異界の神、だって?」
 蒼崎の事務所、数ヶ月前。両儀式は蒼崎橙子を訝しげに見つめた。それはそうだ。オカルト絡みの話は日常茶飯事とはいえ、“異界の神”などという珍妙な単語をいきなり言われても困る。
「ああ、文字通りに“神”のことだ。言っておくが、唯一神や八百万が物理的に実在したという意味ではないぞ」
「英霊や神霊といった類とは違うのですか?」
 橙子は眼鏡をずらしたまま、煙草一口。黒洞鮮花が横合いから口を挟んだ。少女らしい整った面立ちは、話の流れが見えぬのか少し困惑気味だ。もっとも、困惑気味なのは式とても同じであるが。
「違う。無理に解説するなら深宇宙から飛来した企画外の生命体だな。中には並行世界を自由に行き来し、あらゆる時間と空間に同時に存在するモノもいるという話だがね」
「橙子師が仰っているのは、『死霊秘法(アル・アジフ)』に記されている事柄でしょうか。実物を見聞したことはありませんが――」
「鮮花が見ていてたまるか。あんなモノはね、無いほうがいいんだ。過ぎたる力が身を滅ぼす――なんて言うつもりは無いがね。異質すぎる力には触れないほうがいい。根源に辿り着く前に呑み込まれてしまうのが精精だろうさ。何事にも例外はあるが」
 橙子がまた紫煙を吐き出す。忌々しげな調子が言葉に含まれているのは気のせいだろうか。鮮花は熱心に耳を傾けている。カチ、カチと、古風な音たてて時を刻む秒針。
「呑み込まれなかった奴もいるってコトか」
 コーヒーを一口すすって、式がまた口を開く。どんな話の流れでこんな話題になったのだったか。とまれ、気になる話題なのは確かだ。橙子や鮮花、それに幹也といった連中と付き合っている限り、どんな輩に出会うのかはわかったものじゃないのだから。
「いるらしい。ただ、異界の神の力など求めるのは、ほとんどが狂人だ。協会にしてみれば全力で排除したい相手だし、私だって関わり合いになどなりたくない。そんな中で名の売れた輩といえば――」


 ――暗転。では、本舞台に戻るとしよう。



ミラーワールドのアリス第六話「そして次なる魔都へ」



「マスターテリオン……!」
 式の脳裏に、橙子との会話の記憶が蘇る。
「お取り込み中失礼した。根源に繋がるモノに会ってみたくてね、こうしてお伺いした。急な訪問をお許し願いたい」
 窓際に佇んだまま、上半身を傾け、テリオンは優美に一礼した。身を起こす目元にかかった金髪をさらりとかきあげ、微笑を湛えたまま式をじっと見つめる。
 驚くほどに美しい少年であった。細面に艶のある豪奢な金髪、紫の法衣と白い肌のコントラストが病室に映える。この病院の主、ドクター・メフィストと良い勝負だろう。否応なく放たれる圧倒的な圧力までが共通している。両儀式は一瞬なりとも見惚れかけ――すぐに気を引き締めた。
 気を張ったのは、目の前の少年が敵だという認識からだけではない。ドクターメフィストとマスターテリオンの明確な相違点。そう、己の患者に対しては天使ともなるかの院長に比して、この魔術王から感じられるのは、ただただドス黒い虚無的な悪意だけである。

「……幹也をどうした」
 押し殺した声で式が問う。病室の扉、ベッドから数歩に佇む両儀式。窓際のテリオンとの距離は目算で7メートル。一足刀の間合いである。武器がナイフしか無いのは心もとないが、贅沢は言えぬ。見れば、テリオンは余裕綽々とし、明らかに隙だらけ。式の腕前ならば、一足で詰めて死点を撃つことなど造作もあるまい。わざわざ問うたのは、黒洞幹也の安否をどうしても確認しておきたかったからだ。
「安心するが良い。余は無益な殺戮は好まぬ。貴公の餌とするために、我が城へと足労願ったまでのこと」
 王者の風格漂わせ、テリオンは倣岸と答えた。その言葉に嘘はあるまい。そもそも、常人にすぎぬ黒洞幹也がこの男に抵抗出来たはずも無いし、嘘をつく理由も何も無い。「足労願った」というのならば、幹也は今頃テリオンの城とやらにご招待というわけだ。舌打ちと共に、扉へと足を向けようとしたその刹那――


