| 衛宮士郎の朝は早い。夏でも冬でもそれは変わらない。朝の五時台、外はまだまだ暗く、冷え込みも最高潮。温暖湿潤な冬木の街とはいえ、十二月の早朝から起きるのは一苦労。だが、これも日課だ。 「ふわぁ……朝食の支度しないとな……」 木造の壮麗な衛宮邸、その和室。もぞもぞと、布団が動いた。伸びを一つして、士郎が布団から身を起こす。赤に染まった癖っ毛を整え、寝巻きを脱いだ。意外なほどに鍛えられた上半身が覗く。制服のYシャツとズボンを手早く纏う。壁のカレンダーに目をやると、今年の分はもう残り一枚だった。 「今年も終わりだなあ。色々あったけど、無事過ごせそうでよかった」 誰とは無しに呟いた。そう、あの聖杯戦争から既に十ヶ月。神は天にいまし 世は全てこともなし――とまではいかないものの、明確なトラブルなどは起きていない。生徒会長とあかいあくまの飽くなき戦い、魔術の鍛錬、進路の選定、戦場となった食卓、etcetc。日々のイベントには事欠かないものの、日常のスパイスといった程度だ。総じて言えば、衛宮士郎の生活は、ここ十ヶ月驚くほどに安定していた。 廊下に出れば、外は冷たくじとじとした雨。道理で冷え込みが厳しいはずだ。冷たい水で顔を洗う。さて、今日の食事は何にしようか。士郎は意気揚々と台所へと足を向けた。 ――クリスマスを目前に控えた十二月二十日。いざ知らん。これが、彼にとって最後の安息の朝となろうとは。後から思い返してみれば、軒先から覗く空はどんよりと曇り、今後の行く末を暗示しているようだった。 ミラーワールドのアリス第7話 「胎動」 「やっぱり和風がいいよな。うん、これなら四品はいける」 エプロンを身につけ、士郎は厨房で冷蔵庫を覗いた。すでにこたつが鎮座しましている居間には、まだ誰もいない。最近ほぼ泊り込みの遠坂凛は朝に弱く、その使い魔セイバーは出来るだけの睡眠が必要だ。何かと面倒を見てくれた後輩の少女は、兄の世話が忙しく最近あまり顔を出さない。藤村先生こと藤ねぇも、学校が忙しいのか前より朝に来る頻度が減った。必然的に、士郎が一番早く起きて朝食を支度することが多くなる。 とん、とん。リズミカルに包丁の音が響く。今日のメニューは白いご飯、明太子入り卵焼き、たくあん納豆に、大根の味噌汁。ヘルシーかつビタミン豊富な、これぞ正しい日本の朝食だ。昨夜スイッチをいれておいた炊飯器からご飯をよそり、玉子焼き機に卵を落とす。たくあんを5mm角に切って、小型の器に納豆盛り合わせ。仕上げはにぼしで出汁をとった大根汁だ。ほかほかと湯気をあげる朝食がこたつに並んだと丁度、ひょっこりと障子に二つの影が映った。 「ふあ……おはよ、士郎。牛乳ちょうだい」 「おはようございます、シロウ。今日もいい匂いがしますね」 「おはよう、二人とも。もう用意出来てるから座ってくれ。あ、それと遠坂、牛乳」 寝ぼけまなこの赤い少女と、朝から凛々しい白服の少女。士郎にとってはもうお馴染みの二人、遠坂凛とセイバーだ。士郎は軽く笑って牛乳を渡した。凛がごきゅごきゅと牛乳を呑み下す。 「あー……やっと目が覚めたわ。士郎、早く食べましょ」 「ほう、今日は大根のスープですか。朝はこれに限りますね」 「はは、それじゃ、食べようか」 凛とセイバーはこたつの上のメニューに嬉しそうだ。士郎はご飯をよそって二人に渡す。どこからどうみても平和で、そして実際に平和極まりない光景。早く食事したくてたまらない腹ぺこ大王も、味にはうるさい美食の魔術師も、この時間は本当に穏やかな顔を見せる。