「つまらぬ」
 メフィスト病院地上6階。患者と病院関係者で賑わうはずの一角に、不満げな呟きが響いた。常ならばかき消されるはずの、ただ1人の呟き。それが異様に響き渡るのは、何故か。
 答えは単純。周囲には男の他誰も見えぬ。スチールの廊下、純白の天井は朱に染まり。階段を埋め尽くすは屍山血河。
 魔界都市にその名も知れたメフィスト病院。警備は確かに万全だった。霊体の侵入すら感知する最新レーダー。筋力、反射神経を強化された特殊警備兵。1級以上の医師以外通さぬとされるセキュリティ・ロック。果ては魔界都市に住まう妖物。ありとあらゆる障害が繰り出され。男、即ちティトゥスは全てを一刀の下に斬って捨てた。だが――
 「この程度では、足りぬ」
 その通り。相手にもならぬ。ティトゥスが求めるは命を削り、魂を削ぐ死合。己の力量を遥かに下回る相手など不要。刀の汚れを論じるつもりもないが、わざわざ此の地まで来た報いは欲しいものだ。
 「拙者の餓えを満たすものは――」
 呟き、一歩を踏出すティトゥス。刹那

 「フルコースがご所望かい、ミスター・サムライ?」

 錆の声が、響いた。
 コツン、コツン。薄暗い蛍光灯照らす廊下の奥より現れたは、2mに達しようかという長身。纏うは花柄を散らしたグレーの上着。シャツの上からでもわかる、張り詰め、鋼鉄にも比せられる全身の筋肉。指抜きの皮手袋と、頭部のドレッドヘアーが圧倒的なまでの凄みをさらに高めている。誰あろう、“凍らせ屋”(スパイン・チラー)屍刑四郎である。
 「騒乱、不法侵入、器物破損、殺人、その他もろもろで逮捕する。大人しくお縄を頂戴しな」
 刑事として最低限の警告だけを行い。屍は口元をニヤリと歪めた。

 「ほう……」
 屍の嗤いに、ティトゥスが片眉を吊り上げる。
 瞬時に理解した。この男は魔人だ。自分と同じ世界の住人だ。静かな殺気も、血の匂いも、戦を求めずにはおられぬ衝動も。その全てが己と同質のものだと直感が告げている。
 「念のため聞いておくが、判決はどうなるのか」
 一言。ただ静謐に、問う。

 「決まってるだろう、そんなのは」
 愉快そうに、実に愉快そうに屍が答えた。堪えきれずにくつくつと笑いが漏れる。
 「矢張りな」
 ティトゥスも心から楽しそうに答える。
 ぐにゃり、と。屍とティトゥスの間に位置する空間が、陽炎の如く歪む。一触即発。まさにその文字の通り。殺気と殺気が、極限まで高まったその刹那

 『死刑!』
 声が重なり。魔界刑事と逆十字は走り出した。



ミラーワールドのアリス第4話「メフィスト病院の死闘」



 ぐちゃ。めちゃ。

 メフィスト病院、死体安置所。死体安置所は、ある意味で病院の最聖域である。このメフィスト病院でも例外ではない。
 ゆえに、入り口を密封するのは、厚さ30cmに及ぶ超合金の扉。筋力改造を及ぼしたサイボーグでも破れる道理は無い逸品である。
 あろうことか、表面はケロイド状に溶解され、ぐずぐずと濁った音たてて腐敗していた。

 ねちゃ。ぬちゃっ。

 嫌らしい音が間断なく安置所から響く。何の音か。普段からここに詰めている医師や看護婦なら即座に理解しただろう。これは肉と肉汁の音だ。それも、程よく傷つき、腐敗し、蛆がたかる類の。
 「さすがメフィストちゃんの根城。死体も結構イけるじゃない」
 ぐちょ、ぬぷっ、ねちょっ……。生理的嫌悪感をそそる粘着質の声。その向こうに死体の山。あるものは棺桶から引きずり出され、あるものはホルマリンからぶちまけられ、またあるものは解剖台から引き摺り下ろされる。ティベリウスは、文字通りに(・・・・・)死体を己の糧としていた。
 道化の仮面が腐汁したたる柔肉を租借し、服の裾からはみ出た触手がずぶずぶと大腸小腸肝臓心臓を吸収してゆく。灰色がかった壁面に飛び散っているのは脳髄液だろうか。ホルマリン臭が充満した安置所の中、ティベリウスが纏う極彩色の道化服は、妙に映える。 「……そろそろ時間ね。じゃ、式ちゃんの所に――」
 ティベリウスが腰を上げた。その直後。

