
だが、相手は秋せつら。
そして、今の彼は「私」であった。
ぐぎり。
嫌な音をたてて、荒耶の左腕がありえざる方向へと曲がる。いや、持ち主の意で無理矢理に曲げられたというべきか。
静謐な黒いコートが風に舞い、緑の法衣は宙へと跳んだ。
着地は路の両肩に並ぶ塀の上であった。子供一人とて立っているのは難しい、古びた細い塀。六尺を超える巨体が平然として立っているのは、何とも奇妙な光景であった。
感極まった、とでも言いたげに荒耶が薄い眼をを見開く。この男、秋せつらを相手にして視覚に頼っていなかったとでもいうのか。
「おそろしい男よ――結界はおろか、我が身までも斬ったか」
肩口からの衣装が、ぱっくりと裂けていた。
せつらは無言であった。続く妖糸を放つには、コンマ一秒もかかるまい。その動きが止まったのは、荒耶から放たれる異様な氣を感じたためだ。
「おそるべしは秋せつら、であるな。一度退くが良策か」
荒耶が逞しい左腕をもたげる。周囲の空気が圧縮されるような錯覚。
いや、錯覚ではない。現実に、周辺の空間の密度が倍加していることを、せつらだけは感じ取った。
「!」
せつらがコートを翻し跳んだのと、
「――粛!!」
荒耶の呪言が、路地一帯を空間ごと押しつぶしたのは全くの同時であった。
数分の後。
がらり、と。塀がくずれ、道路のコンクリートが砕かれた石塊の山だけがそこには残っていた。電柱は傾き、電線は寸断されている。周辺の家々が無事なのが
幸いといえた。<新宿>ならいざしらず、冬木の街でこれほどの惨状があって人一人の姿無いのは、路地を覆う結界の故であろう。
風がざわめけば、宙に浮かぶ黒き美影が一つ。
「私は殺すつもりだった」
ぼそり。
せつらは呟く。電柱と電柱の間にはった妖糸の上に立ち、夢見るように遠くを見つめたまま。
それは、感情の色が欠片も無いにも関わらず、聞いたもの全ての心根を寒からしめる呟き。
「その私と会ってなお姿をくらませたか。端役があれではその他も推して知るべし。面倒なことになった」
空を見上げる。雨はますます激しく、冬木の街を暗雲で覆い尽くし始めていた。
ミラーワールドのアリス第十話
「ゲームの達人」
「ゲームのルールは簡単明瞭。基本は聖杯戦争と変わらんよ」
闇に包まれた教会。壁面に浮かび上がった冬木の地図に目を送りながら、言峰が淡々と告げた。クラウディウスは腕を組んで壁にもたれ、小生意気そうな薄笑
いを浮かべ場を見守っている。残る四人、即ち士郎、凛、九郎、それにアルは、今はじっと地図を見つめて神父の言葉に聞き入るだけだ。
「得るべき賞品は魔術的に力を持つ場。それらを確保するための手段は主として戦となろう。まあ、生き残るのはただ一組、とまでは言わないがね」
「聖杯戦争とはだいぶ違いもあるけどね。今度は、相手を倒せばそれでおしまい、なんだから」
教会に並ぶ木製の椅子に腰掛け、凛は憮然としたままだ。両足をすっと組んだ姿は正しく可憐な美少女のそれだが、表情は不機嫌そのもの。神父が切り出した
話とその流れを、早々に読み切ってるのだろう。敵対関係にあるとはいえ、凛と言峰との付き合いは十年来に及ぶ。お互いに、話の展開とそれに対する反応は読
み切っているといえた。
「その通りだ、凛。龍脈の支配自体はさほど難しくはない。こちらには魔術結社出身の最強クラスの魔術師、そちらには名高い大十字九郎にアル・アジフ。それに冬木の管理者までいるのだからな」
言峰が鷹揚に頷く中、凛と士郎の後ろの椅子からは、ぼそぼそとした声が聞こえてくる。大十字九郎は、大きな体を縮めて、アルに何やら問いかけていた。