士郎とて、それは例外ではない。 「いただきます」 『いただきます』 士郎に続いて、凛とセイバーの声が唱和する。この十ヶ月というもの、何度となく繰り返してきた光景。聖杯戦争での傷も薄れつつあり、朝の食卓には会話と笑い声が絶えない。今日も今日とて穏和な日々が始まりそうだ――士郎がそう感じた矢先、テレビのニュースがふと耳に入る。 「……狂気山脈への第四次調査隊が行方不明となって二週間になります。同時期から、エアーズロック、マチュピチュ、ツングースといった世界各地でも異常発光や地震が観測されています。今朝はこの謎に関しまして、ミスカトニック大学神秘学部教授、香川英行氏をお招きして……」 「ふーん。なんか色々起こってるんだな。遠坂はどう思……遠坂?」 士郎は何気なしに凛に話題を振ろうとする。いつもなら適度に鋭い意見を返して食事に再度没頭するはず。慣れたやり取りだ。だが、今朝の反応はいつもと違った。 箸の動きがお留守だ。凛は何やら真剣な面で画面を見つめている。画面を食い入るように見たかと思うと、今度は口元に手を当てて何やら思案。真剣に考える時の癖だが、ニュース一つにこんな反応をかえすのは珍しい。 「……リン、何か気になることでも?」 セイバーも箸を置いて問う。 「え?あ、いや、なんでもないのよ。まだ確証があるわけでもないし……」 「ならいいけどさ。なんかあったらちゃんと相談してくれよ」 慌てて手を振って否定し、凛はまた黙り込む。士郎は微苦笑してそれに答えた。こんな風に考えている時の凛には何を言っても無駄だ。士郎は経験からそれをよく知っている。結局は、つつがなく進む食事。二十分もすれば、ご飯から味噌汁まで、すっかり綺麗に平らげられている。 『ご馳走様でした』 三人で手を合わせて食事終了。食後のお茶を楽しんで、さて後片付け、とばかりに士郎が席を立とうとしたところ 「あ、ちょっと待って」 凛に呼び止められた。 「ん?なんだよ遠坂」 どっこいしょ、とあげかけた腰を戻す。 「――例の件なんだけど、やっぱり確実みたいね。目立たないけど、この一ヶ月で確かに増えてるわ」 「行方不明者のことですか。聖杯戦争の余波が残留しているとも思えません。吸血種などの要因でなければいいのですが」 「やめてくれよ、セイバー。縁起でもない」 凛の言葉に、セイバーが厳しい顔をする。士郎は嫌そうに反論しながらも、「例の件」について思い返していた。 ――冬木市で行方不明者が増えている。それも、中高生を中心とした若い者たちが。 そんな噂がたったのはおよそ一ヶ月前。確証はないし、はっきりと目に見える形のデータにも出ていない。あくまで噂を出ない域の与太話だった。実際、警察が動くそぶりは全くなかったし、魔術協会や教会の動きも欠片も無い。犯罪の増加であろうと、超自然的要因だろうと、わざわざ本当かどうか確かめるまでもないことだ。そう判断するのが通常だろう。 だが、「正義の味方」衛宮士郎にとっては放っておけるはずもない。ただでさえ、冬木の街は二度にわたる聖杯戦争の傷痕を留めているのだ。どんな小さな不安事でも、出来れば招きいれたくない。そんな思いから、士郎は詳しいデータの分析や情報の収集を凛に頼んでいたのだが―― 「幸い時間の余裕はあるし、何かしたほうがいいよな、やっぱり」 士郎が腕を組んで一人合点。凛はお茶をすすり、一見無表情に士郎に視線を向ける。 「そりゃどうにかしなきゃいけないけど。具体的にどうするのよ?」 