 「その必要は無いぜ」

 ハスキーでありながら、透き通った声が耳に届く。ティベリウスの視線の丁度先。大ムカデの突撃に耐える特殊鋼で構成された灰色の壁が、完璧な網目状に崩壊した。がらがら、がらがらと音立てて崩れる壁向こう。薄暗い安置所を照らす白色灯。眩い逆光に照らされ――

 「たしかにお前は化物だよ。ああ――これなら、殺してやれる」

 凄惨に微笑む、両儀式が立っていた。

***

 ティトゥスの疾駆はまさに神速であった。屍との間合い、およそ10数メートルはあろう。違いなく一足刀で間合いを詰め、身をかがめる。
 「――斬!」
 鯉口を切る音と、白刃の煌きとは全く同時。コンマ秒の隙間とてそこにはあるまい。
 「うおっと!」
 一方の屍はスウェーの要領で上体をそらし、刃をやり過ごす。右手の中で愛銃がくるりと一回転。微かなブレもなく、55口径リボルバー“ドラム”はティトゥスの脳髄をピンポイントした。
 轟!
 鋼と鋼がぶつかりあう甲高い音に混じり、一際大きい銃声がひびく。引き金にかかった指先が曲がる直前、返す刃が銃身を弾いたのだ。“ドラム”の銃口はあらぬ方向に逸らされ、冷たい壁を粉砕する。
 銃口の向きを戻していては、続く三の刃を防ぎきれまい。屍は素早くそう判断すると、ティトゥスの肋骨を砕くべく左手で掌底を繰り出す。音速で奔る屍の掌底。このまま胸部に直撃すれば肋骨はおろか、臓腑損傷とて避けられまい。
 だが、ティトゥスとて逆十字の魔人。咄嗟に柄で掌底を弾くと、間合いをとるべく飛び退る――!

 「……やるじゃねえか、サムライ」
 「お主もな。成程、魔界都市と呼ばれるも道理。これほどの猛者と出会えるとは、冥府より戻りて生き恥を晒している甲斐があるというものよ」
 「冥府より、だと?」
 屍が眉をひそめる。ブルー・マスク事件ではあるまいし、あの世から戻ってきたとでもいうのか。屍の心中を読み取ったかのように、ティトゥスは自嘲的な笑みを張り付かせ続ける。
 「然様。一度は轟炎の中に滅した身。此度こそ拙者は人で無い。神に出会えば神を斬り、仏に会えば仏を斬る。次なる一撃避けられるか、魔界刑事」

 ずる、と、ティトゥスの左掌より刀身が生える。二刀流の構え。物質転送(アポート)。物質転送単体ですら高度な魔術である。それを、触媒も呪言も無く、無動作で可能とした。忘れてはならぬ。このサムライこそ、かの魔術結社の最高幹部であったことを――
 一方の屍は、12連装リボルバー“ドラム”に再装填を完了していた。野生の獣を思わせる妖々たる眼光は、狩人のそれ。張り詰めた筋肉と、それを構成する細胞一つ一つは、号令さえあれば悪魔めいた動きを発揮するだろう。そう、この刑事もまた、魔人である。
 魔人対魔人。常識を絶した第二ラウンドが、始まろうとしていた。

***

 「そらそらそら!どうしたの式ちゃん、そんなヌルい動きじゃあっという間にジ・エンドよぉん!」
 腐臭漂う安置所に、ティベリウスの悦楽の声が響いた。
 両手から伸びた1メートルはあろうかという鉄の鉤爪。小型の竜巻の如く超高速で回転するそれらは、確実に、着実に式を切り刻まんと襲い掛かってくる。
 式の答えは舌打ち1つ。手持ちが両刃のナイフだけでは、いかにも心もとない。幾多の戦闘経験と長年の訓練により、ティトウスの攻撃を捌くことは出来ている。
 だが、捌くことが出来ているだけ。致命傷こそ負っていないものの、捌ききれなかった鉤爪は緋の皮ジャンと浅葱の和服を少しずつ、少しずつと切り裂いてゆく。