「なあ、アル。土地の魔術支配ってそんな簡単にいくものなのか?」
「確保と支配自体は決して困難ではないぞ。アーカムシティのように土地自体に防壁が仕掛けられているならばともかく、この地では高が知れておる。規模が規
模ゆえ、多少の時間と触媒に基づく儀式魔術が必要ではあろうがな。汝も魔術師の端くれであればそれくらい覚えておくがよい」
「しょうがねえだろ。俺は儀式魔術の経験なんて無いんだしよ……」
腰に手を当て、教師めかして指を振るアル。いつもの如く講釈されて立つ瀬が無い、といった風情の九郎。二人の間では日常とも言える風景を余所に、今度は士郎が口を開いた。
「大体のところはわかった。冬木市の魔術的な中心地の争奪戦ってわけか。柳桐寺や――」
「中央公園に」
「遠坂邸、といったところか」
士郎に唱和するように、凛と言峰の声が重なる。その様子に満足げな言峰。
「ま、争奪戦といっても、いかに相手の邪魔をするかってとこなんだろうけどね。物騒な言い方をすれば、どうやって排除するか。つまりは戦いあえって言いたいんでしょ、アンタは」
凛は椅子から立ってツインテールを払い、くるりと背を向ける。話は今後こそ終わりだ、とでも言いたげだ。士郎に九郎、加えてアルもつられるようにして慌てて立ち上がった。言峰は愉快そうに、くぐもった嗤いを響かせた。
「相変わらず気が早いな、凛。詳しい説明はこれからだろうに」
「聞くまでもないわ。アンタたちはこれから柳桐寺や公園で儀式を行う。私たちはそれを実力で排除する。シンプルじゃない」
振り向きもせず言い捨てる。更なる返答はくつくつと、どこまでも楽しそうな声。
「実力排除が出来るのはこっちも一緒だぜ?何なら今すぐここで全員殺っちまってもいいんだ」
背から投げかけられるクラウディウスの挑発にも応ずる気配はない。凛をはじめとする四人は、黙々と、教会から出るべく扉へと向かう。
「“ゲーム”の開始時期は君たちがその扉を出てからだ。今回は避難所は無い。この教会も戦場となり得る。それだけは覚えておきたまえ」
「避難所なんかじゃなかったろう、ここは」
地下にあったモノを思い出したか、士郎は苦々しく呟く。教会のどこか暗い光を受けて、一行は重い扉を開き、消えた。振り返るものとてない。見送る神父と逆十字。
「さて、ようやくお膳立てが整ったか。ではクラウディウス、早速始めるとするかね」
「言うまでもねえっての。ま、ボクは好きにやらせてもらうぜ?」
壁にもたれていた身を起こし、クラウディウスが酷薄に笑う。たん、と教会の床を蹴ると小躯は瞬時にかき消えた。
「……ではお手並み拝見といこうか、凛。それに、衛宮士郎よ」
言峰の面が歪む。歪んでいながら純粋な歓喜と、これから起こであろう事態への期待がないまぜとなった凶笑面めいた表情。勘の鋭い子供が見たなら数日は悪夢にうなされかねぬ。
それは、そんな嗤いだった。
「――で、これからどうする、遠坂?」
開口一番、教会を出るなり士郎が口火を切った。常の茫洋とした雰囲気は欠片も無く、面は厳しく引き締まっている。今の状況をどう打破するかに心を砕いているのは一目で知れた。
「愚図愚図してる暇はないわ。あっちの狙いは柳桐寺と公園が主でしょう。二手にわかれて向かうべきね」
しとしと降り続く雨の中、凛はきっぱりと言い切る。そこには躊躇も迷いもない。今この場にて何をなすべきか知っており実行し得る、魔術師としての姿である。
「勝手に決めるでないぞ、小娘――とはいえ、アンチクロスが関わっているとなれば妾も知らぬ顔は出来ぬ」