「聖杯戦争の時と一緒だよ。行方不明者がいるってことは、行方不明にさせている奴が別にいるんだろ。夜の見回りをしようかと思ったんだけど」 「……やっぱり、そうなるのね」 はぁ、と大袈裟に溜息つく凛。全身から「やれやれ、まただ」と言わんばかりのオーラを発している。どうせ反論しても一人で動くのだろう。放っておくわけにもいくまい、と思う。 「あーあ、ま、仕方ないか。セイバーはどうする?」 「私はリンとシロウに従います。何か危険があるとも限らない」 「決まりだな。じゃ、今夜から早速――」 議論がまとまり、士郎が腰を浮かせかける。と、同時に 「でも、私今夜は無理よ」 凛が話の腰を折った。再びぺたりと座ることになる士郎。端から見ているとわりと慌しいかもしれない。 「昼過ぎからお客が来るの。覇道と魔術協会のキモ入りでね、すっぽかすわけにもいかないし。もう少ししたら出るわ」 「へえ、遠坂の家にお客なんて珍しいな……じゃ、明日からにしよう」 三度目の正直。士郎は頷くと、後片付けをすべく食器類を手に取った。カチャカチャと食器と食器が触れ合う音に、チクタクと時計の音が混じる。冬の一日が始まろうとしていた。 *** 買い物ついでに凛を家まで送っていこうと、士郎も街へ出た。セイバーは留守番だ。一応凛の使い魔という名目ではあるのだが、暮らしている家はいまでも衛宮邸だ。凛にしても半分衛宮邸に住んでいるようなものなので、これはこれで問題はあるまい。 薄曇の空の下、他愛もない話をしながら二人歩く。冬木市は深山町の中央に位置する交差点を経由し、商店街へ。クリスマスも間近のせいか、どこもそれなりに浮かれた雰囲気だ。商店街の店の幾つかは、それなりに贅を凝らした装飾を始めている。 「しかし本当に珍しいなあ。そのお客さんって遠坂の家に直接来るのか?」 はい、と街頭販売の肉まんを渡しつつ士郎が問う。凛は湯気たてるそれを受け取ると眉をしかめた。 「あ、ありがと……他の魔術師を工房に入れるなんて論外なんだけどね。一応協会の手前もあるし、覇道のお使いじゃ断りきれなくて」 「そんなもんなのかな。あれ、でもそれじゃあ、俺が遠坂の家に行くのもまずいんじゃないか?」 「なんでよ?」 きょとんと凛が問い返した。腰に手を当てて訝しげに見つめる御馴染みの姿勢。 「いやだって、一応俺も魔術師なわけだし。遠坂に迷惑じゃないのかな、と」 考え考え言う士郎。一瞬の間。直後、 「問題無いに決まってるじゃない!今更何言ってるのよ、もう……」 があー、とばかりに凛が吠えた。本当に今になって何を言い出すのだこの男は。そう言いたげな雰囲気が全身から滲み出ている。 「でもさ、遠坂」 「ああもう、しつこい!何、それとも士郎は私の家に来るのが嫌なの!?」 「そんなわけないだろ。遠坂と一緒にいれるのは嬉しいしさ」 「なら構わないでしょ。もう、何言い出すかと思えば……」 ぷい、と横を向いて口を尖らせる。変に鈍感な士郎と吠える凛。この会話の流れもいつものこと。 上り坂になった。小高い丘の左右に並ぶのは高級住宅街。桜の家もこのあたりだ。さらに歩みを進めると、丘の頂上近く、豪奢な館が見えてくる。冬木を昔から護ってきた遠坂一族、その拠点である洋館だ。背の高い緑樹に囲まれたそこは鬱蒼とした空気を纏い、何も知らぬ人間を拒む雰囲気を放っている。見る者が見れば、矢張り魔術師の工房だと知覚し得るかもしれない。 「あー、やっと着いた。士郎、まだ時間あるし少し寄ってく?」 凛がくるりと振り返って問う。