 (この変態ピエロ…!)
 式は心の中で悪態をついた。ティベリウスが本気で襲ってきていないのは明白だ。式の服をズタボロにし、肌を露出させて思う存分なぶってやろうという算段だろう。
 確かにティベリウスは手強い。式の運動能力、戦闘能力は常人を遥かに圧しているが、肉体的には普通の少女に過ぎないのだ。魔界都市の住人や逆十字といった正真正銘の魔人に対し見劣りするのは必然である。
 切り札はある。それも、とっておきの鬼札(ジョーカー)が。だが、まだ札を切る時ではない。ティベリウスは完全に油断し、式をなめ切っている。その油断こそが付け入る隙――
 ガキン!新たな一撃を弾いた途端。式の体がグラリと揺れた。

 「っ……!」
 「はあ〜い、大当たり〜」
 歪んだ式の表情を目にし、ティベリウスはそれはそれは嬉しそうに微笑んだ。鉤爪を繰り出すと同時に床に這わせた臓腑の触手。ずるずると這っていったそれらは、正確に式の足を捕縛している。
 こうなればもう鉤爪で追い詰める必要は無い。この生意気そうな小娘を捕らえ、ひん剥き、陵辱という陵辱の限りを尽くして弄ぶ。式の悲鳴を想像するだけでティベリウスは絶頂に達しそうなほど興奮していた。ちろちろと、舌なめずりを繰り返し、式に向かい踏出す。

 「――なあ、1つ聞くけど」
 式がのんびりと声を紡いだ。慌てる様子は何も無い。いや、むしろ鉤爪を相手にしていた頃より遥かに落ち着いている。
 「なにかしら?命乞いなら必要ないわよ。殺したりはしないから。穴という穴を犯しつくして壊しちゃうかもしれないけどねん」
 ティベリウスは余裕綽々と答える。あの忌まわしいマスター・オブ・ネクロノミコンならばいざ知れず。こんな小娘に何が出来るものか――高をくくっているのは傍目にも明白。
 「こいつは、お前の一部なんだよな」
 式の目線は、己の足を絡めとった触手に向かっている。整った顔には、焦りの色も無い。
 「そ。アタシの可愛い臓腑ちゃん。半腐りの十二指腸の感触はいかがかしら?」
 「最悪だよ。だから――殺させてもらう(・・・・・・・)」

 直後。直死の魔眼が、十二指腸の線と点とを切り裂いた。

***

 ギンッ!
 長い廊下に金属音が再度響く。
 屍とティトゥスの戦いは一進一退だった。ティトゥスが斬る、屍がかわす。屍が撃つ、ティトゥスが切り払う。一見すれば、それは遭遇戦の再現だ。
 だが、実際は正確な再現ではない。二刀となったティトゥスに対し、屍の武器は先と変わらぬ銃と格闘技術。しかも、銃を砕かれれば補充がきかない屍に比べ、ティトゥスには無限ともいえる刀の補充がある。1つ1つは僅かな差でも、積み重なれば無視出来ぬほどの戦力差としてのしかかってくるのだ。

 「おいおい、愛銃が台無しだ。整備もタダじゃあないんだぜ」
 やれやれ、とばかりに屍がぼやいた。連撃をなんとか捌き距離をとったものの、不利は明白だ。何度か刀を受けるのに使ったせいで、“ドラム”の銃身はボロボロになっている。こんな状態で射てばいつ暴発してもおかしくない。
 打つ手はある。あるのだが、出来れば使いたくない。これ以上病院を滅茶苦茶にするのは避けたいところだからだ。警察としての義務感もあるし、そもそもあの院長が怖い。
 「何を言う。お主ならば寸鉄帯びずに拙者と渡り合えよう。死合はこれから。命の鬩ぎあいの果てにある至高の輝き、見事拙者に見せてみよ!」
 ティトゥスが疾る。屍に逡巡の暇は無い。銃を抜くか、格闘術“ジルカ”で迎撃するか。迷っている暇などありはしない。
 「ちっ、仕方ねえ!」
 屍の行動はそのどちらでもなかった。あろうことか、花柄を散らした自慢の上着を脱ぎ、ティトゥスに投げつけたではないか。血迷ったとしか思えぬ愚行。その程度の目くらましが通用する相手では、当然無い。