「少々慌しいのではないかな、両儀式。余自らが出向いているというに、あまりにつれない」
 轟、と。焦りの欠片も無い声と、魔力こもった光弾が式をかすめていた。光弾は式の身体すれすれを走り、開いた扉を抜けて廊下へと着弾。炸裂音たてると、小型のクレーターを残して消滅。ちょっとした爆薬並の威力だ。
「おまえの相手をしてる時間は無いんだ。用は済んだんだろう、さっさと帰れ」
 振り向きもせずに式は吐き捨てた。ひどく落ち着いた、冷たい声。ここ2日ほどのトラブル続きに、目の前の魔少年の忌々しさに、何より幹也を放っておいた自分の迂闊さに腸が煮えくり返る思いだ。欠片ほどの当てもなかったが、とにかく幹也を探しに向かいたかった。一々他人相手をしている暇など無い。
 式の様子に、マスターテリオンはくつくつと、髪を撫で付けながら笑う。す、と片手あげ、詠うように言葉を紡ぎ続ける。
「ところが、余は時間を持て余している。わざわざ<新宿>まで出向いたのだ。多少のもてなしがあっても、罰は当たるまい?」
 ぱちん!テリオンが指を鳴らした途端、病室の天井から両儀式へと、無数の光弾が軌跡を描いた。


「――っ!」
 咄嗟の寒気に、両儀式は浅葱の和服の裾翻し、前方へと跳躍していた。タイムラグ無し、ほぼノーモーションで発射された光弾の山。全てを無事かわせたのは、人並み外れた反射神経と無数の実戦経験ゆえであったろう。あと数秒遅ければ、光弾は式を焼き尽くしていたはずだ。証拠に、先まで己が立っていた床は大きくえぐれて焼け焦げている――!
 片膝付いて廊下に着地。即座に立ち上がりながら、緋のジャケットを翻し病室へと振り向く。愛用のナイフを懐から取り出すのも忘れない。手を滑らすと、ぱちりと刃が飛び出した。
 一方のテリオンは微動だにせず、一連の動きを楽しげに見守っていた。新しく手に入れたゲームを楽しむ、純粋無垢な子供の様子。姿勢も何も、全く動いてはいない。片方は廊下、片方は病室窓際。扉と無人のベッドを隔てて、式とテリオンの視線が交錯する。
「悪くない。あれだけの動きで全てをかわすとは、中々見事なものではないか」
 透き通った声が、冷たい賛嘆を放つ。僅かなりとも享楽を孕み始めた面。光弾の合図となる指先に、微かに力がこもった。
「だが、次は――」
 瞬間、テリオンの眉が上がった。言葉を終える前、信じられぬほどの速度で両儀式が床を蹴って襲いかかってきたからだ。


 ここがチャンスだ。判断した瞬間、式は爆発的な勢いで床を蹴っていた。みすみすあの指を鳴らさせるわけにはいかない。この限定空間で光弾を連発されてはとてもではないが勝ち目が無い。幸いというべきか、テリオンは己のことを侮っているようだ。わざわざ式の行動を観察し、感想を述べ、おまけに芝居がかった台詞を述べねばアクションを起こそうともしない。
 手には刃。いかに魔人テリオンといえども、死の線を断ち、死の点を突けば“壊れる”ことは必定だ。距離は少し開いて8メートル強。届く!
 軽功術もかくやと思わせる神速の疾駆。地に足をつけず、床を蹴る。古来より武芸者が得意としたという、文字通り一足刀の動きだ。床、ベッド、家具、壁面全てを力点とし、式はテリオンへと駆ける。瞳に意識を集中。線と点とを認識すべく、鋭く動く瞳。肩口までの髪は向かい風を受けてたなびく。加速された思考と動きは完全に協調している。テリオンに刃が届く距離に走るまで、ものの秒とかかってはいまい。
 到着。標的に動きは無い。死点と死線を認識し、紫の法衣を糧とすべく、ナイフが空間を疾り――


「残念ながら、徒労であったな」
 テリオンに突き刺さったと見え――何たることか、式のナイフはテリオンの身から数cmで盾に阻まれたかのように停止しているではないか。直後、カチン、と硬質な音立てて、散華するナイフ。破片が舞い落ちる中、テリオンの冷笑と式の蒼白が異様に際立って浮かびあがる。

 ――防護結界!