「ああ。放っておける状況じゃない。けど……」
「何かあるのか、九郎?」
「いや、馬の野郎がまだいるだろ。陣取りに吸血鬼の二方面だ。俺たちだけで手が回るのかなあ」
一行の歩みが止まる。遠坂邸前で一戦交えた以来、あの中華系吸血鬼の姿は無い。だが、昨今の冬木行方不明者増加の原因であることは既に疑いが無く。捨て置くには少々厄介な問題要因といえた。
「確かに、ね。とりあえず放置しておく、でどうにかなる相手じゃないし……ああもう、何でこんな一遍にあれこれ起こるのよ」
「吸血鬼のほうは、あの人捜し屋の人に頼んでみたらどうだろう。腕はいいみたいだし、この際」
むう、と。難しい顔で思案する凛。士郎が考え考え口を開くも、不機嫌そうに睨みつける凛の表情に言葉が途切れる。士郎は軽く頭をかいて
「まあ、遠坂のことだからな。あまり他人を巻き込みたくないだろうけど――」
「ああ、違うの。勿論それもあるけど、正直に言うと、<新宿>の住人にはあまり関わりたくないのよ。劇薬みたいなものだからね」
「さもあろうな。妾もそれには同意見だ」
表情を緩めて、穏やかで困ったような面持ちの凛と、横で頷くアル。九郎や士郎はともかく、アルには凛の気持ちがわからなくもなかった。
魔界都市<新宿>は、いわばこの世界におけるイレギュラーである。街全体が明らかに規格の外にあり、そこに住まう者にしても同様だ。コンクリートを素手
で砕くサイボーグ。本来ならば実用化の端にも達していないバイオテクノロジーの手になる、双頭犬や巨大蜘蛛といった怪物。生活環境からして常軌を逸してお
り、箸にも棒にもかからぬ程度の魔術師でも、一週間も生き残れば「区外」の最優秀な術師に匹敵する程の力を得ることが珍しくない。魔術協会も、<新宿>に
対しては不可触の原則を貫いている。凛のように正当をもって任じる魔術師からすれば、魔界都市の輩は敬して遠ざけておくべき存在であろう。
ましてや、秋せつらといえば、<新宿>そのものとも言われる存在であった。凛にしてみれば、かの美貌の人捜し屋になど極力関わりたくあるまい。
「そんなもんなのかな。でも実際問題、時間が足りないぞ」
「そ。背に腹は変えられないわ。引き受けてもらえるかどうかはともか――!?」
瞬間。言葉を半ばで切り、凛が後方へと飛んだ。時同じくして、残る三人も飛び散る。
跳躍しながら空を見上げた。先までと変わりない曇り空。いや、変わりないように思えたのは、一瞬だけだ。
轟、と。空気を切り裂いて何かが落下してきていた。勢いはビルの屋上から飛び降りたかとでも思わせる激しさ。ぐんぐんと近づいてくるその姿、視認する限りは人と思える。
上空10メートル。
5メートル。
1メートル。
――着地。
轟音と煙を伴って、それは道路へと落ちてきた。コンクリートが陥没し、粉塵がもうもうと煙る。視界も白塵に遮られ、落下してきたそれを正確は確認出来ない。突然の出来事に、固唾をのんで見守る凛たち。
数秒。煙の中の影が動いた。それにつれて冷たい風が吹き、粉塵を飛び散らす。視界がクリアとなり、落下物の正体もはっきりと映りだす。
影がゆっくり身を起こし、歩を踏み出した。袈裟を思わせるコート。鍛え抜かれた長駆と、修行僧か哲学者を思わせる苦渋に満ちた表情。
「ふむ、予想を遥かに上回る力であった。実に、実に興を惹かれる。あの力、あるいは両儀以上やもしれぬ」
苦行の魔術師、即ち荒耶宗蓮は静かに呟いた。周囲を取り囲む四人の術師に注意を払う気配もない。よくよくみれば、荒耶の右腕は根元から断たれ、ぼたぼたと血を溢れさせたままだ。その傷にも、周囲にもまるで注意を払わず、己一人立つ苦行僧めいた術師。異様な光景といえた。