冬の冷たい風に黒いツインテールが流れた。赤い私服コートとのコントラストが映える。この冬場でも短いスカートとニーソックスなのはある意味大したものだ。士郎は少し逡巡。時計を見ると午前十時だ。 「そうだなあ。まだ昼食には早いし……じゃあちょっとだけ」 昼食、と言葉に出したとき、士郎の脳裏に食事まだーといった態のはらぺこ騎士王がなぜか浮かんだ。とりあえず気にしないことにし、館の入り口にと向かう凛に続く。 ざわり 「ん?」 違和感。士郎は、遠坂邸の脇から伸びる裏路地に目をやった。いつもの昼なお暗い路地から、微かに妙な気配が漂っている。波動というにはあまりに微弱。だが…… 「……遠坂」 「今気付いたわ。付いてきて」 士郎は凛に殺した声かけた。凛は振り向きもせず答え、館から路地へと頭を向ける。二人はほとんど同時のタイミングで気付いていたらしい。魔術師二人して気付いた“妙な気配”が何かなど、問うまでもあるまい。路地の入り口に立つと、ぞわりと肌が粟立つ。いわば水底。それも、管理するものもいなくなり、緑色の藻が密集し腐った水の悪臭を放つ、遺棄されたプールや貯水タンクのそれだ。 見る限りにおいては、路地には何も変哲がない。感覚遮断を行っているのか、外部からは中を伺うことは出来ない。いつものほの暗い路地が移っているだけだ。僅かな音も漏れ聞こえないことから察するに、結界の張り手は一流の術師だろう。 「――結界、だな。それもかなり強いヤツだ」 「そうみたいね。はん、人の庭で好き勝手やってくれるわ」 凛は不機嫌そうだ。士郎を振り向くこともなくずんずんと路地へと進んでゆく。止めても無駄なことを、士郎は嫌というほどよく知っていた。それに、知らん振りして放っておける事態でもない。 「さて、と……」 手を握って魔術回路の調子を確かめる。問題なし。深呼吸一つすると、士郎は凛の後へと続いた。 *** 「クトゥグァ!イタクァ!」 叫びと共に、薄暗い路地にマズルフラッシュが走った。黒と赤の自動拳銃、銀の回転式拳銃、二挺の魔銃が咆哮し、閃光を放つ。自動拳銃より放たれたのは炎に包まれた一つの弾丸。回転式拳銃が生み出したのは氷で彫刻された六の銃弾。炎は空気を文字通りに焼いて、路地を真っ直ぐに走った。氷の群れは炎の軌跡を彩るように、それこそ上下左右広角狭角自由自在に飛び回る。厚さ数センチの鉄板を撃ちぬくクトゥグァ、弾道が一切予測不可能なイタクァ。古き神々の鍛えたこの二挺拳銃を耐えきるものなど、おそらくは、無い。 (もらった……!) 拳銃を放った青年は内心でガッツポーズを取る。標的は丁度真正面、路地の奥に立っているだけ。外すわけも無い――そう思った矢先だった。 「オン・シベイテイ・シベイテイ・ハンダラ・バシニソワカ!」 聞きなれぬ詠唱が目標の唇から漏れ出した。銃弾が狙う先は、太ったスーツ姿の男。彼は慌てず騒がず右手をポケットからゆっくり抜いた。左手はポケットにいれたままだ。呪言を唱えつつ印を切り、右手を突き出す。ごう、と、膨らんだ袖口から白地に赤で記した符が滑り出た。 符は無数に現れ出で、折り重なると巨大な円形を形作る。高速で襲い来る七の弾丸を受け止めるための、呪術的な防壁。防壁が完全に展開されたと同時に 轟! 魔銃クトゥグァ、イタクァから発せられた合計七つの銃弾が符による守護陣を直撃した。拮抗し、溢れ出る魔力。銃弾が押す、符が耐える。しばしの、実質的には数秒にも満たぬ押し合いへしあいの末。ぎいん、と音立てて銃弾が弾き飛び、ぱりん、と鳴って防壁が割れた。 