 瞬時にバネを溜めたのは流石というべきであろう。冷や汗つたらせ、式が飛び下がる。テリオンは追撃の様子も無い。
「神とて殺す貴公とはいえ、目に見えぬ結界にまでは注意が回らなかったようだ。いや、落ち込むことはない。今の一撃、なかなかのものであったぞ」
 悠然と言葉紡ぐと、テリオンの姿が掻き消える。舞い上がる風とて無い、神速。振り向く暇もあろうことか、ぴたりと式の背中に添えられた手。
「これは返礼だ。受け取るが良い」
「―――っ!!」
 零距離から発せられる光弾。感電したかのような衝撃が全身を走る。式は吹き飛ばされ、ベッドに身体を打ち付ける。唇を噛んで悲鳴をこらえるものの、神経の焼ききれんばかりの痛みは手に負えない。身を折ってベッドにもたれかかるように崩れこむ。
「やれやれ、他愛も無い。貴公を釣る工夫の必要も無かったかもしれんな、これでは」
 テリオンが嘆息した。悠然と歩を進め、ベッドの脇に立つ。さらりと金髪かきあげ、必死の形相で見上げる式を見おろした。
「多分に喰い足りぬが、終劇か。何、すぐに終わる。怖がることはない」
 今一度テリオンの掌が開く。式の意識を奪わんと、再度光弾が生まれた。
 全く同時に、錆びた声が響く。


「――傷害罪を確認。逮捕するぜ、動きたくても動くなよ」


 轟音と閃光。テリオンの視覚を標的として、55口径の閃光弾が走った。床に着弾と同時に、病室を覆い尽くす光。さしもの魔人も、一歩後ずさる。式の視界も、当然真っ白だ。「ほう、貴公は……!」
 あくまで悠然とした声が届いた。式の、刹那の閃光にくらんだ視界が徐々に晴れる。
 思ったとおりだ。圧倒的な凄み、野生の匂い。おまけに、こんな化物じみた銃弾を操れる人間など魔界都市にも1人しかいない。鍔を焼いた黒の眼帯、妖々たる面構え。ドレッドヘアーが風に揺れた。“凍らせ屋”屍刑四郎である。
「一応聞いておくか。怪我は無いか?」
「見てわかるだろ。それに、来るのが遅い」
 屍が式を引き起こした。少し咳き込んで立ち上がる式。錆びた野太い声と細く透き通る声で、対照的な二人がニヤリと笑みをかわす。


「これはこれは!サービス精神の旺盛なことだ。今しばし余を楽しませてくれるか!」
 髪をかきあげ、少年が笑った。無邪気で無垢な、それでいて陰鬱な嗤い声。ふわり。跳躍したとも見えぬのに、その姿は窓の桟にすっくと立つ。ベッド脇に立つ式・屍は睨みあう格好だ。
「――では、これならどうかな?」
 テリオンは無造作に手を突き出す。その仕草に式と屍が身構えた瞬間、二人に鋼鉄の重りが圧し掛かった。いや、鋼鉄どころの騒ぎでは無い。通常に数十倍するG、重力結界が圧搾せんとのしかかってくる。
「っ、なんだ、こいつぁ……!」
「く……っ!」
 屍と式は呻き声を漏らすことしか出来ない。びきびきと骨が軋み、足元のコンクリートに亀裂がはいる。一挙動で重力という事象を操るテリオンの力こそ、もって知るべし。世界の法則の改変をこれほど容易になす一点からみても、マスター・テリオンは桁違いの魔人であることが知れよう。かつてマスター・オブ・ネクロノミコンと死霊秘法をも苦しめた重力結界、常ならばこのまま犠牲者は蛙の様に潰れて終わりだ。
「っ――この、バケモノ……!」
 整った面を重みに歪め、式がテリオンを睨みつける。鋭い瞳に宿る強い意志の光。テリオンはそれを見ると満足げに頷いた。
「良い眼だ、両儀式。貴公は外見もなかなかの芸術品であるな」
 テリオンの弾んだ声。式に夢中の彼は気付いていない。屍刑四郎の隻眼に宿る、狩猟者の光に。