「――ぬん!」
荒耶が左手を大きく振るうと、何か細いものが断ち切れる音。秋せつらの手になる特殊チタン製の妖糸を虜力のみで断ったと感知し得たものは皆無であったろう。
そのまま男は、凛たちには一瞥もくれずに歩みだす。九郎とアルは飛び退った折に道路の端に達し荒耶の行く手を塞ぐ形となっていたのだが、まるで気圧され
たかのように道を譲った。気圧されたかのよう、ではなく、実際に気圧されたのかも知れぬ。それほどの圧倒的な重みが、今の荒耶にはあった。
濃緑のコートを纏った姿は、黙って九郎とアルの横をすり抜ける。そこには敵対の意志はおろか、興味の欠片も無い。誰一人言葉を発さぬ沈黙の場。息苦しさすら感じられるその路地から、荒耶宗蓮は静かに去っていった。
「――ふう」
溜息にも似た息をついたのは誰であったか。激しい緊張の後には場が弛緩するのが世の常だ。片や士郎と凛、片や九郎とアル。二つの組み合わせが二つとも、大きく息をついた。
「……何なんだ、今のは」
「ご同業よ。それも、生半可じゃないわ。あんなのが街に入ったら気付かないわけがないし、あれも言峰の関係者でしょうね」
士郎に答えつつも、男が去っていった方角を見据えたまま凛は腕を組み視線を厳しく細める。
当然であろう。大十字九郎とアル・アジフ、秋せつら、言峰神父、アンチクロス、それに今の術師。言峰の言う陣取りゲームも既に始まっている。頭痛の種の山積みだ。
「それにしても、ひどい怪我だったな。一体何があったんだ?」
「あれほどの使い手に傷を負わせられる者が、このような街にそういるはずもあるまい。妾たちで無いのは確かなのだ。残るは一人であろう」
「ああ、そりゃそうか」
九郎の疑問に呆れたようなアル。何をわかりきったことを、とでも言いたげだ。付き合いの長い九郎は気にもせず、得心がいったと頷き返し、そのまま凛と士郎へと目を向けた。
「で、結局どうするよ。アンチクロスが出てきた以上知らん顔は出来ない。とはいえ、俺たちは土地勘が無いからな……指示してくれると有り難いんだが」
「そうね……そっちは取りあえず柳桐寺へむかって。しばらくいった先の四辻に案内板が出てるから。そっちに行けば例の人捜し屋さんとも会えるかもしれないし」
「ほう、なぜそう思う?」
「わかってるはずよ、アル・アジフ。言ってたでしょ?秋せつらだっけ、あの手合いはね、ちょっかいかけられて黙ってたりはしない。今さっきの奴と戦りあってる限りは、冬木から出て行かないわ」
「で、今のが言峰の関係者なら、柳桐寺に向かう可能性もあるってわけだな」
「そういうこと。士郎にしては鋭いじゃない」
ぴ、と。指を一本立てて凛はお得意のポーズと笑顔をきめると、率先して歩みだした。
しばしは、誰もが無言。しとしと、しとしとと、十二月ならではの冷たい雨が降り注ぐ。雪にならぬのがせめてもの幸い。
もはや結界は無いはずなのに人に会わぬのは、住人も街の異変をどこかで感じているためだろうか。考えてみれば聖杯戦争の時もあんまり人に会わなかったなあ、と。士郎はぼんやりと思い出す。
そうこうしているうちに道路が開け、柳桐寺へ向かう道と、遠坂邸へと向かう分岐点に達する。
雨空ながら柳桐寺を有する山の影はぼんやりと見えよう。誰が言い出したわけではないが、一向の目は自然とそちらに引きつけられる。
「あの山、だな」
「うむ。相当に強い魔力を有しておる。間違いあるまい」
九郎は足を止め、厳しくお山の方角を見つめた。雨に濡れた横顔が、端正な面持ちを引き立てている。アルが横にさりげなく寄り添う。しばし後、士郎と凛を振り向いて