「ちっ!」 銃弾を放った青年は舌打ち一つして距離を取る。太った男はまたハンドポケットに戻すと、にいと口元を歪めた。ぱあ、と、雲の切れ目から僅かな陽光が降り注ぐ。 奇妙な二人だった。拳銃を構えた青年は身長180cmをクリア。筋肉質に鍛えこまれた全身がぴったりと浮き出る、どこかヒーローめいた黒の衣装。肩に浮かんでいるのは少女の人形だろうか。鋭い吊り目がちの精悍な顔つきといい、溢れ出る魔力といい、一度見たら忘れられないといってよかろう。 片や、ずんぐりむっくりという言葉がそのまま似合いそうな怪しげな中年男性。上仕立ての灰色のスーツにマフラー、黒いサングラスにナマズ髭。どこからどうみても「パルプ・フィクションに出てくる怪しい東洋人」でしかない。口元に浮かぶいやらしい笑みと、全身から滲み出る負のオーラといい、こちらはこちらで印象的過ぎる姿だ。 「ようやく追い詰めたぜ、馬呑吐!神妙にお縄につきやがれ!」 「いやいやまったく、威勢のいいことネ。流石は名にし負う大十字九郎、こんな辺鄙な街まで追いかけてくるとは思わなかったヨ」 指を突きつけて叫ぶ大十字九郎に対し、馬呑吐は口元を歪めた。 (そろそろ小娘が来るな。頃合か――) 心の中で呟くと、馬は身をかがめる。ちょい、と帽子をとると九郎にむけて皮肉に笑った。 「さて、と。そろそろ邪魔が入りそうなので私はこれで失礼。それじゃ、再見(ツァイツェン)!」 「この、待ちやが――」 馬呑吐が路地の塀へと飛び上がる。逃がすか、とばかりに九郎も飛ぼうと身をかがめた。 「!?待て、九郎!」 瞬間、無数の銃弾音と閃光。九郎の肩口の少女人形が叫ぶのと。路地の一帯を無数のガンドがえぐったのは全くの同時だった。 *** 「……いや、遠坂。やりすぎだろ」 「当然でしょ。人様の庭で結界張って大騒ぎ。ガンド乱れ撃ちでも甘いくらいよ」 ガンドでえぐれたコンクリートと、一部が崩れた塀がもうもうと煙たてる。その中、轟然と言い放つ凛に士郎は頭を抱えた。結界内の路地に駆けつけた二人が目撃したのは、拳銃構える青年と塀の上で鮫のような笑い浮かべるスーツ姿の太った男。膨大な魔力反応からして、前者が魔術師、後者もそれに類する人外であることは一目瞭然だった。その光景を見るなり凛は――よりにもよってガンドを山ほど撃ちはなったのである。相手が何者かも確認せずの暴挙に、さすがの士郎もあいた口が塞がらなかった。 「そうかもしれないけど……おーい、生きてるかー」 瓦礫を踏みしめ、士郎は路地の奥へと進んでゆく。ざり、ざり。歩を進めるごとに粉になったコンクリートの感触。ガンドがこれほどの破壊力を有するとは、改めて遠坂凛という魔術師の才を思い知る。 ごとり。一際高く山のように積まれた瓦礫が揺れた。身をかがめて覗いてみれば、コンクリートの隙間から、もぞもぞと動く人間らしき姿。てくてくと、凛も近づいてくる。がたり。中から山を崩したのか、誰かが埃まみれで這い出してきた。 「けほっ……し、死ぬかと……」 「死ぬかと思ったではないか!このうつけええええ!」 「へぶっ!?」 「士郎っ!?」 青年の声に続き、やや幼げな透き通った声。その声と共に、コンクリートの山を崩して、細い脚が士郎の顎を蹴り上げた。もんどりうって転倒する――とまではいかなかったものの、威力は十分。期せずして天を見上げる形になった士郎へと凛が駆け寄る。 「そもそも汝らは何なのだ!結界に無理やり割り込んでくるわ、見るなりガンドなどという無粋な術を放つわ、素人としか思えぬ。