 屍刑四郎は冷静だった。テリオンとやらは確かに化物だ。横のお嬢さんも気にかかる。一見すると登場するなり絶体絶命のピンチといった風情。
 そのうえで、今は最高の攻撃チャンスだ。相手は1人、こちらは二人。式の直死の魔眼のことは聞いている。ついでにいえば――この程度の重力ならどうにか動ける(・・・・・・・・・・・・・・・・)。
 重力に押しつぶされるような振りのまま、じり、じりと、動きを気取られないよう、懐の“ドラム”へと手を伸ばす。横で両儀式がテリオンを睨み付けている。テリオンの視線はそちらへ釘付け。目配せすると、式は口端でほんの少し笑ってみせた。聡明なお嬢さんだ、相談の必要もなく、何をどうするかわかっいるらしい。才色兼備って言葉がぴったりだな。らちもない感想を抱いた途端、“ドラム”へと手が届く。チャンス!
「お嬢さん、今だ!」
 叫ぶと同時に戒めは解かれ、“ドラム”が獲物を喰らわんと咆哮した。

 両儀式も冷静だった。マスターテリオンは聞いていた以上の怪物だし、この状況はわりとヤバイ。自分1人なら、ここでジ・エンドだったろう。そう、1人なら、だ。
 魔界刑事・屍刑四郎。このうえない助っ人が、絶好のタイミングで現れてくれた。この化物刑事なら、重力結界の中でも少しは動けるだろう。自分がテリオンに憎まれ口を叩いている間の目配せ。やりたいことは大体わかった。幸いというべきか、もっけの問題である超重力の発生源は、自分たちを取り巻いている結界だ。
 そう、することはとっても簡単な、単純すぎること。超重力も、結界という現象である以上、殺せるのだ。
「お嬢さん、今だ!」
 鋭い叫びが響く。全力を振り絞り、結界の一点目掛けて、砕けたナイフの破片投げつける。
 ザクリ。式が重力結界を殺した直後、凄まじい銃声が耳元で響いた。


「ぬ、貴公ら――!」
 マスターテリオンの涼やかな面が、一瞬歪んだ。
 三者の力関係は一見明らかである。純粋な戦闘の力量でいえば、式と屍を合計してもテリオンには及ばない。明白すぎるほど明白な事実だ。
 だが――いかに魔人マスターテリオンでも、この一撃は予想の外であったろう。重力結界が一瞬で消滅し、初速500m/sを超える怪物銃弾が襲いかかってきたのだから。加えて、幾重もの防護結界を何なく貫き、テリオンに肉薄するではないか。
 それも道理。新宿警察署装備課課員・平平助特製、徹呪甲弾。<新宿>でも増加しつつある呪術的兵装を破壊するためだけに作られた特殊弾である。<新宿>のオーバーテクノロジーと平平助の職人技術。さらに“ドラム”を手にした屍刑四郎による一弾だ。マスターテリオンの防壁といえども、貫けぬ道理が無い。
「小細工を……」
 だがそれでも、テリオンは矢張り怪物であった。鼻を鳴らし、一節を詠唱。
 八重の防護結界の七までを喰らい、必殺のタイミングで迫り来る徹呪甲弾。
 紫の法衣を揺らし、空気を焼いて走る左手。一節(シングルアクション)で術式を行使したのか、掌には蒼い炎が灯っている。
 八重結界全てが破壊された瞬間。超高速で振るわれた炎纏う左掌が銃弾を弾き飛ばしていた。

「詰まらぬ細工だ。だが、さしもの余も少しばかり焦ったぞ」
 楽しそうな、冷たい嘲笑。弾き飛ばされた銃弾は天井に弾痕を残していた。テリオンは天井を仰ぎ見、金髪をばさりと広げ、式と屍に振り返る。
「さて、次はどのような――っ!?」
「残念ながら次の幕は無しだ。あばよ、大魔術師さん」
 振り返った途端、今度こそテリオンの表情が真の驚愕に歪んだ。
 鮫のような嗤い浮かべ、屍が取り替えたばかりのシルクの上着から草花を剥がす。薄、桔梗、萩、笹、女郎花。式は廊下に走り出て、伏せた。屍も飛び退りつつ、オーバースローで無防備のテリオンへと草花の山を放り投げる。
 一際大きい、爆発音と爆風だった。