「OK。俺とアルはあの寺に行こう。それで、連絡先と集合場所を決めておいたほうがいいと思うんだが」
「何かあった時集まるなら俺の家がいいんじゃないかな。遠坂もそれでいいよな」
「そうね。セイバーもいるし、あっちのほうがいいかも」
頷きあう士郎と凛。何やら懐を改めていた士郎、九郎へと向き直り
「――と、あったあった。これ、俺の家までの地図です」
「お、さんきゅ」
いつの間に準備しておいたのか。す、と。丁寧に折り畳まれた紙片を差し出す士郎。有り難うとばかりに、爽やかな笑み浮かべて九郎が受け取る。
そのまましばし、じっと見つめあう二人。意志の強さではおさおさ劣らぬ二つの視線が交錯する。立ち止まり、身動きもせず。無言の会話ともいえるが、端からみれば男どうしの奇怪な見つめあいと思えなくもない。
数秒か。
数分か。
幾ばくにせよ、黙って見守っていた凛とアルがしびれをきらそうとした頃
――がしっ。
絶妙なタイミングで、士郎の右腕と九郎の右腕がクロスされた。二人、爽やかな笑顔浮かべて
「さっきから思ってたんだが、士郎くん」
「俺も同じことを考えてたと思います。俺たちは、多分――」
『気が合うと思う』
同士を見つけたものだけに許される心からの喜びに満ちた声が唱和する。
そこには、わかりあった漢たちの姿があった。
「……ねえ、アル・アジフ」
「何だ、遠坂の娘」
「あんまり認めたくないんだけど、あの二人って」
「言うな。妾も気付いてはおるが、見なかったことにしておる」
二人がそっくりだ、との言葉を飲み込む凛とアル。
お互い、ああなってしまった相方には何を言っても無駄ということを良く知っている。
溜息をつくと、アルが諦めたような、それでいて満足げに口を開いた。
「まったく単純な男だ。短兵急で直情径行。妾がどれだけ苦労していると思っている」
「同感ね。他人のことを気にする前に、自分を大事にしなさいっていうのよ。後始末するのは私なんだから」
憎まれ口を叩きながらも、二人は嬉しそうだった。アルがにやにやしながら腰に手をあて凛を見上げる。
「ふふん。口ではそう言っても頬が緩んでおるぞ?」
「そっちこそ」
男二人が友情を深めあっている傍ら、そのパートナーたちも楽しげに笑いあっていた。
柳桐寺へと向かう九郎にアルを見送り、今しばし。
「一旦家に戻って結界を強化しましょう」
との提案に、凛の家へと向かっていた。道中には何も問題はなく、坂脇の遠坂邸の威容が目に入ってくる。雨に濡れた道路を踏みしめる音。
凛が立ち止まる。振り向かず一言。
「士郎、気付いてるでしょ」
「ああ。教会にいた奴かな」
凛の声は落ち着いたものだった。だから士郎もいつも通りに答えた。
凛も士郎も、九郎たちと別れてから、何者かが後を付いてきていることを感じていた。姿こそ見えぬものの、鋭く強大な魔力が常時打ち付けられている。これ
ほどの術師であれば、完全に気配と魔力をを殺すことも可能であろう。だのにあからさまに己の存在を主張するあたり、凛と士郎を愚弄しているともいえた。
凛の声が落ち着き払っているのはそれ故であろう。
(遠坂は落ち着いてる時ほど怖いからな……)
士郎は心の中でそっと呟くと、黙って凛と並んで歩みを続けた。
それが姿を現したのは、遠坂邸の門をくぐった時であった。
「気にいらねえな」
不機嫌そうな声に振り向く凛と士郎。
びゅう、と風が吹く。少年が一人、ポケットに手を突っ込んで立っていた。