せっかくの好機にあの馬めを逃してしまったではないか!」 「いや、アル。あいつそれより先に逃げてたから」 士郎に蹴りを入れた少女は、積み重なった瓦礫に仁王立ちしてとうとうと喋り始めた。ようやく這い出してきた青年――大十字九郎が突っ込みいれるも、聞いていない。 「――人の管理地で好き放題やっておいてよくもそんなことが言えたものね」 怒鳴り返すかと思えば、凛は凛で、アルと呼ばれた少女見つめたまま、表情変えずに冷たく言い捨てる。その声を聴いた瞬間 (あ、やば) 士郎は瞬時に危機を察知した。遠坂凛が一番危険なのはこういう時だ。一触即発の事態になる前に、自分がなんとかしなければ――。 「待った待った!とりあえずなにがどうなってるかさっぱりわからない。状況を説明してくれよ。それに、アンタたちも一体誰で、なんでこんなことやってるんだ」 慌てて割ってはいる。遠坂凛の手前に士郎、士郎を挟んで青年とアルなる少女といった構図だ。士郎ははじめてはっきりと二人組みを目にし、密かに感嘆した。 青年が纏うは、白い上着に目元までかかる黒の髪。柔和でありながら弱さを感じさせないのは、瞳にこもった強烈な意志のせいだろう。それなりに外見に気を使って街を歩けば十人中半数は振り向くだろう美青年だ。雰囲気の柔らかさと穏やかな面が、一層魅力を引き出していた。 一方の少女は、大胆なカットにフリルで飾った、どこか下着めいた服装。すらりと伸びた手足は、色気という言葉から程遠いが、それゆえに純粋な美しさをかもし出している。滑らかな紫の髪は地面につかんばかりに伸びており、エメラルドめいた翠の瞳が魅惑的だ。口調といい、腰に手を当ててふんぞりかえった態度といい、傲岸不遜とみえるがそれが嫌味でないのはなにゆえだろうか。 「あー、俺たちは覇道財閥の依頼でこの街に出たっていう吸血鬼を追ってたんだが……なあ、アル?」 「うむ。九郎の言う通りだ。本来ならば管理者に面通しをすべきだったのであろうがな、彼奴との遭遇が急だったゆえこうなった。結界をはったのも彼奴を逃がさぬためだったのだが――汝らが台無しにしてくれたな」 頭をかく青年九郎と、腕を組んで仁王立ちする少女アル。管理者との言葉に士郎は凛を見返す。と、遠坂凛は何やらきょとんとして二人を見つめている様子だ。 「え?貴方たちが大十字九郎とアル・アジフ?」 「あ、ああ、そうだけど……シュルズベリィ先生と姫さんから話いってないかな」 凛が問い、九郎が訝しげに答える。凛は二秒黙考すると、くるりと踵を返して九郎に声かけた。 「あー、なるほど。そういうわけね……仕方ない、話は屋敷で聞くわ。着いてきて」 「ちょ、ちょっと待てよ遠坂!俺にはなにがなんだか」 「後で士郎にもわかるように説明するから。あ、一応言っておくけど、私が遠坂凛。冬木の管理者で遠坂の家の長。で、こっちがパートナーの衛宮士郎ね」 一瞬足を止めて凛が言い放ち、すぐにまた踵を返した。振り返る気配は無い。士郎は困ったあとばかりに天を仰ぎ、とりあえず頭を下げた。 「あー……衛宮士郎です。なんだかいきなり凄いことになってますけど、よろしく」 「あ、こりゃ御丁寧に。俺は大十字九郎。で、こっちがアル・アジフ。こちらこそよろしく」 「うむ。以後見知り置くがいいぞ」 吊られたように頭下げる九郎。一方のアルは相変わらずだ。傲慢不遜な態度がかえって自然にみえるのがおかしい。 (あれ?アル・アジフってどっかで……) 士郎は心の中で首をひねった。