「…やったのか?」
「だといいが、ね」
 式と屍は身を起こすとそれだけを言い交わした。見る影もなくボロボロになった病室と廊下。式の浅葱の和服も、屍のスラックスにシャツも粉塵で白く汚れてしまった。窓と崩落した壁から吹き込む風が、白煙を吹き散らす。徐々に視界が晴れてきた。
 病室は酷い有様だ。スチールのベッドは粉々にくだけ、四方八方の壁は修復不可能なまでに亀裂が入っている。天井はもうガタガタで、崩落してこないのが不思議なほどだ。キャビネットやら時計やらは、跡形も無い。外に面した病室の端、窓の桟に視界をむける。
「いや、見事なものだ。永遠に遊んでいたいほどと思わぬか、エセルドレータ?」
 式と屍は揃って溜息。当然のような顔で、テリオンは桟に立っていた。いや、立っているのではない。既にボロボロとなった桟は足場としての用を成さぬ。彼は、単純に、空中に浮かんでいた。外傷などあるはずもない。微笑たたえつつ、矢張り宙にあるもう1人に声かけた。
 いつからそこに控えていたのか。テリオンの横、黒の少女が浮かんでいる。黒の長髪、黒曜石の瞳、ぬけるような白い肌が際立つ黒いドレス。エセルドレータと呼ばれたその少女は、慇懃に一礼すると、テリオンに答えた。
「マスター、お戯れはそれほどに。神父より伝言を承っております。『門の確保に成功。至急戻られたし』」
 テリオンの面が不機嫌に染まる。しばらく憮然としていたが、忌々しげに声を吐き出した。
「仕方あるまい。エセルドレータ、戻るぞ」
「イエス・マスター」
 エセルドレータはまたも礼。
「おい待て!幹也を……!」
 思わず式が鋭い声を放つ。思い出したように、テリオンが式に目をやる。
「というわけだ、両儀式。次は貴公から尋ねてもらうことになりそうだな」
「黒洞幹也様は大事にお預かりしております。ご心配なきよう」
 エセルドレータが透き通る声で丁寧に補足し。元ブラックロッジ大首領とその腹心は、それだけ言い残すと宙に溶けるよう消えていった。


***


「――それで、結局どうするのかね」
 数時間後。両儀式と屍刑四郎はメフィスト病院院長室にいた。混乱の極にあった病院も、優秀極まりないスタッフの活躍で正常業務に戻りつつある。指示にてんやわんやだった一時期も落ち着き、今院長室ある姿は白皙の部屋で椅子にかける二人と、病院の主、ドクター・メフィスト。
「幹也を探す」
 きっぱりと式が言い切った。屍が言葉を継ぐ。
「お嬢さんはそう言うしかねえだろうな。そういやメフィスト、残りの連中はどうしたよ?」
「博士ならとうに帰られたよ。ティベリウスにティトゥスからは伝言がある。前者からは『次はフルコースでいただくわよん』、後者からは『今一度の手合わせを願う』だそうだ。どちらがどちらに向けたかは言うに及ばんだろうね」
 メフィストの淡々とした声。天上の美貌は例によって完璧すぎるほどの完璧さを保ったままだ。純白のケープがふわりと舞わせ、椅子にもたれかかる。
 式は不機嫌に口元を歪め、屍はニヤリと笑った。それも束の間のこと。
「まあいいさ。それよりだ。幹也は“城”にいるとかアイツは言ってた。城ってのはどこなんだ、アンタなら知ってるだろう」
 苛苛と式が告げる。
「アメリカ、アーカムシティ近郊。まあ、間違いあるまい」
 式は思考を加速させる。パスポートはある。向こうでの生活や探索に必要な物品・金銭は実家でどうにでもなるだろう。学校は休みだし、いざとなれば休学すればいい話だ。急いで席を立とうとする。
「落ち着きたまえ。アメリカはおろか、アーカムシティだけでも十分広大だ。しかも相手は魔術師。君一人で黒洞くんを探し出せるのかね?」
 式は言葉に詰まる。メフィストの指摘はもっともだ。土地勘もコネクションもない自分が一人で幹也を探せるとは思えない。
(――ああもう、世話がやける!)
 心で幹也に悪態をつきつつ、メフィストを見た。白い医師は表情を動かさず、何やら封筒を差し出す。
「――まあ、何を言っても行くのだろう。幸か不幸か、私の知る限り一番の人探し屋がアメリカに出張中のはずだ。連絡先と紹介状を渡しておこう」
「感謝するよ、ドクター」
 式は封筒を受け取ると、今にも駆け出さんばかりの勢いで院長室の扉に向かった。やるべきことは、ただ一つ。
(幹也、待ってろよ…!)
 固い決意を秘めて、式は院長室から姿を消した。