後方に鋭く立った緑髪。少しだぶだぶの上着に、紋様入りの半ズボン。動き易そうなスニーカーが活発そうな印象を強めている。紫のアイマスクから覗く瞳は、無邪気な残酷さでもって士郎たちを見つめていた。
アンチクロスが一、クラウディウスである。教会にて姿を消した後、早速動いていたものか。
「気にいらねえよ、お前ら」
「一応聞いておこうかしら。何が気にいらないってのよ」
ねめつけるように睨むクラウディウスに、凛は顎を軽く上げて冷たい視線送る。人を食ったような態度に、クラウディウスの額に青筋がたった。
「ああ?なめてんじゃねえぞ、テメエ。こっちが親切にもどこにいるか教えてやってるのに、延々無視かよ」
「おあいにく様。私たち子供の相手をしてるほど暇じゃないのよ。ね」
ぴりぴりと、空気の密度が高まる。緊張感が膨れ上がる最中、士郎がのんびりと声をかけた。
「一つ聞きたいんだが」
士郎の口調はあくまでも落ち着いていた。世間話のようだ。
「なんでわざわざ付いてきたんだ。俺たちを襲うのはもっと早くてもよかったはずだ」
「そんなことが判らないのかよ」
クラウディウスが心底意外そうな顔をした。
「判らないな」
「お前ら、大十字九郎と一緒にいたろ」
「ああ」
四対一では流石にやりあいたくないのか。士郎がそう思ったときだった。
「一遍に殺っちまったら、楽しめないじゃないか」
クラウディウスは笑った。心底嬉しそうな笑いだった。本気で言っていると、士郎も凛も直感的に理解した。
「……まいったな、これは」
(子供なんだ)
眉をしかめながらも、士郎は慄然としていた。残虐さと無智は子供の特権である。だが、この「子供」は魔術結社の大幹部として名を連ね、その力で恐れられ
ている程の存在である。聖杯戦争では、このような手合いには出会ったことが無かった。士郎たちがクラウディウスは危険な存在だと心底感じたのは、この時
だったと言っても良い。
「おっと、一応言っとくけど、命乞いしても無駄だぜ。大導師様がいるわけでなし、好き放題やらせてもらおうかね」
「せっかちね。あんまり忙しないのは好きじゃないんだけど」
凛は呆れたように天を仰いだ。まるで気乗りしないといった声。
だがそれは擬態だった。呪文を唱えることすらしなかった。いきなり凄まじい勢いで魔力の塊が飛んだ。
「一番、四番、六番……!」
それは正に突風のようにクラウディウスを襲った。密かに指先に握り込んでいた宝石から魔力を一挙に解放し放ったのである。その威力は常のガンドの比ではない。ガンド撃ちがハンドガンとすれば、こちらはショットガンかグレネードか、といったところだ。
道路のコンクリートがめくれ上がり、もうもうと粉塵が立ちこめる。轟音と粉塵に遮られ、クラウディウスの声も姿も確認出来ない。
「お、おい、遠坂……」
「黙って!わかってるでしょ、士郎。この程度でどうこうなる相手じゃないわよ」
何やら言いかけた士郎を一喝し、凛は油断無く煙の向こうを見据える。全方面に感覚の糸を張り巡らせ、一挙一足一動も見逃さない姿勢。魔力や動きがほんの
少しでも感じられれば、そこにガンドを一気に打ち込むつもりだろう。士郎も持ち歩いていた木刀を構え、次の動きに備えた。
一拍。
二拍。
ふう、と。凛が息を吐いたその刹那。
「おいおい、油断も隙もねえじゃんかよ。ま、あの程度じゃ止まって見えるぜ?」
「――っ!?」
「おせえんだよ」
嘲笑と共に、凛の腹へと痛烈な蹴りが叩き込まれた。
どこからどう移動したものか、地を這って空を駆け、クラウディウスは凛と士郎に肉薄していたのだ。