どこかで聞き覚えのある名前なのだが…… 「士郎、早くして」 「お、おう。それじゃ、大十字さんたちもこっちへ」 「ああ。じゃあ、行こうか」 路地の入り口から凛の声が届く。慌てて答えて、士郎はそちらへと向かった。九郎とアルもそれに続く。先まで大暴れのあった路地は、もうしんとして、常の如く人気が無い。 (また厄介なことになりそうだなあ……) 士郎はそっと溜息をついた。その予感は間違っていなかったことが後日証明されるわけだが。 とまれ、これが衛宮士郎と遠坂凛、大十字九郎とアル・アジフ。この二組の初の遭遇であった―― *** 「聖杯の徒どもが旧神の揺籃に接触したか」 暗闇の中、紫の法衣纏う少年が詠うように呟いた。視線の先にあるは、薄い光に浮かび上がる木製の机、肘を突いて手を組む神父の姿。 「あの地は私の管轄――とはいえ、活躍の場を譲るにやぶさかではない。どうかな、マスター・テリオン?」 「いや。余の目的は根源に通ずる両儀ゆえ、魔界都市へと出向く。連中の処理は貴公に一任しよう」 「それは重畳。ただ、私の手駒は少々心もとない。少しの援助をもらえる助かるのだがね」 「貴公らしくもない弱腰だな、言峰神父。案ずるな、既にクラウディウスとカリグラ、それに鏡の怪物(ミラーモンスター)を送ってある。貴公の采配で存分に使ってくれたまえ」 マスターテリオンの悠揚せまらぬ言葉に、言峰は余裕綽々の笑みを浮かべた。がたり。椅子を蹴って立ち上がり、机に手をつく。冷笑的な視線は、テリオンでなく虚空を見つめているかのようだ。 「感謝しよう。あちらの手駒は聖杯、旧神、騎士王が確定。ワルプスギルスの魔女めの動きを考えると、少々心もとなかったところだ」 「戯言を。そちらも手駒を隠しておいているだろうに――貴公らも、挨拶くらいするのが礼儀ではないかな」 金髪をくりくりといじくり、延々と続く暗い虚空にテリオンが声かけた。応えるように、カツリと、二つの足音が重なる。うっすらと、どこから漏れてるかわからぬ光に二人の男性が浮かび上がった。 「一度は死した身なれど、鏡の世界と超時間の遺物の加護があるとはな。私にも予想外であった」 一つは巨体。軽く六尺を越す背の丈に、それに見合った頑健そのものの体つき。厳しく引き結ばれた口元と苦悩に満ちた面は苦行僧を思わせる。袈裟めいた緑のコートがその印象をより一層強めていた。 「なに、もとより私は死人に過ぎぬ。花鳥風月を今一度愛で、死力を尽くした戦を味わえるならば何も言うことは無い」 今一つは眉目秀麗たる青年。藍の陣羽織、束ね流した長髪。伊達男、という形容が似合いすぎるくらい似合う。何より特徴的なのは、常識では有り得ない長さの日本刀。長巻すらここまでではあるまい。物干し竿、との表現がぴったりだ。 「ようこそ、今一度現世へ。主の名において、荒耶宋蓮と佐々木小次郎の帰還を祝福しよう」 二者を視界におさめ、掌を天へ向け、言峰が朗々と宣言する。高らかに流れる賛美歌、礼拝の如き神聖に満ちる空間に、こうして二人の魔人が顕現した。魔術師、荒耶宋蓮。サーヴァント、アサシンこと佐々木小次郎。かくして、アンチクロス、言峰神父、さらに無数の魔人を加え、悪鬼羅刹にも匹敵する人智を絶した存在どもが冬木に集うこととなる。 「さて、衛宮士郎。此度はどう切り抜けるかな――」 言峰が人知れずほくそ笑む。その暗い笑みはあまりに酷薄で、それでいて慈愛に満ち満ちたものだった。 (第7話・了) 【トップへ】【第8話へ】 |