 「御首級、頂戴!」
 言葉に被さるように、一瞬ティトゥスの視界を覆うグレーの上着。電光石火の双刃が、苦も無く其れを切り裂き、屍に肉薄せんとした、その瞬間。
 「動くな(フリーズ)……って言っても、無駄だよな」
 コンマゼロ秒以下の挙動で、屍は“ドラム”を構えていた。
 ティトゥスは眉をしかめる。たとえ至近距離といえども、銃弾などこの身には届き得ない。銃弾の軌道は常に直線運動。どれほどの速度であろうと、それ以上の居合いで弾き飛ばせば良いだけの話。

 “ドラム”が咆哮する。
 白刃が疾る。
 弾丸は、刃に切り払われる直前――屍の狙い通り、脱ぎ捨てた上着に着弾した。

 「な――!」
 ティトゥスの驚きは、屍が上着を撃ったことに対してのものではない。弾丸が上着を貫いたその途端、シルクの上着が閃光を放ったからだ。
 そう、屍の上着に散らされた無数の花々。秋桜、女郎花、野菊、桔梗。全てが全て、超小型高性能爆薬である。
 そのような物体に、55口径を着弾させる。結果引き起こされることは、単純そのもの。
 ゴオオオオン!!

 盛大な爆音、周囲一帯を巻き込む爆発。爆風の余波を受けティトゥスが吹き飛ぶ。屍も吹き飛ぶ。さらに、爆発の威力が予想以上に強かったのか――
 「っと、やりすぎたか……!」
 スチールの廊下が崩れ去り。屍とティトゥスの足場も例外でなく。2人は瓦礫に巻き込まれて落下を始めた。

***

 「ひぎゃああああああああああ!」
 耳汚い絶叫を上げてティベリウスが飛び退る。痛い。痛い痛い痛い痛いイタイイタイイタイ!!有り得ないほどの激痛がティベリウスの全身を走っている。それはそうだ。己の体に直結した内臓の1つ、それを完膚無きまでに殺されたのだから。おまけに――
 「ついでに神経も殺してやった。感謝しろよ」
 式の言葉通り、神経までズタズタに殺されていたのだから。

 「そう…大人しくしてれば可愛がってあげたのに……」
 ティベリウスの体が屈辱と痛みに震える。刻まれた十二指腸は先までのように自在に動くことは無く、今やただの肉塊。ティベリウスに付属した不要品にすぎぬ。怒りにまかせて触手を引きちぎり、鉤爪を構えた。
 「こんガキャア、人豚に作り変えて生き腐らせてやるわあああ!!」
 絶叫し、朱に染まった仮面を纏って襲いかかる。

 ――だが、遅い。無様な飛び退り、醜い激昂。そこに生じるタイムラグを見逃すほど両儀式は甘くない。流れるように走りこみ、突き出された鉤爪の下に潜り込む。
 まずは右の鉤爪。続いて左の鉤爪。右手、左手。さくさくと、ケーキカットのように線を刻む。そこにあるのはただ、“殺す”という明白な意志。
 式は殺人機械と化していた。否、殺“人”とは正確ではない。式自身は人を殺せぬ殺人鬼だ。逆に言えば、相手が人でさえなければ良い。殺人は出来ぬが殺戮は出来る殺人鬼。両儀式にとって、既に人ならぬティベリウスの相手は最適ともいえよう。

 「舐めるなあああッ!」
 ティベリウスが吼える。いかなる部位が死んでも本体は死なぬ。不死の魔人、妖蛆の秘密を極めたティベリウスにとっては当然のこと。心臓が死んでも、この怪物は動き続けるであろう。
 新たな臓腑、即ち触手が振り上げられる。式の脊髄。いかなる人間であれ、砕かれれば行動不能となる急所。視認不可能な速度で其れが振り下ろされようとした途端。
 「遅いよ」
 式が嗤い。ナイフはティベリウスの上半身と下半身の線を寸断した。

 「……まだ生きてるのか。しぶといぜ、ピエロ」
 ごとん、ごとん。床に2つのカタマリが転げ落ちた。ぴくりとも動かない下半身。対照的に上半身は明らかな生命反応を示している。
 仮面の眼は激怒に覆われて式を見据え、ゆっくりと口を開く。
 「――式ちゃん、後悔するわよ」
 ティベリウスの頭に最早欲情は無い。これほどまでにコケにされたのだ。己の持てる最大の戦力をもってして、この女を蹂躙してくれる。
 そうと決まれば行動は早い。高速術式を脳内で展開。自己の分身、巨大なる破壊神のイメージを焼き付け、呪言を紡ぐ――