***


 満月がステンドグラスを通し、教会を彩っていた。奥まった質素な一室、しっかりした樹の机に二人の男が向かい合う。
「魔界都市では一通りが終わったようだ。そちらではどうなって――と、女王(クイーン)を頂こうか」
 浅黒い肌の神父が独り言のように呟く。カソリックの正装ではないが、場と持ち合わせた雰囲気を鑑みるに、聖職と考えて差し支えあるまい。
「門の確保には成功した。少しばかり予定外の動きがあるが――では、こちらは騎士(ナイト)を貰おう」
 もう一人、純東洋人の巨漢が答える。こちらは一目でわかる“神父”の様相。全身からオーラめいた圧迫感が漂っている。
 二人の神父、ナイ神父と言峰綺礼神父はワイングラスを手にチェスに興じていた。ナイ神父は満足げに頷き、盤面を眺める。
「想定通りの展開といったところか。言峰神父、今の盤面、君はどうみる?」
「そちらの王手(チェックメイト)寸前。実に巧妙に計算しているではないか、ナイ神父」
 ナイが問う。言峰が轟然と答える。
「そう、全ては計算の通り。今度は初期条件の設定から緻密に行ったのだ。そう簡単に外れてしまっては困るのだよ」
 くつくつとナイが笑った。聖職者に相応しい穏やかな、それでいて全く相応しくない暗黒的な笑み。くい、とワインを飲み干すと
「盤面は読めた。夜も遅い、私は失礼させてもらおう」
 コートを纏い、ナイは戸口へ歩む。ばたむ。おやすみ、とばかりに手を振ると、言峰の返事も待たぬうちに、扉から褐色の肌の男は消えた。
 言峰はじっと盤面を見つめる。やがて無骨なその手が伸びると、端の一列、ただ一つの歩兵(ポーン)を一歩進めた。
「蟻の一穴。将の動きを読み込んでも、兵が全てを変えることがある。貴様が読み違えるとしたらそこだろうな、ナイ神父」
 みれば、今の一手で盤面はまた混乱の極地。勝敗が全く読めぬ状況に変わり。言峰はナイにも負けぬ暗い笑みを浮かべるのだった。


***


 数日後。両儀式は成田空港で国際線の出発を待っていた。目的地はアーカムシティ。いつもの如く、藍の和服に緋の皮ジャンが人目を惹いた。中性的に整った面立ちに無数の男が言い寄り、一睨みで撃退されるのもお約束か。
「お嬢さん、やっぱ行くんだな」
 ぽん。錆びた声と共に肩を叩く、大きな手。確認するまでもない。声と巨大な影と、普通の都市では有り得ない迫力だけで、誰だかわかる。
「なんだ、刑事さん、わざわざ来てくれたのかよ」
 振り向いて答えた。黒のスラックスとシャツに身を包んだ屍刑四郎が立っている。魔界都市ではこれ以上ないというくらいしっくりきていた鍔の眼帯、今はちょっとばかり浮いていた。
「あれっきりで、はいさようなら、じゃ目覚めが悪い。一応見送りくらいはな」
 屍が笑う。式も薄く微笑む。殺伐としていない笑いをかわすのは、そういえば始めてかもしれない。
『アーカム空港行き、JAL805便に登場のお客様は7番ゲートまで……』
 アナウンスが響く。式がボストンバッグを持ち上げた。
「有難う、刑事さん。次に<新宿>行ったら会いに行くよ」
「その時は例の彼氏と一緒に、だな」
 また笑いあうと、式はゲートへ足を向けた。見送る屍。こうやってみると小柄な和服の姿、徐々に、徐々に人の流れに飲まれてゆく。
「<新宿>の次はアーカムシティ。さて、俺も忙しくなりそうだな……」
 誰ともない呟き。屍がまた見た時、式の姿はもうすっかり人の波に消え去っていた。




ミラーワールドのアリス第六話「<新宿>・そして次なる魔都へ」・了





 ――さてはて、ここで舞台<新宿>は一端の終幕。次なる地は、聖杯が眠りし瀟洒な冬の街。奇人変人魔術師妖怪、おまけに古今無双の英雄までも交えた阿鼻叫喚の大騒ぎ。第二の開幕を、しばしお待ちあれ――


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