悲鳴をあげる間もなく、吹き飛ばされる凛の体。宙に浮かんだそれは、重力に逆らって水平方向へと飛び、立ち並ぶ塀へとめりこむ。ぎしり、と。骨が軋む嫌な音がした。
「遠坂!!」
「心配すんなって。一発で殺っちまったら楽しめないだろ。手加減しといてやったよ」
士郎が慌てて視線向けたそこには、もう何の姿も無い。続く声は頭の上から振ってきた。見上げれば、遥か上空に矮躯が一つ。頭を腕の後ろで組み、クラウディスはにやにやと屋根の上に立っている。
士郎は横目で凛の容態を確認する。ぱっとみる限り、さほど重い怪我ではないようだ。だが、蹴りと塀への激突のショックが大きかったらしく、意識が混濁しているらしく、立ち上がる気配はない。しばらくは動けそうもなかろう。
「――投影開始」
がらん。木刀を投げ捨て、目を閉じる。
投影開始。その呪言をきっかけとしての一連の動作。
全身に走る神経網、衛宮士郎にとっては即ち魔術回路に魔力を送り込み、脳内にある物体を想起。形状は勿論のこと、構成素材、構成過程、切れ味、使い心地、その手触りに至るまでを、寸分のズレもなく再構成する。
神経網に光が走り、無から有が顕現する過程。衛宮士郎にとっての、魔術の行使。
ゆっくりと、士郎が瞳を開く。
同時に、その手には短剣が握られていた。
二振りの歪曲した刀。中華風の造作。それ即ち、夫婦剣・干将莫邪。
「へえ……投影魔術かよ。で、そのちっぽけな武器でボクとやりあうっての?本気で?」
「御託はいいだろ。いいからかかってこいよ」
じっと見据え、士郎はぶっきらぼうに言い放った。カチャリ、と。夫婦剣が硬質な音たてる。
「へえへえ。それじゃま、二秒で終わらせてやるよ」
言うが早いか、クラウディウスの姿が掻き消える。セイバーやライダー、あるいは未来の自分といったクラスの戦士ならばともかく、今の士郎ではどう考えても視認出来ぬ速度。
意識を集中する。瞳を閉じる。
聖杯戦争を思い出せ。ギルガメッシュとの、葛木宗一郎との、そして何より、アーチャーとの戦いを想起しろ。
敵の動きを知るのは視覚ではない。否、五感ですらない。あの戦争で、それを何度と無く思い知ったはずだ。
気配をとらえろ。空気の流れを見落とすな。魔力の流れを感知し、最適解を導きだせ。
「――ほらよっ!」
「見えた!!」
クラウディウスの声とどちらが早かったか。士郎の視界の隅に、ポッと光点が灯る。
そのタイミングと方角にあわせ、躊躇無く干将莫邪を振るった。
斬、と。
肉を断ち切る、確かな手応え。
「……っ、テメエっ!?」
心底からの驚愕と共に、クラウディウスが反転し、跳躍した。そのまま塀の上へと着地し、士郎を睨みつける。神速で迫り、正面から蹴りを叩き込もうとしたその脚は、見事なまでにざっくりと裂けて血を流していた。士郎の一撃による傷だろう。
かしゃん。二刀を構え直し、士郎も鋭い視線をかえす。
「それじゃ続きだ――二秒じゃ、終わらなかったな?」
「……こんの、クソ野郎があっ!!」
クラウディウスは吠えた。心底から吠えた。
余裕綽々の嫌な餓鬼の仮面をかなぐりすて、憎悪と悪意が面を彩る。歯がみの音。怒りに満ちた視線が、睨み殺さんばかりの勢いで士郎に叩き付けられた。
「テメエは殺す……じっくりと、時間をかけて、その女の前でずったずたにしてやるよ」
黙って干将莫邪を構える士郎。その背を、ぽつりと雨だれが静かにうった。
ようやく弱くなり始めた雨。だが、暗雲はますます立ちこめ、街を、士郎たちを黒く覆い尽くすばかり。
そしてこの数分後。衛宮士郎と遠坂凛は、アンチクロス大幹部の真の恐怖を知ることとなる――
(第十話・了)
【トップへ】【第十一話へ】 |