 「鬼械神ベルゼビュート、暴食せ――!」
 ごおおおん!!
 刹那。ティベリウスの召喚術を遮って、轟音が響いた。安置所の天井、白色灯が崩れ落ちる。
 ティベリウスを押しつぶすようにして、山ほどのスチールとコンクリート。最後にサムライと刑事が落ちてきた。

***
 
 「カタはついたみたいだな、お嬢さん」
 すたり、屍は見た目に見合わず華麗に着地。計ったかのように式の真横だ。全身に打撲と火傷の跡があるが、至ってぴんぴんしている。一目で状況を見て取ったか、のんびりと言ってのけた。
 「まださ、刑事さん。あのピエロ、殺したのに生きてやがる」
 “殺したのに”“生きている”――?
 妙といえば妙な表現だ。屍が問いただそうとした時、瓦礫が両断される音が響いた。

 「……無様な」
 こちらはこちらで無事着地していたようだ。いかなる早業か。ティトゥスは抜く手も見せずに瓦礫の山を断ち切り、ティベリウスの上半身を表に出している。その表情にはティベリウスへの嫌悪がありありと浮かんでいた。
 「……何とでもいいなさいな。アンタこそ鬼械神(デウス・マキナ)も呼ばずに何やってるのよ」
 ティベリウスが吐き捨てる。両手も下半身も断ち切られた達磨の如き姿ながら、その妖気は一向に衰える気配がない。

 「で、第三ラウンドはタッグ・マッチってわけか?」
 屍が不敵に言い放った。確かに言葉通りの状況だ。瓦礫に覆われた狭い空間。互いに味方は2、敵も2。雌雄をつけるには絶好の舞台であろう。
 一触即発とはまさにこのこと。両儀式、屍刑四郎。ティベリウス、ティトゥス。いずれ劣らぬ魔人たちの間で、常人なら気死しかねぬ殺気が膨れ上がってゆく――

 「いや、この勝負は私が預かろう」
 美しく澄んだ声が、場を占有した。場にそぐわないことこの上ない、それでいてこれ以上は考えられない、月光さえも恥じ入るが如く美しい声。
 声だけで人を羞恥においやる者など、魔界都市においても3人とおらぬ。ましてや、純白の聖天使といえば、ただ1人。
 「ドクター・メフィスト……」
 誰かが呟いた。そう、魔界医師メフィスト。触れてはならぬ3魔人が1人。病院の支配者にして、絶対美の顕現。
 「勝負は預かる?どういうわけだよ、メフィスト」
 屍が問う。メフィストは慈愛に満ちた笑みを浮かべる。
 「今君たちが巻き込まれている事件。その背景を説明しようというのだ。特に君は聞いておくべきだろう――両儀式さん。その他の方々にも損にはならぬと思うが、如何かね?」
 メフィストにこうまで言われて抗しきれるのは、西新宿のせんべい屋くらいだ。メフィストを除く四人は、一も二も無く頷いた。

 死体安置所には、ただ1つ鏡がかかっている。いかなる仕組みか、ただの偶然か、崩落に耐え切ったその鏡にむけ、メフィストが視線をやる。
 メフィストは真っ直ぐと天使のような面を向け、厳かに告げた。
 「説明は君の役目だ。そろそろ出てきたらどうかな、博士」
 「……お見通しというわけだな、ドクター」
 鏡から返るは、感情の色が欠如しきった声。現世を彷徨う幽鬼ならばこのような声を出すのかもしれない。
 にょき。鏡から腕が飛び出る。上半身が飛び出る。数秒とかからずに、白衣を纏う、端正な――しかし、虚無に満ちた顔立ちの男が、地に降り立った。
 メフィストが慇懃に告げる。
 「ご紹介しよう。此度の首謀者。第一の黒幕。ミラーワールドの発見者にして稀代の天才――神崎士郎博士だ」
 鏡より出現した虚無の天才。彼は、真っ暗な眼差しで皆を見据えるだけだった。

(第4話・了)

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